010.守り隊結成
「そのとおりだ。君は見るところ礼儀作法をきちんと心得ているようだし、上級白黒魔法使いともなれば危害を加えられるような者もいない」
「危害?」
不穏な言葉を耳にして眉間に皺が寄ると、公爵は申し訳なさそうな顔をした。
「もちろん護衛はきちんとつけるが、私の妻となりたいと思っている者達の争いは醜くてな……君との婚約を公表した後、何事もないとは言ってあげられぬのだ」
「あ! そういうことですか。普通なら、婚約の後に待っているのは公爵夫人の地位ですものね。それを、私のような一般市民に持って行かれるとなると、貴族の令嬢方はそう容易く承知なさいませんよね」
「そういうことだ……」
苦しげな目をしてこちらを見ている公爵に、アナベルはにっこりと微笑んだ。
「危害の理由さえわかっていれば、怖くはありません。どうぞ、お気軽にお任せください。きちんと対処してご覧に入れますので護衛は必要ありません」
嫉妬に駆られて攻撃してくる令嬢たちを魔法で蹴散らすなど容易いことだ。
「引き受けてくれてありがとう。もちろん、月の欠片以外にも報酬は払うよ」
「他の報酬などいりません。偽装婚約、ご期待に添えるよう鋭意努めます公爵様」
とても嬉しげな笑みを浮かべて頷いた公爵に、アナベルは深々と頭を下げた。
なんだか太陽が笑っているように思えて、良い。
見ていると際限なく、何でもしてあげたくなる気持ちが増えていく笑顔だ……。
「セイン、と名で呼んでほしいな。……ところで、君の名はなんと言うのだい?」
問われて、こちらも名乗っていなかったことに気づく。
名乗りもせず家宝をくださいと願っていたなど、とんだ失態である。飛竜を癒したというのがあっても、そうした礼儀知らずな真似を許してくれた公爵には本当に感謝するばかりだ。
「アナベル・グローシアと申します。セイン様」
笑顔で名乗ったアナベルに、公爵も柔らかく笑った。
「アナベル、か……かわいい名前だね。君は、私に敬称をつける必要はない。妻となる人にはそうしてほしいと考えているのだ」
「それは……」
いくら本人からそのように要請されても、自分が演じるのは形だけの婚約者だ。
そのような身が宰相公爵の名を敬称抜きで呼ぶなど不敬罪にあたるように思えて、素直に呼ぶのは憚られた。
「誰にも咎めさせたりなどさせぬから、聞き入れてほしい」
懇願するような目を向けられてしまえば、拒否できない。
「……では、セイン。お言葉に甘えます」
「今宵、私の誕生日を祝う夜会がある。そこで、君との婚約を発表しよう!」
満足そうにこの先の予定を伝えてきたセインに、アナベルはごくりとつばを飲み込んだ。
今宵……急展開に、偽装とわかっていても緊張が走った。
「これで助かった! この場で君に出逢えたことを、私はこの世のすべてに感謝するよ!」
公爵は大きく息を吐き、晴れ晴れとした様子で伸びをした。
飛竜がその肩から頭に移動して、公爵の真似をするかのように、翼を大きく広げて胸を張り、ちいさな身体をいっぱいに伸ばすようにしているのに、アナベルはくすりと笑った。
「セインは、そんなに結婚したくないのですか?」
ずいぶん大げさな喜びように、つい問うてしまっていた。
「アルフレッド陛下がお元気になられるか、お子ができるまではしたくない。それ以上に、これぞと思う女性に出逢うことがなかったというのもあるのだがね……」
「…………」
真率な声音で返ってきた言葉に、王位継承問題が頭に浮かんだ。
セインは、他人が何を言おうと、自身に王位など考えていないのだ。
「このような体型であれば、いくら家柄があっても女性たちは太りすぎだと嫌悪する。そういう女性が本人の意思に関係なく、親から寄越された場合は断りやすい」
セインはほんの少し意地悪く、何か企みがあるような笑みを浮かべた。
それを、困ったものだと言いたげに緑水晶のような瞳をくるりと動かして見つめている飛竜の姿に、アナベルは確信した。
「セインは、女性が痩身の男性を好む我が国の気質を逆手に取るために、わざと呪いにかかっているのですね」
ベリルでは、男性があまりに太っていると節制ができない人間として女性に嫌悪される。ふくよか、ぽっちゃり程度であるなら許されるし大勢いるので、痩身との線引きは曖昧なのだが、セインほどとなると 『食欲を少しは抑えられないのか!』 となり、通常は嫌悪の対象である。
「そのとおりだ。私は始終呪いの攻撃を受けるのだが、これはその一つだ。即死のものではなかったのでな……私が醜くなって女性を寄せ付けないようにすれば、あの方々は安心されるだろうと思い、弾き飛ばそうとしてくれたきゅきゅに何もしなくていいと断ったのだ」
「左様ですか……」
他者を太らせる呪い。
呪いとは碌なものがないとアナベルは思うが、これもまたずいぶんとえぐい中級の呪いだ。
そんなものに素直にかかってまで安心させてあげたい相手……きっと王家に関わる方なのだ。
その肩に色々と重い物を背負っているだろうに、優しく微笑むことができる。心が強いのはアナベルなどではなく、間違いなくセインの方だ。
「だが、きゅきゅが教えてくれるには、私にはよほど強力な呪いでなければかけられないのだそうだ。だからこの呪いは、私がその気になればすぐに解けるとのことだ」
「セインは光属性の魂をお持ちですから……中級程度の呪いでしたら、その魂の力で簡単に弾き飛ばせますので、通常でしたらそうですね。ですが、今は呪いに対する耐性がとても低くなっていますから、その気になってもその呪いは解けないかと……」
「呪いに対する耐性が低くなった……そんなことまでわかるのかい?」
いたく感心している様子に、アナベルは苦笑した。
「魔法使いなら、皆わかることです。……ですが、どうして低くなったかについてはわかりません。光属性の方の耐性が低くなるなど、普通はあり得ないのですが……」
『きゅう~』
アナベルが疑問を口にすると、公爵の頭で休んでいた飛竜が一声鳴いてこちらに飛んできた。
思わず両手を揃えて差し出すと、そこにちょこんと乗った。
緑水晶の瞳が、アナベルをじっと見上げる。
【先週、この国の王が先週亡くなりかけたの。セインはその時、誰よりも真剣に祈った。その祈りが王の命をこの世に繋ぎ止めた。代償に、セインの魂の力は疲弊して耐性がとても低くなってしまった。今の状態では、私にも守りきれない。このままでは、呪いの攻撃に殺されてしまう。お願い、助けて。死なさないで!】
突如として頭の中に響いてき必死の叫びに、アナベルは吃驚して目を瞠った。
「魔法使いでもないのに、そんなことができるの?」
飛竜の話が真実であれば、王が存命なのは王宮魔法使いの力でも医師団の尽力でもない。セインの魂の力によるものとなる。
だが、セインはどう見ても白魔法使いではない。
【魂の力がとても清らかで強い人だからできた。……私は、この綺麗な魂の持ち主を守ってあげたくて傍にいる。でも、何の役にも立てない……】
だからお願いします、とばかりに飛竜は翼をたたんでアナベルに向かって深く頭を下げた。
「きゅきゅ。なにをやっているんだい?」
セインが怪訝に声をかけてきた。どうやら、アナベルときゅきゅの会話はセインの頭の中には届いていないようだ。
アナベルは、そっと健気なきゅきゅの頭を撫でた。
「私も、セインに死んでほしくないわ。だから、今日からあなたのセイン守り隊の仲間に入れてちょうだい。よろしくね、隊長さん」
【隊長?】
不思議そうな声が返ってくるのに、笑顔で頷いた。
「ええ。ずっとセインを守ってきたあなたが隊長。新参の私が副隊長よ」
【わかったわ! こちらこそよろしく。頼んだわよ、副隊長!】
きゅきゅが翼を大きく広げ、全身で喜びを表すように何度も羽ばたかせた。そうしてセインの肩に戻っていく。
『きゅう。きゅう』
満足そうにその身体全体を使うようにしてセインに頬ずりした。
「きゅきゅ……アナベルも……二人とも一体どうしたのだ?」
自分たちを交互に見て、セインが首を傾げる。
「今、きゅきゅと二人で隊を結成しました。きゅきゅが隊長で、私が副隊長です。では、さっそく副隊長として最初の仕事を……」
アナベルはセインの額に人差し指と中指を当てると目を閉じた。




