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第91話 グリッドサンズ

バイト先のコンビニのドアが閉まると、外の空気が一気に冷たく感じられた。


夕方のラッシュが落ち着き、街の喧騒もどこか遠くに霞んでいる。


「お疲れっしたー!お先でーす!」


背後に声を投げると、同僚たちが一斉に返した。


「「おつかれー」」


制服のポロシャツを脱ぎながら、春川はスマホをポケットから取り出した。


画面の通知がやたらと点滅している。メッセージも着信も、全部同じ名前だ。


『マネージャー』


部活のマネージャーから、十件以上の不在着信。


(なんだよこれ……事故でもあったか?)


指先で通話ボタンを押すと、すぐに応答音のあと、慌ただしい息遣いが耳に届いた。


「もしもし春川!?」


「お疲れ、何かあったの?」


「ごめん……相談があって」


「どした?」


相手の声は普段より高く、焦りが混じっていた。

春川は歩道に腰を下ろし、コンビニの袋を足元に置いた。


スピーカーから聞こえるのは、いつもの彼女の声のはずなのに、どこか震えている。


「ほら、最近、城野休みがちでしょ?」


「部活はサボるわ、学校サボるわってな。テストも近いのにな」


「私…本当に城野が、その、《ユウ》なんじゃないかって」


「…は?」


あまりに突拍子もない言葉に、春川は思わず笑ってしまった。


「お前までどうしったってんだよ。あれだろ?ネタ動画にハマってるんか?」


「違うのよ」


マネージャーの声が遮った。


「私、お父さんが自衛官なんだけど」


「それがどうしたんだよ」


「今日の夕飯で、配信(EWS)の話になってさ」


「はあ?」


「うちの幽霊部員にもユウって子がいて、まさか異世界と繋がってるわけないよねーって笑ったの」


「うん」


「でも……ウチのお父さんさ、そういう冗談にうるさいの」


「“友達をそんな風に言うんじゃない”って、いつもなら怒るのに」


彼女は小さく息を吸った。


「今日に限って、何も言わなかったの」


「……」


「こんなこと、今までなかったの!」


風が吹き抜け、春川の頬を撫でた。

スマホ越しの彼女の声が、やけに遠く感じる。


「だから私、本当に城野なんじゃないかって」


「お父さん、なんか知ってるんじゃないかって…」


「そんなわけあるかよ!? 異世界だぞ!? 海外旅行じゃないんだぞ!」


春川は半ば叫ぶように言って、額を押さえた。


「それにさ──」


口に出しかけた瞬間、脳裏にいくつもの記憶が蘇る。


──ユウに、衛星が機動兵器化してる都市伝説を話したこと。


──自分がそのネタにハマって、何度も同じ話をしていたこと。


──そして、あの“衛星が墜落(ロスト)した日”。


──そのタイミングで、ユウが何日も欠席していたこと。


「……」


息が止まる。


偶然だ、と自分に言い聞かせようとした。

けれど、脳裏のピースがひとつ、またひとつ繋がっていく。


「ちょっと春川!? 聞こえてる!? ねえ!」


マネージャーの声が焦りを帯びて響く。

春川はゆっくりと口を開いた。


「なぁ」


「それがマジだったとしたらさ」


「???」


「俺らもクラス単位で異世界転移しちゃうのかな」


沈黙。


そして、受話器の向こうから呆れ声。


「バカじゃないの?」


春川は乾いた笑いを漏らした。

けれど胸の奥では、笑いに似た何かがきしんでいた。



TPが消えたあと、診療所の中には静寂だけが残っていた。床に散らばった薬瓶の破片が、かすかに光を反射している。


窓の外には、先ほどまで暴れていた黒霧の残滓が、ゆっくりと風に溶けていった。


リゼが息を整えながらユウを見る。


「ユウ…さっきから、何をしてるの?」


ユウはぼんやりと宙を見つめていた。


どこか遠くを聞くような、集中した眼差し。


「初めまして、でいいのかなぁ」


柔らかい声が響いた。


空気のどこからともなく。


まるで風の粒に混じって、音そのものが生まれるように。


ユウは反射的に声を上げる。


「この声は一体……」


リゼが眉をひそめる。


「ユウ? さっきから一人で何を言ってるの?」


「……他の人には聞こえないよぉ」


不意に返ってきた声は、微笑むように甘く、どこか無垢だった。


ユウは息を呑む。


「誰だ……?」


「さっきはよくできましたぁ」


その声は、まるで子どものような調子で、褒めるように響く。


「リゼ、誰かの声がずっとそばで聞こえてるんだ」


リゼは首をかしげ、心配そうに覗き込む。


「ユウ……疲れてるんじゃないの?」


(バインド)してくれたから聞こえるようになったんだよぉ」


声がまた重なった。


可愛らしいのに、どこか異様な透明さを帯びた響き。


ユウの周囲の空気が、淡く波打っている。


「これができたのは君でふたりめぇ」


ユウははっとして目を見開く。


「リゼ、この聞こえる声は、多分なんだけど……」


「ホッシーはねぇ、ボクのことをねぇ――」


その先を遮るように、ユウの口から言葉が漏れた。


「この声は……魔素だ」


声は嬉しそうに弾む。


「マソちゃんって呼んでくれたんだよぉ」


その瞬間、診療所の空気がかすかに光を帯びたように見えた。

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