136.因縁の終わり
「ふん。偉大な魔法使い様に、這いつくばって命乞いでもしてほしそうな顔だな」
「そんなことをしろなんて言わないわよ。されても困るだけですもの」
しない事を意外とは思うが、してほしいとはまったく考えていない。
「それをすれば最高の貴族にでもなれるというならいくらでもしてやるが、ベリルを牛耳る公爵に睨まれた状態で、おまえに頭を下げて生き伸びたところで何の得もない」
「……」
輝かしい出世の道があるなら助命を乞うが、そうでないなら自尊心を切り売りする真似はしないということか……。
「ここで私の命は尽きるが、勝ったと思うなよ。おまえには不幸が重なるように、黄泉でさらなる力をつけて呪ってやるからな」
黄泉からの報復宣言に、アナベルは苦笑を零した。
「あなたがどんな力を身につけて呪っても、私はセインの傍にいる。私が偉大な魔法使いでなく、役立たずの魔法使いでも愛してくれるから、生涯を共にと決めた相手ですもの。何があっても萎れて枯れない。必ず幸せに生きるわ」
もし、本当に黄泉の国から強力な呪い攻撃が来たとしても、セインと繋いだ手は絶対に離さない。そして、幸せになるのを諦めることもしない。
アナベルが隣に立つセインを見つめて微笑むと、自分と同じ気持ちでいてくれるとわかる、あったかい笑みが返ってきた。
「セイン? その男……まさか、あの豚公爵なのか?!」
ぎょっとして目を見開き、まじまじとこちらを見ているブルーノに、アナベルが言葉を返す前にセインが声をかけていた。
「アナベルの呪いだけでなく、私の呪いも解けたのでね」
「地位と財産だけでなく、容姿まで完璧なのか……。なんと、忌々しい男だ。呪われろ、おまえも呪われろっ!」
どうやら、ブルーノは痩せていた時のセインの姿は見ていなかったようだ。歯ぎしりしながら怨念を声にする彼に、セインは泰然としたまま顔色一つ変えなかった。
「おまえに、自ら殺してくれと懇願してくる罰を与えてやろうと思っていたが、その時間はもうないな。最後に、婚約者であったおまえが彼女を嫌ってくれた事にだけは礼を言っておく」
「役立たずでも、滅多に生まれない白黒両方使える魔法使いだからな。それなりには利用価値があるということか。私とてその女が魔法使いと知っていれば、適当に機嫌を取ったさ。王冠を得る道具の一つとするためにな」
ブルーノは鉄格子の傍から離れ、独房の真ん中あたりに足を投げ出すようにして座り込んだ。
平坦な声でごく当たり前のように語る姿に、アナベルは心の内で肩を竦めた。
王位簒奪の手助けなど冗談ではない。
やはり、カウリー領で魔法使いであることを秘して暮らしたのは正解だった。
「彼女は魔法使いという道具ではない。私の大切な妻として共に歩んでもらう人だ。おまえの言うように簡単に嫌ったり、ましてや捨てたりなどしない。いや、できない人だ」
「はっ! 塵より軽い言葉だな。ああ、憎らしくも羨ましい。田舎貴族などではなく、私もおまえのように生まれたかった。そうであれば、こんな惨めな目に遭うことなどなかっただろうに」
唇を歪めて苦々しげな表情であったが、言葉通りブルーノのセインを見る目には、羨望の感情が滲んでいた。
「私は、アナベルの幼馴染であるおまえが羨ましいよ。年齢も上のようだし……きっと、彼女が生まれた時からその成長を見てきたのだろう?」
「一般市民の血が混じる汚らわしい人間が、私を敬うこともせず、伯爵家のお嬢様としてのうのうと生きている。顔を合わせてもにこりともしない。地味な女の陰気な成長を見て、何が楽しいものか!」
ブルーノはセインが自身を馬鹿にしているとしか感じなかったのだろう。
彼の問いに火を吐くように怒鳴り返して、再び黒い血を吐いた。
「私は、罵声しか吐かない相手に笑顔を見せられるような、立派な人間じゃないもの」
ブルーノはセインに答えているとわかっていても、アナベルは思わず呟いていた。
『君、伯父上の子どもに生まれてよかったね。下賤な一般の民の血が混じる上に容姿も悪いというのに、伯父上のたった一人の娘だから生粋の貴族たるこの僕と結婚できるんだよ。感謝して、よく尽くすように』
ブルーノは初対面のアナベルに真顔でこの言葉を突き付け、唖然とさせたものだ。
その後も大人の目のない場所ではこの調子だった。そんな相手に笑顔を見せるなど、とても無理な話である。
「なんだと? 立派ではない下賤な人間だからこそ、尊い血を持つ私にへりくだり、笑顔で仕えるものだろうが。それをおまえは、とにかく反抗的でいやな女だったな。母親のように病でも得て死ねばいいものを、無駄に元気で風邪一つひかない。……こんな女、苛立たしいだけだったさ!」
アナベルの呟きに眉を跳ね上げ嫌悪感剥き出しで反応したブルーノは、絶対に承諾できない内容を叩きつけてくると、最後の言葉はセインに向けた。
そんなブルーノに、セインのほうははっきりと首を傾げていた。
「貴族も一般の民もベリルの民ということに何の変りもないだろうに。それを、どうしてそこまで嫌うのかわからないな。おまえがアナベルの血筋ではなく、彼女の心を見て笑いかけてさえいれば、彼女はおまえの光になっただろうに。公爵家に生まれるよりも、そのアナベルと緑豊かな地方でゆったり暮らせる毎日。過ごせるものなら、過ごしてみたかったな……」
どこか夢見るように語るセインの横顔に、アナベルはそうであったなら幼少期は楽しいことばかりだっただろうに、としみじみ思う。
でも、幼いアナベルと遊んでくれる想像のセインは、ごく当たり前にぽっちゃりさんになっていた……。
「何が光だ。汚らわしい光などお断りだ! これ以上くだらぬことを聞かせるな」
ブルーノのまるで空気を裂く刺々しい声に、夢想が途切れる。
セインも同じであるようで、ひとつ瞬きをすると、ため息交じりに言葉を紡いだ。
「くだらない、か……言動一つで王位簒奪者と見做される綱渡りの毎日。神経の擦り切れそうなそれにどんなに嫌気が差しても、公爵家に生まれたことを妬まれても理解など得られない。はたして、どちらが幸せな暮らしだろうな……」
「王族の方にひたすら忠誠を尽くしてお仕えしていれば、誰も王位簒奪者などと言うわけがない。私のような出世の遠い生まれよりも、筆頭公爵家に生を受け、生まれながらにその手にすべてを約束されたおまえのほうが、幸せに決まっているだろうが!」
「くくっ……そんな単純な可愛らしい考えで、マーヴェリット公爵として生きるのはとても無理な話だ。忠誠とは皆の目に同じように見えるものではない。どんなに尽くしても、見てもらえぬ人間というのが必ずいるのだよ」
「何だと……っ!」
軽く首を振って面白そうに笑ったセインにブルーノが気色ばむ。が、セインの口元に浮かぶあまりに冷たい笑みと雰囲気に、一瞬で勢いを殺がれていた。
押し黙り、セインを睨むだけとなったブルーノに、彼は少し雰囲気を和らげた。
「幸せの形は人それぞれと言うからな。おまえと私のそれが違っていても、それは当然なのだろうな」
「富と栄光を握る者が、己を可哀想な人間のように語るな。持たぬ者が、どれほど惨めで虚しい暮らしを送るかわかりもしないくせに。得意げに説教するな。耳が汚れる!」
ブルーノが気を取り直した様子で吐き捨てると、セインが苦笑した。
「説教のつもりはなかったのだが……。ただ、私はもしもおまえとアナベルが結婚していたとしても、出逢えばきっと彼女を愛したと言いたかっただけなのだ。私の荒んだ心を癒してくれる彼女を、ほしいと思う気持ちを抑えきれなかっただろう。おまえがベリル一と思う権力を使い、夫婦を裂いて彼女を手に入れるという外道をせずにすんでよかった、と心より思う」
アナベルの肩を抱く手はとても優しいが、セインの語る言葉には不穏な物が混じっていて、胸がどきっ、とした。
でも、自分もそうかもしれないとふと思う。
もし、あのとき父が亡くならず、そのまま言葉に従ってブルーノと結婚していたとしても、セインに出逢ったなら、ブルーノの手を離してセインの手を取ったのではないだろうか。
それが、どんなに父を悲しませることであっても、アナベルはその選択をしてしまう自分がいることを、ここで確かに知った。
「なんと悪趣味なことだ! そんな女、もし結婚していたとしても、筆頭公爵に恩が売れるならば喜んでくれてやったさ。いくら魔法使いだからとそんな女を家に入れれば、せっかくのマーヴェリットの高貴な血が汚れるだけだろうに……ぐっ、げほっ!」
ブルーノはセインを嘲ると、それまで以上に大量の血を吐き、床に倒れ込んだ。
「財も権勢もない伯爵家。それすらも、気に入らない女と結婚しなければ手に入らない生まれ……。頭がよかろうが身体を鍛えようが、上には立てない。どれほど必死に立ち回ろうとも、結局はおまえのように、いい家門に生まれた者が勝つ。光の中を皆に傅かれて生きる……」
「……」
「懸命に努力した私は何も報われることなく敗者にされ、惨めに死ぬ。まったく不愉快な人生だ。……ごほ、ごほっ……黄泉では、誰にも傅かずに……上に……ぐ、うぅっ………………」
漆黒の血だまりの中で、己の不遇を恨み……カウリーに生まれたことを嘆き……セインを妬み……ブルーノは事切れた。
全身が黒く染まった、光輝くような美男子と褒め称えられたとはとても思えない死に姿。
身の丈以上の権力を求めた果ての、終焉。
なんとも虚しい気持ちとなる従兄の最期を見て、アナベルは目蓋を伏せた。
「……叔父夫婦は、ブルーノの罪に加担していないと思います」
「病死として実家に戻すように手配する。彼の身内だからと、仇を討つ対象にはしないよ」
アナベルの不安を見抜いたセインが、そっと目蓋の上に優しいキスをしてくれる。
ほっと安堵の息を吐いたアナベルは、カウリー領の皆が知るブルーノの姿となるよう光魔法を使った。
半ば無理かと思いつつのおこないだったが、魔法は上手く効いてくれた。ブルーノから黒い靄が消え、全身を染めていた漆黒の影も消え失せた。
これで、彼の姿に目を背けるカウリーの者はいないだろう。
最後までまったく気の合わない従兄だった。
それでも領地でおこなわれる葬儀は、醜い姿だと忌まれるのではなく、皆に惜しまれるものであったほうがいい。
「私にできるのはこれだけ……さようなら。ブルーノ」
誰にも罪を償うことなく逝ってしまった従兄に別れの挨拶を残し、アナベルは獄舎を後にした。




