もしかしたら
でも、考えてみると、あのとき、家に帰ってからすぐにテレビをつけていれば、僕ももっと早い段階でこれはただ事ではないと緊急事態に気がつくことができていたのではないか、と、そんなふうに思ったりもする。僕は一応テレビは持っているものの、普段全くテレビを見ることはなくて、インターネット中心の生活を送っていた。だから、事の重大さに気がつくのが遅くなってしまった。というのも、インターネットは普通に使うことができたからだ。パソコンを起動させると、問題なくパソコンはインターネットに接続することができ、周囲がやけにしんと静まり帰っていることをべつにすれば、それから二日間のあいだ、僕は特に何不自由することなく、いつも通りの生活を送ることができた。電気も使えるし、水道の水も出るし、ガスも使えた。
それに、僕がもともと引きこもりの傾向にあるのが災いした。前述したように、僕の職業は小説を書くことで、基本的に家から出る必要があまりない。実際に、僕は平気で、二、三日、家から外に出ないで家に閉じこもっていることがしばしばある。ついでに言うと、僕は友達も少ないし、恋人もいないから、ほんとに今自分がヤバい状況にあるということをほとんど意識することがなかった。繰り返しなるけれど、静かな過ぎることをべつにすれば、何もかもがいつも通りだったのだ。
では、どうして僕がこれはいよいよ危険かもしれないと思い始めたのかというと、それはふと何気なく点けたテレビが何も映像を受信しなかったからだ。最初はテレビのアンテナ線が抜けているのかとも思ったのだけれど、見てみると、どうやらそういうことでもなさそうだった。問題なく、テレビのアンテナはテレビと接続されていた。ちゃんと電源コードもコンセントに繋がれている。テレビが壊れたのかな?と僕は一瞬思った。何しろこのところほとんどテレビの電源を入れることはなかったから。まあ、いいか、と、僕は思った。どうせテレビなんてもともと見ていなかったのだから、と。
でも、そう思った次の瞬間、僕は悪寒を感じるように、明確な恐怖を覚えた。フラッシュバックするように、つい二日前の光景が脳裏を過った。車が一台も走っていない道路と無人のスーパー。テレビが何も映像を受信しないことと、そのことには何か関係があるんじゃないのか、と、僕は思い当たった。
突如として不安に駆られた僕は、居ても立ってもいられなくなって玄関からアパートの外へと飛び出した。そしてそれから周囲の様子を確認してみた。すると、悪い予感は的中し、二日前と何もかもが同じだということに気がついた。周囲に全くのひとの姿がないのだ。車も走っていない。念のために、僕は隣のアパートやその他の家のアパートの呼び鈴を押してみたけれど、誰も玄関のドアを開けて僕のことを迎えてくれる人間はいなかった。
ほんとうの、ほんとうに、ひとが、人間という存在が、世界から消滅してしまったように思えた。一体どうなってしまったんだろう、と、何が起こってしまったのだろう、と、今更のように僕は激しく混乱し、怯えた。
落ち着け、と、僕は目をつぶると、自分に向かって言い聞かせた。人間がいないように思えるのはただ単に僕が住んでいるアパートの周囲だけのことかもしれないじゃないか、と。考えてみると、二日前に行ったスーパーも、なんなら駅前の様子も、まだ確認していないじゃないかと僕は思い当たった。もしかすると、そこに行けば、普通に人間がいるんじゃないか、と、そんな気もしてきた。そう思うと、僕はいくらか冷静さを取り戻すことができた。僕はそのまま駐輪場へ向かうと、そこから自分の自転車を取り出して、ひとまず二日前に訪れたスーパーへ行ってみることにした。
そして、結果はどうだったのかというと、二日前と何も状況は変わっていなかった。スーパー自体は普通に営業しているように見えるのだけれど、店内にはやはり客の姿はなく、店員の姿もなかった。僕が以前レジに置いていった千円札はそのままレジに置かれたままだった。ということは、あれから誰もこのスーパーのなかへ入った人間はいないということなのだろう。でも、それにしては、陳列されている野菜や果物といった商品は新鮮で、たった今陳列されたばかりのように思えた。まあ、僕がこの前このスーパーを訪れてからまだ二日しか経っていないので、それは、それほど驚くようなこともでもないのかもしれなかったけれど。
でも、とにかく、スーパーが二日前と状況が変わっていないことはわかったので、今度は僕は駅前に移動してみることにした。駅前は都心から離れているとは言っても、それなりに栄えているし、デパートなんかもあったりする。だから、あるいはもしかすると、と、僕は思ったのだ。
でも、結局、訪れた駅前も、スーパーと状況は何も変わらなかった。ひとの姿が全くないのだ。朝の早い時間帯の無人の駅のように駅前はひっそりと静まりかえっていた。つけ加えて置くと、そのとき、僕が駅前を訪れたのは午後の十二時前である。だから、その時間帯に駅前が閑散としていることは絶対にあり得ない。にもかかわらず、駅前に人影はなく、それどころか、猫一匹、カラス一匹の姿さえ見かけなかった。その状況を確認して、僕は目の前の景色が渦巻きながら自分のなかに流れ込んで来るような感覚を覚えた。なんというか、そのときになってはじめて、自分の身に何か、ただならぬことが起こっているのだ、と、実感できた。何かとんでもないことになっている、と。常識的に考えればあり得ないことだったけれど、もしかしすると、僕は今、よく漫画や小説などにでてくる異世界へと迷い込んでしまったのかもしれないと思った。
僕は駅前に乗ってきた自転車を止めると、最後の望みをかけるように、駅の構内へと入っていった。
しかし、やはりというか、駅の構内も無人だった。駅の構内にあるカフェもコンビニも電気はついているし、商品も陳列されているのだけれど、でも、どういうわけか、ひとの姿が、ないのだ。
僕は今度は自動改札を跨いで駅のなかに入ると、急ぎ足で駅のホームへと降りていった。もしかしたら、電車に乗って移動すれば、この奇妙な世界から脱出することができるかもしれないと考えたのだ。
でも、どうやらその考えは甘かったようで、駅のホームには一台の電車も停車していなかった。でも、考えてみれば、人間がいないということは、当然、その電車を運転している人間もいないということになるのだ。
電光掲示板の方へ目を向けてみると、一応、あと五分後には、新宿へと向かう電車がホームへやってくることになっていた。でも、恐らく、実際に電車がやってくることはないのだろうと予測された。前後の関係から判断すると、電光掲示板だけが、自動的に動いているのだ。
でも、そうとわかりながらも、僕は一応そのまま五分程、駅のホームで待ってみることにした。あるいはもしかすると、という、僅かな可能性にかけて。
でも、その望みは見事に打ち砕かれることになった。結局、五分以上待っても、電車が駅のホームにやってくることはなかった。再び電光掲示板の方へ目を向けてみると、予想通り、電光掲示板は次の電車の到着時刻を表示していた。