ラブホ損。
5月25日(月)快晴。
「ラブホ損」という言葉をご存知だろうか。
え、知らない? ふむ。それもそのはずである。なぜなら、それはさっき僕が勝手に考え出した言葉だからだ。
ふざけるな、という声が聞こえてくる。もっともである。僕もそう思う。
昨日、杏璃とラブホテルに入ったのは、実に成り行きによるものだった。
その日はサークルの飲みで、二次会だか三次会だかぐらいまで先輩に付き合わされた。杏璃と協力して酔いつぶれた先輩達を担ぎ、まるでヤマト運輸か何かみたいにタクシーで配送していたら、もう電車が来ないことに気付いた。
「どうする、私たち?」
「どうもこうも、歩いて帰れる距離じゃないしな」
東海道線で10分くらいだというのに、電車が無いから帰れないというのは、どうにも不思議な感覚だった。
「どこかに泊まるしかないかも」
「え、マジか。ルートインならあるけど、あそこ予約しないといけないんだよな」
「満室だって」
杏璃はスマホを僕に見せた。予約状況がずらっと書かれている。空きはなさそうだ。今のホテルは、こうなっているのか。
「......仕方ない。あそこ行こう」
僕は、駅の裏通りに入って奥の、いかにもなホテルを指差した。
「え、でも......」
「別にいいだろ。割り勘すれば、意外と安上がりかも」
「......たしかに」
そんなようなやり取りをした気がする。その時はそれが、最適解だと思った。今思えば、タクシーをまた待てばよかったかもしれない。とにかく、僕たちは連れ立って、薄暗い建物の中へと潜入したのだった。
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「シャワー、先入る?」
「うん。あ、下着......」
「まあ、一回ぐらいはまた着てもいいんじゃない?」
「......」
シャワー室から、水がぺちぺちと硬い床を叩く音が聞こえる。どうやら無事入ったらしい。
一泊一万円ちょっとの、小さな部屋。正直、そういう所の相場を知らないので、高いのか低いのかいまいち見当がつかない。神奈川の駅前だし、それなりに緊急性もあったし、まあ安い方だろう。
なんとなくテレビをつける。あれ、意外と普通にニュースだな。明日は晴れ、涼しい、洗濯物がよく乾く......。
僕はふと、大学で出た課題が気になった。秋学期の英語は、履修抽選を大幅に外して、第四希望の宿題が多いことで有名な先生にあたってしまった。
火曜までに、英語の資料を20ページ読まなければならない。あの妙にキンキンした声で喋るフィリピン人の先生の顔が、頭に浮かんだ。
杏璃は相変わらずシャワーを浴びている。
よし、こういう時間は有効活用しないとな。
僕は配布されたPDF資料をスマホで開くと、持ってきた電子辞書で翻訳作業に取り掛かった。カシオのDataPlus 9。持ってきていて本当に良かった。
「......零也、何してるの?」
「ちょっと、英語の宿題」
「ふーん......」
いつの間にか、杏璃がシャワーから出ていた。
「僕も、シャワー入ろうかな」
「どうぞ。温度調節、ハンドル回すやつだから」
「了解」
シャワー室に入ると、狭い部屋だった割には少し広く感じられた。
ハンドルを回して、シャワーから蛇口に切り替える。バスタブに熱湯と水をいれて、40度くらいにした。やっぱり、湯舟に浸からなければ、入った感じがしない。
肩までつかるくらいにして、蛇口を止めた。温かい。いい気持だ。
なんとなく体中から、アルコール成分が抜けていくような気がした。別に、「飲める男」を演出しようと無理をしたわけではなかったが、若干飲みすぎたようだ。
静かだ。頭がだんだん、冴えてきた。
いや、ちょっと待て。僕は今一体、何をしているんだ?どうしてこうなった?
一次会は、社会人一年目の先輩のおごりで、サイゼリアに行った。うん。それはいい。
二人減って、二次会。油そばを食べた。そこまで大丈夫だ。
三人減った三次会には、私と杏璃と先輩二人が残った。そのうちの一人の海堂先輩が、バーに行こうと言い出した。もう一人の黒川先輩も、
「人数も減ってきたし、お腹も一杯だし、ちょうどいいんじゃない?」
みたいなことを言っていたな。まあ、自然か......?
店内の記憶が、少し曖昧だった。やたら強い酒が出されたのだけは覚えている。確か、追い出されたのか? いや途中までは、ちゃんと歩いていたような......。
ふむ。やはりそこら辺から、何かがおかしかったらしい。
そうして僕たちは今、ラブホテルにいる。
え、ラブホテル? なんだそれ? ラブってあれか。robでもrubでもlabでもなく、あの、愛し合う方の......?
悪寒がした。まさか、この不釣り合いに広いシャワー室は、そのために......?
僕はようやくそこで、事の重大さを理解した。もしかしたら、もしかするかもしれない......。
僕はいつもより念入りに体を洗うと、心を落ち着かせるために、いつものルーティーンを淡々とこなした。ドライヤーで髪を乾かし、そこらへんにあるハンドクリームを塗って、歯磨きをする。この間約五分。
「お待たせ」
「遅かったね」
「うん。お風呂入れてた」
「そうなんだ」
「......」
目が合った。どきっとする。目を逸らしてしまった。
まずい。どうしよう。間が持たないぞ。
「もう、寝る?」
「......うん」
「僕、左側使うから。電気消していい?」
「わかった。私、こっちで寝る」
僕は電源のスイッチを見つけたが、たくさんあって、どれが部屋の電気か分からない。いいや。全部消しちゃえ。
タコ足配線のプラグを根元から引き抜くと、部屋が真っ暗になった。カーテンの隙間から僅かに駅のネオンが漏れて、ベッドの足の方を照らしだす。
大きいダブルベッドは、二人入ってもなお、余りあった。疲れていたこともあってか、ふかふかなマットに身をゆだねると、すぐに睡魔が訪れた。
僕と杏璃の間に、約40センチメートル。結局朝まで、この幅が維持された。




