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異世界配信サービス -その一声で始まった。恋と戦い、そして世界を壊す物語-  作者: vincent_madder
第9章 崩壊 / What a wonderful world

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第86話 それは抜け落ちた楔

ユウの視界に広がったのは、見慣れた天井だった。


白い蛍光灯のカバーに積もった薄い埃、机の上に放置された教科書やノート。


鼻をかすめるのは、石牢の湿った匂いではなく、汗と紙とプラスチックが混じった生活の臭いだった。


背中に感じるのは冷たい石壁ではなく、フローリングに敷いた薄いカーペット。


体を起こすと、机の隅に積み上げたプリントがばさりと崩れ、シャープペンや消しゴムが転がった。どこにでもある学生の部屋。


けれど今のユウには、その光景が異様に遠く思えた。


喉が乾ききっている。声を出そうとしたが、掠れた息が洩れるだけだった。


本当は──本当だったら、リゼやジャスクのみんなを連れて、あの街へ戻りたかった。なのに、自分だけがこちらに帰ってきてしまった。


牢から逃れるように、ひとりきりで。


胸に押し寄せてくるのは「助かった」という安堵ではなかった。「逃げた」という事実だった。

その重さが肩にのしかかり、息苦しさは牢獄にいたときと何ひとつ変わらない。


ふらつきながら立ち上がり、窓を開ける。

朝の空気が流れ込んできた。


石畳ではなくアスファルトを踏む足音、遠くで聞こえる自転車のブレーキ音、通学路を歩く学生たちの笑い声。


それらは平凡で、何気ない日常の音にすぎない。けれどユウにとっては、まるで別世界のように感じられた。


異世界で交わした声や、仲間の姿が脳裏をかすめる。窓の外に広がる現実はあまりにも眩しく、胸を刺すようだった。


気がつくと、机の上に放り出していたスマホが震えていた。



通知の数が異常だった。


画面を点けた瞬間、赤いバッジが溢れ返り、未読の数値がスクロールの奥まで食い込んでいる。何百件、いや千を超えているかもしれない。


恐る恐る指を滑らせる。SNSのタイムラインが、異様な速さで更新され続けていた。トレンド欄には鮮やかな文字が並んでいる。


《#クラヴァル》

《#謎の少年》

《#あれがユウ》


心臓が跳ねた。冷たい汗が首筋を伝い、画面を持つ手がかすかに震える。


リンクを押すと、まとめサイトや切り抜き動画が次々に開いた。


そこに映っていたのは──夜の草原。倒れ伏すクラヴァル。そして、その隣で俯く少年の後ろ姿。

ノイズ交じりに拾われた声が、動画の中で何度もリピートされる。


『……俺が……呼んだから……』


喉が詰まった。スマホを取り落としそうになり、慌てて両手で支える。画面の中の人物は、髪型も背丈も間違いなくユウ自身だった。


コメント欄は無秩序に流れていた。


《声がしたよな?》

《誰?クラヴァルのチームメンバー?》

《いや、見たことない顔だったぞ》

《新キャラ?仕込み?》

《マジで人影いたよな?》


まるで群衆が一斉に指を差しているかのようだった。視線に貫かれる感覚。胸の奥がざわめき、呼吸が荒くなる。


「…見られてる」


声が震えていた。羞恥と恐怖が混ざり合い、足元から体が凍りつくようだった。


自分の声が、世界中に流れている。

自分の影が、世界中に晒されている。


どんな魔獣よりも、どんな敵よりも、今のこの現実の方が怖かった。


ページを閉じても、画面を暗くしても、胸のざわめきは収まらなかった。SNSの波は止まらない。流れてくる言葉は両極端だった。


《彼を守れ!》

《叩きすぎ、クラヴァルも倒れてたのに》

《声が震えてた、きっと仲間なんだ》

《あれがユウだろ!?彼が何をしたっていうんだ》

《さすがに悪ノリがすぎる》


応援の言葉。かすかな庇い。


だが、ユウにはそれが救いに感じられなかった。

むしろ背中を押されるたびに「自分の正体が暴かれていく」感覚だけが強まっていく。


一方で冷笑や疑念も絶えなかった。


《仕込みじゃね?》

《未成年っぽい。通報した方がいい》

《声、聞いたことあるんだよな……》


スクロールを続けるほどに胃が締め付けられる。

肯定も否定も、結局は同じだ。すべての言葉が「俺を見ている」という一点に収束していく。


机の上にスマホを投げ出した。それでも震えは止まらない。耳の奥で、まだコメントが流れ続けているように錯覚する。


学校のグループチャットを覗く。

《夜の配信見た?》

《クラヴァルの隣、誰だったんだろ》

《怖すぎ。やらせだよな》


笑い混じりの軽い会話。誰もユウ本人だとは思っていない。けれど、ユウだけが知っている。あの影は自分だった。


(俺だけが……知ってしまってる)

(異世界のことを、帰還者のことを、クラヴァルの怪我を……)


窓の外で子供たちの笑い声が響く。その無邪気さが、今は何より遠い。ユウは膝を抱え、額を押しつける。


「……現実(こっち)のほうが……怖い」


誰にも届かない声が、狭い部屋に溶けた。



そこは暗い部屋。現実界のどこか。場所も時間も定かではない。机の上に並んだモニターが微かな光を放ち、その前で複数の人影が声を交わしていた。


「また色々情報が出回っているな」


「EWS内のエージェントからは城野ユウで間違いないとのことです」


「やはり彼自身が異世界に渡ることが可能ということか」


「エージェントによると、クラヴァルが負傷」


「向こうのお偉いさんに保護される際に対象は拘束された模様」


「なんだと!?」


「その後の情報は術式が遮断されたため途絶したとのこと」


EWS側(彼ら)は対象まで辿り着くだろうか」


「エージェント及び真宮先生がうまく抑えているようですが時間の問題かと」


「…対象(ターゲット)宅の監視班からだ。どうやら戻ってきたらしい」


「せんぱぁい、彼、大丈夫っスかねぇ」


「現行法の解釈による逮捕、非合法による保護または排除が我々の選択肢だ」


「彼が暴発しなければ大丈夫だ」


「俺、心配っス」


「対象に我々が接触することは認められていない」


「彼のお母さんだって、震えてましたよ」


「お前にだって親がいるだろう。みんな一緒だ」


声が途切れると、室内に冷たい沈黙が広がった。

モニターの光だけが瞬き、見えない誰かの呼吸音が、暗闇に低く響いていた。

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