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笑いなさい、コンラッド

作者: 喜多結弦

 彼女は昔から気の強い女性だった。

 それでいて完璧主義者だから、強くて完璧な彼女に意見できる人間なんて同世代には一人だっていなかった。


「貴方を見ているとイライラするの」


 そう言われたのは、両親の同席なしに初めて二人きりになった時だった。僕の部屋に遠慮がちに入って来た八歳の彼女はハキハキとしてきっぱり言った。


「ピアは僕が嫌いなの……?」


 彼女は僕のお気に入り。僕は彼女のお気に入り。

 口に出さないでも、お互いがお互いを気に入っているのはわかっていた。そうでなければ気の強い彼女は甘い両親に何と言われても鈍くさい僕の世話をやいたりしなかったろうし、人付き合いが苦手な僕が彼女にはすすんでついていくことを彼女は気づいていたと思う。


 彼女は鬱陶しげに顔をしかめて首を横にふった。


「そうじゃないわ。貴方のことは好きよ。だけどね、イライラするの。いっつもいっつも不愛想で。貴方、自分がどんな立場にいるかわかってる?」


 彼女は踵をトントン床に叩きつけて、じっと僕を見る。

 いつもより厳しい彼女の口調にびくついて、彼女に嫌われるのが怖くて、僕には頷く以外の選択肢はなかった。


「笑いなさい、コンラッド。貴方は常に笑っていないといけないの。面白くなくても、悲しくても、退屈でも」


 首をかしげると、彼女は悲しそうに笑った。


「辛くても笑顔の仮面をはりつけるの。良い人のふりをするの。貴方は、公爵家の跡取りなのだから」


僕の額にキスをして、彼女はまた、もっと悲しそうな顔になった。





 わからないよ、ピア。


 人は楽しい時に笑うものだ。


 どうして君がそんなに泣きそうな顔をするのに、まるで僕が愛想笑いすることを嫌そうにするのに、そうまでして笑わなければいけないんだ?


 君にそんな顔をさせてまで笑う意味って、なんだ?





***





 彼女曰く、この世界の多くの陰謀はうまくいかないらしい。

 歴史に残る陰謀の成果は、世界に蔓延する陰謀のほんの一部でしかないのに、成功した例しか史上に残らないせいで人は勘違いをするらしい。

 だから成功率を見誤った人々は次々陰謀を企てては失敗するらしい。

 そんな世界を生き残るには結局ずるく賢しく失敗する人間を待ち構え踏み台にするのが一番効率がいいらしい。


 全部全部、 『らしい』 。

 頭の悪い僕には、頭のいい彼女の説明は半分も理解できない。ただまあ、世の中には楽して成功をしようとして失敗する奴らが多いというくらいはわかる。


 そして僕の周りにも、そうやって陰謀を企てるお嬢さんたちが沢山いるわけだ、と分析する。

 僕を囲み、誕生日プレゼントを渡してくれるお嬢さんたちは確かに僕に恋をしてくれている子もいるかもしれない。ただ、プレゼントにそえられるメッセージカードの愛の告白には公爵家と縁を持ちたいという打算的なものも少なくない。

 それだけ僕の肩書には魅力があるだろう。


「コンラッド様、お誕生日おめでとうございます」

「どうもありがとう。とても嬉しいよ」


 精一杯の笑みでお礼を返しながら、ふと、一人の少女に目が奪われる。

 アルタ・アレヴィ男爵令嬢。彼女が床に倒れこんでいた。人の波に負けたのかもしれない。最近友人たちと仲の良い彼女とは話す機会が増えたので事情もある程度知っている。成り上がり男爵の娘で、上流階級の子が通う我が校では風当たりが強いらしい。


「アルタ嬢、大丈夫ですか?」


僕の手に捕まり立ち上がった彼女は頬を真っ赤にさせ俯いたと思うと、嬉しそうに笑って僕を見上げた。


「はい。ありがとうございます、コンラッド様」


 恥ずかしそうにもじもじとした彼女は僕に抱きしめていた包みをよこしてきた。


「あの……っ、お誕生日おめでとうございます!」


 押し付けられるようにしてわたされた包みを貰いお礼を言うと、また、愛らしく笑う。ああ、彼女に想いを寄せる友人は多いから、後が怖い。

 しかしこんな姿を見ると、多くの友人が彼女に惹かれるのもわかる気がした。なるほどこれは愛らしい。


 ふと自分の婚約者を思い出して、似ても似つかないなと思う。


 比べるなんていけないことだが、それでも彼女にはアルタ嬢のように小動物の様な、守らなければいけないと思わせる仕草は少ない。


「そ、それで、コンラッド様……。この後、お時間はありますか?よろしければ一緒にお茶をしませんか?」


 周囲のお嬢さんたちが 「まあっ!」 と声をあげる。

 それはいいもののようには思えなくて、ひそひそとアルタ嬢を侮辱する言葉や僕の婚約者の名前まで聞こえた。

 ここで受け入れるのはアルタ嬢のためにならないだろうと断ると、少しだけでいいからとねばられた。

 服の袖などを引っ張られて捕まえられ、もうどうにでもなれ。彼女に想いを寄せる僕の友人たちもいい家の息子だ。何かあれば助けるだろう。



 お茶をしながら、アルタ嬢は心配そうに僕をのぞき込んできた。


「コンラッド様、お疲れではありませんか?」


婚約者のいる身。二人きりではまずいだろうと、途中で捕まえたフレッドという、アルタ嬢に恋をする僕の友人は、アルタ嬢と一緒に僕の顔色を見てくれている。


 僕はいつも通り笑って、首を横にふった。


「そんなことはないよ。何故?」

「だって、皆コンラッド様のお誕生日だからって色んなところで囲まれているでしょう? 心配です……」


 フレッドはそんな優しいアルタ嬢に心を打たれたようにじっと彼女を見て感動している。


「アルタは周りに気の配れる優しい人だな」

「そんなことないわ、フレッド」


いつの間に、アルタ嬢はフレッドを呼び捨てにするようになったのだろう。彼は侯爵家の次男で、身分の差は大きいはずなのに。幼い頃からの知り合いでないようだから、何かよっぽどのきっかけがあったに違いない。


「だけど、コンラッド様……」


 アルタ嬢が僕の手を握った。

 フレッドが面白くなさそうな顔をする。


「あまりご無理はなさらないでくださいね。コンラッド様は、いつも笑っていらっしゃるから」


 それはそうだろう。いつも笑うように心がけているのだから。


「無理に笑わないでください。面白くもないのに笑わなくてもいいんです。辛い時は辛いと言ってください。私は、コンラッド様の味方ですから……!」


 涙ぐんで言う彼女に、ショックを受けた。


 僕の笑顔が、無理をしているように見えていたのかと。僕は、そんなに笑うのが下手だっただろうか。得意になったつもりでいた。もうすっかり顔に馴染んでいる愛想笑い。

 慣れないうちは鏡を見て何度も練習した。それなのに、アルタ嬢に見破られてしまった。



 笑わなくていいんです。


 アルタ嬢の言葉の次に浮かんだのは、幼い日の、彼女の言葉。


 笑いなさい、コンラッド。



「無理をしているつもりはないんだけどな……。お気遣いありがとう、アルタ嬢」



 笑わなくていい。


 アルタ嬢のその言葉が耳に残っている。



「い、いえ! 私でよかったら、いつでも、コンラッド様のお力になりますから!」


 そうアルタ嬢が言うと、彼女の友人が彼女を呼んだ。

 アルタ嬢は返事をしてそちらに駆けていく。


「いい子だろう?」


アルタ嬢を見送りながら、フレッドはしみじみと言った。


「どうしてだか、彼女は人の気持ちに敏感なんだ。俺の兄へ対する劣等感も、彼女が取り払ってくれた。貴方は貴方よ。お兄さんの真似をする必要なんてないわ。ってな」


 そういえば他の友人たちも、たとえば伯爵の長男と子爵の次男などは、昔の喧嘩が続いていたところをアルタ嬢に仲直りさせられて二人そろって彼女に惹かれただとか。劣等生の伯爵の三男はアルタ嬢に励まされて学校に楽しみを見つけたとか。

 彼女は人の心を除く力でも持っているのかと思う。


「僕の婚約者とじゃ大違いだよ」


 アルタ嬢と違って、人の心に鈍感な人だから。





***



 ある日。


 食堂に行くと、人だかりができていた。


 騒ぎの中心に行くと、後ろにフレッドをはじめとする親しい男友達……誰かとは恋人なのかもしれないが、とにかく男友達を連れたアルタ嬢と、僕の婚約者……ピアが対峙していた。


 アルタ嬢は、泣いている。


 やれやれまたか、と肩を落とした。

 どうせピアが言いすぎたに決まっている。気が強いせいで、昔から言い争いになるとか弱いお嬢さんたちを何度も泣かせるのを見た。


 ピアはもともとつり目なので、それが睨んでいると余計相手を怖がらせることもある。


 アルタ嬢が何人仲間を連れていたって、おそらくピアに口で勝つことはできないだろう。味方をするわけではないが、これ以上被害が悪化しないようアルタ嬢の方へ事情を訊きに前へ出る。


「コンラッド様……!」


 すると、アルタ嬢は涙に濡れた顔をあげ僕に一生懸命話してくれる。


 なんでも、ピアがブドウのジュースをアルタ嬢にかけたそうだ。彼女の制服はたしかに汚れている。

 ついでに、今まで我慢していたが実はピアに嫌がらせにあっていたとおまけのように付け加えた。


「それなのにその女はアルタに謝るどころかしらばくれているんだ」


 フレッドが憎々しげにピアを睨む。

 けれどピアはまったく動じずに肩をすくめる。


「だって身に覚えがないんですもの。ジュースがこぼれたのは彼女が突然突進してきたからだし、嫌がらせって言ってもねえ……。する理由がないもの」


 困ったように笑うピア。


「アルタ嬢、どうしてピアが嫌がらせをしたと思うんだい?」


僕が訊くと、アルタ嬢は泣きながら教えてくれる。

 ピアが教科書を切りつけている場面を目撃したり、人気のないところに呼んでぶってきたとか。


 うーん、と、頭が痛くなる。


「それは嘘だね」


 僕が言うと、アルタ嬢はぴたりと泣くのを止めた。


「ピアはそんなことをしないよ。そんなに回りくどいことをするくらいなら、直接君に文句を言うよ。口でピアに勝てる人なんていないからね」


 アルタ嬢は再びわんわん泣き出す。


「そんな……っ! 私が嘘をついているとおっしゃるんですか……っ?」

「そうだよ。だって、ピアが嘘をつくわけないじゃないか」


ピアは僕の後ろでうんうんと頷く。


「コンラッド! お前はアルタよりそんな女のことを信じるのか!?」


フレッドの言葉を、心底不思議に思う。


「そんな女って……、最近知り合った友人の友人よりずっと傍で見て来た婚約者を信じるのが当たり前だろう?」


すると黙っていたピアが話し始める。


「別に貴方達に信じてもらわなくたっていいのよ? 周囲を見ればこの学園の大多数がどちらに味方するかなんてわかるでしょうし、コンラッドのおうちは公爵家で私の家が侯爵家なこともあるし、調べれば貴方達のご両親もどちらが正しいかわかるでしょうし」


 パン、とピアが手を叩く。ものすごく気だるげに。


「以上を踏まえれば貴方達が騒いでも痛くもかゆくもないし。無視をしてもよろしいかしら、成り上がりのお嬢さんと、その愉快なお仲間の皆さん」

「ピアは昔から気が強くて言い方が悪いんだ。でもこれが彼女の生まれ持っての性質だから、悪く思わないでくれると嬉しいよ」


 ごめんね、と謝ると、アルタ嬢は一回しゃっくりをした。





***





 ピアの手を引っ張って食堂を出て、離れた廊下まで来ると、痛いからはなせと言われた。


 言われた通りはなして、辺りに誰もいないことを確認してから、ずっと浮かべていた笑顔をはがした。

 ピアはふぅっと溜息をつく。


「糾弾している最中までずっと笑顔だったから少し怖かったわ」

「ピアが言ったんだよ。どんな時でも僕は笑わないといけないって」


 ピアが苦笑しながら僕の頬をつついた。


「怖い顔になっているわ」

「うん。そうかな。とてもがっかりしているんだ。彼らや彼女を友人だなんて思っていたけど、人を見る目がなかったな」


 僕が抱きしめると、ピアはクスクス笑った。


「周りの噂に耳を傾けなかったのがいけないわね。あのお嬢さん、異性と同性への態度が違いすぎるって有名よ。それも家柄と見目のいい男性にばかり良い顔なんですって。振り回され過ぎてもいけないけど、噂だって立派な情報源ね」

「勉強になるよ」


ピアは僕の背中をぽんぽんと叩く。


「自分から余計な波風をたてないのよ、コンラッド。この件は終わり。もう考えないのよ?」

「けど、彼女は君を罠にかけようとしたんだよ。制裁を下すべきだ」

「私が嘘をついていたのかもしれないわ」

「さっきも言ったけど、僕はずっと傍で見てきた君を信じるよ。それに、さしたる問題じゃない」


 たとえピアが僕の信頼なんて知りもせず嘘をついていても、そんなに大きな問題じゃない。ピアが嫌がらせをしてたって、嘘をついていたって、僕はピアのことを守るだろう。彼女は僕の宝物だから。


「アルタ嬢に、無理をして笑わないでいいと言われたんだ」


 ピアは何も言わない。


「だけど僕は、君のくれた言葉を一つも忘れていないよ。僕はずっと、面白くもないのに、馬鹿みたいに笑い続けるよ」




***




 笑いなさい、コンラッド。


 まだ八歳のピアは言った。


「辛くても笑顔の仮面をはりつけるの。良い人のふりをするの。貴方は、公爵家の跡取りなのだから」


 僕は、どうして?と尋ねるしかできなかった。


「どうして? そうしたら、ピアは喜ぶの? そんなに、悲しそうな顔をしているのに」


 ピアは首を横にふった。


「私は貴方にとっても悲しいことをしなさいって言っているの。どんな時でも笑っているとね、自分の気持ちがわからなくなってしまうわ。辛い時も笑うのはとても辛いわ。でもね、貴方はこれから色んなものと戦わなくてはいけないの。その時に、貴方は自分の身を守らないといけない」


 その時の僕は同い年なのにピアよりもずっと頭が悪くて、きちんと理解できていなかった。

 勿論、今ならわかる。

 公爵家の跡取りである僕はこの先、色んな人に媚びを売られることもあれば、色んな人に敵意を向けられる。権力争いに巻き込まれる時、僕や僕の大切な人を守るためには敵を少なくして、味方を増やさなければいけない。

 そんな人に味方がつくか。

 頭が良くて、良い人につく。


 だからピアは僕に、どんな時も笑って、媚びを売って、良い人を演じなさいと言う。自分の心を隠しなさいと言う。


 嫌だと言えればよかった。


 だけどピアの悲しそうな顔を見ると言えなかった。

 ピアは優しいから。僕に厳しいことを言っているとわかっているから、悲しい顔をしていた。


「心を捨ててしまうのは駄目よ。心から信頼する人にだけは、ありのままの貴方を見せて。貴方が信頼する人は、貴方に信頼を返してくれるから」


 それじゃあ、他所で大人みたいに綺麗な笑みを浮かべてばかりのピアは僕のことを信頼してくれているの?だって僕の前でだけ、ピアは子供らしくはしゃいで、子供らしく怒鳴って、子供らしく泣く。

 ピアは僕を信じているから、他所行きの顔じゃない顔を見せてくれるの?


 尋ねると、ピアは恥かしそうに頷いた。


「家族と貴方は特別」

「じゃあ僕もだ」


 家族とピアは特別だから。

 家族と君にだけは本当の僕を知っていてほしい。

 僕はピアが大好きだから、君の前でだけは本当の僕でいるから、僕のことを嫌わないでほしい。


 そう伝えると、ピアは照れくさそうに笑って僕を抱きしめた。




***




 くすっと笑うと、腕の中にいたピアは驚いたように僕を見上げた。


「珍しい。愛想笑いじゃなく笑うなんて」

「そうかな。校内で君を見つけた時はちゃんと心から笑っているよ。ああ、君をこうして抱きしめられたのはいつぶりかな。寮生活じゃなかなか二人きりになれないね」


 完璧主義者のピアは勉強、マナー、何もかもに一生懸命でなかなか時間を作ってくれないし、彼女に負けてはいられない僕も時間を作れない。


「早く結婚したい……」

「じゃあ今からうんと素敵なプロポーズの言葉を考えていてね」

「OKは貰えるかな」


 まだ秘密、と言ったピアはとびきり可愛い笑顔だったので、大いに期待できそうだ。


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