禿丘を越えて
「(qあwせdrftgyふじこlp…)…なんて書いてあるンだコリャ?」
「古代語の一種…営業時間:黄昏から黎明まで、現在執務中、ノックしてお入り下さい……と」
(…巫山戯てやがる)
「…入る、ぞ───!?」
───少し昔…
【死の接吻亭】
王都スラム街にある公共職業安定所が元締の安宿兼大衆酒場。
ワンダラーってのは、所謂、冒険者、だ。
表向きには、称賛と畏敬すべき者、っつ〜意味だが、大勢が考えるのは、放浪者の方。まあ、平たく云えば、落伍者、だ。
大陸の公共機関がこっち迄きてるって事には驚きだが、特別なにかをしてくれる訳でもなし、破落戸と与太者のたまり場。
お尋ね者探しやら運び屋募集やら、それらしい依頼の張り紙が壁中を賑わすが、此処に出入りする大方の連中にとっては然したる意味もない。
どこかのお偉いさんが、ゴミ溜め、と評したそうだが、なかなか的確な表現じゃないか。間違いないね。
死の接吻亭は、旅籠屋の中では、かなり規模のデカイ酒場だが、それだけにゴミの山ってのがお誂え向きだ。
(…ぁあ、そうだった、俺もゴミだった…)
斯く云う俺も、今は冒険者…ワンダラーになっちまった訳で、ヤニの渦巻く薄暗い喧噪の中、負けじと湿気た小葉巻をくぐらせ、緑青吹いた脚付銀杯を一番安い大麦酒で満たし、堅くて臭い鈍間鳥と饐えた泥炭榛の燻製を頬張る、しがない酒浸りの人生。
他の連中との違いと云えば、この店の用心棒って事。尤も、酒代と小銭で雇われてる小間使いってのが正しいがな。
冒険者扱いとは云え、用心棒として詰める場所があるだけ、俺はマシか?大分マシだろ?
まあ、酔って仕事になるってのが、俺には向いているんだけどな。
にしても、退役間もないっちゅうのに、もう2吋も腹回りが増えちまった。
脂と引き替えに銭を失い、もう暫く小天圓金貨は見てない。
堕散るってのは、とことん早いな。自堕落な生活ってのは、プライドを捨てちまえば、実に心地いい。二度寝した時の感覚にも似て、中毒になる。
(そろそろヤバイだろ、俺?)
何気なく壁際の張り紙に目を向ける。
デカデカと張り出されたお尋ね者の中で目を惹くのは、やはりアイツ、デヴォード・ァン・ブラドハカー。
“叛吸血鬼”として知られる南域辺境ザーイードハキム荒野に住まう准男爵。
化物でも貴族になれる、ってんだから、この国も大分おかしいよな。
ん?准男爵は、貴族じゃなかったか?ま、どっちでもいい。
確か、新興の死神教団に追い出された筈…客の話題が耳を掠めた程度なんで、覚えちゃいないが。
(なにっ?賞金──1,000八聖天大白金貨だとぉ!?)
俄には信じ難い賞金額。現役時代の給与じゃ、何回人生やり直せば稼げるんだ、って話。
アイツは、真祖になり損ねた吸血鬼。そんな輩風情に1千枚もの大白金貨とは、ジョークとしてもキツいだろ?
とは云え、組合印紙も捺されているのだ。依頼主の名は見当たらないが、流石にギルドが釣りとも思えん。
考えても仕方ない。この辺りで一花咲かせねーと、いよいよ俺のクズっぷりも加速する。
有り難い事に、番付は除外されている。要は、誰でもOK、そう云う仕事だ。
俺一人でなんとかなるか?
いや、欲をかいても仕方ねーか。集りでも組んだ方が良さそうか。
バンドなんてガキの頃に組んだっきりだ。
よくある話だが、戦術性の違い、ってヤツで長続きした試しがない。
4〜7人ってのがごく一般的なバンドの人数。んでもって構成は、前衛、中衛、後衛、後は荷物運びとか賑やかしとか旅路のパシリと退屈凌ぎ、そんな連中。まともなのが3人いりゃ、後は屑で十分だ。
5人でいいか?賞金分配も切りがいい。
旅籠屋に詰めてはいるが、ワンダラー向けの仕事なんざ受けた事がない。
さて、どうやって集り共を集めりゃいいんだっけか?
取り敢えず、バーカウンターに出向く。
「おやっさン、ちょっといいか?」
「金なら貸さン!!」
「(っこのジジイ!)お、おう…金の話じゃないンだ、否、金の話なンだが」
「貸さンッ!!!」
この気短な死の接吻亭の親父ダンカンは、昔は名打てのワンダラーだったらしい。らしい、と云うのは、俺自身、知らんから。
アドインの主人と云っても、ギルドの職員じゃない。
大陸の方じゃどうか知らんが、こっちの旅籠屋は、殆どギルドから完全に独立した個人経営の酒場宿。
大凡、ギルドのアドインに与していれば、安客とは云え、有象無象の輩が利用する。
客単は低いが回転率で儲ける、そんな店だ。
金貸しから武具調達、仕事や仕事仲間の斡旋、情報提供、冒険者同士の小競り合いの調停、職探し他、至れり尽くせり。ワンダラーにとっての万屋だ。
兎角、死の接吻亭はデカイ。王都随一のアドインだけあって、王国中の穀潰しが集うに十分。
不満があるとすれば、店内が薄暗い、何やら臭い、接客が不躾、酒と食い物が不味い、ベッドが硬く、寝室が汚く狭い、小蝿が多い、何と云っても不衛生…ぐらい。浮浪者の如きワンダラー以外、誰も寄りつかんわな。
メインサービスの品質は頗る劣悪だが、放浪者にとっては、それでも天国だろう。
ちなみに、死の接吻亭では、寝床の一つに馬小屋を提供する程、その対応は“格別”だ。以前は、食事に飼い葉も出していたらしいが、今は出していない処を見ると流石にクレームでも入ったか。
手短に受注について話した。
訝しげな表情を浮かべはしたものの、普段の俺の態度と違う事を察したのか、親父は分厚い台帳を取り出し、必要以上に指先をベロベロと舐め、ページを捲る。
「おめぇ、ミッション1つもやってねぇーからランク無しだぞ?うちで用心棒やってるっつ〜ても、飲ンで喰ってるだけだからな?」
「メンバー揃えるの、難しいって訳か?」
「おめぇが吸血鬼退治の発起人務めても、集まらんわな。そもそもこの案件、人気あるからな。おめぇみたいに賞金に目の眩ンだ阿呆共が多いってこった」
予想はしていたが、さて、どうするものか。
確かに親父の云う通り、ランク無しの駆け出し冒険者が募った処で誰も来んわな。
俺だって、聞いた事のない奴の呼び掛けに応じねーしな。
前職の事は公開出来んし、ランク買う程の賄賂贈る金は、勿論、無い!そもそも、賄賂は贈るもんじゃなくて貰うもんだ。そうだろ?
となると、ランク上げる為に何か1つ、簡単な仕事でもこなしておくか?否、面倒臭い!ギルドのルールに縛られて、ワンダラーのシステムに組み込まれるなんざ、反吐が出る。
そうすると、だ……読めたゼ。
「おやっさン、吸血鬼退治のメンバー募集そのものはあるンだろ?」
「いつ退治されても不思議じゃねー程あるな」
「なら、そン中のメンバー募集で何の制限も指定もねぇ〜奇特なバンドはあるかい?」
「そンなもン、ある訳ねーだろうがッ………ン?いや待てよ、ある、な」
「お!そいつらはどンなメンバーを探してるンだ?」
「ああ、荷物運び、だな」
「(荷物運びかよッッ!!)で、分け前は?それとも給金か?」
「賞金と引き上げた財産の1%、だそうだ。気前のいいバンドだな」
こりゃ、悪くない待遇だ。
パシリ、ってのが気にくわないが、荷物運びにしては破格だ。生きて返ってこれりゃ、一財産になる訳で悪くはない。荷物運びにしてみれば、って話だが。
「で、おやっさン。そのバンドのプロポーザーってのは何処のどいつだ?」
「─────だ」
「…ほう(……分からン!!)」
───夜霧烏が3度鳴いた後…
今夜夜更け、件のメンバーがやってくる。
顔合わせ迄時間がねーもんだから、3磅落とすのがやっとだった。
それにしても、死の接吻亭最高のロイヤルスイートルームを予約してるってんだから、随分と金回りのいい連中のようだ。
バウンサーになって暫く経つが、俺自身、此処には初めて入る。
驚いたな。この無駄にでっかいだけの小汚い店に、こんな部屋があるなんてな。
幾重にも恒久魔術が付与されていやがる。噎せ返る程の魔粒子に満ち、感覚の目を焦がす。さっき飲んだ安酒の酔いが、一気に覚めちまうじゃねーか。
調度品も矢鱈と豪勢。
この箪笥は、旧王朝の代物、姿見は、大陸製。こちらの馬鹿でかい硝子テーブルに至っては、ラキシス製、その全てが魔導器になってやがる。
あの親父、どっから拾ってきたんだ、こんなもん?
そんな事より、来客向けに用意されたの上質な葉巻を肴に高級焼葡萄酒でも頂戴するかな。
──しかし、随分待たせるな。
すっかり寛いじまって、丸二本も吸い終えちまった。久し振りの上等な嗜好品のせいか、待たされて苛ついたせいか、舌が軽くヒリヒリしちまったよ。
どうする?本格的に飲んじまうか?
(……やっと着たか)
魔術的な防音効果も、溢れかえるオドで冴えきった俺の感覚がそう気付かせる。
店の裏手から隠し通路を通って上がって来るな?
1、2、3…4人、か。
男2人に女2人、内1人は、樹人種か。男二人は貴人、内一人は軍人、女は術士か藥師、エルフは職迄は分からんが雌、足運びで分かる。
後、5秒。
(…4、3、2、1、そらっ!)
コンコン「失礼する」
重厚な木扉が開き、連中が入って来る。
ん?女?否、男、か。一見、女のような姿の、煌びやかな男が先ず一人。
次いで、鼻眼鏡を掛けた法衣を纏った男。
更に寝癖のようなボサボサの赤毛に小さな体躯の女と透き通る白堊の肌を顕わにした白子のエルフ。
予想通りの4人──
!?
──5人目!
遅れて、もう一人、だと!?
灰色の頭巾を目深に被って表情の見えない、予想外の5人目。
俺に気取らせずに来るとは…かなりの遣り手か、それとも俺が鈍ったか、将亦、ちと飲み過ぎたか。
「貴卿がダンカン師傅のご紹介者かな?」
低いような、高いような声色。正確には、低いんだがよく通る、そんな声質。
貴族の子弟、或いは、色子か?燃えるような輝く黄金の髪に宝飾付眼帯仮面を被る。目元を隠しているとは云え、女だったら超絶美形、そう思わせるに十二分な程、端正な顔立ち。尤も、男だが。
線の細い躰つきに豪奢な鎧姿、女形のような内掛を纏い、化粧迄している。十指全てに指輪を嵌め、細腕輪と腕帯輪をじゃらつかせ、無数の装身具で着飾り、香水で醸す。
淫蕩宛らの雰囲気にも関わらず、態度や身のこなし、足運びに至る迄が軍人のそれ。まあ、何と云うか、あまり触れちゃならんような奴。
「ああ、俺があンた達の荷運び人を務めさせて貰う…」
「貴殿の信仰は?」
機械的、と云うか抑揚の少ない無機質で僅かだが鼻にかかった声。俺の発言を遮ってきたものの、妙に落ち着きのある声に嫌味は感じない。
鶲の大瑠璃の翅を思わせる金属質な瑠璃紺の髪を惣髪に整え、小さめの鼻眼鏡から上目遣いの三白眼で値踏みするかのようにこちらを覘く。
漆黒の法衣は、救世主教団の其れだが、意匠の細部に違いも垣間見える。逆十字?否、血剣十字、そうか、是が死神教団か、初めて見る。二重入信か?しかし、上位に見える。
宗教・宗派は、面倒臭い。ここは無難に。
「俺は、田舎もンなンで地元での祖霊崇拝だが、こっちに出てきてルーンにも入信したよ」
「………」
──おいおい、それで話は終わりかよ?
こいつら、どんだけ俺に興味ねーんだよ。ま、今の俺のこの態じゃ、そりゃ興味も関心も抱かね〜だろうが、これから吸血鬼退治に行くってのに、流石にねーわ。鬱陶しいコミュ障共だ。
仕方ない、俺から振るか。
「すまねーが、あンた達の冒険職種と簡単な自己紹介して呉れねーか?」
「…これはすまない。確かに、自ら名乗らず質問するとは、失敬であった。
私は、馗士だ。名は、アークジオン=ヴァンロード=マキシムス。このバンド、猛毒のリーダー。二つ名は、“昇り征く太陽”。遍く争乱を平らげるものにして数多を麾くもの。貴卿も気軽に私の事をライジング=サンと呼んで頂いても結構だ。以後、宜しく」
(ほう、この陰間、馗士だったのか。名乗りが多過ぎて何て呼べばいいンだよ。なにが、ライジングさん、だ)
「では。私死は、聖職者死。救世主教の司祭に死て大神【命を刈り取るもの】の大死祭。名を“地獄からの使者”モルガン・リ・ルガーナと申死ます。通り名は、“死期者”。汝に死の祝福があらんことを」
(そりゃ、一目で分かる。にしても、死神の狂信者とは物騒な上、死の祝福たぁ〜、真っ平御免だ)
「あたし、元素精霊使い(エレメンタラー)なの。名前は、ピコラ・ル・ピコレ・リ・ピコマーニャ。ピコって呼んで欲しいの。あたしの事、みんな“小さな巨人”って言うの。よろピコー、なの」
(ちびっ娘は、やはり術士だったか。田舎者の小娘か?色気がなさ過ぎて、折角、玫瑰を想わせる上等な猩々緋の髪がボッサボサ、あちこちに癖っ毛がとっちらかってやがってアホの子のようだ…ピコピコうるせーから、阿保毛、と名付けるか)
「わた↑し、妖精の乗り手デース。お↓なま↑えは、ファントア・レネシス、デ〜ス。あだ↑名は、“薔薇の友邦”デース。お↓まーえとナカ↑〜マでーす、ふぁっく」
(エルフ語訛りは、相変わらず聞き取り辛いな。おまけに片言な上、下品なスラング迄混じってやがる。誰だよ、汚ねー言葉、教えた奴は。プリズム反射し、スペクトルを生む白髪のような白金の髪に紅玉の瞳、只の白子じゃねーな…上のエルフか?)
「──ボクの名は…“小石と雑草”。お、おっ、ぉ仕事は…清掃人。し、靜かな処と、さ、淋しい処が好き…です」
(!?この声…この外套の奴、女だったのか!フードで顔が見えなかった上、サイズ違いのデカい外套のせいで勝手に男だと錯覚しちまった。足音どころか気配迄消すとは、単なる盗人とは思えンな。どっちにしろ、おまえが何処が好きかなンて聞いてねーよ)
此処迄聞いたものの、誰も俺の素性に興味無しとは、なかなかいい度胸してるじゃねーか。まあ、それだけダンカンの親父が信用されてるって事だろうが、な。
バンド・メンバーの構成を聞いて、よく分かったぜ。
吸血鬼相手だったら馗士と聖職者で十分だが、それ以外を相手するとなると前衛が心許ない、そんな印象。そこでパワー自慢の荷運びを戦士代わり、否、盾代わりにしたい、そんな所だろう。成る程、荷運びだけじゃ済まなそうだな。
こっちに質問がなけりゃ、大事な話と行こうじゃないか!
「ところで、荷運びの報酬としての俺の取り分だが、賞金の他、引き上げた財産の1%って事でいいンだよな?」
「其れで結構。その他、旅路に必要なものや食費も勿論、全て負担する。また別途、私から一日当たり、小地圓銀貨1枚、七日おきに路銀として支払おう」
「(この馗士、気前がいいな。打ち損じたとしても着いて行きゃ〜困らンな)路銀は、三日おきに4サークにしてくれ」
「一日1サーク、七日おき、だ」
「…じゃあ、四日おきに5サークでどうだ?」
「日に1サーク、六日おきに6サーク支払おう」
「そンなら、五日おきに6サークならどうだ?」
「分かった。五日おきに5サーク、十日目には追加で1サークの報奨金を、二十日目以降十日毎に報奨金を1サークずつ増額し、支払おう」
「(…こいつ、期間使役の壷を押さえてやがる)オーケ〜!賞金と引き上げ財産の総額1%、プラス五日おきに5サーク貰い、十日目には追加1サーク、二十日目には追加2サークってな感じの給金だな。文句はねぇーぜ」
「宜しい、結構」
「そうそう、ついでなンだが。引き上げた財産の中で現物支給になっちまった場合、あンた、買い取ってくれねーか?」
「──其れは、古物商に言うが良い」
「(尤も、だ)ああ、違ぇ〜ねぇな」
───不味い朝食を3度摂った後…
奴等との待ち合わせの日。
現役の頃に迄、躯を絞るには、まだ時間が掛かる、が悪くはない。
愛剣“打っ手斬り丸”の錆を落とし、刃も研ぐ。鎺には重石を付け、鍔と柄頭に匕首を忍ばせる。副武器として短弓と躱し弓手短剣。短弓は速射と可動域に優れ、弓手短剣は、打っ手斬り丸と二刀で用い、盾代わり・鎧通しとして使える。
鞘は、太腿鞘。腰帯から吊し、鞘付腿帯で太腿の外側に固定する。これだと鎧を纏った状態での抜刀がヒップ・スキャバードより1テンポ速い。
鎧は、鋲打硬革鎧。去勢せず、生後三年以上経過した雄牛の皮を最低三ヶ月以上、渋汁鞣しを繰り返し、牛脂と珠黄金虫の腸脂、鱈肝油、縦縞大蜜蜂の蜜蝋を調合したワックスを丁寧に染み込ませた特製の馬具革で可塑性と強度を高め成型した硬革鎧。これに刃滑りを考慮し、青銅製の鋲を打つ。
どんな状況下で戦闘になるか、どの程度の長旅になるか、全く予期出来ない場合、この組み合わせ、軽戦士風のスタイルが一番都合がいい。当然ある程度、体捌きに自信がなくちゃ、この装備は選択しちゃ駄目だ。万人向けとは云えない。
軽装備にした理由は、他にもある。
奴等のバンドに、俺は荷運び人として参加する訳だ。荷運び出来る程には、十分、軽量化せにゃならん。
ついでに、死の接吻亭から騾馬を二頭借りてきた。
こちらの愛嬌のある方は“守りたい此の笑顔号”、こっちの頑丈そうなのには“黄金の鉄の塊号”とそれぞれ名付けた。
ちなみに借り賃は、無料。あの親父は、吝嗇な訳じゃない。金を貸さないのは、退職後、偏に俺がだらしなかったから、それだけ。恐らくだが、俺の初仕事としての荷運び人を成就させてやろう、って云う粋な計らい。
この辺りが、あいつへの信用に繋がってるんだろうな。少しだけ、感謝しておくか。
待ち合わせ場所は、王都から伸びる街道を南に下った平地にポツンと現れる禿丘。游子の丘、とも呼ばれる。
場所柄、多くの旅人達に待ち合わせとして利用されている。その為、観光地宛らの賑わいをみせ、様々な露店や社、鉄火場、旅籠迄揃っている。
待ち合わせ用としての符牒があり、高中低、東西南北、外内左右、1〜9の数字による組み合わせで大凡の場所を特定出来る。
俺らの待ち合わせで云うのであれば、丘低北外二。これは、禿丘の北側麓、その一番北側の端を意味する。
到着するなり、直ぐに奴等を発見。
あの女形の馗士、とんでもなく派手な出で立ち。ちんどん屋じゃねーんだから、落ち着けってんだ。
とても旅をする恰好じゃない。やはり、暇を持て余した分限者の道楽か。
ま、取り敢えずの金蔓だから、文句はねーけどな。
「よく来たな、待っていた」
「もしかして、待たせちまったか?」
「いや、我々が早くに到着しただけ。そうそう、貴卿にも是を受け取って貰いたい」
黒曜石で拵えた短刀を一振り寄越す。
「…これは?」
「我々、猛毒衆の絆の証に、メンバー各位1本ずつ、この誓いの黒曜刀を携える事にしている」
随分と浪漫主義者だな。
バンドなんざ、その時々に集う烏合の衆。誓いだの証だのに何の意味があるんだよな。
「絆の証に短刀とは、自棄に剣呑だな?ペンダントかブレスレットの類の装身具の方がお似合いだろう、こう云うもンは」
「短刀にしたのには、実用性を考慮しての事」
「実用性?」
「吸血鬼に嚙まれ、その呪詛に囚われ吸血鬼化する前に自ら絶命出来るよう選んだ」
「(…おいおい)──そりゃ、助かる、な」
ペルソナを被っている上、口元も変えずに冗談を云われても、笑えねーっつ〜の。否、此奴、マジで云ってるのか?
「貴卿、討伐に必要な道具や装備品は揃っているのだろうか?必要であれば、この丘の商店で剣でも鎧でも揃えるが?」
「不要い。俺には愛剣打っ手斬り丸があるンでな。鎧もこれで充分…
そうだな…道中馬が欲しいところだ。見た所、ピコとウィードンも馬を持ってないだろ?荷馬代わりに騾馬を連れてきたが、馬が増えれば、それだけ荷が積めるってもンだ」
「良い選択だ、結構。であれば、馬を買い揃えるとしよう」
(へっ、馬が手に入ったゼ)
手に入れた馬は、道中馬にしては器量好し。“凄い別嬪号”と名付けよう。
それにしても、だ。露天商の割に、なかなかの品揃えじゃねーか、この丘は。
ほ〜う、酒も随分と品揃えがいいな。よっしゃ!
「おーい、マキシムス卿!済まねーンだが、この火酒の樽を買ってくれねーか?」
「酒、か。確かに、長旅には嗜好品も必要だろう。しかし、どうせ買うのであれば火酒のような安酒より葡萄酒にすればどうかな?」
「否、火酒の方が俺には都合がいいンだよ」
「何故だね?」
「…俺の闘伎“酔剣”は、ちと変わっていてな。酔えば酔う程、強くなるぅ!ンなわけで、火酒くれ〜が丁度いいのさ(──まあ、強ち間違いじゃあンめーし、いいだろ)」
「酔剣…?聞いた事のない闘伎。承知した。貴卿がそれを望むのであれば良かろう、それで」
馬も酒樽も手に入れた。取り敢えず、旅に出るにゃ十分な気力を満たす品は揃えたって処だ。
ん?聖水?護符?魔除け?御守?水薬?
そんなもんはいらねー。
魔術と迷信に頼った処で地力がなきゃ終い。今は身軽でいいんだよ、身軽でな。
旅ってのは、身軽なのが最も適してる。
悪路で足を踏み外しても立て直す、森林で待ち伏せされても即応、罠を潜り、隘路や洞窟内でもスムーズに歩を進める。それを想定、シミュレートする。
ワンダラーに就くのは初めてだが、前職での経験が冒険のなんたるかを全て俺に感知させる。
「そう云やマキシムス卿、他の連中は何処に行ってンだ?」
「彼等も必需品を購入しに出掛けている。間もなく戻るだろう」
「…悠長だな」
(──なンてこった…)
夕刻になって集合場所に漸くメンバー全員が戻って来たが、とんでもない事になってやがる。
死神坊主は、御守作りの材料だと抜かし、木片だの石だの綿だの羊皮紙だの小瓶だの貴石だの、矢鱈嵩張る物をしこたま買い込んできやがった。
阿保毛はアホ毛で、術に必要だとかで坊主同様、金属粉やら薬粉、獣の角や毛、棒切れ、乾燥させた肉片、昆虫の死骸迄、益々、意味不明な物を目一杯購入。
影の薄い小娘の方は、土鍋に鋳鉄鍋、串に食器、箒に塵取り、炭挟みに金火箸、盥に洗濯板って、日用品ばっかじゃねーか!
白子に至っては、服だの靴だの玩具だの菓子だの土産品だの、まるでお上りさんの王都観光って始末。
「お小使いさん!早くコッチの荷物も載せて欲しいの。あたしの荷物は、大事にして欲しい、なの」
「陸仲仕↓さん、わた↑〜しのぉ荷↓物、ふぁっきんハリあっぷ綺麗キレイ運んで欲しいデ↑〜ス」
「み、皆さん…陸尺さんを…せ、急かさないであげて、く、ください」
(俺は、使丁でも仲仕でも駕籠舁でもねーよ…似たようなもンだが)
「お嬢さん方、彼にだけ荷を運ばせるのではなく、御自らも汗を流死ま死ょう。殺するに、私死共は皆、死の御前では平等死。彼にだけ死事をさせるのは死忍びないで死ょう。汝らの傍に常に死の福音が齎されんことを」
(だからぁ〜、てめぇーは物騒だなッ!)
どうなってやがる、こいつ等。仰山買い込みやがったゴミを纏めて騾馬に載せたら、二頭分丸々荷物でいっぱいいっぱい。
俺はいいが、俺の大事なマコエ号とオテカ号を潰す気かッ!
ヴェネーノとは、よく付けたもんだ。正に、附子。性格ブスとは、よく云ったもんだ。
さて、ちと横になる。
あの程度の荷を運ぶだけで筋肉に張りを感じるとは、鈍になったもんだ。
だが、研げる。
悪いが、この吸血鬼退治を俺の研師にさせて貰うぜ。
さて、一眠り。
──蝙蝠藪蚊に3度刺された後…
──ボリッボリ…
痒みで浅い眠りから目が覚めた。
扨措き、愈々(いよいよ)明日、出立。
本格的な冒険者としては遅めのデビュー。まさかワンダラーに身を窶すとは、露程も想わなかった。
夜の帳が下り、幽かに不穏な月が穹を穿つ。
(ケッ!不気味な月のせいで…思い出しちまったよ、重要な事をよ…)
少しばかり、留まっちまった。
心地好いが緩慢、怠惰で懶げな気分に委ね、惰眠を貪ってきた。
無論、態と。
其れ程、彼奴等は手強く、あざとく、狡賢く、絶え間なく、うんざりする程暢気に辛抱強く、頑なに邪に厄介な存在。
時期としては、頃合い。漸く、飢えてきた。
休息は充足、疵は癒え、気力は満ちた。
薄桜に染まる禍つ仄暗い月明かりが吐き気と瘴気と共に軈て押し寄せるだろう。
未だ気付く者は多くない。然し、確実に着実に、ゆっくりと眈々(たんたん)と奴儕は這い寄る、直ぐ其処に。
馴らしておかねば、其れ迄に。
無限思考の彼方で沸き立つ無形無秩序無垢なる不浄の原罪を祀りし狂気の群が、詐りの便佞を以て秩序と安寧を刈り、背き、摘み取り、懼れを招き、手引きする。法と善意と倫理の中に、蟹の脚のように這い滑り、穢れを撒き散らし、浸潤し、挿げ替えようと狙っている。
休暇は、終えた。
我が剣ぐ軀を再び磨き挙げ、皇笏を此の掌に。
黄昏れを惜しまず、深い闇黒の蝕を越え、黄金の黎明を創世よ!
次の休みは、我が大勝利の暁──