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モブ令嬢として静かに生きたいのに、なぜか攻略対象たちの相談窓口にされてしまいました

作者:

 乙女ゲーム『薔薇色の学園恋曲』。


 転生前の私は、そのタイトルを見ただけで主題歌まで脳内再生できるくらいには、このゲームをやり込んでいた。


 そして今の私は――そのゲームの学園編の世界に、生まれ変わっている。


 よりによって、王立ラヴェル学園。

 王族、公爵家、名門貴族が入り乱れ、恋と陰謀と断罪イベントがぎゅうぎゅうに詰まっていた、あのルートだ。


 ただ、不幸中の幸いと言うべきか。


 私のポジションは、ヒロインでも悪役令嬢でもなく、「背景の一人」として画面の端に映っていた程度の伯爵令嬢だった。


 名を、ユリアナ・エインズワース。


 中堅伯爵家の長女。家はそこそこ裕福、貴族としての義務も最低限果たしているが、王家や有力公爵家との特別な縁はない。

 ゲーム中では一度だけ、舞踏会のシーンの端でドレス姿が描かれていたような、そんなレベルの存在だ。


(これは……むしろチャンスのはず)


 入学式の日、豪奢な講堂で新入生代表が挨拶をしているのを聞きながら、私は心の中で固く誓った。


(私は、誰にも特別に注目されずに三年間を終える。ヒロインにも、あの公爵令嬢にも近づかない。王子様なんてもってのほか。断罪イベント? そんなものは遠くから紅茶でも飲みながら見送るに限る)


 前世、ブラック企業で心身を削った身としては、波乱万丈な恋愛劇など画面の向こう側だけで十分だ。

 今世こそ、静かな三年間がほしかった。


 だから私は、「目立たない優等生」を徹底して演じることにした。


 授業の成績はほどほど上。

 派閥には属さない。

 お茶会では壁際で静かにお茶を飲み、ダンスは誘われれば最低限だけ応じて、あとは体調を理由にさっさと引き上げる。

 休み時間は、もっぱら図書室の片隅で過ごす。


 それが、私の選んだ“背景としての学園生活”だった。


 ――そのはずだったのに。


「ユリアナ嬢、少し相談したいことがあるのだが、よろしいだろうか」


 ある日の放課後、私は、自分の人生が大きく軌道を外れ始める音を、たしかに聞いた。


 低くよく通る声に顔を上げると、そこには金色の髪を持つ青年が立っていた。

 陽光を受けて輝く髪、よく通る碧眼、整った横顔。

 誰がどう見ても、この国の“中心”にいるべき人。


 第一王子、アルベルト・フォン・ラヴェル殿下。


 ゲーム本編で最大の恋愛ルートを担っていた、あの王子様だ。


(いやいやいやいや)


 私は心の中で、全力で首を振った。


(おかしいでしょ。あなた、もっと攻略候補の方々とだけで忙しいはずでは? なんでよりによって、図書室の端っこで本読んでる伯爵令嬢に声をかけるの?)


「ユリアナ嬢?」


 ぼんやりしていると、殿下が少し不安そうに眉を寄せた。


「あ……申し訳ございません、殿下。今、少々考えごとをしておりまして」


「いや、突然声をかけた私が悪かった。少し話を聞いてほしい。ここでは目立つから、あちらの席を借りてもよいだろうか」


 殿下が視線を向けた先には、窓際の、普段私が陣取っている席があった。


 私は内心で頭を抱えながらも、貴族令嬢としての礼儀を総動員して微笑む。


「……かしこまりました。取りとめもない話しかできませんが、それでよろしければ」


「十分だ」


 殿下は、小さく安堵したように息を吐いた。


 私たちは窓際の席に向かい合って座る。

 夕陽が中庭を赤く染め、図書室には静かな気配が満ちていた。他の生徒たちは皆、それぞれ本に没頭しており、こちらに注意を払っている様子はない。


 私は机の上の本――『中級貴族のための財務実務』――をそっと閉じた。

 我ながら、ロマンのかけらもない選書である。


「それで、殿下。ご相談とは?」


 なるべく淡々とした声で切り出す。

 余計な感情を乗せれば乗せるほど、物語の中心に引きずり込まれそうで怖かった。


 アルベルト殿下は、少し言いにくそうに視線を落としてから、ぽつりと口を開いた。


「……最近、私の婚約者アナスタシアの様子がおかしいのだ」


(あー……来た)


 心の中で、私は前髪をぐしゃぐしゃにかきむしる。


 アナスタシア・フォン・クライン公爵令嬢。

 ゲームでは“悪役令嬢”として扱われていた人物だ。完璧な教養と冷たい美貌、高いプライドを併せ持ち、ヒロインに厳しく当たることでプレイヤーのヘイトを集め、最終的に断罪される役回りだった。


「おかしい、と申されますと?」


 私は表情に出ないよう必死に抑えながら尋ねる。


「以前に比べて、感情を表に出すことが増えた。特に最近、学園に入学してきたハート男爵家の娘――リリア嬢に対して、苛立ちを隠さなくなっているように見える」


 リリア・ハート。

 この世界の“ヒロイン”に相当する少女。

 聖属性の魔法に高い適性を持ち、貴族社会に新風を吹き込む存在としてゲームでは描かれていた。


「リリア嬢が誰かに気に入られるたびに、アナスタシアの表情が曇る。彼女は彼女なりに、王家のため、公爵家のためと振る舞ってきたはずなのに……どう接するべきか、正直悩んでいる」


 殿下の声には、困惑と、そしてわずかな罪悪感が滲んでいた。


(……この人、ちゃんと婚約者を大事に思ってるんだよね)


 ゲーム本編では、ここからどんどんすれ違いが積み重なっていって、最後は断罪イベントまっしぐらだったはずだ。

 けれど今、目の前の王子様は、そこまで冷たい人間には見えない。むしろ、「どうにかしたいのに、やり方がわからない」と途方に暮れている顔だ。


「……差し出がましいことを承知で、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「構わない。意見がほしくて、君のところに来たのだから」


「殿下は、アナスタシア様のことがお嫌いなのですか?」


「――嫌いなはずがない」


 即答だった。


「彼女は幼い頃から、王家のために厳しい教育を受けてきた。礼儀作法も学問も、誰よりも努力して身につけたと聞いている。私が即位した後、共に王国を支える存在として、何度も助けられてきた」


 殿下の表情が、少し柔らかくなる。


「ただ……近頃は、リリア嬢のこともあって、公の場でアナスタシアとしっかり話す機会が減ってしまっているのは事実だ。彼女の前で、あまりリリア嬢に触れない方がいいのではないかと考えて――」


「そのお考えを、アナスタシア様にきちんとお伝えになりましたか?」


「……それは」


 殿下は言葉を詰まらせた。

 答えは、察するまでもない。


「殿下にとっては、“気を遣って距離を取っている”お気持ちなのかもしれません。ですが、アナスタシア様から見れば、“殿下が冷めてしまったのではないか”と感じられてもおかしくありません」


 私は、なるべく感情を交えずに言葉を選ぶ。


「リリア様が周囲から褒めそやされるようになってから、殿下は以前よりもアナスタシア様と過ごす時間が減っている。そのうえ、殿下はお優しい方ですから、アナスタシア様に向ける言葉も慎重になられているのでは?」


「……心当たりがないとは言えないな」


 殿下は苦い顔をした。


「無用な傷つけ合いを避けようとしたつもりが、かえって不安にさせていた、ということか」


「人は、言葉にしていただけないと、どうしても悪い方に考えてしまいがちです」


 これは、前世でも何度も見てきた光景だ。

 上司と部下、恋人同士、家族。大抵のすれ違いは、「どう思っているか」を言葉にしないことから始まる。


「私が申し上げられるのは、たったひとつだけです。アナスタシア様と、きちんと向き合ってお話しされてください、と」


「どんなふうに、だろうか」


「殿下が今おっしゃったようなことを、そのままです。どれほど感謝しているか。どれほど頼りにしているか。リリア様のことも含めて、隠さずに」


 殿下はしばし黙り、それからゆっくりと息を吐いた。


「……私は、彼女に安心してほしかった。だからこそ、余計な心配をかけまいと距離を取っていたのだが」


「安心というのは、“距離”ではなく、“言葉”でしか伝わらないことも多いかと存じます」


 自分でも、ずいぶん偉そうなことを言っていると思う。

 けれど、殿下の瞳は真剣そのもので、私の言葉をひとつも取りこぼすまいとしているのがわかった。


 やがて、彼はふっと微笑んだ。


「……ありがとう、ユリアナ嬢。君の言葉は、胸に刺さるな」


「い、いえ。身に余るお言葉です」


「君は、不思議な人だ」


 殿下は立ち上がりかけて、ふと思い出したように続けた。


「派手さはないが、物事の筋を通して見る。授業でも、財政の講義で面白い質問をしていたのを覚えている。アナスタシアにも、君のような友人がいれば、少しは楽だったかもしれないな」


 そう告げて、殿下は図書室を後にした。


 残された私は、しばらくのあいだ、机の上の本をぼんやりと見つめていた。


(……いやいやいや)


 我に返って、頭を抱える。


(今の流れ、どう考えても“悪役令嬢が暴走する前に、誰かがフォローしていれば事件は起きなかったのに”っていう典型パターンでしょ。私、がっつり首を突っ込んでない?)


 本来のゲームには、そんな便利な相談役などいなかった。

 つまり今の一連の会話は、完全に「本筋にはない余計な介入」である。


 嫌な汗が首筋を伝い始めたそのとき――。


「……なるほど」


 低く落ち着いた声が背後から降ってきた。


「殿下をあそこまで素直に頷かせるとは。噂どおり、なかなか興味深い人だ」


 振り返ると、黒に近い濃い茶色の髪を持つ青年が立っていた。

 切れ長の瞳。銀縁眼鏡。整った制服の襟。

 見るからに「優秀そう」な空気をまとったその人物は、私でもすぐにわかった。


 ルーク・シュタインベルク。

 宰相家の嫡男にして、ゲームでは頭脳派の攻略対象として描かれていた人物だ。


(連続で来るのやめてほしいんだけど!?)


 心の中で悲鳴を上げる。


(図書室、そんなにイベント回数多かったっけ。完全に“相談コーナー”になってるんですけど)


「ユリアナ・エインズワース嬢、で間違いないかな」


「はい。初めまして、シュタインベルク様」


 私は慌てて椅子から立ち上がり、一礼する。


「表向きにはね。裏では、そのうち肩書が増えるかもしれないが」


 冗談めかしたことを言いながら、ルークは私の向かいの席に腰を下ろした。


「君に、少し話を聞いてほしくてね」


(デジャヴ……)


 さっきも聞いたようなセリフに、遠い目になりそうになる。


「……私でよろしければ。大したお力にはなれないかもしれませんが」


「自覚がないのか」


 ルークは、軽く眉を上げた。


「君はすでに、学園内で“話を聞いてくれる人”として、それなりに知られているよ」


「えっ」


「王族筋、騎士科の生徒、令嬢たち。皆、少し困ったことがあると、『ユリアナ嬢に相談してみようか』と言い出す傾向がある」


「今、初めて知りましたわ」


「本人に面と向かっては言わないだろうね。君が恐縮してしまうから」


 図星すぎて何も言えない。


 ルークは、机の上に自分の本を置きながら続けた。


「図書室で一人で本を読んでいる。誰の派閥にも深く属さず、誰かの陰口に加担することもない。成績は安定していて、家柄も程よく、感情に流されすぎない。……相談相手としては、かなり条件がいい」


「褒められているのか、分析されているのか、よくわかりませんね」


「両方だよ」


 ルークは、わずかに口元を緩めた。


「さて。本題だが――例の男爵令嬢、リリア・ハート嬢のことだ」


「リリア様、ですか」


 やっぱりか、と内心溜め息をつく。

 この学園の空気を変えつつある中心人物。ゲームでの“ヒロイン”。


「彼女は、とても真っ直ぐで、人のために動くことを厭わない。魔法の才能も申し分ないし、信仰心も厚い。……ただ、その真っ直ぐさが、少々危うい」


「危うい、とおっしゃいますと?」


「自分の身を削ってでも誰かを助けようとする。貧しい子どもたちのための奉仕活動にも、病人の見舞いにも、すべて自分が出向こうとする。周りの人間が『休んでくれ』と言っても、『まだ大丈夫です』と笑ってしまう」


 ルークの指先が、机の上で小さな円を描く。


「このままでは、彼女自身が倒れる。そうなれば支援が止まり、誰も幸せにはならない。それは避けたい」


「……たしかに、そういう方はいらっしゃいますね」


 前世でもよく見たタイプだ。

 「自分が頑張ればいい」と思ってしまう人は、限界まで無理をしてしまう。


「彼女の活動そのものを止めたいわけではない。むしろ、環境さえ整えれば、もっと多くの人を救える可能性がある。ただ、“全部を一人で抱え込むのは間違っている”と、どう伝えるべきか悩んでいてね」


「なるほど……」


 私はしばらく考え込み、いくつかの前世の資料や記事を思い出す。


「お話を伺う限り、リリア様は『自分のしていることが、どれだけ役に立っているか』を、あまり具体的な形で把握していらっしゃらないのではないでしょうか」


「どういう意味かな」


「彼女は“助けたい気持ち”で動いておられる。それ自体は尊いことです。ですが、『自分がどれだけのことをしてきたか』を数字や事実として認識していないと、『もっと頑張らなければ』と自分を追い詰めてしまいがちです」


 私は、ゆっくりと続ける。


「例えば、読み書きを教えた子どもたちが、どれくらいの割合で仕事を得られるようになったか。病人の手当てを手伝ったことで、どれだけ医師たちの負担が軽くなったか。そういったものを、ざっくりとでも“見える形”にして差し上げるのです」


「……数字にする、ということか」


「はい。宰相家の方々なら、そういった資料をまとめることは得意でいらっしゃるでしょう? リリア様ご自身にも、『自分一人の力ではなく、多くの人と協力することで、より大きな結果が出る』ということを、数字でお見せするのです」


 ルークの表情が、興味深そうに変わる。


「彼女に、『全部自分でやらなければ』ではなく、『人に任せ、支えてもらう方が、より多くの人の助けになる』と納得してもらうわけだね」


「ええ。それと同時に――」


 私は少し顔を赤らめながら、もうひとつの案を口にした。


「リリア様には、“誰かに甘える練習”も必要かと」


「甘える?」


「いつも誰かのために頑張っている方は、『頼られる側でいなければ』と、自分を縛ってしまうことがあります。ですから、『あなたが誰かに頼ってもいいのですよ』と、具体的な言葉で伝えて差し上げる人が必要だと思うのです」


「具体的な、とは?」


「例えば――『今日は僕のお願いを聞いてほしい』『あなたに頼ってもらえると嬉しい』など」


 口にしながら、自分で恥ずかしくなってきた。

 けれど、ルークは茶化すことなく真面目な顔をしている。


「なるほど。君は、自分が言っている台詞の破壊力を自覚していないようだ」


「そ、そんな大げさな」


「いや、大げさではないよ」


 ルークは、軽く眼鏡を押し上げた。


「数字で現実を示し、言葉で心を支える。君の提案は、どちらも理にかなっている。……さすが、“相談されたがり”の人間ではなく“相談されやすい”人間だ」


「後半の表現はあまり嬉しくありませんわ」


「褒めているつもりなんだがね」


 ルークは、ふっと笑った。


「君に話してよかった。僕一人で考えるより、ずっと現実的な案が出たよ」


「お役に立てたなら、幸いです」


「ところで――」


 ルークは、少し姿勢を崩し、背もたれにもたれかかった。


「君の望みは、本当に“静かに三年間を過ごすこと”だけなのかな」


 ドキリとする問いだった。


「……ええ。誰にも特別に注目されず、平穏に卒業できれば、それ以上を望むつもりはありません」


 先ほど殿下に言えなかった本音が、つるりと口から滑り出る。


「波乱の中心にいる方々のことは、遠くから眺めているくらいがちょうどいいと申しますか」


「なるほど」


 ルークは、じっとこちらを見つめた。


「だが、君が今やっていることは、その望みから少しずつ離れていっていることに、気づいているかい?」


「……やはり、そう思われます?」


「学園中の人間から相談を持ちかけられる“窓口”が、誰にも注目されないわけがない」


 さらりと恐ろしいことを言う。


「このままいけば、君は“背景”ではなく、“いろんな物語の結び目”の位置に立つことになる。それは、面白くもあり、厄介でもある立場だ」


 私は思わず苦笑した。


「それでも、殿下や皆さまのお話を途中で放り出すのも、なんだか落ち着かなくて」


「だから、君は静かな生活には向いていないんだ」


 ルークは、あきれたように、しかしどこか楽しげに肩をすくめた。


「少なくとも、僕にとっては、今の君の立ち位置は非常にありがたい。学園中の色々な声が、自然と君のところに集まってくるのだから」


「それは……宰相家の方にそう言っていただけると、複雑な気持ちになりますね」


「複雑にしてから利用するのが、宰相家の仕事でね」


「正直でいらっしゃいますこと」


 二人で小さく笑い合う。

 その時間は、不思議と心地よかった。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 それからというもの、私の周りには、ますます“相談したい人”が増えていった。


 騎士科の熱血少年レオン・バーネットは、


「王都騎士団か、辺境の守備隊か、どっちを目指すべきなんだと思う?」


 と、真剣な顔で進路の相談をしてきたし、


 令嬢たちからは、


「殿下にこう言われてしまって……どう返すのがよかったのでしょう」


「リリア様と仲良くしたいのですけど、距離感が難しくて」


 といった、日々の小さな悩みが持ち込まれた。


 私はそのたびに、前世での経験や、本で読んだ知識を総動員して、少しだけ整理してみせる。

 決して「正解を示す」つもりではなく、「選択肢を増やす」つもりで。


 ……その結果、物語の流れは少しずつ変わっていった。


 本来のゲームでは、入学から一年ほど経ったあたりで、“アナスタシアがリリアを公開の場で糾弾する事件”が起きるはずだった。


 だが実際には――王妃主催のお茶会で、具合が悪くなったリリアを真っ先に支えたのは、アナスタシアだった。


 「彼女は、貧しい人々のために身を粉にして働いておられます。どうか、少し休みを与えてやってくださいませ」と、王妃たちの前で頭を下げたという噂は、瞬く間に学園中に広まった。


 “冷たい公爵令嬢”と囁かれていたアナスタシアの印象は、少しずつ変わり始めた。


 アルベルト殿下も、彼女とじっくり向き合う時間を増やしたらしい。

 以前よりも、お互いの立場や不安について率直に話し合うようになったと風の便りに聞こえてきた。


 リリアはリリアで、ルークの提案で、貧民街の支援活動を「一人で抱え込む」のではなく、「多くの人を巻き込んで進める」形に変えていった。

 自分の負担を減らす代わりに、組織的な支援の幅が広がり、結果として以前よりも多くの人を救えるようになったらしい。


 レオンは、王都騎士団と辺境守備隊の両方と交流を持ち、「いつか二つをつなぐ架け橋になる」と目を輝かせている。


 ――そして、ゲームのクライマックスに用意されていた“断罪イベント”は、一向に訪れる気配を見せなかった。


 誰も公衆の面前で糾弾されず、婚約破棄も起きない。

 激しいドラマは減ったかもしれないが、代わりに、それぞれが少しずつ歩み寄り、関係を結び直していく光景があちこちで見られるようになっていた。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「まったく、君という人は」


 そんな学園の変化を眺めながら、ルークは呆れたように、しかし楽しげに笑った。


「もしこの世界を舞台にした劇があったら、作者は台本を全部書き直したくなるだろうね」


「ひどい言い草ですわ。私はただ、目の前で困っている方のお話を少し聞いているだけです」


「その“少し”が、じわじわと全体に影響しているんだよ」


 今日も、図書室の窓際。

 夕方の光の中で、私たちは向かい合って座っていた。


 机の上には、ルークが持ってきた資料がいくつか広げられている。

 貧民街の子どもたちの学力推移、治安の変化、支援金の流れ。どれも、彼が進めている計画に関わるものだ。


「最近では、“誰かに相談する前に、まずユリアナ嬢に聞いてみよう”というのが、半ば合言葉になっている」


「初耳なんですけれど」


「本人に直接伝えたら、君が逃げ出してしまうだろう?」


「よくおわかりで」


 ルークは肩をすくめる。


「おかげで、君の周りにはいろいろな立場の人間の悩みが集まっている。王族、公爵家、騎士、庶民……それぞれの視点を一箇所で聞けるのは、僕にとって非常に貴重だ」


「それはつまり、私を都合よく利用していると?」


「もちろん」


 即答だった。


「君自身も、誰かの力になれることを楽しんでいるだろう? なら、これは持ちつ持たれつだ」


「……否定できないのが悔しいですわ」


 私は、苦笑しながら視線を落とした。


 たしかに、静かで平穏な毎日という意味では、今の状況はだいぶ予定から外れている。

 けれど、誰かの悩みが少し軽くなり、顔つきが柔らかくなっていくのを見るのは、純粋に嬉しい。


 その感情を認めてしまった時点で、私はもう、“完全な背景”には戻れないのかもしれない。


「……ところで、ユリアナ嬢」


 ふいに、ルークの声色が少しだけ変わった。


「はい?」


「君は、いつも誰かの相談に乗っているが――君自身のことは、誰に相談している?」


「私、ですか?」


「そう。君の将来のことや、不安や、迷いについてだ」


 不意打ちの質問に、私は言葉を失った。


 考えてみれば、前世からずっと、私は“聞く側”に回ることの方が多かった。

 相談を持ちかけられるのは嫌いではない。状況を整理し、選択肢を一緒に考えるのは、自分でも向いていると思う。


 けれど、自分のことを誰かに打ち明けるのは、得意ではなかった。


「私のことなど、誰かに相談するほどのことではございませんわ」


 つい、いつもの調子でそう返してしまう。


 ルークは、即座に首を振った。


「さっき君が言ったことを、もう忘れたのかい」


「……どのことでしょう」


「『自分のしていることがどれだけ役に立っているか、数字で見えるといい』とか、『誰かに甘える練習が必要』とか」


 痛いところを突かれて、私は思わず目をそらした。


「君は、他人の悩みには真剣に向き合うのに、自分の気持ちだけは『大したことではない』と片づけてしまう。……それは、あまり健全とは言えないね」


「ぐ……」


 反論できない。


 ルークは、机の上の資料を端に寄せ、私の方に少し身を乗り出した。


「だから、提案がある」


「また、ろくでもないご提案でしょうか」


「ひどい前提だな」


 苦笑しながらも、彼の瞳は真剣だった。


「君専用の“相談窓口”を、一つ決めておきなさい。誰か一人、『ここだけは何でも投げていい』と思える相手を」


「……誰か一人、ですか」


「家族でも、友人でも、教師でもいい。もちろん、僕でも構わない」


「ルーク様が、私の相談相手を?」


「不満かい?」


「いえ、その……意外でしたので」


 宰相家の嫡男である彼は、日々山のように相談や案件を浴びているはずだ。

 そんな人に、さらに伯爵令嬢一人分の悩みまで負担させるのは、さすがに気が引ける。


 私の逡巡を見透かしたように、ルークは柔らかな笑みを浮かべた。


「君は、人に頼るのが下手だ。だからこそ、『ここに投げていい』という場所をはっきり決めておいた方が、かえって楽になる」


「……そういうもの、でしょうか」


「そういうものだよ」


 彼は、眼鏡の位置を指先で直す。


「君が誰かの相談に乗り続けるなら、その“重石”を受け止める場所が必要だ。でないと、いつか君自身が潰れてしまう」


 前世の自分の姿が、ふと頭をよぎる。

 誰にも弱音を吐けずに、仕事と責任だけを積み上げていったあの頃――。


 私は、静かに息を吐いた。


「……ルーク様」


「ああ」


「よろしければ、その役目を、お任せしてもよろしいでしょうか」


「喜んで」


 ルークの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「では、その代わりと言っては何だが――僕からも一つ、相談していいかな」


「本当に、いくつお悩みを抱えていらっしゃるのです」


「これが、今日いちばんの本題だよ」


 そう言って、ルークは椅子から立ち上がった。


 図書室の一角。

 夕陽が差し込む窓辺。

 彼は周囲に他の生徒がいないことを確かめると、私の椅子の横に回り込み、片膝を少し折って目線の高さを合わせた。


 いつもより少し近い距離。

 心臓が、どくん、と大きく鳴る。


「ユリアナ・エインズワース嬢」


 名前を呼ぶ声は、驚くほど穏やかで、真剣だった。


「君は、自分の望みを“誰にも注目されずに静かに三年間を終えること”だと言ったね」


「……はい」


「だが、この一年半、君はずっと、誰かの物語の節目に顔を出してきた。婚約者に不安を抱く王子。責任感に押しつぶされそうな令嬢。将来に迷う騎士志望の少年。それぞれに寄り添い、少しずつ選び方を変えていった」


 ルークは、一つ一つ言葉を置くように続ける。


「この一年で、学園の空気はずいぶん変わった。些細な失敗を口実に笑いものにするような場面は目に見えて減ったし、誰かが浮きそうになると、気づいた誰かがさりげなく間に入ることが多くなった」


「それは……皆さまが、ご自身で考えて選び直されたからで」


「そのきっかけを差し出したのが、君だろう」


 ルークの声が、少しだけ強くなる。


「君は、自分のことを小さく見積もりすぎている。『私は大した役ではないから』と言いながら、誰よりも物語の行方に関わってきた。そんな君を、“ただの背景”だと呼ぶのは、僕にはどうしても納得がいかない」


 胸の奥が、きゅっと痛む。


 自分ではずっと、「これは偶然」「たまたま耳を傾けただけ」と思い込もうとしていた。

 そうやって、自分の存在を物語の外側に押し出しておこうとしていた。


 けれど、ルークの言葉は、その逃げ場を静かに塞いでくる。


「だから、相談したい」


 彼は、真正面から私を見つめた。


「君は、本当にこのまま、“誰かの話を聞くだけの役”で終わるつもりかい?」


「……どういう意味、でしょうか」


「例を挙げるよ」


 ルークは、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。


「君は今、“相談される側”として学園のあちこちを見ている。それはそれで、やりがいのある立場だろう。だが、君自身の物語――君自身の幸福については、誰が一緒に考えてくれる?」


「それは……」


 言葉が詰まる。


 前世でも今世でも、「自分の幸せ」について、真面目に考えたことなどほとんどなかった。

 生き延びることで精一杯だったブラック企業時代。

 そして今は、「静かで平穏ならそれでいい」と思い込もうとしていた。


 けれど、この一年半の学園生活は、“静か”とは言い難いが、不思議と心が満たされる瞬間がいくつもあった。


 誰かの悩みが解けたときの笑顔。

 すれ違っていた二人が、歩み寄るきっかけを掴んだときの安堵。

 そして、そのたびに向けられる「ありがとう」の言葉。


 それらを思い返すと、「何も起こらない日々」よりも、「少しばかり騒がしい毎日」の方が、ずっと好ましく感じている自分がいることに気づく。


「……ユリアナ」


 いつの間にか、ルークは呼び方を変えていた。


「君の相談窓口になるとさっき約束した。だから、僕からの答えも正直に伝えたい」


 彼は、そっと私の手を取った。

 その掌は、驚くほどあたたかい。


「僕は、君を“ただの相談役”としてではなく、一人の人間として、大切にしたいと思っている。君が誰かの悩みに頭を悩ませている顔も、静かに本を読んでいる横顔も、ときどき見せる困ったような笑みも、全部、好きだ」


 胸の鼓動がうるさい。

 息をするのを忘れそうになる。


「だから――もし君さえよければ、君の物語の相手役に、僕を選んでもらえないだろうか」


「そ、それは……」


 頭が真っ白になった。


 告白。

 これは、紛れもなく告白だ。


 ゲーム本編では、彼は聡明な宰相候補としてヒロインの支えとなる人物の一人だった。

 その彼が、今、この場で、モブとして静かに生きようとしていたはずの私に、こんな言葉を向けている。


「ルーク様は、もっとふさわしい方が大勢いらっしゃるのでは」


 なんとか絞り出したのは、そんな言葉だった。


「私などが、その……隣に立つなど」


「ほらね」


 ルークは、苦笑しながら首を振る。


「君はすぐ、『私など』と言う。さっきまで他人にはあれだけ勇ましいことを言っていたのに」


「それは、皆さまのことだからで」


「君自身のことだって、同じくらい大事だよ」


 ルークは、真剣な瞳で私を見つめる。


「君が今まで積み重ねてきた時間は、決して小さくなんかない。誰かの選択に寄り添ってきた分だけ、君自身の物語にも重みが増している。……その相手役に、僕が立ちたいと言っているんだ」


「けれど、私は静かに――」


「静かに、ね」


 彼は、わずかに微笑んだ。


「僕の隣にいれば、きっと静かではいられないだろう。宰相家の人間として、いずれは国政の渦に巻き込まれる。騒がしい日々になると思う」


「まったく、安心できない未来予想図ですわ」


「だからこそ、君に相談している」


 ルークは、少しだけ肩をすくめた。


「“誰かの物語を支える役”でい続けるか、“自分の物語にも踏み込むか”。どちらを選ぶかは、君次第だ」


 静寂が、図書室を満たす。


 外では、夕陽が少しずつ沈みかけていた。

 窓から差し込む光が、ほんのり橙色に変わっていく。


 私は、深く息を吸い込んだ。


 静かに生きたい――それはたしかに、本心だ。

 けれど、この一年半の学園生活を振り返ると、誰かと一緒に悩み、笑い、時には怒り、涙ぐんだ日々の方が、ずっと鮮やかだ。


 そして、その中心で、いつも静かに笑っていたのは――。


「ルーク様」


 ようやく、声が出た。


「先ほど、私の相談窓口になってくださるとおっしゃいましたね」


「ああ」


「では、その窓口に、さっそく一つ、相談してもよろしいでしょうか」


「もちろん」


 ルークの視線が、穏やかに私を促す。


「私が、誰にも注目されない場所ではなく、ルーク様の隣という、かなり目立つ場所を選んでも――よろしいでしょうか」


 一瞬、彼の瞳が大きく見開かれた。

 そしてすぐに、柔らかな笑みが浮かぶ。


「それは、僕に向けられた相談としては、これ以上ないくらい嬉しいね」


 彼は、握った手にほんの少しだけ力を込めた。


「僕の答えは、もちろん“歓迎する”だ。全力で」


 その言葉とともに、胸の奥にあった何かが、ふっと軽くなった気がした。


 静かで、何も起こらない日々。

 それはたしかに、楽かもしれない。


 けれど――。


 少し騒がしくて、誰かの笑い声や涙や怒りに振り回される毎日を、隣にこの人がいてくれるなら、それも悪くないと思える。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 ――後日。


「誰かに相談したいことがあるなら、とりあえず図書室の窓際に行けばいい」


「ユリアナ嬢か、ルーク様に話を聞いてもらえたら、大抵のことは整理される」


 そんな噂が学園中に広まったのは、また別の話だ。


 “相談窓口”は、一人から二人に増えた。

 モブとして静かに生きる計画は、見事に頓挫した。


 けれど、その代わりに得たものは――。


 前世では味わえなかった、賑やかで、温かくて、ときどき騒がしい、そんな日々だった。


 王子と公爵令嬢、特待生の少女、騎士見習いたち。

 誰も断罪されることなく、それぞれの形で幸せへ向かっていく学園の中で、私自身の物語も、静かに、しかし確かに書き換えられていく。


 ――誰にも注目されないはずだった伯爵令嬢が、気づけば学園の人間関係と、自分の恋路まで支える“相談窓口”になってしまった話は、まだ始まったばかりだ。


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