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異世界配信サービス -その一声で始まった。恋と戦い、そして世界を壊す物語-  作者: vincent_madder
第10章 異世界配信サービス / Lock down symphony

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第93話 Dragon’s nest

アヴラスの外れ。


霧の濃い丘を削って造られた研究棟は、夜とも昼ともつかない灰の光の中で静かに震えていた。


空気は冷たくないのに、肌に触れると湿り気を帯びている。魔術の行使に適している土地特有の感触だった。


外壁に刻まれた紋様は、生き物の血管のように光を走らせる。床の下では導管が唸り、誰もいない廊下の隅々まで力の鼓動が伝わっていた。


広間の中央に描かれた転移陣の周囲では、研究者たちが鉱石でできた測定盤を並べ、計測と座標値を確かめている。


その光景を眺めながら、ナズが退屈そうに頭を掻いた。


「これを使えるからクラヴァルはちょくちょく俺たちの街に来れたわけか」


軽い口調に対し、ハナラはため息をひとつ。

光に照らされた横顔には、わずかに不安の影が浮かんでいる。


「大陸間の移動が一瞬なんて、ちょっと信じられないわね」


ロアは静かに視線を転移陣へ向けた。

力が波紋のように広がり、円環が淡い白光を帯びている。瞳に映る光を追いながら、彼女は低く呟いた。


「信じなくていい。こんなものが世間に露呈したら、とんでもない争いが生まれてしまう」


その声を拾うように、奥の影からひとりの男が歩み出る。黒衣に金糸の刺繍を施した、スエイルの領主。


表情には余裕があり、唇の端にはあざ笑うような色が宿っていた。


「その通り。これは極秘でなければならない」


ナズは肩をすくめ、ハナラが怪訝そうに眉をひそめた。


「ロア、どういうこと?」


問いかけにロアは振り返らず、視線を陣の中心に固定したまま言う。


その声は、どこか乾いていた。


「敵国に出兵することなく、首脳陣を暗殺してケリがつく。そんな魔術、欲しくはないか?」


研究棟の空気がわずかに凍る。計測具の針が止まり、研究者の指が空中で止まった。ほんの一瞬の静寂が、重い金属音のように響く。


ロアはゆっくり息を吐いた。


この術式は、転移のために作られたのではない。世界の距離を破る技術――それはすなわち、秩序そのものを揺るがす武器だと彼女は気づいていた。


沈黙を破ったのは、研究者だった。


「た、ただ測量や精度の高い地図などがないのため、多少の転移位置のズレが起こってしまいます」


声はわずかに震えていた。ロアは目を細め、唇の端で小さく笑う。


「……そういう事にしておこう」


領主も笑う。笑っているのに、どこか空虚な音を立てる笑いだった。


「安心したまえ。東の大陸には“まだまだ”準備が必要なのだよ」


ロアはその言葉を聞きながら、ゆっくりと頭を垂れた。領主の言葉の“まだまだ”が何を意味するか、理解していた。


天井の灯が一斉に明るくなる。

円環の陣が臨界を迎え、空気が唸り声を上げた。ゆっくり髪が逆立つのを三人は感じていた。


研究者の一人が声をあげる。


「いけます!」


ナズが笑う。


「行くか!」


ロアは短く頷き、最後に領主を見据えた。


「……この先で何が起きても、あなたの責任じゃないと言い切れる?」


領主は答えなかった。ただ、興味深そうに目を細める。


研究者の一人が震える声で告げる。


「陣の中へ!それで発動する!」


ナズは大げさに伸びをして笑った。


「じゃあお嬢ちゃんをよろしく頼むぜ!」


領主が肩をすくめる。


「当然だよ。なんたって僕の」


「「「あんたのじゃねーよ」」」


三人の声が見事に重なり、重苦しかった空気が一瞬だけ緩むが、次の瞬間にはすぐ光が全てを飲み込んでいく。


力の波が床から吹き上がり、三人の髪を持ち上げた。足元の陣が輝度を増し、境界線が溶ける。音が、ひとつひとつ遠ざかっていく。


ハナラが小さく息を吸う。


「ほんとに…成功するんでしょうね」


ナズが笑う。


「今さら怖気づくなよ」


ロアは何も言わなかった。

研究者の声が遠くで弾ける。


転移(ジャンプ)、開始――ッ!」


激しい風圧。体が浮く。


重力が抜ける感覚に、ハナラが短く悲鳴を上げた。ナズは腕を組んだまま笑い、ロアは目を閉じた。


白がすべてを覆う。一瞬、耳鳴りだけが残った。それは雷鳴のようでもあり、心臓の鼓動のようでもあった。


光が落ち着くと、そこには何もなくなっていた。



視界が戻ったとき、まず感じたのは、冷たさだった。頬に当たる空気は湿って重く、足元にはゴツゴツとした岩の感触。


霞のような霧が一面を覆い、太陽の位置さえわからない。死の匂いが鼻を刺し、吐く息がすぐ白く曇った。


ナズが足元を確認しながら、唾を吐く。


「どーなってんだ? どこだよここ」


霧の向こうでハナラが腕を組み、視界を探るように首を回した。


「見慣れた景色、じゃないわね」


ロアはしばらく黙っていた。

ただ、風の流れを感じ取るように、確かめるように指先で空気を払う。


やがて呟くように言った。


「……ここは、龍の巣」


その響きに、二人が同時に振り向いた。

ナズが目を細める。


「ロア、知ってるのか?」


ロアは霧の奥を見つめたまま、過去の記憶を呼び起こすように言葉を選ぶ。


「一度だけ来たことがある。もう来ないと思っていたけど」


そのとき霧の向こうで、何かが低く唸った。地面がかすかに震え、細かな砂が舞い上がる。空気の奥に、巨大な生き物が息をしている気配がする。


ハナラが眉を寄せる。


「今の、何?」


答えの代わりに、霧の向こうからいくつもの咆哮が届いた。それは大地の鼓動にも似て、三人の鼓膜を直接震わせる。


ロアが目を細めた。


「どうやら向こうから呼ばれたようね」


ハナラは思わず一歩下がり、おもむろに呟く。


「どーなってんのよ」


ナズは逆に前へ踏み出し、口元を吊り上げて笑った。


「いいじゃねえか! 冒険しようぜ!」



霧の濃度は、歩を進めるたびに増していった。

どこからともなく湿った風が吹き抜け、岩肌に滴る水音が耳に残る。


陽光は届かず、すべてが灰白く濁った世界。それでもロアの歩みは迷わなかった。岩山の斜面を慎重に登りながら、彼女は時折手を伸ばし、岩に触れる。


その表面には、目に見えぬほど細い魔術紋が走っていた。古い、けれどまだ生きている術式。

彼女の指先が触れるたび、淡い光が散る。


それを見たハナラが吐息を漏らす。


「…ただの岩山…じゃなさそうね」


「下手に魔術を使うとどうなることか」


ナズは肩越しに笑った。


「なら魔術なしで登るだけだ!」


「脳筋の発想はいつも助からないわね!」


ハナラが呆れたように言い返す。が、霧が途切れた瞬間、息を呑んだ。


そこは、巨大な円形の台地。岩壁がぐるりと取り囲み、中央には古代文字ようなものがの刻まれた円陣があった。


中心部は焦げたように黒ずみ、かつて何かが爆ぜた痕跡が残っている。


三人は異質さを感じ取っており、足元からは微かな振動が伝わってきた。


ロアが一歩前に出て、空に向かって声を張った。


「私はロア・セフィ=ノルト! 掟に従い扉を開けなさい!」


その声が空気を震わせ、霧が波紋のように押しのけられていく。


一瞬の静寂の後。

雲が割れ、天の高みから紅い閃光が降り注いだ。


轟音。光。そして、影。

上空を覆うような巨大な翼を持ったドラゴンが現れた。一瞬で風が爆ぜ、地面が震える。


ナズは思わず目を細め、ハナラが風にフードを巻き上げられる。


紅い鱗が陽の光を跳ね返す。まるで炎をまとったかのような巨体が、ゆっくりと起き上がる。


翼をたたみながら、地を叩くように尾を翻すと地面が低く鳴動し、岩屑が宙を舞った。


そのドラゴンは人二人分もある大きさの瞳で、三人を見下ろした。その息吹は熱を帯び、硫黄と血のような匂いを撒き散らす。


そして、低く響く声が岩肌を奔る。


「…久しいな、姉弟子。息災で何より」


ナズが反射的に後ずさる。


「デケェドラゴン! ってか喋ったぞ!?」


ハナラが目を見開いた。


「それよりもロア! 姉弟子ってどういう事!?」


ロアは無言のまま、ドラゴンを見上げた。

その瞳に映るのは、恐怖ではなく、静かな覚悟。


ドラゴンはわずかに首を傾け、その金属のような瞳を細めた。


「姉弟子は歓迎しよう。だだし――」


その巨体がわずかに動く。ナズとハナラの前に影が落ちる。


「そこの二人はダメだ。掟に反する」


ナズの唇が歪む。


「へえ…!」


地面に足を叩きつけるように、一歩。その笑みは、挑発にも似ていた。


「じゃあ勝手に入らせてもらおうかなァ!?」


(ドラゴン)もまた一歩前に出る。地が軋み、熱風が爆ぜた。


「その通り! 己の力で道理を曲げて見せよ、人間(ヒューマー)!」


霧が吹き飛び、紅い翼が再び広がる。

空が裂けた音と同時に、岩の台地全体が、雄叫びのように震え始めた。

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