第99話 最後の戦い〈後〉
「やってくれるじゃないか!実体を持ってるから痛いんだぞ!」
TPの怒声が響く。
血混じりの唾を吐きながら、胸に突き立った剣を引き抜く。刃先から滴る紫の液体が、地面に触れるたび煙を上げた。
その瞬間――空気が揺らいだ。
小さな影が、炎の壁を突き抜けて飛び込んでくる。
次の刹那、小さな拳がTPの顔面にめり込んだ。
鈍い音が響き、空間が歪む。
ユウには、まるで世界がスローモーションになったように見えた。
TPの顔が変形し、そのまま地面に叩きつけられ、砂煙が爆ぜる。地面に巨大なクレーターが生まれた。
「ブチ砕くぞ、クソガキがぁぁぁ!!!」
怒号とともに、ロアが姿を現した。
♢
その瞳には、かつての穏やかさは一片もなかった。怒りが、彼女を動かしていた。
TPはゆらりと立ち上がる。
頬を押さえ、笑う。
「…その力は、龍の理。なぜ使える人間がいる?」
TPの背後に、黒い影が浮かび上がる。
空間が裂け、黒龍の顎がゆっくりと開く。
巨大な存在感、無数の鱗、金色の瞳。
それは、黒龍―ロアの師匠のドラゴン形態。
「盟友との約束だ。問題あるかね?」
師匠の声が響く。
次の瞬間、TPの身体が闇に包まれた。
黒龍の顎が閉じる。
骨の砕ける音、金属の軋む音、爆裂音が重なり合う。
TPの姿は、見るも無惨だった。
♢
その光景を、遠くの空から見下ろす三つの影があった。
「ロアのやつ、飛び出して行きやがった」
ナズが舌打ちする。
「ナズくん! ぜったい先行かないでね! アタシ高いところ苦手なの!」
ハナラが泣きそうな声を上げる。
アガマの背の上で二人がもみ合う。
龍の翼が風を裂き、戦場の上空を旋回していた。
「お前ら、行かなくていいのか?」
アガマの低い声が響く。
ナズは拳を握りしめ、叫んだ。
「いいわけねぇだろ! 突っ込めアガマ!」
アガマが咆哮を上げる。その声が雷鳴のように響き渡り、空気を震わせた。
♢
砕かれたはずのTPの身体が、石像のように軋みながら再生を始めていた。
「下等生物が……調子乗ってんじゃねーぞ!!」
その叫びとともに、空気が再び軋む。
黒紫の光が血のように大地を染め、砂を溶かしていく。
ユウは、リゼの身体を抱きしめたまま、その光景を見上げた。
TPの咆哮が、空間そのものを震わせた。
砕け散ったはずの身体が、黒い結晶のように再構成されていく。
割れた石がつながり、肉が盛り上がり、血が流れ、形を取り戻す。それは“人”というより、もう“神話の災厄”だった。
ユウは膝をつき、リゼの頬に触れる。
「……リゼ、聞こえる? 返事をしてよ…!」
彼女の唇は動かない。
その背後に、静かに影が降り立つ。
ジャスクの内の一人――ロアだった。
「リゼは大丈夫」
ユウが顔を上げる。
「ロアさん…!」
ロアは頷き、右手をリゼの額にかざす。
掌から柔らかな金光が溢れ、ゆっくりと身体を包んでいく。
「全開の再生を使用する」
その声は落ち着いていた。
しかし、彼女の全身から放たれる力の密度は、異常だった。
TPがその光を見て、目を細める。
ロアの左腕にも光が宿る。
右腕には《グローリーホーリー》――再生の特技。
左腕には《ホーリーグローリー》――治癒の特技。
二つの魔術が同時に展開され、互いの干渉領域を塗りつぶし倍化していく。
それは理論上、不可能とされる“並列起動”。
ロアは、龍の理を媒介に、力ずくで成立させていた。
「リゼだけじゃない。みんなを助ける力だ」
その言葉通り、治癒の光が島全体を包み込む。
ひび割れた地面が再生し、焦げた草が芽吹く。
ユウの傷が塞がり、クラヴァルの折れた宝剣が元の形を取り戻す。
やがて――リゼの瞳に、光が戻った。
「……ユウ?」
その声に、ユウの表情が崩れる。
「リゼ!」
抱き合う二人の頭上で、ロアが静かに笑った。
「さあ、まだ終わりじゃない。立て――ユウ」
♢
風が吹く。
青空を裂くように、アガマが降下してきた。
龍の咆哮が地を揺らし、砂煙が舞い上がる。
その背から飛び降りる二つの影。
ナズは猿叫を上げながら、ハナラが情けない悲鳴を上げながら、ロアの隣に着地する。
ユウ、リゼ、クラヴァル、ロア、ナズ、ハナラ――そして地面が震えアガマと師匠が後ろに降り立つ。
全員が立ち並ぶ。
魔素も形状を取り戻していた。
空を見上げると、そこには再生を終えたTPが笑っていた。
コメント欄は、もう機能していなかった。
ただ、言葉にならない光の奔流だけが、画面を覆っている。
CEOは呟く。
「彼らは、強い」
ユウが再びTPを見据えて叫ぶ。
「いくぞ!」
♢
雲ひとつない昼の空を、黒紫の稲光が奔る。
その中心に立つTPは、もはや人の形をしていなかった。全身を覆う紋様が燻りながら黒炎を放ち、足元の砂を蒸発させていく。
「ようやく全員そろったか…歓迎しよう、反逆者ども」
声が低く響くたび、空間そのものが歪む。
EWSの中継システムは悲鳴を上げ、画面越しのコメントはすでに文字を失っていた。
世界中の人々が、ただその光景を見つめていた。
ユウは魔素を練り上げた剣を構える。
その隣で、リゼとクラヴァルが同じ方向を向いた。
背後にはロアとナズ、そしてアガマと師匠。
ハナラが後方で魔術の準備を整える。
「数じゃ負けてないぜ」
ナズが軽口を叩きながらも、目は鋭く光っていた。
TPは笑う。
「数なんて関係ない。――この身体は、世界そのものだ」
黒紫の光が弾けた瞬間、TPの背後に幾つもの魔方陣が展開された。それはまるで夜空の星座を裏返したかのような光景。
ロアが一瞬で察知し、叫ぶ。
「ハナラ!防御陣を展開! 一発目が来る!!」
次の瞬間、無人島を覆うほどの光線が降り注いだ。
砂が蒸発し、大地が焼ける。
しかしその中で、彼らは倒れなかった。
ハナラの防御魔術が光線と拮抗していた。
青と金の光が交差し、空を支えるように広がる。
クラヴァルが前へ踏み出し、剣を構える。
「あの陣の根を断つ!」
「了解!」
リゼが走る。
雷光を纏った脚が地を裂き、視界が白く閃く。
瞬の残響が空気を焦がす。
リゼの背後を追うように、ナズが斜めから突撃する。アガマの咆哮が重なり、龍炎が一直線に走った。
大地が裂け、TPの魔術の陣群が一瞬だけ乱れる。
その隙を、ユウが見逃さなかった。
「バインド!」
魔素の剣を槍に変えTPに放つ。
ナズが叫ぶ。
「任せろユウ!密度を最大化する!」
青い矢が空へと放たれ、TPの胸元に直撃する。
だが――TPは笑っていた。
「いいね。やっぱり君は最高だ、城野ユウ!」
TPの右手が突き出された。
クラヴァルが叫ぶ。
「みんな下がって!」
しかし遅かった。
TPの右腕から黒紫の衝撃波が放たれ、全員を一斉に吹き飛ばす。
砂と光が混じり合い、空が割れた。
♢
EWS本部。
トラフィックは崩壊をギリギリのところで耐えていた。真宮はヘッドセットを外し、ただモニターを見つめる。
「……城野くん……」
オペレーターの誰も、もう言葉を発しなかった。
世界は息を止めて、その結末を見守っていた。
♢
ユウは立ち上がる。
髪が焦げ、視界は霞んでいた。
それでも彼は顔を上げて、その手は剣を生み出す。
リゼも、クラヴァルも、ジャスクの3人も、皆がまだ立っている。
その姿を見て、TPが薄く笑った。
「…本当に、退屈しないな♪」
♢
空が再び鳴動する。
世界が軋む音が聴こえる。
光と闇の奔流が、再び衝突の時を迎えようとしていた。
ユウは剣を握り直し、声を張り上げる。
「――次で決める!」
ユウとTP――その二つの意志を中心に、空間がわずかに震えていた。
リゼがユウを見つめる。
「ユウ…信じてる」
その瞳はまだ完全ではない。けれど、光を宿していた。廃人寸前まで崩壊した精神を、ただ《間に合わせる》という意志だけでつなぎ止めている。
クラヴァルが横に立つ。
剣を杖のように地面へ突き立てながら、血を吐いて笑った。
「あなたなら、おじいちゃんを越えられる」
ユウはゆっくりと剣を構えた。
深呼吸をする。呼吸が整う。
「マソちゃん」
「即席の紋様だけど大丈夫。一回は保つ。火ぃ入れるよ!」
ユウの身体中から魔術の陣が、紋様が青く輝き始める。ユウの体内に青い光が走った。
魔素とユウ自身が融合し、身体の輪郭が揺らぎ始める。
もはや“人”ではなかった。
青い炎をまとった存在――創造の具現。
TPがそれを見て、嗤った。
「面白い!…じゃあ、こっちも全力でいこうか♪」
TPの身体を覆う黒紫の文様が、一斉に脈打つ。
帰還者の肉体が悲鳴を上げながら、内部で何かが覚醒していく。
「摂理を歪めた報いを受けたまえ」
ユウは答えずに持っていた剣を手放した。
TPの反応が止まる。
「…?」
青い炎者となった彼は左腕を上げた。
♢
青白い光がフレームとなり、虚空が口を開ける。瞬間的に巨大な物体が通り過ぎる。
それは秒速8キロメートル。
時速にして28,800キロメートルを移動する軌道衛星だった。
反応できなかったTPは右半身を削り取られていた。
「な…に…?」
CEOは思わず声を上げる。
「見た今の!? 世界一リッチな弾丸だよ!」
TPがユウに目をやると、今度は右腕をあげていた。
「ハナラさん。技借ります」
「それでぶっ飛ばせ!ユウ!」
ユウが掌を握る。
「シングルナンバー……【008/TOR】」
瞬間、白が生まれた。光でも闇でもない、“欠損”の奔流。触れたものを理ごと削り、余計な過程をすっ飛ばし消失させる魔術。
周囲の色は剥がれ、音は呑み込まれ、ただ“削る”という行為だけが残る破壊の権化。
その衝撃が、世界の境界を越え――
現実のEWSサーバーを、世界中の画面を白く塗り潰した。
♢
EWS本部。
真宮が立ち上がり、声を失う。
「どうなったの―」
画面には、ただ真っ白な光だけが残っていた。
オペレーターの誰も動けない。
「…終わったのか?」
誰かが呟く。
♢
白い光の中――
ユウは、立っていた。
青い炎は消えて、身体の輪郭もほとんど透けている。
その目の前で、TPもまた、崩れかけていた。
「……本当に、君は……」
TPの声が途切れる。
笑い、そして消えた。
ユウは、天を仰ぐ。
白い世界の中に、青い光がひとすじ流れていく。
(…これで、終わったのか)
答える声は、なかった。
ただ、微かに。
リゼの声だけが、どこかで響いた。
『間に合ったね、ユウ』
ユウは笑い――
そして、静かに目を閉じた。




