第8話 異世界配信サービス-2-
「あ、今日の配信、もう始まってる」
無意識のうちに画面を開いていた。リビングのソファに座り、ユウの視線はスマホに吸い寄せられていた。
夕食を終えたあと、まだテーブルに載ったままの皿を片付ける前に、指が自然とEWSを起動していたのだ。
画面には、巨躯の重装の女が、ランタンを手に暗い通路を進んでいる。
チームエメラ。
ユウが追っていたのは、リゼではない別の冒険者たち。チャンネル登録者数はそこそこ多く、銀色の評価バッジが光っている。
「こっち、何かの気配があるかもーって、さっきの分岐戻ってきたんだけどさ…」
「またお前の勘かよ。前も空振りだったろ?」
「でも、今回はちょっと違うっていうか…うーん、なんか空気、重くない?」
会話する相手は、画面に映らない。声からして男性ふたり。3人パーティ。中堅らしい連携と気安さが伝わってくる。
ユウは頬杖をつきながら、その配信を“ながら視聴”していた。テレビのバラエティも、SNSの通知も、ただの雑音のように遠ざかっていく。
それから、違和感は――ほんの些細な揺らぎとして始まった。
♢
細い通路を抜けると、ぽっかりと開けた空間に出た。
天井が高く、岩肌が黒く濡れている。どこかの地下洞の広い空間に出たようだった。足元には苔がびっしりと張りつき、ぬかるみで足を取られそうになる。
「うわ、ここ、広っ……ちょっと照らすね」
ランタンの光が揺れる。画面に映ったエメラの横顔には、わずかな緊張が浮かんでいた。
「罠は……なさそう。けど、なんかやな感じ」
声は軽いが、その背負った大剣に手をかける。。
無言のまま、仲間たちが視界の外で位置を変えているのが分かる。視線の動き、光の揺らぎ、音の反響…そういう細部から、経験者らしい立ち回りが伝わってくる。
ユウは、ぼんやりとその様子を眺めていた。
「……来るよ。何かが、いる」
声の調子が変わった瞬間、画面がほんのわずかに“ざらついた”。
(ん?)
ほんの一瞬、ほんの気のせい。ユウは目を細めたが、ノイズはそれ以上広がらない。
エメラはすでに剣を構えていた。背中に回った光源が、剣の切っ先をぎらりと照らす。
「上からだ!」
「クソっ、やっぱ来やがった!」
駆け出す影。仲間の声。配信の視野がぐるりと回転し、エメラがカメラの奥に向けて突き出すように剣を振る。
そのときだった。
視界の端で、何かが飛び散った。
液体――赤黒いものが、ほんの一瞬、カメラをかすめるように広がった。
カメラは揺れず、むしろ異様なほど静かだった。だが、確かに“飛び散った”のだ。
コメント欄がざわつく。
《今の、なに?》
《血?やばくね?》
《おいおいマジかよ!》
その直後だった。
映像が、一拍遅れて――ふっと、消えた。
瞬間、画面がグレーに切り替わり、中央にEWSのロゴと、定型の文言が表示された。
【本配信は、映像内容が倫理規定に抵触したため中断されました。】
【本件についての詳細は開示されません。】
コメント欄も凍りついたように停止し、ただ静かな背景色だけが画面に残された。
まるで、“何か”を見せてはいけないかのように。
ユウは、画面を見つめたまま動けずにいた。
「…今の、なんだ?」
誰もが見ていたはずのライブ配信。
視聴者数は数千。コメントも活発だった。
けれど、今そこにあるのは灰色の画面と、味気ない定型文だけ。
スマホの画面をタップしても、戻るボタンを押しても、反応はない。
チャンネルページへ飛ぼうとしても、「該当の配信者は存在しません」とだけ表示される。
つい数分前まで、画面の向こうで笑っていたはずの、彼女たちの姿はもうどこにもなかった。
「……エメラ?」
試しにSNSで検索すると、
「倫理BAN」
「グロ耐性」
「またやっちゃった」などのタグが流れていた。
視聴者たちは口々に「あのシーンはアウトだろ」「R18フィルターすり抜けた」などと騒いでいる。けれどユウの中では、ただ一つだけが、胸にこびりついていた。
──最後の瞬間。
たしかに、声が聞こえた。
それは誰のものだったのか、何を叫んでいたのか。思い出そうとするたび、霞がかかったように曖昧になっていく。
でも確かに、耳に残っている。忘れられない、あの“叫び”。
──◯◯◯◯
ユウはスマホを強く握りしめた。
「リゼに、もし同じことが起きたら」
そう思った瞬間、息が詰まった。
彼女は、自分よりも危うい場所で生きている。
自分の言葉が、届いたかもしれない。
その世界で、彼女もまた――
あんなふうに、突然消えてしまうかもしれない。
ユウの指が、EWSのアイコンを押し込んだ。画面を開く。
あの世界に、彼女がいる限り。
もう黙ってなんか、見ていられない。




