第85話 越境-2-
城門を抜け、石畳の階段を下りる。
足元から伝わる冷気と、湿り気を帯びた空気。
ユウは両腕を騎士に掴まれたまま、深い地下へと連れ込まれていった。
「ここだ」
鉄格子が軋み、重たい音を立てて開いた。
中は石壁に囲まれた狭い空間。
苔の匂いと、どこからともなく滴る水音。
かろうじて灯る松明が、陰影を濃くしている。
「入れ」
背中を押され、ユウは転がるように牢に放り込まれた。膝が石床にぶつかり、鈍い痛みが走る。
振り返ったときには、すでに鉄格子が閉ざされていた。ガシャン、と響く音が、心臓の奥に杭を打つ。鎧に身を包んだ兵が無言で鍵をかける。
その仕草は慣れたもので、まるで日常の一部のようだった。
ユウは鉄格子にすがりつき、声を張ろうとした。
だが喉から出たのは、掠れた息だけだった。
「……ここ、は……」
鉄格子の向こうはもう無表情の兵士たちだけ。
自分が異世界で「罪人」として扱われているという現実が、じわじわと押し寄せてきた。
狭い牢の中、湿った石床。
背中に冷たい石壁を感じながら、ユウは膝を抱えた。孤独と閉塞が、心を締め付けていった。
♢
「待ってください!」
重々しい空気を切り裂くように、リゼの声が響いた。
彼女は騎士たちの前に立ちはだかり、領主を真っ直ぐに見据える。
「ユウは私たちと共に戦ったんです! クラヴァルを助け、命を懸けてくれた!」
「どうして牢に入れる必要があるんですか!」
領主は背筋を伸ばし、冷徹な眼差しでリゼを見返した。
「掟に従うのみだ。依頼に名を連ねぬ者が戦場に立つことは、許されぬ」
「不確定は害となる。……それが秩序だ」
「秩序……?」
リゼの声が震える。
「秩序のために、仲間を縛るのですか!」
騎士の一人が一歩前に出て、手を広げてリゼを制する。
「お嬢さん、退いていただこう。領主様の決定は絶対だ」
「黙って従えと言うのですか!」
リゼは腰の剣に手をかける。
怒りが滲み、刃を抜き放つ寸前だった。
「リゼ!」
ハナラの声が鋭く飛んだ。
その手が彼女の肩を掴み、強引に押し止める。
「ここで抜けば、ユウもリゼも終わりよ」
「でも……!」
リゼの目に涙が滲む。悔しさと怒りに燃えた瞳。
それでも仲間の手を振り払うことはできなかった。
領主はわずかに目を細め、静かに告げた。
「情に流されて秩序を乱すことは許されぬ」
「それがこの国を守る力だ」
言葉は冷たく、揺るぎなかった。
リゼは拳を握りしめ、震える唇を噛む。
叫びたい言葉が喉を塞ぎ、声にならない。
結局、彼女にできたのはクラヴァルの傍に戻り、震える背を仲間に支えられることだけだった。
♢
石壁に囲まれた牢の中は、ひどく静かだった。
湿った空気が肌にまとわりつき、わずかな水滴の音が響くたびに、心臓がざわついた。
ユウは膝を抱え、鉄格子越しに薄暗い廊下を見つめていた。仲間の声はここには届かない。
ただ、自分が「罪人」として扱われているという現実だけが重くのしかかっていた。
(……俺は、何をしてるんだ)
喉の奥から声が漏れるが、誰にも届かない。
それでも口に出さずにはいられなかった。
その時、廊下を巡回していた衛兵が足を止め、鉄格子に近づいてきた。
口元にいやらしい笑みを浮かべながら、鉄格子に腕をかける。
「よう、あんちゃん」
低い声が響く。
「何して捕まったんだい?」
ユウは目を伏せ、黙り込む。
「おいおい、答えろよ」
衛兵は肩を揺らし、下卑た笑いを漏らす。
「まあいいや」
「……あんちゃんのツレの女、いいカラダしてんじゃねーか」
ユウの背筋が震える。
だが唇はきつく閉じられ、声は出なかった。
「へへっ。領主様に刃向かって、牢に入れられてるんならよ」
衛兵は鉄格子を叩き、声を潜める。
「そのうち、こっちに来るだろうよ」
「……!」
ユウの目が見開かれる。
衛兵はさらに顔を近づけ、吐息をかけるように囁いた。
「そしたらよぉ……俺がじぃっくり、可愛がってやるよ」
下品な笑い声が、狭い牢に響き渡る。
ユウの胸に怒りが燃え上がる。
全身が熱を帯び、拳が震え、喉の奥から声が絞り出されそうになる。
「安心しろって」
衛兵はさらに笑う。
「ちゃんと声は聞かせてやるからよ……ゲハハハ!」
その瞬間、ユウは激昂した。
「やめろォッ!!!」
鉄格子を掴み、力任せに揺さぶる。
鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音が、牢の奥に響き渡った。
衛兵はわざと驚いたように肩をすくめると、鼻で笑い、ゆっくりと離れていった。
残されたユウの両手は血が滲むほどに震え、怒りと無力感が胸を締めつけていた
ユウは鉄格子から手を離し、石床に崩れ落ちた。
肩で荒い息を繰り返し、胸の奥で燃え上がる怒りが収まらない。
だが拳を握りしめても、鎖を叩きつけても、何も変わらない。
「……俺が……ここにいたって……」
声が震える。
「何も守れない……!」
頭の中で、リゼやクラヴァルの姿が浮かんでは消えた。
衛兵の嘲りが耳にこびりつき、胃の底から吐き気がこみ上げる。
(……ここから出ていく!)
ユウは深く息を吸い込み、両の掌を重合わせる。
意識を沈めると、鼓動の裏側でかすかなざわめきが生まれる。
それは光ではなく、音だった。その拍を掴み、手を広げる。すると空気にきしみが走り、牢の壁に細い裂け目が浮かんだ。
「…ッッ」
蜘蛛の巣のように広がる亀裂から、淡い光が漏れる。
それは枠を描くのではなく、石壁そのものを削り取るように広がっていった。
裂け目の奥から、冷たく乾いた風が逆流する。
「行かせろ……!」
ユウの身体が震え、足元の石床が揺らぎ始める。
視界が波打ち、牢の中が溶けていくように霞む。
やがて感覚は急に反転した。
床が沈み込み、身体ごと暗い淵に吸い込まれる。
次の瞬間、全ての音が止まり、真っ白な静寂が広がった。
──そして。
目を開けたユウの視界に映ったのは、天井に貼りついた蛍光灯。埃の積もった本棚、自分の机、散らかった教科書。
「……帰ってきた……?」
呼吸が浅くなる。確かにここは、自分の部屋。
現実世界だった。




