011.最高の貴族は、気の毒な苦労人
「アナベル?」
「セインも目を閉じてください。……光、集え! 失われし魂の力の回復を……元気にな~れ。元気にな~れ。とってもとっても元気にな~れっ!」
呪文を唱えると同時に、セインに触れるアナベルの指先から、まるでその場に太陽が生れたかのような黄金の光が迸った。
光はセインの全身を包み込み、その身に溶け込むようにして消えた。
「なんだ、これは……」
「……これで、セインの魂は元通り。よほどの呪いでなければ、隊長の手を煩わせることなく弾き飛ばします」
ここまで強力な光の白魔法を使ったのは初めてで……正直かなり疲れた。
肩が落ち背も丸まる。額にも背中にも汗が伝った。
大きく何度も息を吐いていると、きゅきゅが再び側に飛んできた。アナベルの眼前に制止し、翼を懸命にパタパタさせて扇いでくれる。
【副隊長、最高。ありがとう!】
労いの心地良い風が頬にあたり、アナベルは微笑んだ。
「お褒めに与り光栄です。隊長」
「体重が減ったわけでもないのに……頭の重さが消え、身体が軽いように思う。よくわからぬが、とても特別なことをしてくれたのだな。ありがとう」
セインにも礼を言われ、アナベルは一気に疲れが吹き飛ぶような充実感を得た。
「……ですが、セインを巡って女性たちの醜い争いが起こるということは、太りすぎであることを気にされない方もいるということですよね?」
「我がマーヴェリットと縁を結び、自家を繁栄させることしか頭にない者達はそうだな。そのような、公爵夫人の地位と財産さえ手に入るなら私の体型など気にしないという者たちは本当に厄介で煩わしくてな……」
しみじみと語る姿に、王家のことでも女性のことでもずいぶんと難儀していたのだと窺える。
国一番の名門貴族の当主で、宰相。玉座にも近い位置にいる……となれば、確かに太っている事だけを理由に敬遠する女性は少ないだろう。
わざと呪いにかかっても、結局はそういうことである。
肥満は嫌われるベリルといえど、セインほどたくさんの旨味を備えている人間となると、それだけですべての求婚者を退けるのは不可能なのだ。
顔が二目と見られぬ面相だったなら話は変わるのかもしれないが、じっくり見ているとわかる。セインは痩せたら絶対に美形の部類だ。
公爵夫人の地位を真剣に狙う女性たちは、それにも気づいていると思う。いや、太る前のセインを知っているのかも……。
結婚した後に痩せるように自分が取り計らえば良い、と考えているのかもしれない。
おまけにセインは背も高く、性格も良いのだ。
太ったことで多少は傍に来る女性を排除できただろうが、諦めない女性たちがいるうえに、動きにくいだろう生活の不自由さを考えると、かなり損をしているのではないだろうか。
セインとは、地位も財も潤沢に持つ最高の貴族でありながら、とても気の毒な苦労人に思えてならない。
「その中に、何度妻とはしないとはっきり断っても、自分以上の女は居ないと言ってまったく聞く耳を持ってくれない令嬢がいて参っているのだ。普通は三度も断れば、しつこくしすぎて我が家の不興を買うのを恐れて諦めてくれるのだがね……」
ため息交じりの愚痴に、祖母の許を訪れていた三人の令嬢の話が蘇る。
「……それは、オリヴィア・ラッセル侯爵令嬢のことですか?」
「おや、知っていたのかい? そうだよ。若くて美人で父親が外務大臣の財も豊かな侯爵。家格も充分で何が気に入らないのだ、と令嬢本人だけでなく、その父親や他の貴族たちまで強く推してくるものだからたまらないのだ……」
顔を顰めているセインに、心底辟易しているのがわかる。
しかし、家柄に若さ、そして美しさも兼ね備え……当然、貴族の子女の通う学校に通い礼儀作法もきちんと学んでいるだろうから、オリヴィア嬢はマーヴェリット公爵夫人となるのに充分な物を備えているように思う。
セインはそれでは駄目なのだろうか。
気になるも、こうしたことを直截に訊ねるのは馴れ馴れしいおこないのように思えて、アナベルは言葉が出ずにその顔を見つめるしかできなかった。
「うん。どうした?」
アナベルと目の合ったセインが、怪訝そうに首を傾げる。
「いえ、なんでもありません……」
そう言うしかなくて、ふるふると首を振ると、セインのアナベルを見る目がとても優しいものとなっていた。
「私はね、オリヴィア嬢のような尖った美しさは苦手なのだ。君のような柔らかで見ていると心が落ち着く美人さんがいいと思うのだよ」
「っ!」
なぜ、自然体で褒めることができるのだ。
貴族に社交辞令は必須であるから、きちんと身に付けているだけだと言われればそれまでだが、言われるこちらはドキドキして落ち着かない。
「それにね、オリヴィア嬢は私という男ではなく、アルフレッド陛下の跡を継ぐ人間と結婚したいだけなのだ。私が次代の王とはならぬと確定したら、私のことなどまったく見向きもしなくなるよ」
「それはまた……」
オリヴィア侯爵令嬢が、さらなる高みを目指してマーヴェリット公爵夫人の地位を望むというのを、アナベルはそれほど悪辣な行動とは感じていなかった。
しかし、最高の貴族であるマーヴェリット公爵夫人では満足できず、王妃でなければ気が済まないとなると、令嬢たちの言っていた通り上昇志向が強すぎるように思う。
「彼女は十八の時、父親に陛下の妃となりたいと願った。父侯爵はその望みを叶えるべく奔走したのだが……すでに三人の妃がいることと病で身体が辛いという理由で、陛下は断られた。だが、回復されたら彼女は再び二十歳の年の差などものともせず陛下のお側に上がることを希望するだろう」
「左様でございますか……」
たしか令嬢たちは、オリヴィア嬢は女性第一位の位を狙っているとか言っていたような……もし、アルフレッド王が快癒されて嫁ぐことになった場合もそう考えるのだとしたら怖すぎる。
王にはすでに第一王妃がいらっしゃるのだ。
それでも女性第一位の位を望むとなると、当然第一王妃は蹴落とすということで……。
ブルーノと気が合いそうな女性かもしれない。
「だが、陛下がご回復されない限りは、私の意思など無視して付き纏ってくる。それが本当に鬱陶しくてね……だからというわけではないのだが、二つ目の頼みは、陛下にお元気になられるような魔法をかけてはもらえないだろうか?」
「それは……宮廷医と王宮魔法使いの方々がいらっしゃるのでは?」
アナベルが王を回復させることができれば、セインの憂いは晴れる。
無茶をして魂を疲弊させることもなくなるし、肥満の呪いを解いてこれぞという令嬢を探すことも出来るだろう。
守り隊の副隊長がおこなうに相応しい仕事だと思うが、王宮魔法使いたちがそう簡単に部外者のアナベルに、王へ魔法をかけさせてくれるだろうか。
「長官よりも、きゅきゅを癒した君の魔法の方が上だ。難しいことであるのはわかっているが、頼みたい。ベリルに不穏な波風を立てぬためには、王冠はフィラム家の方が変わらず所持するべきなのだ。長官には私の方から話を通す」
「それでしたらかけさせていただきますが、確実に回復させられるとはお約束できません。もし、陛下の寿命が残っていなければ、どのような術をかけても効果を発揮することはありませんので……それでもよろしければ、私の全力でかけさせていただきます」
「頼む。もし回復されなくとも責任はすべて私が取る。君に迷惑がかかるようなことは一切しないと誓う」
差し出された手を、アナベルは両手で握り返した。
それで偽装婚約は終わり、セインは理想の花嫁を見つけて幸せな結婚ができる。王も健康になって後継の王子が誕生すれば、このベリルにより良い光が差すだろう。
その際オリヴィア嬢が第一王妃になるかどうかに関しては、今は考えないでおく。
セインの魂の力で命を繋いだというなら大丈夫だと思うのだが、今はとにかく、王に寿命が残っていますようにと祈るばかりである。
「では、我が家に行こうか……」
セインがゆっくりと立ち上がった。
その際、上手くバランスが取れないようでよろめいた。
アナベルは寄り添うようにして支えた。もちろん、女の細腕で支え切れるような巨体ではないので、魔法を使って歩くのに支障がないようにした。
「ありがとう」
「いえ……」
どうにもセインの笑顔はアナベルの心をくすぐる。
年上の男性とわかっていても、ふっくらとしたまるい顔が、妙に可愛らしく見えるのだ。
馬車の傍まで移動すると、先ほど叱責された騎士たちが素早く手を差し出してセインを支えた。
セインはその手に鷹揚に身を預ける。
それが許すという意思表示なのだろう。騎士たちはとても安堵した様子でセインが馬車に乗るのを丁寧に介助した。
セインが席に着くと馬車全体が大きく揺れた。突然の振動に、馬がぶるる、と首を振る。だが、特別暴れるといったことはなかった。慣れているのだろう。
「アナベル……」
セインが笑顔でこちらを見る。その促しに、アナベルは頷いた。
「失礼いたします」
すると、騎士がアナベルにも手を差し出してきた。そんなことはしてくれなくて構わないのだが、ここで断る方が悪いことをするような気がして、素直に手を預けた。
そのまま車内に入るための階段を三段登り、セインの正面の席に腰かける。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出した。
アナベルは風魔法を使って祖母に連絡する。
喜びと驚きの返事がすぐに届く。それに微笑みながら、夜会より戻ったら詳しく話すと返した。
到着したマーヴェリット公爵家は、まさしく童話に描かれる夢のお城だった。




