122.幽霊はお好き?
「お土産です。再生しろと念じると、中に記録されている物が意識に入ってきます」
「……これは、私の欲しいと思う物が記録されているではないか」
すぐにアナベルの言うとおりに再生してくれたセインが、感激して声を震わせた。頬も紅潮している表情に、かわいくていい、とアナベルは心が浮き立った。
「外に映せと命じると、どこにでも水晶内に記録された物が投影されます」
「ありがとう。本当に何と言っていいか……抱きしめても構わないかい?」
水晶を大切に上着の内ポケットへ収めるセインに、思わぬことを問われてアナベルは目を瞬く。
彼から水晶玉を奪おうとばたばた暴れているラッセル侯爵に、ちらりと目を向けた。
「二人きりでないので、駄目です」
ご褒美にぽよふわを堪能できる……その誘惑に一瞬目が輝くも、今はそうしてのんびりできる状況ではない。残念に思いながらも断ると、セインもつまらなそうな顔をしてラッセル侯爵を見た。
「あれが邪魔か……」
「誰か、誰か来てくれ! この二人が私から大事な物を盗ったのだ。泥棒を捕まえてくれ! どうして、誰も私を助けないのだっ!」
何をしてもまったくこちらに触れられないラッセル侯爵が、半狂乱になって叫ぶ。何度も何度も声が枯れるほどに声を張り上げた。
でも、誰もこちらに注目しない。すぐ近くにいる娘のオリヴィアさえも、侯爵に対して一切関心を払わない。隣に立つ男性と話をしながら館の中に入って行く。
それはジャンにも言えることで、彼もセインのことを気にする様子は一切見せなかった。
「なぜ、誰も私の声を聞かないのだ。こちらを見て、私を助けろっ!」
侯爵は恐慌状態に陥っていた。
「無駄ですよ。誰も私たちを見ないように、魔法で結界を作っています。それに、皆がこちらに関心を寄せれば、侯爵様のほうが困ったことになりますよ。セインがここで、水晶の記録を外に投影すれば、侯爵様は何も言い逃れできないのでは?」
アナベルが面白そうに笑ってみせると、侯爵はぶるぶると大きく身を震わせた。
「小娘~っ!」
ギっとアナベルを睨み据える侯爵に、セインが喉を鳴らして笑った。
「あなたが大事にする地位も財産も今日限り……。明日、ラッセル侯爵家はこの世から消える。ベリルの面汚しめ。痴れ者に相応しい罰を用意してやるから、楽しみに待つことだ」
「なんだと、それは陛下がお決めになることだ。おまえごときに決定権はない。奸臣が、国王気取りでほざくな!」
強気で言い返してきた侯爵に返ったのは、セインの冷めきった眼差しだった。気配が極限まで怖くなっている。アナベルは背筋が思い切り寒くなった。
「その通り。貴族の家の取り潰しは、陛下にのみ決定権のあることだ。だから、証拠を求める陛下の命に従い、今日までラッセル家が存続することを堪えてきた。証拠さえ揃えば、罰は私の裁量で好きにして構わないとおっしゃっていただいている」
「嘘だ。そんな許可がすでに下りているなど……それでは陛下は本当にきさまの傀儡ではないか。きさまが証拠さえ積み上げれば、私の話は聞かずに断罪する。そんな王など、玉座に座るだけの、ただの飾りだ!」
顔面蒼白となり、いやだとばかりに首を横に振るラッセル侯爵を、セインは腕を組んで睥睨していた。
「陛下に無礼な口を叩くな。公に広まれば、ご尊名に傷がつくおこないを平然と為したあなたこそが、この国の主たる方を最も侮り軽く見ているのだ」
「ふん。なんとでも言え……これで私を殺して十年も経てば、王冠を被って玉座でふんぞり返っているのはきさまであろうよ。傀儡は離宮で幽閉か。はたまた病死か……」
ラッセル侯爵は憎々しげにセインを睨んで鼻を鳴らした。
「十年後、か……」
セインが呟きアナベルを見る。とても嬉しそうに目を細めた。
「セイン?」
この場にそぐわない表情に思えて、アナベルは怪訝にその名を呼んだ。
「私たちの娘が、お元気になられた陛下に見守っていただきながら、王子殿下と婚約式を挙げているくらいだろうかね」
「はい?」
どうしてそんな話に……。
こちらに同意を求める口調だったが、アナベルはぎょっとするばかりでまともに言葉が返せない。顔中が熱くなり、口もぱくぱく動くだけだった。
「そういうことで……私が陛下の第一の臣であることは、何年経とうと変わりはない。水晶には前長官の死やジョシュアのことは記録されていないが、取り潰しに合わせてあなたの屋敷は詳しく調べる。そこでそれらの証拠も出るだろう。罪状はどれほど積み上がるものか……」
滔々と述べるセインを、侯爵はせせら笑った。
「何もかも私の仕業にしたいのだろうが、そう都合よく行くものか!」
「あなたの許に、ほんの少しでも漆黒の薔薇の灰が残っていれば私が復元します。それが微かな塵であってもやり遂げてみせます」
ジョシュアをはじめとする不当に死なされた人々の無念を晴らすために、アナベルは自分に可能なことであれば何でもするつもりだった。
「それを復元したからと、何だと言うのだ? 漆黒であれば何でもマーヴェリットの物か。勝手に決めるな、小娘」
開き直って薔薇の強奪を認めない侯爵に、アナベルはひんやりと笑った。
「幽霊はお好きですか?」
「は?」
状況に合致しない頓珍漢な問いと思ったのだろう。侯爵は胡散臭そうにアナベルを見た。
「お好きですか?」
「そんなもの、好きな人間がいるはずなかろうが! 第一、幽霊とは、夢想が過ぎる人間の作りだした、ただの妄想だ!」
再度問うと、訳の分からないことを言うな、とばかりに侯爵は怒鳴りつけてきた。その反応にアナベルの笑みは深まる。
「お好きでないようで、安心いたしました。ではこれから毎夜、侯爵様の許へ私が幽霊をご案内します。妄想ではない、あなた様が身勝手な欲で死なせた人々を……」
「な、なんだと?」
泡を食ってアナベルを凝視する侯爵を、厳しく見据えた。
「薔薇の強奪を認めないと言うなら、あなたに殺された人々の身の上話くらいは聞いていただきます。皆、死にたくて死んだのではない。その無念を受け止めていただきます!」
「はははは……。それは楽しそうだ。この先、夜が退屈せずにすみますね侯爵。それでは今日のところはこの辺で……王太后様の隣にあらねばなりませんので」
セインが哄笑し、アナベルの肩を抱く。
「君はいつも最高だね」
耳元に囁き上機嫌で歩き始めたセインに、アナベルもつられて歩を進める。
背に、ラッセル侯爵の燃え滾る憎悪と悪意をひしひしと感じた。セインもそれは感じているだろうに、笑みを湛えるその表情に変化はない。泰然とし、足取りも颯爽としたものだった。
断罪による恨みを恐れない、何よりの証をその姿に見る。
アナベルはそんな場合ではないと思っても、ぽやんとした心地になった。
セインの存在がとても嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。身の内に抱えきれないほどのあったかい花が咲くアナベルだった。
◆◆◆
どんなに手を伸ばしてもするりと躱されるばかり。魔法使いの娘も公爵も捕まえることができず、デニスはみすみす逃がしてしまった。
悔しくて臍を噛んでいると、ぱちん、と耳の奥で何かが弾ける音がした。同時に、自身の周辺を覆っていた奇妙な空気の膜が消える。だが……。
「ここで追いかけても、館の内で恥を掻かされるだけだ」
苦々しく思いながら呻くも、あの若造から水晶玉を取り上げなければ、自分は終わりだ。
憎きマーヴェリットは必ずラッセル家を完全崩壊させる。地位も財産も、すべてあの豚男に奪われるのだ……。おまけに夜ごと幽霊を送りつけられるなど、冗談ではない。
「マーヴェリットを崩壊させて、七公筆頭となるはずだったのに……」
まさか、王太后がマーヴェリットを追い落とすよりも薔薇を優先するなど、とんだ誤算だった。
マーヴェリットに王冠を奪われると、日夜戦々恐々としているくせに、なぜ、追い落とせる絶好の機会に手を緩めるのだ。
薔薇が欲しいからやめるなど、暢気すぎる!
ふざけた思考の持ち主であった王太后には、失望するばかりである。
爪が手の皮膚を傷つけて血が出るほどに握りしめ、デニスは奥歯を噛んで歯ぎしりする。
「お父様? 館の中に入られたものとばかり思っていましたが、まだこちらにいらしたのですね」
周囲に誰もいなくなった庭に、オリヴィアとレオが連れ立って現れる。どうやら忌々しい娘の魔法で、デニスは館の中にいると思い込んでいたようだ。
「ブルーノを連れてこい」
「今日の結果は悔しいですが、今更ブルーノをここに来させても何の解決にもなりません。毒呪の剣の副作用で、今は深く寝入っておりますし……」
低い声で命じたデニスに、彼を公の場に出すのは得策ではない、とオリヴィアは難色を示した。
「いや、なんとしても今日中に、マーヴェリットの若造と、あの魔法使いの小娘を殺さねばならないのだ。どれほど眠っていようと関係ない。叩き起こして来なさい。奴らに明日まで時間を与えれば、我が家は破滅だ。私もおまえもすべてを失い、惨めに死なねばならん」
「お父様、それはいったい……」
オリヴィアが吃驚し、紅の瞳がデニスを凝視する。
「知られてはならぬ我が家の秘密……その証拠をマーヴェリットに握られた。しかも陛下におかれては、最初から我が家の存続を許すつもりはなかったのだ。マーヴェリットが証拠さえ提示すれば、無条件で罰すると決められていた」
身体中に煮えたぎるような怒りが駆け巡り、心臓が痛い。声を絞り出すたびにひどく痛む。
デニスが苦痛を堪えて最悪の事態をオリヴィアに告げると、その顔色は紙よりも白くなっていた。
「あんな豚に我が家が潰されるなど、あってはならないことですわ!」
多少声は震えているものの、毅然と顔を上げたオリヴィアに、デニスは満足の笑みを浮かべる。
「さすがは我が娘だ。この事態に泣き喚かぬ姿が美しい」
「今日中に、必ずブルーノに二人とも仕留めさせます。陛下の許に、我が家の秘密の証拠が届くことはありません」
「マーヴェリットを仕留めたら、ブルーノはその場でレオに始末させろ。それで綺麗に片がつく」
三つ死体が並べば、後は社交界の暇人どもが勝手に話を作ってくれるだろう。
捨てたはずの元婚約者が惨めに暮らすどころか、公爵と婚約して自分よりも華やかな道を歩む。
それだけでなく、公爵の権威を利用して自身に恥を掻かせた。
その鬱憤と恨みを晴らすためにブルーノが復讐に走り、惨劇が起こる。巻き込まれる公爵は哀れな犠牲の羊……と。
「いや、生贄の豚だな。ははははは、私は負けぬ!」
デニスは胸を張って天を仰ぎ、己を鼓舞して力強く笑う。
どんな手を使ってでも、必ずや逆転する。勝利を掴み、マーヴェリットのほうを断絶させるのだ。
拳を固く握り、決意を全身に漲らせたその時……。
館の内が妙に騒然となっていることに、デニスは気がついた。
「うん? 何か良くない事態となっているな……これは使えるかもしれぬ。私が見ておくから、おまえたちは早く、ブルーノのところへ」
デニスは激しくざわついている館の中へと向かう。
オリヴィアとレオはブルーノを呼び寄せるため、王宮を離れた。




