119.薔薇に彩られた誕生祝賀会
「ラッセル侯爵の薔薇は神業としか言えないな。私の贈った物など足元にも及ばない」
「白銀とは……。まるで新雪の輝く姿を見ているようだった」
白大理石の柱に誘引された様々な種類のつる薔薇にて、見事な花のアーチが数多く形成された美麗な庭。
華やかな王太后誕生祝賀会の会場では、招待客たちが思い思いに語らっていた。
つる薔薇がメインの庭だが、明るい色合いの木立ち性の薔薇たちも通路を彩る、王太后の気に入りの庭の一つである。
中央部が円形となっており、平素はそこにも白大理石造りのテーブルと椅子がいくつか置かれ、王太后の良き散歩の場となっているのだが、本日はない。
代わりに、円形に沿う形の大きな白い鋼の棚が置かれている。三段となっているそれには、鉢植えの美しい薔薇たちが数多く乗せられていた。
貴族たちから王太后に贈られた、誕生祝いの品である。
この棚は庭の中央だけでなく、他の場所にも設置されており、そこにも鉢植えが乗っている。王太后はそれらを眺めながら庭を散策し、最後に最も気に入った薔薇の側に、その贈り主と共に立つのだ。
自身の気に入りの薔薇の咲く庭に、祝いの薔薇を並べさせる。
贈る側にとっては心を砕いた祝いの品であろうに、王太后は、この庭に咲く物以上でなければ最初から相手にしないのである……。
「どうやら、マーヴェリット公爵は薔薇を贈らないようであるし……今回は、王太后様を最も喜ばせるのはラッセル侯爵となるだろうな」
ジャンと共に祝賀会場に入ったセインは、庭の中央部から少し離れた場所にいた。八重咲きの紅薔薇が大きな房となって下垂れるアーチの側にて、そうした声を耳に佇んでいる。
セインの頭よりもかなり高い位置から大量に咲き乱れる薔薇がちょうどよい衝立代わりとなり、大きな身体であっても隠してくれる。おかげで、背後にいる者たちはセインの存在にまったく気づかず話していた。
ジャンがその内容に顔を顰めるも、セインは苦笑し、彼の腕をぽんぽんと軽く叩いて宥めた。
「マーヴェリット公爵の薔薇は、移送中にならず者に襲われて消失したと聞くが……それにしても、何か贈るべきであると思うが……」
背後に居る者たちは気づかなくとも、別の方向から歩いてきた者はセインの存在に目を留めた。
いそいそと、こちらに寄って来ようとする。
が、自身の周囲に人だかりができれば、この場の主役が気を悪くするのは目に見えている。セインは彼らに向かって軽く手を振り、会話を拒む姿勢を見せた。
その主役。王太后は中央部にて招待客のあいさつを受けながら、贈られた薔薇たちを鑑賞している。
「挨拶もまだされていないようであるし……いくら不仲といえ、王太后様の誕生祝をしないというのはさすがに……フィラム王家とマーヴェリット公爵家の関係が完全に破たんしそうで、怖いな」
セインは彼らの言うとおり、王太后にまだ挨拶をしていない。特別、いつしなければならないといった決まりがあるものではないのだ。
アナベルが来てくれるぎりぎりまで、セインはこの場から離れるつもりはなかった。
「ラッセル侯爵と彼の支持者たちは、この状況を喜んでいるようだがな……」
「七公以外で初めて外務大臣となった。その勢いで、マーヴェリット家に成り代わろうと何やら暗躍しているようだが、あまり大きな波風は立てないでほしいものだ」
「あの増長ぶりでは、マーヴェリット公爵がこれぞという厳しい態度を示さない限り、無理だろうな……」
本日、王太后は多くの者のあいさつを受ける。ゆえに、あいさつが終わった者はすぐに次の者へと場を譲るのが暗黙の了解となっている。
ところが、あの状態と彼らが揶揄するように、一人だけそれを平然と無視する者がいた。
王太后の傍にいつまでも離れず立っているラッセル侯爵の姿に、セインは冷笑する。
「マーヴェリット公爵の一般市民の生活向上政策は、素直に賛同し難いところもある。だが、ラッセル侯爵の上級貴族を今以上に優遇すべきとの姿勢も、納得しがたい。やりすぎて、一般市民に恨まれての暴動など面倒だからな」
「一般市民の数は増え、その上、知恵も付いて来たからな。公爵が言うように、鞭ばかりというのはもはや時代遅れなのかもしれぬ。我ら貴族に不満を抱かせないためにも、この辺で飴をやる必要があるのだろう」
その考えが議会に集う全貴族に理解されれば、政務がかなり楽になる。一日でも早くその日を迎えたいものだ、とセインは軽く肩を竦めた。
「セイン……」
隣にいるジャンに軽く袖口を引っ張られる。
何事だ、とそちらに目を向けると可憐な薔薇たちが霞んで見える、豪奢な美女がゆっくりとこちらに歩んできた。
「ごきげんよう、マーヴェリット公爵。アナベルの姿が見えないようですが、この場で婚約者の紹介はされないのですか?」
大きな宝石飾りがいくつも付いた扇を手にする令嬢は、セインをまっすぐに見て艶麗な笑みを浮かべた。
「え?」
「ま、マーヴェリット公爵っ?」
愕然とした声が、背後からあがる。慌てた様子でこちら側に姿を見せた男たちは、セインと目が合うと体裁が悪そうな顔をしてそそくさと去った。
セインは、場が静かになったところで口を開いた。
「オリヴィア嬢。アナベルに美味しいケーキをごちそうしてくれたそうだね。とても喜んでいたよ」
彼女がこうして近寄ってきたということは、こちらが会話を拒否したところで通じない。自身のしたい話をするまで、オリヴィアはセインの前から消えることはないのだ。
彼女との数々のやり取りでそれを熟知しているセインは、ここで強引に振り切って場所を移せば、逆に悪目立ちしてしまうと諦めた。
「まあ! アナベルはなんでも公爵にお話しされるのですね。ならば、私の忠告も話したのかしら」
目を細めて面白そうに笑いつつも、意地の悪さを感じさせる声音のオリヴィアに、セインはにっこりと笑った。
「私は君の言うようなことを彼女にしない。それをちゃんとわかってくれたよ」
いらぬことを聞かせるものだと腹立たしく思ったが、おかげでアナベルの心の内を知ることもできた。
セインに愛する恋人がいないと知って嬉しそうに頬を緩めていた姿は、この上なく愛らしいものだった。
本人にあまり自覚はなさそうだったが、もやもやしたとの言葉は、きっと嫉妬から出たもので……結果としては悪くなかった。
だから、セインはオリヴィアに笑顔を見せることができる。
「ではあなたにとってアナベルは、本当に都合のいい手駒ですね」
ところが、オリヴィアは陰険な目でセインを見据え、なんとも気分の悪くなる言葉を浴びせてきた。
「手駒ではない。彼女は世界で一番大切な女性だ」
不愉快が高じ、こめかみの辺りがピクリと震える。
「物は言いよう……魔法使いを大切にして損はありませんものね。ですが、陛下を快癒に導くのは、アナベルの魔法ではなく、あなたの肩に留まっている飛竜ですわ。……ふふ、この勝負は父の勝ちです」
扇を閉じたオリヴィアが高らかに笑うと、きゅきゅが身を固くして翼を大きく広げた。
『きぃっ!』
「……い、いくら怒ったところで無駄よ! 私に吠えかかる暇があるなら、父以上の薔薇を用意できなかった公爵を恨みなさい」
一瞬、怯んで肩を逸らせるも、オリヴィアはすぐに気を取り直してきゅきゅを睨み付けた。その背後では、冷酷な気配を纏う男が殺気を込めてきゅきゅを見ている。
この男は、セインの知る限り、オリヴィアの背後に常に存在した。
その所作の一つを見るだけでも、相当な腕を持つ秀でた護衛とわかる。しかし、血生臭い物も感じる。十中八九、護衛以外のこともしているのだろう……。
「薔薇を用意できないと決めつけるのは、よしてほしい」
ぶるぶる身体を震わせ、猛烈に怒っているきゅきゅの背を、セインは気持ちを宥めるように撫でた。
「あなたの薔薇はこの庭のどこにも置かれていない。そこの配下にも何も持たせていない。このはっきりとした現実の前で強がられても、滑稽なだけですわ」
オリヴィアがセインを完全に馬鹿にして鼻で笑う。
「滑稽か……」
「そうですわ。あちらでは、王太后様が本日贈られた薔薇をすべて見終えたようです。これで、祝いの薔薇を用意できなかったあなたの負けが確定しました」
「…………」
オリヴィアの言うとおり、王太后は薔薇を見るのをやめてラッセル侯爵と語らっていた。
それでもセインは、ひたすらにアナベルを信じて待つだけである。
「その飛竜を守るために、あなたは自家の権勢を利用して、王太后様も陛下も黙らせるつもりでいるのでしょうが……。それをした時点であなたは王家に盾突く大罪人です。陛下の死を望み、王位を狙う者でなければ、自身の愛玩動物を優先するなどありえませんもの」
「君の父上とアンズワース公爵、そして王太后様がそのようにこじつけるということかな?」
麗しい声で歌うように攻撃の言葉を繰り出してくるオリヴィアに、腕を組んだセインがからかうような口調で問うと、彼女はいやそうに柳眉を吊り上げた。
「こじつけるのではありません。公に、事実を知らしめるだけですわ」
堂々たるオリヴィアの主張に、セインはどうしても呆れてしまい苦笑が零れた。
「事実、か……。君たちは私が何をしようと、王家を蔑ろにしているとしか見ないだろうに……」
「そうとしか見えませんもの。ですが、もっとはっきりと蔑ろにして、自身が王冠を被るのでしたら私は納得できますわ。それが……あなたはその一線は越えようとせず、煮え切らない。私が夫とするには物足りない方ですわ」
つまらなそうに言って、オリヴィアはセインを睨んだ。
「私は、アナベルの条件にさえ足りる男であれば、それで充分だよ」
「あなたはどこまでも、私を不愉快にさせるだけの方ですね」
君の評価などどうでもいい、とのセインの気持ちはしっかり伝わったようだ。オリヴィアの口元が歪み、その全身に怒りの気配が立ち込めていた。
一歩、オリヴィアがこちらに身を寄せてくる。
同時に、とん、と軽く胸元を扇の先で突かれた。至近距離でセインを見る紅の瞳には、間違いようのない殺気が宿っていた。
「ベリルに居場所のなくなったあなたを、変わり者のアナベルだけは哀れみ、守ってくれるかもしれません。ですが、それをすれば彼女はあなた同様、生涯追われる身となります。世界で一番大切という女性に、どうかそのような惨めな暮らしはさせないでくださいませ」
「君が何を妄想するも自由だが、私はこのベリルで彼女と幸せに生きるつもりだよ」
「では、その飛竜は陛下の治療薬となるのですね。私はそれでも結構です。あなたからすべてを奪うのは、王妃となってからの楽しみとしますわ。もちろん、アナベルという名の便利な魔法使いも手に入れてみせます。この私を愚弄した豚男など、一人惨めに死んでいくがいいわ!」
オリヴィアは高らかに宣言すると、そのままセインに背を向けた。
ほほほほ、と涼やかな笑い声を響かせながら、影のように従う男と共に父親の許へと歩んで行く……。
『きゅう! きゅう!』
「相変わらず、どこまでも強気だな。さすが肉食系女子ナンバーワン……」
きゅきゅの怒りの鳴き声に続いたジャンの呟きに、セインは小さく吹き出した。
「彼女を表すのに、それ以上の言葉はないな」
「今年のソフィア王妃様の作も素晴らしかったが、王太后様は、やはりラッセル侯爵を選ばれるだろうな……」
先ほど去った男たちとは違う者たちが、つる薔薇を隔てた後ろに立った。
とはいえ、そこに立ち止まって話をするのではなく、少しでも王太后の傍に行こうと歩んでいる。こちら側に姿を見せずして、別のアーチをくぐって先へと進んで行った。が、彼らは随分と興奮しているようで、大きな声で為されるその会話はよく聞こえた。
「ソフィア王妃様と言えば、十歳……いや、十五歳は若返って見えないか? 気鬱の病が癒えたからと伺ったが、それにしてもあのお姿は神がかって見える」
「妻が美容法を知りたいと騒いでしょうがない」
「うちもそうだ。特別な美容法を試されたのだと言い張り、私に手に入れるようにと無茶ばかりねだる。困ったものだ」
これは、真実が広まればアナベルはとんでもない目に遭うことになる。
「……これは、手を回しておくかな」
セインはつぶやく。
社交界で余計な騒ぎが起きないようにしておこう……。
「なあ、セイン。オリヴィア嬢が何か言ったようだぞ。王太后様がおまえを見ている」
ジャンに、今度は肩のあたりをつんつんと引っ張られる。
その視線を辿ると、王太后がオリヴィアと談笑しながら確かにセインを見ていた。




