化けの彼岸花
風が冷たい。慶はベットからやっとのことで半身を起こし、腕を伸ばして窓を閉めた。 厚手のパジャマから覗く自分の腕は骨と皮と度重なる治療で内出血を繰り返し紫色の斑点模様ができている。
昔とは違う不健康そのものの体。壊れていく自分の身が怖くて仕方がない。
慶は末期ガンだった。もうすぐ死ぬ。どうせ死ぬならと、東京での治療を諦め、山深い田舎の家に帰ってきた。 家についてすぐ、母は痛み止めと必要最低限の薬以外を捨てた。そして無農薬野菜やガンに効くと謳った健康食品をわんさか買い込み慶に試し始めた。まだ、諦めていないようだった。
慶はまだ10歳だ。やりたいことも、やっている途中だったこともたくさんあった。
始めのうちは見舞に来ていた友達も夏休みにはいると来なくなった。ホッとした。会う度にこいつらは普通に生きていけるのだと思うと妬ましくて憎くて仕方がなかったから。死ぬのが怖くて夜寝れなくなった。
母親が起こしに来て、息子の安否を確かめ問題ないとホッとした顔を見るまでは眠ることが出来なかった。睡眠薬や精神安定剤の類まで捨てた母を責めたてたが、彼女は頑としてそれらを息子に与えなかった。
胡散臭い記事に踊らされた結果だった。慶はガンを受け入れたように周りに振舞った。そうすれば皆が褒めてくれるから。しかし慶はガンを受け入れられてはいなかった。毎晩、死の恐怖に怯えて泣いた。
ある日、部屋に同い年くらいの少年が来た。見た事のないソイツは手に二本の彼岸花を持っていた。
「誰? 誰だか知らねぇけど、よくその花持ってこれんな。 神経疑うわ。 縁起悪い」
「え? でも……慶好きって……」
「はぁ? んな花嫌いだよ。 つーか気安く呼ぶなよ。 墓に咲く花だろ?これ。 なにオレに死ねって言いたいわけ?」
「ち、違うよ!! 元気になって欲しくてお見舞いに……」
「元気に? ふざけてんの? オレは末期ガンなんだぞ? 末期ガン!! 手遅れなんだよ!! 元気になんか……なれねぇつーの……。 もう帰れよ。 二度と来んな」
「え?! ま、待って! ごめん!! 違うんだ!! 何でも、何でもするから!! 許して!! もう会わないなんて言わないで、お願い!!」
「っっ!! じゃあ代われよ!! 代わってくれよ!! なんでもするんだろ? じゃあこの病気代わってくれよ!! できねぇだろ? なんでもするとかできねぇくせに!! 無責任なこと言ってんじゃねぇよ!!」
帰れ!!と、慶は力の入らない腕で枕をソイツに向かって投げた。 ソイツは俯いて何かを呟き、部屋を出て行った。
―――――――――――――ワカッタ。と、そんな風に呟きは聞こえて、慶の耳にいつまでも都合良く残っていた。 その後、久しぶりの運動に体が耐えきれなかったのか、気を失うように眠りについた。
《bakenohanagamiruyumeha?》
夢を見た。 小学校に上がったばかりの自分が、泣く少年を慰めていた。
「なぁ、何で泣いてんの?」
「みんながこの花を嫌うんだ」
「何で? 綺麗じゃん。 摘みやすいし、ほら、あげるよ」
「え?……ありがとう……本当に、キレイかな?」
「あぁ、赤くて綺麗じゃん! 俺はこの花が一番好きだぜ。 だってそれの名前知ってっか? ヒガン花って言うんだぜ!! ヒガン達成ってよく言うだろ? それ願いが叶う花なんだぜ!! この空き地全部この花で埋めたっていい。 そしたらきっとすげぇ綺麗だし、きっとどんな願いも叶っちまうぞ!!」
「うん!」
「俺はもう今日東京に行くけど、この空き地が全部その花で埋まったら会いに来いよ! ここから見える赤い屋根が俺ん家だからさ、願い事相談しようぜ!! な? 約束だぜ?」
「うん! 絶対会いに行く!!」
「俺は慶お前は?」
「僕は……」
ハッとして目が覚めた。 汗がドッと体から吹き出す。 心臓がドカドカと大きく早く鳴って眠っていた記憶を呼び覚ました。 あれは、夢では無い。
「ヒガ?」
真夜中、口から洩れた名前が部屋に響く。
カラカラに乾いた喉に貼り付く空気を嫌って、水差しの温い水を流し込み、ふと気付いた。
痛みが、無い。
立ち上がり、部屋を歩く。 ゆっくり、静かに、次第に、早く、早く! 跳ねて! それでも、痛みは無かった。 歓喜に震えるまま叫ぼうとして、目が赤い花びらを捉える。そして甦る昼間の会話。
己は昼間、誰に何を……願った?
《末期ガンを、代わってくれ》と、そう言わなかったか?
ヒガは? 友は、なんと答えていた?
―――――――――――――――――ワカッタ。 耳に残った余韻が木霊する。
慶は駆けた。 固まった足は幾度も転び、何度も血が落ちた。 月よりも青白い顔をして、記憶の中の空き地に向かう。 怖かった。 怖くて。 怖くて。 怖くて、泣きながら走った。 顔も手も足も腹も土だらけになった。
だって走れてしまったのだ。 きっと自分の中にもうガンはいないのだろう。 ではどこに行ったのか、自分の中あのガンは、きっと、きっと、ヒガに、ヒガが、死んだらどうしよう
涙と土が混ざって泥になり張り付く。 無作為に生えた木と草に苦戦しながら進む視界が、突如開け放たれ映ったのは地に横たわる無数の赤、赤、赤、赤。
そこはには一面のたおられた彼岸花。その中心に一本だけ残る彼岸花の横に立つヒガに、慶は駆けよった。
「ヒ、ヒガ!! ヒガ!! ご、めん! ごめん! おれ!!!」
慶はガラガラの声を懸命に振り絞り駆けよって手を伸ばした。
それに気付いたヒガが、驚きにこちらを見る。あと少し、慶の指先がヒガに触れる寸前、彼は笑った。
「ヒガ?」
―――――ポキッと、最後の花の茎が、根元から折れて――――――――――ヒガは消えた。
「ヒガ? ヒガ!! ヒガ!! ヒガアアァァァ!!!!!」
慶は絶叫し、その現実に嘔吐した。
翌朝、大量に折られた彼岸花の中で、空を見上げたまま謝り続ける慶が見つかった。
慶のガンは綺麗に消えていたが、その心は壊れてしまい元には戻らなかった。
慶は彼岸花にだけは笑いかけ話かけた。花が人に見えるのか「ヒガ」と親しげに話し笑う姿は異様で、両親や困りはててわざわざ呼んだ東京の主治医がいくら注意しても治らなかった。
誰が話しかけても答えない慶に、口さがない大人達は化けの花の呪いだと噂した。
慶は秘されやがてその存在を忘れられた。
そして月日は流れて……
「ヒガ、ほら。 やっと空き地が彼岸花で埋まったよ。 これでお前を呼び戻せる。 全部折ったらお前の願いを教えろよな」
青白い月夜の中、嬉しげに次々と赤い彼岸花を手折って行く。 一つまた一つと。 二人しか知らない会話を続けながら。
そして最後の一本を手折った時、どさりと慶の体は赤い花びらの中に倒れこんだ。
その瞳は最早何も映してはいない。瞳孔が開いていた。 一陣の風が赤い花びらを舞い上げる。
青白い月明かりの中、慶の横にうっすらと影が佇んでいた。次第に人の身に形を変えていくソレは、音もなくなく屈むとそっと慶の唇に己の唇を重ねた。
『ふふ、あははははははは……』
無邪気な笑い声と共に影が両手を上げると、残された死体に手折られたはずの彼岸花が群がり捕食し始めた。 おぼろ気だった影ははっきりとした形を持ち始める。 その光景を恍惚とした表情で見つめる面差しは、あの日見たヒガによく似ていて?
『これでずっと一緒だよ、慶』
満開に咲き乱れる彼岸花達のその茎に折れた跡は無い。 風に舞う赤い花弁を愛しげに撫で、小さな呟きを残して、ヒガは消えていった。
彼岸花を手折ってはいけない。
それは花に願う合図だから。
化けの花は今日も――――――――――――赤い紅い夢を見ている。