第1話 レベルアップRTA
「……ああ、終わっちまったか」
視界いっぱいに広がっていたVRMMO『アストラル・ブレイド』のエンドロールが途切れ、無機質な『Connection Lost』の文字だけが暗闇に浮かんでいる。
俺、**相馬 徹**は、ヘッドセットの重みを感じながら深い溜息をついた。
『アストラル・ブレイド』。
そのあまりに高すぎる難易度と、不親切すぎるシステム、そして無限に等しいバグの多さから「クソゲーの金字塔」と呼ばれたゲーム。
だが俺はこのゲームをやり込んでいた。
世界最速クリア記録保持者。
全隠しボスソロ撃破達成者。
Wiki編集長兼、検証班リーダー。
俺はこの世界のすべてを知っていた。モンスターの湧き位置、ドロップ率の小数点以下の確率、スキルのクールタイム、果ては地形のポリゴンの隙間まで。
「もっと、あの中にいたかったな……」
意識が遠のく。連日の徹夜プレイが祟ったのか、心臓が早鐘を打っている。
もう一度やるなら、次はどんな縛りプレイで遊ぼうか。あるいは、最速の理論値を叩き出すRTAを走ってみるのも悪くない――。
そんな妄想を最後に、俺の意識はプツリと途絶えた。
***
「――おい、起きろ。儀式は終わったぞ」
冷たい石畳の感触と、野太い男の声で目が覚めた。
目を開けると、そこには見慣れない……いや、見飽きるほど見た景色が広がっていた。
石造りの神殿。ステンドグラスから差し込む極彩色の光。そして、目の前に立つ厳つい神父服の男。
間違いない。ここは『アストラル・ブレイド』の初期スポーン地点、「始まりの街・アルティア」の教会だ。
(夢……? いや、この空気の匂い、肌触り。リアルすぎる)
俺は反射的に右手を宙にかざし、念じた。
『ステータス・オープン』
空中に半透明の青いウィンドウが展開される。
Name: ソウマ
Level: 1
Class: ノービス(見習い)
HP: 50/50
MP: 20/20
STR: 5 VIT: 5 AGI: 5 DEX: 5 INT: 5
「……マジかよ」
転生。あるいは転移。理由は不明だが、俺はこのクソゲーの世界に入り込んでしまったらしい。
周囲を見渡すと、俺と同じように召喚されたと思わしき「勇者候補」たちが数人、神父の説明を熱心に聞いている。
「よいか、お前たちにはこれから魔王討伐の旅に出てもらう。まずは街の北にある草原でスライムを狩り、レベルを上げるのだ。地道な努力こそが――」
神父の定型文を聞き流しながら、俺は思考をフル回転させた。
スライム狩り?
正気か?
『アストラル・ブレイド』において、レベル1から2に上がるために必要な経験値は「100」。
スライム1匹の経験値は「1」。
つまり100匹狩らなければならない。しかもこのゲーム、敵の奪い合いが激しい上にリポップ(再出現)が遅い。まともにやればレベル2になるだけで半日は潰れる。
(そんな時間の無駄、RTA走者の名折れだ)
俺はニヤリと笑うと、他の勇者たちが神父から「ひのきの棒」を受け取っている間に、一人教会を抜け出した。
目指すは武器屋ではない。道具屋だ。
***
街の喧騒を抜け、路地裏にある古びた道具屋に飛び込む。
所持金は初期装備の「1000G」。
「いらっしゃい。何が必要だ?」
「**『腐った油』を10個。あと『着火石』を1つ。残りの金で買えるだけの『塩』**をくれ」
店主が怪訝な顔をする。
「あん? 『腐った油』なんて廃棄寸前のゴミだぞ? ランタンの燃料にもなりゃしねぇ。あんなもん買ってどうするんだ」
「いいから頼む」
『腐った油』。価格は10G。
アイテム説明には『不純物が多く、火をつけてもすぐに消えてしまう粗悪な油。使い道はない』と書かれている。
普通のプレイヤーなら見向きもしないゴミアイテムだ。
だが、俺は知っている。
この『腐った油』には、裏パラメーターとして**「極めて高い粘着性」と「特定種族への誘引効果」**が設定されていることを。
買い物を済ませた俺は、街の北門(スライムがいる草原方面)ではなく、東門へと向かった。
東門の先にあるのは「嘆きの渓谷」。
適正レベル40以上のモンスターが徘徊する、初心者にとっての「即死エリア」だ。
「おい坊主! そっちは危険だ! 死ぬぞ!」
門番のNPCが制止するが、俺は手を振って強行突破した。
(死ぬ? ああ、まともに戦えばな)
渓谷に入ると、空気が一変する。
乾いた風と、遠くで聞こえる猛獣の咆哮。
俺は慎重に岩陰に身を隠しながら進む。レベル1の俺が見つかれば、雑魚モンスターの鼻息だけで死ぬ。ステルススキルもない今、頼れるのはプレイヤーとしての「視線切りの技術」だけだ。
目指すポイントは、渓谷の入り口付近にある**「切り立った崖の上」**。
そこには、このエリアの主であるユニークモンスターが徘徊している。
【暴食のロック鳥(レベル45)】
全長5メートルはある巨大な怪鳥だ。
本来なら、パーティーを組んで挑む中ボス級の敵。
「いた……」
崖の上に巣を作っているロック鳥を確認する。
俺は風下から匍匐前進で近づき、巣のすぐ近くにある岩場に身を潜めた。
ここからが、RTA走者の腕の見せ所だ。
***
俺はアイテムボックスから『腐った油』を取り出し、自分自身の体に塗りたくり始めた。
凄まじい悪臭が鼻をつく。
(うげぇ、臭いまで再現されるのか。キツイな……)
だが、これでいい。
『腐った油』の隠し効果その1:「鳥獣系モンスターに対する猛烈なヘイト(敵対心)上昇」。
さらに、残りの油を岩場の地面に撒き散らす。
そして、その上に大量の『塩』をぶちまけた。
「ギャアアアアッ!」
臭いに気づいたロック鳥が、血走った目でこちらを睨んだ。
レベル差44。威圧感だけで体が竦みそうになるが、俺は口角を上げる。
「来いよ、デカブツ」
ロック鳥が急降下してくる。その鋭い爪は、俺の身体を紙屑のように引き裂く威力がある。
俺は動かない。
ギリギリまで引きつけて……。
今だ!
俺は『着火石』を地面に叩きつけた。
火花が散り、撒き散らした『腐った油』に引火する。
だが、説明文通り、火は一瞬で消え――ない。
ボウッ!!
不完全燃焼による凄まじい黒煙が爆発的に発生した。
これこそが隠し効果その2:「塩と混ぜて着火することで発生する『目潰しスモーク』」。
実はこれ、初期バージョンのバグだったのだが、運営が「面白いから仕様」として残した挙動だ。
「ギョエエエエッ!?」
視界を奪われたロック鳥が空中でバランスを崩す。
本来なら空を飛んで逃げるはずだが、俺の体に塗った油の臭い(ヘイト)のせいで、執拗に俺を攻撃しようと突っ込んでくる。
だが、視界がないため、奴は俺の目の前にある**「脆い岩盤」**へと突撃した。
ズドォォォォン!!
ロック鳥の巨体が岩盤に激突する。
そして、ここからが重要だ。
この「嘆きの渓谷」の崖には、特定の座標に**「当たり判定の穴」**が存在する。
岩盤が崩れ、ロック鳥の足がポリゴンの隙間にハマったかのようにピクリとも動かなくなった。
スタック。
地形へのハメ技だ。
「ギャッ……ギャ……!」
ロック鳥が必死に羽ばたくが、座標が固定されて動けない。
「さて、仕上げといこうか」
俺は動けないロック鳥の背後に回り込む。
手には初期装備の「錆びたナイフ」。攻撃力はたったの3。
ロック鳥のHPは20,000。普通に殴れば1ダメージ。倒すのに2万回殴る必要がある。
だが、俺はロック鳥の背中――羽と羽の隙間にある、小さな古傷のような模様に狙いを定めた。
ここは、**「多段ヒット判定のバグ発生地点」**だ。
特定の角度、特定のタイミングでここに攻撃を当てると、処理落ちが発生し、1回の攻撃が数百回分のヒットとして計算される。
「食らえ、秒間60フレームの暴力!」
ザシュッ!
俺がナイフを突き立てた瞬間、ロック鳥の体が激しく明滅した。
Damage 1
Damage 1
Damage 1
Damage 1
……
視界を埋め尽くすダメージ表記の滝。
そして次の瞬間、ロック鳥のHPバーが一瞬で消し飛んだ。
「ギョ……エ……」
断末魔と共に、巨体が光の粒子となって崩れ去る。
***
直後、頭の中にけたたましいファンファーレが鳴り響いた。
《ユニークモンスター【暴食のロック鳥】を撃破しました》
《レベル差ボーナス:経験値 x 50.0倍》
《ソロ撃破ボーナス:経験値 x 2.0倍》
《ノーダメージボーナス:経験値 x 1.5倍》
《レベルが上がりました。Lv 1 → Lv 2》
《レベルが上がりました。Lv 2 → Lv 3》
《レベルが上がりました。Lv 3 → Lv 4》
・
・
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《レベルが上がりました。Lv 45 → Lv 46》
金色の光が俺の体を何度も包み込む。
全身に力がみなぎり、骨格がきしむほどの成長痛(?)が走る。
数分後、光が収まった時、俺はステータス画面を開いた。
Name: ソウマ
Level: 46
HP: 2800/2800
STR: 255 AGI: 180 ...
Skill Point: 450
「ふぅ……まずはこんなもんか」
転生してからわずか30分。
他の勇者たちがまだスライムと戯れ、レベル2になるかならないかの時点で、俺は中堅プレイヤー並みのステータスを手に入れていた。
さらに、目の前にはロック鳥がドロップした宝箱。
中に入っているのは、序盤ではあり得ないレア装備**『疾風の羽衣(AGI+50)』**だ。
「さて、次は……ヒロイン救出イベントのフラグ管理といきますか」
俺は崖の下を見下ろした。
本来のシナリオでは、レベル20になった頃に訪れる隣町で、盗賊に襲われて悲惨な目に遭うはずのメインヒロインがいる。
今の俺の「移動速度(AGI)」なら、イベント発生の3日前に現地に到着できる。
待ち伏せして、盗賊団を出現直後に撃破することも可能だ。
俺はニヤリと笑い、風のように崖を駆け下りた。
かつてクソゲーと呼んだこの世界が、今は最高に楽しい遊び場に見えていた。




