013.宝物庫へ
「そうだな。天の国の両親にもようやく安心してもらえる。……ダニエル、第三宝物庫の鍵を持って来てくれ。必要な物があるのだ」
「第三宝物庫でございますか。ご入用の品をおっしゃって頂ければ、すぐにお持ちいたしますが……」
第三?
ということは、宝物庫は一つではないのだ。
さらに驚きの事実に直面したアナベルだった。
公爵家とは何から何まで自分の知る常識とはかけ離れた暮らしである。
カウリー家にも宝物庫はあった。だがそれは小さな物で、しかも中身は空に近かった……。
「いや。私が自分の手で取りに行きたいのだ」
「左様でございますか。では、少々お待ちくださいませ」
ダニエルはセインに一礼する。そうして、アナベルに目を向けた。
「お初にお目にかかります、アナベル様。私は当家の執事を務めさせていただいております、ダニエル・スヴァーリと申します。心地良く暮らしていただけるよう心を尽くして取り計らいますので、何なりとお申し付けくださいませ」
「よろしく、お願いします」
丁寧に腰を折ったダニエルに、同じようにしようとしたが止められる。
「主の奥方様にそのような真似をされては困ります。それでは、失礼いたします」
優しい目をして微笑むと、鍵を取りに行ってしまった。
もう奥方扱い……ダニエルの纏う雰囲気には、アナベルのことを心より、主の結婚相手として歓迎しているのが窺えた。
偽装であるので、なんだかとても申し訳ない気持ちになるアナベルだった。
「セイン様。宝物庫にいったいどのような御用がおありなのでしょう。おっしゃってくだされば、私がその品をお持ちいたしますので、執務室でお待ちいただくというわけにはまいりませんか?」
赤毛に緑の瞳の……爽やかな容貌に洗練された物腰の青年が問うてきた。
二十代後半といったところだろうか。
若くして重要な役目を担っているように見えるので、相当優秀なのだろう。確かな理知の光の宿る目に、それは間違いないと確信できる。
「ジャン。お前が出迎えなど珍しいと思ったら、さっそく仕事か? 私は今日はきゅきゅの為の時間とすると言ったではないか。仕事はすべて明日だ」
眉を少し上げて嫌そうな顔をするセインに、ジャンと呼ばれた青年は怯むことなく平然と笑って見せた。
「亡くなったなら、あなた様の言うことを聞くつもりでしたが……いつも以上に元気そうですので、お仕事をして頂きたいなあと思います」
ちょっぴり猫なで声を作ったジャンに、セインがますます嫌そうな顔をする。
そうして、アナベルを見た。
「アナベル。彼は、ジャン・アビントン。私の側近だ。わが家の縁戚の一人で頭の切れる頼りになる男だが、とにかく私に仕事をさせたがる厄介で遠慮を知らぬ男なのだ」
「遠慮を知らぬ男などと……奥方となる方に、幼馴染みをそんなひどい紹介の仕方をするものなんですかね? 普通はもっと持ち上げて、良いところばかりを伝えるのでは……」
不平の声をあげたジャンに、セインはそっぽを向くように首を動かした。
「なぜ、自分の婚約者に他の男の良いところなど伝えねばならぬのだ。頼りになる男というので充分ではないか。それに、お前を表すのにあれ以上の言葉があるか? ああ、他にも重要なものがあったな。抜かっていた。……アナベル」
「はい」
何かに気付いたような声をあげ、こちらを見たセインはとても真剣な目をしていた。
「この男、執務に関しては有能で居て貰わねば困る男なのだが、まるで病気のように女性に見境がないのだ。もし、君に不埒な真似をするようなことがあれば、容赦なく魔法で叩きのめして構わない。私の側近だからと遠慮する必要はないからね」
「まるで病気のように女性に見境がない……」
とんでもない言葉に、あ然としてジャンを見ると苦笑していた。
「酷い言い草ですね、セイン様。女性を褒めるのは紳士の嗜みですよ。それを実践しているだけの私を、まるで奇病患者のように扱うとは……」
「褒めるだけなら私とて何も言わぬよ。おまえはそれだけではすまぬではないか……先日の夜会ではおまえを取り合って四人の令嬢が取っ組み合いの喧嘩をしそうな勢いだったな。次、同じようなことが起これば、勘当すると父君が言っていると聞いたが……」
呆れている感情を隠さないセインに、ジャンは拙いと言わんばかりの顔した。
「勘当の話までお耳に入っているのですか。参ったな……」
「私は、おまえが勘当されても側においてやるが……両親をあまり泣かさぬように早く一人に決めて身を固めることだな」
なんだかんだと言いつつもセインの柔らかな声に、主従関係であり、とても馬の合った幼馴染みでもあるのだとアナベルは感じた。
「それ、そっくりそのまま……」
ジャンは言いかけて、アナベルを見て口を噤んだ。
その姿にセインが満足そうに笑う。
「私は身を固めることが決まったからな。もう誰にも 『早く結婚を』 とは言わせぬぞ」
腕を組んでふふん、とばかりに威張っている。浮かれているようにも見えるセインに、ジャンは少し悔しげな顔をするとアナベルと視線を合わせた。
そうして軽く頭を下げる。
「ジャン・アビントンと申します。ご挨拶が遅くなりましたが、初めましてアナベル様。御用がありましたら何なりとご遠慮なく。主の奥方様に不埒な真似など間違っても致しませんので、ご安心ください。私は病気ではありません」
「はい……」
真剣そのもの顔と口調で言い切られては、そう応える他ない。
「ここでの暮らしで困ったことがあれば、真っ先に私に。次いで、何もしないと誓ったようだしジャンかダニエル、もしくはモリーに相談すると良い。彼女は家政婦長だ」
今度は、女性を紹介される。
「モリー・ジョンストンと申します。初めましてアナベル様。もちろん私も何なりとご用命賜りますが、専属の侍女をお付けいたします。気の良い働き者を厳選いたしますので、どうぞご安心なさってください」
鳶色の瞳を優しく微笑ませたモリーに、アナベルはなんとなく母親を感じてしまい、口元が綻んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
深く頭を下げたら止められる。
それをジャンとモリーの雰囲気に察し、アナベルは微笑むにとどめた。
「モリー。アナベルが夜会に出る支度を整えてくれ」
「かしこまりました。すぐに取り掛かります」
セインが命じると、モリーはホールにいた女性の召使たちを何名か連れてその場を去って行った。
そこでダニエルから鍵が届く。
ダニエルは夜会の準備の指揮を取っているようで、セインに鍵を渡すとホールに残る召使たちをすべて連れてそちらに戻って行った。
「お前も仕事に戻っていいのだぞ」
唯一残ったジャンにセインが声をかけると、返答は拒否だった。
「あなた様のサインが入れば完了という状態で、すべて整っております。本日、私に他の仕事はもうないのです」
執務室に引っ張っていくまで離れません、とばかりに少し胸を張って見せた態度にセインが絶句する。
結局、三人で宝物庫に向かうこととなった。
が、アナベルには心配事があった。
「あの……」
「なんだい?」
歩き出そうとしていたセインが、脚を止めてアナベルを見てくれる。
「宝物庫はここから遠いのですか?」
「そうだな、近いとは言わないよ。だが、三十分も歩けばつく」
笑顔のその言葉を聞いた瞬間、アナベルはぱちん、と指を鳴らした。
ふわ、とセインの巨体が廊下から数センチ浮き上がる。
「お!」
セインが目を丸くする。
「三十分もそのお身体で歩くのは難しいと思いますので、進む方向を示してくだされば、私がそのようにお運びいたします」
アナベルは、貴重な品を収めた宝物庫が玄関から近い位置にあるとは思えなかったのだ。
それが案の定では、セインを歩かせるなどとんでもないことだった。
「おおっ、これが魔法ですか? いやあ、便利なものですね。素晴らしいです!」
感心しきりで褒めてくれるジャンに、アナベルは小さく微笑む。
「実は私も心配だったのです。やっと見つけた意中の女性と二人きりで過ごしたいというお気持ちはわかりますが、セイン様は長距離を歩くと他の人間の何倍も疲れるお方です。それが、この場より遠く離れた宝物庫に行くなど無茶の極み。……ここで無理をして疲労で倒れて貰っては、書類のサインが遅れてしまいますのでね。本当に心配でした」
「…………」
しみじみと語るその言葉を聞いていると、セインの身を案じているのだろうが、何か少しずれているように感じるのはアナベルの気のせいなのだろうか。
「おまえは、アナベルのように私が疲れてしまうことを案じているのではない。疲れて書類を見なくなることを案じているだけだ。私が疲れて横になっても、そこで書類を見ると言えばそれでいいのだろう?」
「左様ですが、それがなにか? 改めておっしゃらなくとも、それくらいのこととうにご存じでしょうに」
不満げな口調でアナベルの感じたずれを言葉にしてくれたセインに、ジャンはきょとんとして首を傾げていた。
なるほど。とにかく仕事をさせたがる厄介な男……セインの紹介通りの人なのだ。
「…………アナベル。まっすぐ進ませてくれ」
ジャンには返す言葉が見つからないと言った様子で、セインはアナベルに行き先を示した。
でも、この二人のやり取りは面白い。アナベルはそんな風に思いながら、セインの指示通りにした。
こんなに心が軽くて他人の会話を楽しめる余裕があるのもすべて、セインが家宝を譲ってくれるからだ。
頬にきゅきゅのキスを貰って機嫌を良くしているセインに、アナベルは改めて感謝した。
セインを歩かせなかったことが功を奏したのか、一階東端の地下三階にある第三宝物庫には、三十分もかからず到着することができた。
セインは、扉を守る二人に鍵を渡す。
彼らはそれで三つの錠を外すと、両開きの鉄扉をゆっくりと開けた。重々しい音を立てて開いた先は真っ暗で、中はまったく見えなかった。
二人が急いで明かりをともそうとするが、アナベルはそれより先に魔法で明かりを作って庫内を照らした。
「え?」 「明かりが勝手に……」
警備の二人から訝しげな声が上がる。
それに応えたのは、アナベルに魔法を解かせて床に足を付けたセインだった。
「彼女は魔法使いだ。明かりを灯すなど簡単なことだ。……皆、入ってくるでない。私と彼女の二人だけとしてくれ。ジャン、おまえも絶対についてくるんじゃないぞ」
名指しでしっかり念を押されたジャンは、納得いかなそうな顔をするものの、頷いた。
「逆らえば本気で怒られそうですからね。大人しくこの場でお待ちいたしますが……」
「何か言うことがあるのか?」
言葉に含みを持たせたジャンに、セインが不愉快そうに眉を跳ね上げる。
「庫内に、あなた様が通れるような余裕はないかと……」
「…………」
残酷な現実である。
確かに、ジャンの言うとおりだった。




