第一章 二話 流れ星
今回は雛里ちゃんのサイドに移ります。
幼い乙女が願った夢を流れ星は叶ってくれるのか否か……
「それじゃあ、今日はこのぐらいにしましょうか」
「起立、礼!」
「「「ありがとうございましたーーー」」」
漢王朝、その地の中心にある荊州は、昔から学者や奇才を持った人たちが集まることに有名であった。
その中でも、最も徳望のある一人が、水鏡先生こと司馬徽であった。
彼女は荊州で一番名高い私塾を運営していた。
才がある女の子たちや、いい先生の下で子供を勉強させて、いつか高位官吏にさせようとする富裕な貴族たちの娘たちがその水鏡先生私塾に集まった。
水鏡先生は才のある娘ならお金をもらわず自分の知識を与え、あるいは自分の足で大陸のあっちこっちを回りながら、親を失った娘たちを連れてきて、ここで智謀を与えた。
そんな水鏡先生の私塾の生徒たちの中でも現在最も頭角を見せつつある二人。
「ねぇ、ねぇ、雛里ちゃん、知ってた?」
「うん?何、朱里ちゃん」
いや、頭角という言葉だけでは足りないだろう。彼女らは他の生徒たちとは圧倒的に違う何かを持っていた。
いわゆる天才。そう、この二人、朱里こと諸葛孔明と、雛里こと鳳士元はいつかこの大陸で最も大事なことをする人たちになるだろうと彼女らを見ている誰もが思っていた。
「今夜ね、流れ星が落ちるの」
「流れ星?」
「そう、流れ星がた~~くさん落ちてきて夜の空がまるで雨が降っているみたいになるの」
「す、すごいー!でも、朱里ちゃんどうしてそんなことが分かったの?」
私塾で最も頭の良いこの二人。
普通学問を鍛える場所の一位と二位の人たちと言ったら、犬猿の仲とまではしなくても互い競争していて少なからず緊張感が漂うというのが普通だけど、この二人は学院でも知られてるほど仲の良い娘たちだ。
「へへ、実はね。この前水鏡先生の部屋に行った時、これを見つけたの」
「これって……街で回ってる瓦版?」
「そう、ここにね。今日の夜、月が一番高い時に流星雨が落ちるって書いてあるの。天文に詳しい人から聞いたって話だから間違いないよ」
「そうなんだ………でも、月が一番高い時だなんて、私そんな遅くまで寝ないで起きていられるかな…」
「うぅ…それは私もちょっと心配だよ」
この二人、奇才でも一番だが、幼さでも一番だった。
月が一番上に上がるどころか、月が上がったらもう目元に眠りの妖精が来て踊っているという。
だけど、今回ばかりは見逃すわけにはいかなかった。
こんなイベントが、後生きてるうち何回あるか分からない。
これは千載一遇のチャンスだったのであった。
「だから雛里ちゃんにも言ったんだよ。二人でお互い眠れそうになったら起してあげるの。ね?雛里ちゃんもみたいでしょ?流れ星」
「……うん、見たい」
「良かった!じゃあ、約束だよ」
「うん、一緒に流れ星見よう」
そうやって二人はゆびきりして夜流星雨を見るために互いを助けあうことを誓ったのであった。
<pf>
そして、夕食が終わって、塾の皆が眠りに付く頃、同じ部屋を使う朱里ちゃんと雛里ちゃんは、眠りを我慢しながら夜が深めるのを待つのであった。
「時間、早く行かないかな」
「そうだね。早く流れ星みたいもんね」
「星がたくさん落ちて来て、雨みたいに……」
「他の人から聞いたんだけど、星が落ちる時、長いしっぽができながら落ちてきて、それがたくさんの流れ星が一気降ってくると、すごく綺麗だって」
「早く、直接見たい」
「うん、うん!」
今はわくわくして、二人ともまだ眠気に気付いていなかったけど、夜が深まると、どんどん瞼が重くなって行く。
「うぅぅ……はぁ~~はぁ~~」
「雛里ちゃん、眠っちゃだめd……はぁはわ~~ん」
「あわわ…朱里ちゃん、口大きい」
「はわっ!く、口を塞ぐの忘れちゃったよ」
月はまだ登りつつある。
流星雨が落ちるまではまだ少し時間がある。
コンコン
「朱里、雛里?」
「はわっ!」
「ごめんなさい!?」
寝る時間がとっくに過ぎてるのに起きていた二人は、引き戸にノックする音が聞こえてびっくりして布団の仲に潜り込んだ。
がらっ
「あら、二人とも起きていたのね」
「す、水鏡先生……」
「ご、ごめんなさい」
部屋にノックしたのは水鏡先生であった。
二人は怒られそうでおそおそ謝罪するが、部屋の中に入ってくる水鏡先生の顔には怒りは感じなかった。
「いいのですよ。私こそ、こんな夜遅くにごめんなさいね。流れ星を見るため起きていたのでしょう?」
「ご存知だったのですか?」
「もちろん、あなたが持ってきた瓦版が、どこから来たと思っているのです、朱里?」
「あっ」
朱里ちゃんはしまったと思う顔で口を開けました。
「他にも何人か寝ないでいましたけど、今日は特別に見逃してあげましたわ」
「あの、先生」
そんな中で雛里ちゃんはさっき水鏡先生が言っていた言葉に疑問を持って口を開けた。
「私たちに、何か用事があってここに参られたんですか?」
「その通りですよ、雛里」
「用事、ですか?」
「ええ、二人には特別、流れ星を一番良く見られる特等席を紹介してあげようと思いまして……」
「流れ星が一番良く見える……」
「特等席…」
今の二人にこれ以上を心が引かれる話はなかった。
「行きたいですか?」
「「はいっ!!行きたいでしゅ!」」
「そう、それじゃあ、他に寝ている皆さんが起きないように、静かに行きましょうか」
「はわわ」
「あわわ」
一瞬、自分たちの肯定の声があまりにも大きすぎたことに気づいた二人は顔を赤らめた。
<pf>
水鏡先生が特等席と言った場所は、塾から少し離れた自分の屋敷二階だった。
「わー」
二階に出ると、周りが開かれていて空がよく見えた。
「はい、二人ともここに座りなさい」
「はい」
「失礼します」
二人が水鏡先生に勧められてバルコニーに用意されている椅子に座ったら、部屋に中に戻ってお茶を淹れて戻ってきた。
「外だと少し寒いですから、これで身体を温めなさい」
「ありがとうございます」
「…ございま…しゅっ!」
雛里は少し寒かったのかお茶をもらってから直ぐに口にしたが、暑すぎたのか舌を少し焼けてしまってそれからふーふーとしながら気をつけてお茶を飲んだ。
「あの、水鏡先生」
ふと、お茶を飲んでいた朱里が水鏡先生を呼んだ。
「なんですか、朱里」
「どうして、私たちだけここにお呼びになったのですか。他に流星雨を見ようとする娘たちも居たって言いましたよね」
「そうですね……」
水鏡は自分も椅子に腰をかけながら言った。
「実は、今日二人をここに連れてきたのは、流星雨のこと以外にも、二人にお話したいことがあったからです」
「お話ですか?」
「ええ、朱里、雛里、私は今日貴女たち二人に、道号を付けてあげようと思います」
「はわっ!?」
「道号……?」
朱里が驚く反面、雛里はキョトンとした顔で水鏡先生を見つめていた。
「そ、そそそんなこと…私たちが道号だなんて、他に、私たちよりも賢い人たちも沢山……」
「謙遜なのはいいことですよ、朱里。だけど、その謙遜さが自分の智を穢すことになってはいけません」
「はわわ……」
「あの、道号ってどういうことですか?」
「そう、雛里は知らないのですね。それじゃあ、ちょっと説明をしましょう」
そう言った水鏡はお茶を少し飲んでから二人を見た。
朱里はもじもじしていて、凄く恐れ多いそうなかおをしていて、雛里は『道号ってなんだろう』と自分が知らない何かあることに好奇心を覚えながら早く水鏡先生が説明してくれることを待っていた。
「道号というのは…その人の名前、字、そして真名とはまた別としてその人の日頃の行動や名声を高めるための名前です。私の水鏡というのがそれですね」
「あわわ……」
「私たちは、まだ塾で勉強している生徒に過ぎます。なのに道号だなんて……普通は卒業する生徒の中で最も成績が良かった人たちにあげるのでは……」
「普通ならそうかも知れません。だけど、この乱世の中、これから何があるか分かりません。朱里の姉上がそうしてたように、二人も突然この塾を出て、自分の主君を探しに行ってしまうかも知れません」
「先生……」
「……」
その時、雛里は朱里の顔を見て何かを感じた。
朱里は水鏡先生の言葉を聞いて、何だか思いを読まれたかのような顔をしていた。
もしかしたら、朱里は本当にこの塾を出て、百合お姉さまのように自分の主君を探す旅にでようとしたのだろうか。
でも、そしたら私は?
どうして朱里ちゃんは私にそんなことを言ってくれなかったのかな。
「百合にはできなかったけど、あなたたち二人は私がこの塾を運営しながら最も優れた娘たちだったと自身しています。ですから、二人が外に行く前に、二人に私の手で道号を付けてあげたいと思ったのです」
「先生………」
この塾を出る。
雛里にはその話がまだ遠いことのように覚えた。いや、寧ろありえないとさえ思っていた。
塾を一歩出ただけでも、知らない人たちばかり。
外は怖いことがたくさんあった。盗賊や山賊に限らず、雛里は人が怖かった。朱里や先生みたいに親しい人たちじゃないと、声をかけるおろか見られるだけでも怖くて逃げてしまいそうだった。
そんな自分が外に出て自分が従う主君を探し出せるのかな。
雛里にはまだまだ水鏡先生が言っていることが遠い未来の話に覚えた。
だけど、水鏡先生が言ったように、彼女たちが自分たちの智謀という羽をはためかせる時は咄嗟に、そしてその時は近い未来に訪れるものだった。
「分かりました。諸葛孔明、水鏡先生から道号を頂けること、光栄に思います」
朱里は心を決めたようだ。
私も……道号をもらいたい。
もらうだけなら構わない。
まだ、まだ時間はある。
「わ、私も、先生に道号をもらえて、嬉しく思います」
「そう、私も二人に道号を付けてあげられて嬉しいですわ」
水鏡先生は笑みながら二人の頭を帽子越しで撫でた。
「それじゃ、まず朱里」
「はい」
朱里は座った席から立って、水鏡先生を見た。
「朱里、あなたの智は奇才であって天から召された天才と言っても決して過言ではないものです。一つを教われた自分から百を編み出すその智謀は、将来あなたの主君の未来を大きく変えるでしょう。あなたの能力を十分に使いこなせる主君は数少ないでしょう。だからあなたは時を待っています。その場所に居座って、あなたという存在を十分受け入れられる器を持った主君を……そんなあなたの号を臥龍とします」
「臥龍……」
臥龍、臥している龍……
朱里ちゃん、何だか凄い号をもらっちゃったよ、と雛里は思った。
自分にもあんなに重い道号がつけられたらどうしようかも思った。
「雛里」
「は、はひっ」
雛里は呼ばれて反射的に立ち上がった。
どうか、朱里ちゃんみたいに重い名ではありませんように……
「あなたの能力も朱里と同じく天に召されたとしか言えない奇才、特に戦略に限っては、朱里さえも手こずるほどの才を持っています。だけどあなたはあまりにも幼く、己の能力をさらけだそうとしない。でもいつかあなたも自分の能力を開花させるときが来ると思います。いつかあなたの智謀を欲しがる主君が現れると、あなたはあの人のためにその智謀を隠すことなくこの乱世にはばたくでしょう。だけど、今はまだ小さい。そんなあなたに道号として鳳雛という名を与えます。あなたの真名のような雛から、いつか天を自由に羽ばたく鳳凰のように、自分の智謀を広めるあなたになることを祈ります」
「鳳雛……」
鳳凰の雛……私が……
「雛里ちゃん、すごい!鳳凰だって」
「う、うん!朱里ちゃんだって、伏してる龍だって」
「うん、これからも、道号に相応しい軍師を目指して頑張ろうね」
「…うん!」
朱里ちゃんは本当に嬉しそう。
でも、私はちょっと心配。
こんな号。私にほんと相応しいのかな。
私は本当にそんな器なのかな……
でも、朱里ちゃんと一緒なら、きっと大丈夫だと思う。
朱里はいつも私を守ってくれた。一緒にいてくれたから。
だから、朱里ちゃん、これからも私と一緒に居て。
<pf>
キラッ
「!」
「あはっ!」
「ちょうど時間のようですね」
流れ星が…落ちてくる。
一つ、二つ、
凄く多い。
たくさんの星が落ちてくる。
「凄い!凄く綺麗です!」
「…綺麗…」
朱里ちゃんは騒ぎ出し、雛里もその姿に目を取られていた。
「…そう、こういう話を知っていますか?一つの流れ星がなくなる前にその流れ星を見つめながら三回同じ願いを願うと、その願いが本当に叶うと言います」
「ほんとですか?ねぇ、雛里ちゃん、やってみよう」
「う、うん」
キラッ
「来た!」
「えっと、えっと…!」
「胸が大きくなりますように!胸が…」
「あわわ…朱里ちゃんそんなこと祈るんだ」
雛里はそう驚いていたが、残念ながら朱里の二度目に願いを言う頃には、流れ星は落ちていた。
「胸が……あぁ、消えちゃった。難しいよ、三回も言うのって…」
「う、うん……」
「雛里ちゃんは何祈ってたの?」
「え、わ、私はまだ…決まって……あ」
「思い出した?」
「…うん」
雛里は何か閃いたように明るい顔になると、今度はちゃんとするんだぞ、といわんばかりに次の流れ星が落ちてきた。
「仕える人が優しい人になりますように、仕える人が優しい人になりますように、仕える人が優しい人になりますように………」
三度全部言って目を開けた雛里の前にはまだ願いをした流れ星が見えていた。
「あぁ……出来た、朱里ちゃん、私できたよ」
「………」
「?朱里ちゃん?」
「……!」
嬉しそうに朱里を見た雛里だったが、朱里も水鏡先生も何故か顔が固まっていた。
「どうしたの、朱里ちゃん」
「雛里ちゃん、あの流れ星、何か大きくない?」
「あわ?」
雛里は朱里の言葉にキョトンとしながらまた自分が願いをした流れ星の方を見る。
先より大きく見えた。
いや、大きいというか、
「あわわー!こっちに来てるー!?」
「はわわー!」
「二人とも落ち着いて……!」
二人が慌てる中でも流れ星はどんどん近づいてきた。
そして…
どーん!
「ひゃああ!!」
「きゃーー!!」
流れ星が塾の近くまで来て落ちた。
流れ星が落ちた余波に地面が揺れて三人が先までお茶を飲んでいた卓の湯飲みが落ちて割れる。
やがて、揺れが静まり、また周りが静かになった頃、二人で互いを抱きついてブルブルと震えていた朱里と雛里は目を開けた。
「終わ…ったの?」
「そうみたい……!先生!」
「…私も大丈夫ですよ」
同じく姿勢を低くしていた水鏡も立ち上がった。
「流れ星、こっちに落ちてきた…」
「うん……」
「…二人とも今日はもう帰りなさい」
「先生?」
「私は星が落ちたところに行ってみます。危ないかもしれないから、二人とも来てはいけません。いいですね?」
「は、はい…」「……はい」
「それでは、二人とももう塾に帰りなさい」
そう言って水鏡は先に流れ星が落ちた場所に向かうためにその場を去った。
「雛里ちゃん…」
「朱里ちゃん、どうしよう…私が変なこと願っちゃって…流れ星さん、怒っちゃったかな」
「そ、そんなわけないよ。きっと偶然、偶然。雷だって普段は遠くから落ちるけど、近くに落ちるだってあるじゃない。この前も塾の前の一番高い木に雷が当たって雛里ちゃん怖くて布団におも……」
「あわわー!その話はいわないでってばーー!」
思い出すにも恥ずかしい過去の話を引き出されて雛里は顔を赤くしながらぽかぽかと朱里を叩いた。
<pf>
「でも、本当にどうしようかな」
「……うん…」
気になった。
流れ星が落ちた時は怖かったけど、どんな風になっているか見てみたい気分もそれほど大きかった。
「朱里ちゃんは行きたいでしょ?」
「雛里ちゃんは行きたくないの?」
「…………行きたい」
「だよね」
「でも、水鏡先生が来ちゃ駄目って……」
「うぅぅ……」
二人とも先生に逆らったことがない優等生だったため、好奇心と先生の言う事を聞かないという罪悪感の間で彷徨っていた。
「……」
「……」
二人は互いを見つめ合う。
こういう時は一人が先に行くって行ったら他の娘はついて行くという。
が、誰が先にそれをいうかが問題だったのである。
そして普段ならそれは朱里の役目だった。
だけど、
「………行こう」
今日だけは鳳雛の方が少し早かったようだ。
「雛里ちゃん」
「朱里ちゃんも行きたいでしょう」
「……うん、一緒に行こう。バレて怒られても一緒だからね」
「…うん!」
二人はそうやっていつもみたいに二人手をつないで水鏡先生にバレないよう後を追い始めた。
<pf>
「うぅぅ…暗いよ…」
「そ、そういえば、今真夜中だったよぉ……」
と、好奇心に釣られて外に出てきたは良いものの、外は真っ暗。どこがどうなっているのは良く分からなかった。
「た、確かあっちだったけど……ひ、雛里ちゃん、どうする?」
「……怖い…でも……」
雛里は、答えの代わりに朱里の手をもっとぎゅっと掴んだ。
「…うん、行こう」
朱里も雛里の手を握り返しながら流れ星が落ちた方向へと向かった。
二人が向かう方向には塾の後門であって、良く水鏡先生や生徒たちが薬草を採りに行く時に使う小さな扉があった。
朱里と雛里がその扉をそっと開けると、壁にかかってある松明を除けば、山に向かう道は真っ暗であった。
もう流れ星も止み、月光だけでは木が厚く生えてあり、二人が怖がらないほど山道を照らすにはどうも足りなかった。
「く、暗い…」
朱里は何も見えない、昼時間なら良く薬草を採りに先生と行く山道をぼーっと見つめていた。
そしていたら、
「朱里ちゃん」
「うん?」
雛里が壁にかかってあった松明のうちの一つをとって手に持っていた。
「…行こう」
「……うん」
いつもならここまで積極的ではないはずな雛里ちゃんが今日はなんだがすっごく張り切っちゃってる、と朱里は思った。
でも、そんな友たちの少なからずの成長を微笑ましく思いながら松明を持った雛里が行く先を繋いだ手を離さずに付いていくのであった。
・・・
・・
・
「この当たりのはずだけど……」
「先生の姿も見当たらない……もしかして迷っちゃったかな」
「あわわ……」
朱里が不安なことを言ってしまうと、雛里がその言葉に反応して身体をカタガタと震え始めた。
「だ、大丈夫だよ。まだ帰る道はちゃんと覚えてるし。それに……それに……」
そんな雛里を見て朱里はなんとか雛里が開き直りそうな言葉を考えるけど、やはりここまで来たことが間違いなのではないのかと後悔してしまうのは朱里も同じだった。
「…雛里ちゃん、もう帰ろう。あまり深くまで行くと戻れなくなるよ」
仕方なく、朱里は雛里にそう言ってみる。
昼はいつも通る道だとしても、夜の真っ暗な道を松明一つの明かりに依存してこれ以上入るというのは、小さい二人にはとてもできるものではなかった。
「……!」
「雛里ちゃん、どうしたの?」
「……なんか、聞こえる」
「聞こえるって……もしかして…」
山には夜に動く野生の動物たちもある。
もし、そういうものが近づいているのとしたら……
だけど、怖いことを考えつつ震えてる朱里に対して、雛里は頭を横に振った。
「……違うの。動物の鳴き声とかじゃなくて……もっと……」
ひゅーーーーーーーー
「ひゃっ!」
夜の森の中を響くその音は、口笛の音。
人の口から発してる、小さくて、高い口笛の音。
「…こっちだよ」
「あ、待って、雛里ちゃん!その声を探して行くつもりなの?」
音がする方へ進もうとする雛里を朱里は一度止める。
「だって、こんな森の中で口笛を吹いてる人なんてそう居ないし……もしかしたら、誰か森で怪我して助けを呼んでるのかもしれないよ」
「だからって、これ以上入ったら、私たちまで遭難しちゃうよ?他の人たちを呼んで来よう」
「他の人たちって行っても、水鏡先生はどこにいるか分からないし、他の人たちは皆寝てるし………」
「それは…」
「それに、普通助けを呼ぶとしたら声を大きくして叫んだりするのに、小さい口笛の音しか聞こえないよ。もしかすると、凄く酷い傷で声も出ないほどなのかも……」
「……」
雛里の訴えに朱里はそれ以上異議を唱えることができなかった。なにせこんなに強く自分の意見を言う雛里は朱里でも初めてみるものだった。
もしかしたら雛里は、何かを感じているのかもしれない。自分には分からない何かを……あの流れ星が落ちた時から、なぜかこの雛里ちゃんは自分が知っている雛里ちゃんとは違う、そんな気がした。
「…わかった。でも、本当にもうちょっとだけだからね。私たちまで迷子になったら本当に大変なことになるんだから」
「……うん、ありがとう、朱里ちゃん」
雛里が朱里が自分の意見を聞いてくれたことに微笑んで、また口笛が聞こえたところへと耳を傾げた。
ひゅーーー
また聞こえてくる。
さっきよりも声が小さかった。
それに、夜の森の中の風に混ざってどこから聞こえるのかよく分からない。
ひゅーーーーー
「…こっちかな」
「よくわかんない……音が色んなところから聞こえるよ」
下手に動くこともできない。
だけどつっ立っていたって何も変わることもなかった。
ひゅーーーぴぃーーー
「!」
その時、以前よりも確かな音が聞こえてくる。
「こっちだよ」
と、雛里が差した場所は……
<pf>
絶壁のような傾斜の下り道。
いや、『道』ではない。そこは人が、増しては幼い少女が行けそうな道のりではなかった。
「そ、そこに誰かいますかーー?」
雛里ちゃんはその下り坂に松明を向けながら人の気配を探った。
「そこに誰かいたら長く口笛を二回吹いてください!」
ひゅーーー
ひゅーーーーー
朱里の声に反応して、口笛が短い間をおいて二度響いた。
どうやらこの下に誰かいるらしい。
「どうしよう、朱里ちゃん。あんなところじゃ私たちだけじゃ無理だよ」
「…うん、とにかく、帰って誰か人を呼んでこないと……」
「うん…」
状況を大体把握した二人は、助けを呼ぶためにその場から去ろうとした。
その時、
雛里ちゃんが踏んでいた地面が崩れて、
「雛里ちゃん!!」
「あ……」
雛里は絶壁のような下り坂へと落ちて行った。
さっ
たっ
ささっ!
ばさっ!
何度か地面にぶつかるような音がして、やがて静かになった。
「雛里ちゃん!!」
朱里は雛里が落ちていく最後に投げて行った松明を当てに下に落ちた雛里の影を探そうとするも、暗い闇の中で松明の小さな光はあまりにも虚しいものだった。
「雛里ちゃああああん!!」
この物語は、雛里ちゃんを主人公にするため、逆に朱里のことを引き離していくことになります。そこのところはご了承ください。