贋作<ザ・フェイカー>
「ボブ様、クウィル様。エトラペリ様との謁見の準備出来まして御座います。直ぐにお越しを」
──ボブ?クウィル?…誰だよ、そりゃ………
…って、俺達の事じゃねーか!
寝惚け眼を擦り、揺り椅子から体を起こす。
客間の奥まった角の机で書を読むマキシムスに声をかける。
「おい、マキシムス!今、廊下からお呼びがかかった。エトラペリとの謁見だ」
「…ボブ君、落ち着き給え。声が廊下に迄漏れてしまいますよ」
「──!?ボブはてめぇーだ、この野郎ッ!!」
「分かってますよ。そんな慌てずに」
身支度を調える。
マキシムスは鏡に向かい、普段身に付けない片眼鏡を装着し、豪奢な黄金の長髪を後ろで束ねて持ち上げ、頭頂部で四方に散らす。
頬に眉筆を使い、“皆殺し”と文字を描き、やはり普段とは異なる化粧を施す。
「おい、何してンだ?」
「……」
「何してンだっつーの。巫山戯てンのか?」
「………」
「…おいッッ!!」
俺の呼び掛けに漸く反応、こちらを振り向く。
いつもとまるで様子の違う、矢鱈とパンキッシュなメイクをマキシムスは施し、不敵に口元を上げ、ニヤつく。
「どうですか?印象が違う、でしょう?」
「…ああ、全然違うな。いつもは、女みてぇーだが理知的っちゃ〜理知的。今のその姿は、どう見てもチンピラ。頭、悪そ〜だぜ」
「そうですか、はい。ならば結構です。
印象等と言うものは、全てパッと見で判断した偏見。人は実に、騙され易い」
「ああ、そうだな。準備が出来たなら行くゼ!」
客間を出て、迎えの衛士について行く。
恐らく、小城の最も奥に配置された場所、そこに謁見室がある。
物々しい外見の城とは裏腹に、屋敷内の調度品のセンスはいい。
まあ、俺が褒める程度って事は、そんなにセンスがいいとも思えんが。
間もなく、木製の大きな観音開きの扉の前に着く。
迎えの衛士が重厚な扉を押し開く。
凡そ、50呎先に玉座が見え、部屋の中央迄進むよう伝えられる。
言われるが儘に従い、部屋中央に進み、暫しの間、待つ。
間もなく、部屋の右手方向、丁度上手側に位置した扉から衛士達が室内に入ってくる。
衛士に続き、漆黒の全身鎧を纏い、物々しい仮面を被った者が現れる。
成る程、アレが青銅仮面卿か。
続いて入室して来た者達に驚く。
死神坊主に阿保毛、白子の3人じゃねーか!
何時の間に忍び込んだ?
まあ、俺達は随分と拘束されちまってたから、色々動いたんだろうが──
ン?もう一人、続く男……何処かで見た覚えのある──誰だったか…
──ドズン。
漆黒で全身を鎧う仮面の者が玉座に座し、口を開く。
「其方等が裁判長の申しておった強者共か?」
「はい、仰る通りです、閣下」
「其方が…」
「はい、俺がボブ、“皆殺しの”ボブ。で、此方がクウィル・ケイオスロータラー」
「バラキを素手で熨した、と」
「はい、仰せの通りです、閣下」
「成る程、其れは確かに強者だ──で、我と其方、何方が強い?」
「…ご冗談を、閣下。俺達等、閣下の足許にも及びません」
「そうか?やってみなければ分からぬ事もあるぞ?」
「…滅相も御座いません」
やはり、この青銅仮面卿、腕に自信があるって奴か。
無駄に煽ってきちゃいるが、流石におかま野郎も乗るわきゃねーわな。
何せ、こっちは通行証を貰えりゃいいんだ。
さっさと貰って、このしみったれた町とおさらばしようぜ。
しっかし此奴、声色に迄魔術でも使ってんのか?
随分と慎重な奴。
「我は強者を歓迎する。其方等を我が食客として傍に侍る事を許す」
「有り難き幸せ。尽きましては閣下、俺達に街道の通行許可証を与えてはくれませんでしょうか?」
「…?街道の通行証、だと?何故、そのような物を欲する?」
「はい、俺達は王国各地に腕の立つ仲間がおります。その者達を呼び集めたいと願っております」
「相分かった。では、ボブ、其方に通行証を与えよう」
「!?俺だけでしょうか?」
「強者たる其方であれば、街道旅等一人で充分だろう」
「…確かに、仰る通りですが、連れて参ります仲間の分、せめて俺以外に5〜6人分の通行許可証があれば助かるのですが」
「どうせ、其方の仲間達は此方に来るのだから、関銭の類は後で我に請求すればよい」
「…仲間の多くはお尋ね者です。通行許可証が無いと、追っ手に追いつかれてしまいます」
「関や他領を通る時、我が名を出せばよい。王家直参騎士の名を出せば、しつこくはすまい。其れでも強情な輩がおれば、街道等通らず、荒野を突っ切ってくればよかろう。荒野を渡れぬ強者等、笑止千万」
成る程、中々此奴は、渋いね〜。
今さっき食客にしたばかりの連中の言を、其の儘鵜呑にはせんわな。
通行証は、前払い/後払いとあるが、発行元に支払いの義務がある。
何処をうろちょろするか分からん奴に、おいそれと数を発行せんわな。
「──仰る通りに御座います。荒野を渡って連れて参りましょう」
「うむ、期待しておるぞ」
まあ、此処は退いて正解だ。
しつこく食い下がると疑われちまう。
だが、どうするんだ?
─────
夜、青銅仮面卿の食客や上級衛士が集まり、晩餐が為される。
貴族達で例えるのであれば社交界、その規模を大幅に縮小させたようなもの。
どうやら、単なるエトラペリ信奉者、正確には、庇護者と言うべきか、それらの輩共と食客とは一線を画す様。
一番の違いは、刺青の有る無し。
上級衛士はエトラペリの紋を刺青として刻んでいるが、食客にはそれがない。
エトラペリは暴君だがその当たり、弁えている。
エトラペリがどのような術や技を使い、どの程度の強さを誇っているのかは分からない。
兎に角、素性を一切表に出さない為、その多くが推測の域を出ない。
食客と呼ばれる者は現在、30名程度だが、誰一人としてエトラペリの個人的な内情を把握してはいない。
見覚えのある男が居たが、何処で会ったのか?
まあ、こんな碌でもない処で食客に甘んじてる奴の事だ、思い出せなくても問題ないか。
俺達は、それなりに晩餐を楽しみ、参加者が減ってきた頃合いを見計り、ウィードンを除く、ヴェネーノのメンバーで合流。
声のトーンを落とし、密やかに話す。
「助け出死に来た積もりだったの死が、それも不要になりま屍たね」
「否、食客として此処で会えたのは好都合だった。今、どれ程、懐柔出来ているだろうか?」
「大凡、教団としては300〜400人程度で尸ょう。私死が直接下せる者は、急速な布教法故に破落戸の類に限られますが所謂、隷民に属す一般市民の動員には、ピコ君とレネシスさんがご活躍なされております」
「あたしは、御坊さんの教典以外のところで、元素精霊の力でみんなに貢献するの。生活が苦しい人達には、元素精霊がお役立ちなの」
「わた↑〜しも基本、ピコちゃんと同じデース。妖精の力は、人々のクソッタレな暮ら↑〜しをエンジョイさせるのデ〜ス」
「つまり、死神教団としてチンピラ共に都合いい御利益に加え、元素精霊や妖精の術で一般人にも恩恵を与えとる、そう云うこっちゃな?」
「では、凡そ500名程度には影響を与える事が出来る、と考えても宜しいかな?」
「恐ら苦は、可能で屍ょう」
こりゃ素直に驚いた。
このカレンタリアっつ〜町が異質ってのもデカイが、この短期間でこれ程の規模の人員を掌握するってのは至難の業。
田舎過ぎたら警戒が強いし、都会過ぎたら関心が薄く、治安の悪さと一般民による格差、序でに街道沿いにあって情報や物流、人の流れ他、新しい波が受け入れやすい土壌が培われていたっちゅ〜偶然の賜物だろう。
──但し、だ…
「状況的には上手くいってる、っつ〜のは分かったが、ンで、どーすンだよ、コレから?」
「然様死。マキ死ムス殿が通行証を獲得尸ようとお考えなのは理解屍ておりますが、あの状況から鑑みるに、中々どう死て、困難な様に思えて死方ありません」
「付け焼き刃の交渉で籠絡出来る程、彼の者は甘くはなかった。悪党の親玉風情と高を括っていた私のミス。
然し、既に手は打っている。かなり乱暴な方法ではあるが、是で行く」
「そうなの?どんな方法なの?なの?」
「──双子の女神像、だ」
─────
──その日、カレンタリアの町が騒然とした。
町中を駆け巡る噂に、破落戸共も、一般の民草も、来訪したばかりの旅人でさえ、慌ただしく、その情報について口々にした。
『エトラペリ卿、死神教団に帰依』
噂を確かめに、人群れが一点に注がれる──
──元豊穣の双神カレンとカタリアの社、現“命を刈り取るもの”の小神殿こと『順わぬ者を皆殺す沙汰』。
新進気鋭の死神教団の信者とその信奉者が集う寺院。
死神は、救世主教の神々の一柱でもある為、ルーンの他の神々の礼拝所も兼ねる。
順わぬ者を皆殺す沙汰の死導者こと“死神父”リ・ルガーナは、先日、エトラペリ卿の食客になっていた事は既に知られている。
それだけに、エトラペリ卿の死神教団への帰依は、信憑性が高く、人々の関心事になっている。
寺院は、町の西の外れにあるにも関わらず、中心街宛らの活気を帯び、何時、エトラペリ卿が姿を顕すのか、朝から話題になっている。
正午、竟にエトラペリ卿が姿を顕した。
昼夜問わず、いつもは町中を八頭立ての巨大六輪金箔武装馬車で駆け巡るエトラペリ卿だが、なんと、寺院には自らの足で歩いて訪れた。
神妙な面持ち、無論、青銅仮面でその貌は見えないものの、そう感じさせる振る舞い。
重厚な漆黒の金属鎧に身を包み、寺院へと歩を進める。
カレンタリア一の重鎮の登場に、死神父も自ら寺院の外に出迎え、祝福と歓待の言葉を述べる。
「お待ち申死ておりま尸た、エトラペリ閣下。我等が神【命を刈り取るもの】への入信、心待ちに死ておりま屍た」
エトラペリ卿は歩みを止め、躰を屈め、大地に片膝をつき、頭を垂れ、胸元で血剣十字の聖印を切る。
「我、此の場、此の時より、大神“命を刈り取るもの”の下僕と成らん」
男性とも女性ともつかない魔術的合成でもなされたかのような声色。
応えるように死神父も告げる。
「おお、死神よ!此の者に死の祝福を与え給え」
遠巻きに見守る民衆から疎らな拍手。
暴虐の君主の入信に戸惑う者も。
「我、此処に宣言す。今よりカレンタリアは、大神の祝福を受け、名をカレリンタリアリと改める。今、是を以て、“命を刈り取るもの”を領教とし、カレリンタリアリの主神とす。
亦、我も主神の御名に肖り、エトラリ=ペリと改名、従来の身分階級を見直し、刺青の有無に関わらず、万民の身分を平等とす。既に刺青を入れている者は、死神父と主神の聖職者達による神性礼術にて癒やし、消す。
主神の信徒ならざる者、凶器暴力恫喝の類を持ち、平穏を乱す者を取り締まるものとす。定職に就かず、町の発展を妨げ、安寧を脅かす者も同様とす。弱者を虐げ、搾取する者も同様とす。悪逆暴漢の類も同様と見なす。
以後、是を濫り犯す者、神法に基づき、罰す」
これには民衆も大きな拍手を送る。
破落戸連中は訝しげの表情を浮かべるも、エトラペリ改めエトラリ=ペリ卿の発言の重さに緊張する。
エトラリ=ペリ卿は、尚も新たな法を宣言した。
その内容は、概ね、治安回復と暴力の禁止等、今迄、隷民として扱われてきた者を保護する内容。
但し、以前の儘、逃れて来たお尋ね者等も保護し、然し、特権階級としては扱わず、町において生産性の見込める定職に就かせ、法を遵守させる旨が告げられた。
賤民の身分は廃止され、全てを平民とし、法を犯した者のみ隷民とし、罪の比重によって平民への復帰の猶予を残した。これは王国内での王家直轄領としては、ごく自然なものであった。
一頻り、法についての宣言を終えると、寺院の前で祝宴が催された。
集った群衆全てに食事や酒が振る舞われ、未だ嘗て為し得なかった、エトラリ=ペリ卿と民衆と破落戸による盛大な宴が披露された。
人前で仮面を決して脱がないエトラリ=ペリ卿は、飲み食いこそしなかったものの、宴を共に楽しむ。
主神の許、安寧の一時が齎された瞬間であった。
─────
風雲急を告げる幕開けは、黄金の馬車が訪れた時の事だった。
傾いた西日の差す中、黄金馬車と騎馬の一団、兵装に身を包んだ徒の群れが町の中心部、東から砂煙を上げ、寺院に迫ってきた。
黄金馬車は、言う迄もない。エトラペリ卿の象徴である八頭立ての大六輪武装馬車。
騎馬の一団は、食客と上級衛士。
徒の群れは、エトラペリの紋を刺青した衛士、番兵。所謂、破落戸の類。
宴に興じる大勢の民衆は驚き、黄金馬車の一団に視線を向け、身構える。
何事が起こったのか理解の及ばない多くの民衆は、口をポカンと開けて、惚ける。
宴の群衆から離れること50碼程の処で黄金馬車の一団は停止する。
静止して間もなく、黄金馬車から全身黒ずくめの金属鎧を纏った仮面の人物が降りる。
現れたのは───もう一人の青銅仮面卿。
群衆は混乱する。
寺院前の宴で共に楽しむ青銅仮面卿、否、今は名を変え、エトラリ=ペリ卿と瓜二つ。
丸きり同じ装いの人物が、もう一人現れた。
黄金馬車から降りた、もう一人の青銅仮面卿は、宴を開く寺院前に向かって、緩やかに歩を進める。
宴を開催していた青銅仮面卿は、黄金馬車の停まった方向に、是亦緩やかに歩み出る。
二人の青銅仮面卿が正対し、互いの距離が20呎に近付く。
黄金馬車から現れ出でた青銅仮面卿が口を開く。
「其方は何者だ?何の積もりで我の恰好をしておるのだ?」
男とも女ともつかない声色。
元から居た青銅仮面卿も返す。
「己こそ何奴。余を真似、狂言でも舞う積もりか?」
やはり、男とも女ともつかない声色。
性別不明乍ら、二人の青銅仮面卿の声質が異なるのは、少なからず分かる。
「我を語るとは甚だ大それた奴。道化の類であれば、直接、我の許を訪れれば、食客として置いてやったものを」
「余を真似るとは見上げた奴。只、もう少し踵を高くした方が良かろう。余は其れ程、矮躯ではない」
元から居た青銅仮面卿の方が後から来た青銅仮面卿より長身。
互いの距離、15呎。
「我に代わって此のカレンタリアを制したいのであればお門違いも甚だしい。偽る程度の輩に支配する力等無い」
「余を模して此の箱庭を統治したくば、何時でも奪い挑みに来ても構わぬ。己程度の小者にはお誂え向きであろう」
互いの距離は10呎に迄近付く。
「いい加減にしろ、コソ泥。我に似せ様が寄せ様が、所詮は下賤の身。下らぬ模倣で我が土地を奪えるとでも思っておったか!」
「下らぬ模倣で充分、其の程度だと己自身の力量に気付けなかったのか?片田舎の猿山の大将には相応しいがな」
二人の青銅仮面卿の距離、5呎。
もう少しで手の届きそうな距離。
「漸く認めたか贋者が!姑息な手段で我が土地を奪おうとは片腹痛い!」
「認める?何をだ?証明してみるか、何方が“本物”か、を?」
最初から居た青銅仮面卿が、自分の仮面に両手を掛け、一声大きく高らかに語る。
「皆の者ッ!証明してみせよう、孰れが本物であるのかをっ!誰にも見せた事のない此の顔を、諸君らにお見せ致そう!!」
「…!?なっ、なにをっ!!?」
黄金馬車から現れた後者の青銅仮面卿はたじろぎ、歩みを止める。
──ガバッ!
歩みを止めない初めから居た青銅仮面卿は、その象徴たる仮面を脱ぎ捨てる。
日輪の如く煌めき輝く黄金の長髪が舞い踊り、西日を浴びて一層燃え上がる。
両の眼はしっかりと閉じ、大理石の様な透き通る淡雪の如き白い肌が顕わになり、鴇色に染まった唇が濡れる。
頬には“皆殺し”と藍の眉墨で文字が描かれる。
軈て、瞼を開くと、純金の輝きにも似た黄金の濡れた瞳が現れ、辺りを照らし、見詰める。
息を呑む程の絶世の美女が仮面の下から現れ、群衆は暫し呆然とし、次いで、その声を聴いて唖然とする。
その美女は、紛れもなく男性、バンド猛毒のリーダー、マキシムスなのだから。
「余こそ、大カレリンタリアリの第一人者にして唯一人エトラリ=ペリの名を冠する者。主神“命を刈り取るもの”の聖所『順わぬ者を皆殺す沙汰』の守護者にして民草の守り手」
魔術がかった男女ともつかない合成された声色は消え、低いような高いような、然し紛れもなく男性の、よく通る声を発する。
遠巻きで見守り、息を呑む群衆の中、聞き覚えのある者達の声が響く──
「おおッ!あの神々しさ、美しいお姿ッ、正しく俺達のエトラリ=ペリ!エトラリ=ペーーーリ!!!」
「あたしたちの君キターーーーーなの!エトラリ=ペリなの!エトラリっ!ペリっ!」
「待ち焦がれたデーース!ご尊↓顔、拝謁↑でき〜て恐悦サンクス至極マ〜ベラス!マイロード、エトラ↑〜リ=ペリッ!」
ヴェネーノのメンバーの言を皮切りに、堰を切ったように群衆が喝采。
──エトラリ=ペリ!エトラリ=ペリ!エトラリ=ペリ!エトラリ=ペリ!エトラリ=ペリ!
群衆の熱量は圧倒的に高まり、仮面を脱ぎ捨てたその美しいエトラリ=ペリに視線が集まる。
エトラリ=ペリことマキシムスは、右腕を高々と掲げ、上空で円を描くように回し、コールを更に煽る。
爆発的な民の喝采を全身に帯び、軈て、指揮者のように腕を振り下ろし、もう一人の仮面卿を指差し、一言。
「未だ居たのか“贋者”?仮面の下で苦虫を噛み潰したまま立ち去るが良い」
「──調子に乗り過ぎたようだな…」
仮面のエトラペリは、羽織った漆黒のマントの裾を右手親指と中指で軽く摘むと、前面に高々と弧を描く様に翻す。
「…絶望せよ!」
翻したマントから、闇黒の光が放たれ、陽光を遮り、深い影が地を覆う。
墨を流した様な暗流の影から、夥しい数の錆鬼種が現れ、雄叫びを上げる。
遠巻きにする群衆をも巻き込む広範囲に迄出現し、悲鳴や怒号が周囲を包む。
錆鬼種は、暗黒恐慌時代に呪詛をかけられた鉱人種に端を発すると言われる醜悪な矮躯の亜人種。
知性も筋力他、能力の全ては人間に劣る為、邪悪な性格と卑劣な所業以外、何も恐れるような存在ではない。
だが、明らかに数が多い。
マキシムスは、オルフェリウスの名剣を薙き振るい、次々とガバリンを斬り刻む。
だが、斬り伏したガバリンの骸を越え、次々とエトラペリの暗黒のマントの影から出でる新手の錆鬼。
切りが無い。
「俺が防いでやっから、てめぇーはアイツをなンとかしろッ!」
錆鬼共の中に躍り込んで、鋳鉄製の段平打っ手斬り丸を小枝のように右へ左へと薙ぎ払う。
ガバリン共を膾斬りし、マキシムスの周辺から醜い亜人を遠ざける。
マキシムスは、オルフェリウスの名剣を逆手に構えて腰を落とし、魔粒子を刃に煉り込み、理秘魔術の理学を説き、一気に斜め上に剣を振り上げる。
──電刃斬。
馗士の剣型の一つに理秘魔術の術式を乗せた大出力の魔闘伎。
オドを乗せた剣圧に魔術的な雷撃が重なり、爆発的なエネルギーの塊がクラスター弾のように打ち出され、次々とガバリンを砕き、エトラペリに迄電撃のシャワーを浴びせる。
抗魔処理を施されてた全身鎧を纏うエトラペリだが、その衝撃全てを緩衝出来る筈もなく、1碼程ノックバックする。
衝撃でマントによる投影は遮断され、ガバリンの招来は一時的に失われる。
「その程度で我を倒せるものか!<唾棄すべき嬖臣>召喚」
エトラペリの周囲に小さな稲光を伴い、無数の黒球の渦が湧き出し、急速に温度が低下、直後に渦から瘴気と共に、蝙蝠のような形だが鱗を有す羽を生やした単眼と牙を持つ化物が複数出現する。
明らかに異界の魔物。低級な存在であろうが謎めいた生態故に危険窮まりない。
遠距離からピコが元素精霊抽術の臺本を讀み上げる。
──<燄の羽虫>
はためく小さな無数の火炎が異界の魔物を焦がす。
異界のものも現世に召喚された時点で物質を伴い、元素精霊の働きで燃焼する。
「終わらんぞ!<汚らわしい原猿>召喚」
エトラペリの背後に不快な臭いを出す深緑色の煙が立ち籠め、中央のより濃い深部から猿のような腕が二本が伸びる。
二本の腕で煙の穴を引き裂くように広げ、中から粘液に塗れた毛のような触手を持つ狐猿にも似た醜い化物が現れる。
「喚起師か!何処かに現異界調触媒がある筈。界線を切っちまうか、ソイツ自体をぶち壊せ」
「現異界調触媒は、魔導器とは異なります。探死出すのは困難死」
「触媒↑なら近くニア〜るはずデ〜スよ↓。普段↓から身に付けているとか置いてあ↑〜るとかデース!」
「なら簡単なの。仮面卿とか言われてるんだから、仮面が触媒なの!」
「否、違う。この仮面、亦、この鎧も、同じ物が幾つか用意されている。今、私が着込んでいるこの鎧も、ウィードンペボルが奴の城から盗み出した物。是等には、触媒としての機能は無い」
「え〜!?それじゃ〜、ドコにあるのか分からないなの〜」
「我を喚起師と見破った処で何も出来まい。未だ未だ行くぞ<遊星からの物体X>召喚」
粘液塗れの緑色の原猿のような化物の召喚に引き続き、エトラペリは更に異界の汚物を呼び寄せる。
無色透明なゲル状のヘドロのような物体が鎧の彼方此方から滲み出す。
「チッ!俺は、あの猿みてぇ〜なのをヤる!あのゲロみて〜なのは、お前らヤれ!」
「解決になりませんぞ。次から次へと召喚されれば、準備の乏弑我々のが不利死」
「でも、戦うしかないなのっ!キモいのがコッチに躙り寄って来るなの!」
マキシムスは顳顬に指を当て、僅かに眉を顰めると、
「ウィードンペボル!馬車を砕けッ!!」
姿を見せない儘、何処から返答が、
「──わ、分かった」
エトラペリが慌てた様子で振り返り、黄金馬車の方に駆け出す。
「動いちゃ、ガッ駄目デ〜ス!<荊の女王の緊縛遊戯>」
妖精使役の抒情詩をファントアが綴ると、無数の茨の蔓が生え出し、一斉にエトラペリに襲い掛かり縛り付ける。
ピコも後を追うようにエトラペリの足許に重石付投げ縄を投げ付ける。両足を掬われ、地面に倒れ込む。
──バゴォッ!
エトラペリの大六輪武装馬車の上空から突然現れたウィードンペボルが落下しながら踏み付ける。
尚も手にした戦鎚で幾度も馬車を叩き付け、砕く。
──<怒りの聖拳>
リ・ルガーナは祝詞を上げつつ、軸足だけ一歩踏み出し、右拳を馬車の方角に向けて突き出す。
その拳から、眩しい程光り輝く波状の力場が発生し、直線上にある馬車に衝突、破壊する。
「やめろォーーー!」
茨に縛られ拘束され、巻き付くボーラによって地に伏し、虚しく叫ぶエトラペリの前に踏み出したマキシムスは、オルフェリウスの名剣を高々と掲げる。
「終わりだ、エトラペリ。民衆に、双子の女神の区別をつかせなくさせてしまった時点で、お前の負けは決まっていた」
「……な…に?」
「双神カレンとカタリア、お前は何方がカレンで、何方がカタリアか、分かるか?」
「下らん!そんなもの、興味等ない」
「同じだ。お前も民衆も。双子の女神の孰れが何方だのに興味がない様、仮面の下が“誰”であろうと、皆、興味ない」
「なんだとッ!?」
「お前は畏怖の象徴を造形物に頼り過ぎた。象徴と化した造形物に人は皆、幻想を抱く。より畏敬を、より都合良く。お前は、お前の作り出した象徴と言う幻想に破れた。
勝敗は、私がこの町にやって来た時に、既に決していた」
「ば、馬鹿な…」
「───さらば、だ」
刃を振り下ろす。
──ガパッ!
エトラペリの青銅仮面が割れ、砕ける。
「──!?」
砕け散った仮面の下から、ロングの黒髪を棚引かせる。
──女。
漆黒のマントを手繰り寄せ、顔を覆う。
マキシムスは、強引にそのマントを奪いさり、白日の下にエトラペリの顔を曝させ、自身の背にマントを纏う。
「…そうか、女性であったのか。だから、作った声色に女声が混じっていたのか。
恐怖心を煽る為の声質を、何故、男女混成にしたのか、頑なに仮面を取らない、その意味が分からなかったが……そう言う事であったか」
見れば端正な顔立ち。
怒りに満ちているとは言え、悪党の其れとは思えない目鼻立ち。
何が彼女を、恐怖で縛りつける暴君にさせたのか?
「殺せッ!辱めを受ける積もりはない!さあ、殺せ」
「……立ち去れ」
「!?──何だとッ!」
「戦う前からお前は、既に権力の座から失墜していた。
支配の及ばない暴君等、意味を成さない。何処へでも好きな処に行くが良い」
「──支配者になれたからと言って、いい気になるなよ!再び、奪い返してヤル!」
「…別に、この町の支配等、端から目論んではいない。私が欲しいのは、通行証、だ」
「!!?──」
「早く立ち去れ!私の気が変わらん内に。二度はないぞ」
既に統御を失っていた原猿に似た化物とゲル状の異物は、荷運び人とピコによって倒されていた。
召喚した異界の化物も仮面も失ったエトラペリは、ボーラを解き、立ち上がり、マキシムスを指差す。
「覚えていろ!必ず、一泡吹かせてやる!」
「ああ、期待せずに待っておこう」
傾く西日の方角に、エトラペリは走り去った。
寺院の前でヴェネーノのメンバーを取り巻く群衆は、訳も分からず称えた、勝利者を。
双子の女神同様、仮面の中が誰であろうと、関係がなかった。
誰一人、仮面の君主に疑問も関心も興味も抱かず、否、抱いていたとしても其れを他人には決して見せず、喝采する自らの身を只、勝利者の側に置く喜びで同調する一体感と安心感とで、自らに酔い痴れた。
“顔”を見せないのは、エトラペリも民衆も、亦、同じだったのだ。
─────
エトラペリの食客達は、カレンタリアを去った。
勝利者たるヴェネーノのメンバーは、カレンタリアの支配を継承する積もりがなく、食客達を雇い続ける意味もないので退去させた。
市長がいなくなった旨は、王都に伝えるだけでいい。
直轄地の此処であれば、間もなく、新たな市長が送り込まれてくるだろう。
無論、民衆が自分達で決めてもいい。然し、其れについて口出しする気は毛頭ない。
ヴェネーノのメンバーがした事は、1つ。
青銅仮面卿に成り済ましたマキシムスが、各々ヴェネーノのメンバーの偽名で通行証を発行した事。
発行元の署名は、カレンタリア市長とだけ記し、関銭他各種課税については、一ヶ年後、まとめて市長に請求する仕組み。
いつ迄、バレずに使えるかどうかは分からないが、暫くは、各街道を自由に往来する事が出来るだろう。
信奉者集めの為に作った小神殿『順わぬ者を皆殺す沙汰』は、其の儘残す事にした。
マキシムスがエトラリ=ペリとして宣言した法を監督する為にも教団と神殿は必要であった為、カレンタリアの地元民に託す事となった。
エトラペリが蓄えていた財産は、半分は神殿に、残り半分は民衆に返した。
荷運び人は、財産の幾ばくかを持って行くべきだと主張したが、少なからず王家直参の地位にあったエトラペリが立ち去る前に蓄えた財を奪い去ってしまうと、後で何らかの罪に問われた時に厄介であった為、町に残すのが適切と判断しての事だった。
得たものと言えば、エトラペリの素顔が曝された時、顔を隠すのに使った黒いマントを剥ぎ取った儘、背に羽織ったマントくらいなもの。
使い方次第では、かなり危険な魔導器であった為、そのままマキシムスが羽織る事にした。
仮面や鎧は全て城に戻し、一通りの処理が済んだ後、ヴェネーノのメンバーは、初めて町に入った時に部屋を取った旅籠に戻った。
メンバーが旅籠に戻ると、食堂脇のソファーから男に声をかけられる。
「やあ、ファゴット、待っていたよ。覚えているかい?」
マフラーで口元を覆ってはいるが、精悍な面持ち。
ヴェネーノのメンバーは顔を見合わせる。
(ファゴット?誰だそりゃ?………!?俺の事かッ!)
「ああ、覚えているとも!え〜と…」
「ブレイドバルダス、だ。ファゴット、それともクウィル、どちらで呼べばいいかな?」
(…どっちも偽名なんだがな)
──!?
思い出した。此処で酒を一杯馳走になった男だ。
ん?──
ああ、序でに思い出したぞ。
此奴、エトラペリの食客の中にいた。
「取引しに来たって云ってた筈だが、ありゃ〜エトラペリとなのか?」
「私死も思い出死ま屍たぞ。食客として城に居た時、確か、強者を探していたと」
「はい、その話なのだが…聞いて貰えないだろうか?」
「否、済まない。聞く事は出来ない。私達は冒険の最中なのでね」
マキシムスが割って入る。
随分と冷静じゃねーか?
こう云うのは聞くもんじゃねーって相場が決まってる。
「まあ、マキ死ムス殿。お話死くら遺お伺い尸ても宜死いのでは亡いで屍ょうか」
「──分かった、聞くとしよう」
マキシムスは渋々、了承する。
俺も仕方なく、話しを聞く振りをする。
「太陽の卵と言う宝石はご存知だろうか?」
「いいえ、私は存じ上げませんな。誰か知っていますか?」
「…し、知らないで、す」
「知らないの〜。それ、何なの?なの?」
「天然の霊力を持った宝石で太陽、或いは、太陽神の力を宿す奇蹟の宝物と呼ばれています」
「ドンノ〜、聞いたコト↓なーいデ〜ス」
「それで、その太陽の卵とやらがどうしたのですか?」
「俺の故国は今、混沌の恐怖に晒されています。この恐怖を打ち破る為に、太陽の卵の霊力が必要なのです」
──混沌の恐怖だと…
確か此奴、ディタ・アードン出身と云ってたな。そうか、奴等ギャラルドウンに迄迫って来ているのか。
然し何故、真鉱ではなく、聞いた事もないそんな物を?
「でも、その卵石って何処にあるなの?」
「この町から血みどろ街道を南に下り、南西に向かわず更に南の痛い痛い河を越え、灼熱平原の向こう、ドク・マカーラ荒原の奥地に住まう竜人種の王が所有していると訊ね聞く」
「其処迄ご存知で死たら、何故ご自身で向かわな遺の死か?」
「ドク・マカーラ荒原↓は、ふぁっきん竜の生息地デ↑ースよ?とてーも↓ろんり〜一人で踏破でき↑〜るよーな場所で↓ーはないデ〜ス!」
「俺一人では、彼の危険地帯を渡り切れない。本来であれば、エトラペリを口説き、共に向かう積もりでした」
「エトラペリ卿を…確かに彼の御仁の強さは認めざるを得な遺死が…」
黙々とブレイドバルダスの話を聞いていたマキシムスが、唐突に言い放つ。
「──分かった。私達が着いて行こう」
(……そうきたか──いつもの俺なら乗り気じゃないが…ああ、今回はそれでいい──)
───極星の瞬きを三度見上げた後…
俺達、猛毒のメンバーとブレイドバルダスは、無慈悲都市を後にし、馬首を並べて血みどろ街道を歩んでいた。
俺の大事な騾馬、“守りたい此の笑顔号”と“黄金の鉄の塊号”には、積めるだけ保存食を載せ、南を目指す。
暫くは、寝台で休む事は出来ないだろう。
寄り道と云うには、剰りにも危険でやば過ぎる回り道だが、まあ、仕方ねぇ。
何せ、あんな話を聞いちまったんだから。
精々、死なねよ〜に、冒険し抜いてやるぜ。
死神の祝福とやらを楽しみにしてな。
……なんか俺、冒険者みて〜に考えちまったな?
チッ───
いや〜乱世乱世♪
もうちっとだけ続くんじゃ♡