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第72話 歩む道

朝の光が木の隙間から差し込み、小屋の中を淡く照らしていた。


夜の冷えがまだ残る空気の中、クラヴァルはゆっくりと腰を上げる。


彼女の手甲がかすかに光を帯び、脈を打つように震えていた。その光は、彼女自身を呼び戻す合図のようでもあった。


「あーあ…女神の仕事の時間だわ」


静かに、けれど確かに告げられた言葉。軽口のように響くのに、その横顔には張り詰めた覚悟が見え隠れする。


「クラヴァル」


リゼが思わず呼び止めた。


クラヴァルは立ち止まり、振り返る。いつもの気だるげな笑みを浮かべているのに、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。


「すぐ戻るわ。私には、帰る場所があるから」


扉がきしむ音と共に、冷たい朝の風が流れ込む。クラヴァルはそのまま外へ歩み出し、光の尾を引くように姿を消した。


残された小屋に、静寂だけが満ちる。


ユウはしばらく立ち尽くしたまま、息を詰めていた。胸の奥に残るのは安堵でもなく、寂しさとも違う、言葉にできないざらついた感覚。


(クラヴァルにも、彼女だけの場所があるんだ)


その当たり前の事実を、改めて思い知らされる。


自分にはどちらの世界が「帰る場所」なのか。答えのない問いが胸に沈んでいく。


隣に立つリゼが小さく肩をすくめ、ユウを見る。


「行きましょう、ユウ」


ユウはゆっくりと頷いた。


まだクラヴァルの気配が漂う小屋を後にし、二人は街へ向かって歩き出した。



街に戻った昼時、ギルドの食堂は冒険者たちで賑わっていた。


皿のぶつかる音、注文を飛ばす声、笑いと怒号が混ざり合い、木造の大広間を震わせている。


扉を開けて中へ入ると、真っ先に気づいたのはナズだった。


「ん?…ユウ!」


驚きに目を見開き、椅子を鳴らして立ち上がる。

ハナラも笑い、ロアは深く息をつきながら、けれどどこか安堵した顔でこちらへ歩み寄ってきた。


「無事でなにより」


「もう!どれだけ心配させたと思ってるのよ!」


三人の声に迎えられ、ユウは素直に頭を下げる。


「心配かけました」


肩の力が抜けたような笑みが、三人の顔に広がった。


席に着くと、湯気を立てるスープの香りが漂う。温かな空気に包まれて、ユウは胸の奥にあった緊張が少しずつほどけていくのを感じた。


彼はこれまでの顛末を、言葉を選びながら語っていった。


裂け目に飲み込まれたこと、クラヴァルと行動を共にしたこと、そして自分の特技――バインドについて。


話を聞き終えたロアは目を伏せて、「興味深いな」と感嘆交じりに笑った。


ナズはうなずきながら、「それでも帰ってこれたなら大したものだ」と短く言葉を添える。


ハナラは腕を組んで聞いていたが、最後にふっと口元をゆるめた。


「こちらとあちらじゃ、常識が違うのよ。世界が違うんだから当たり前でしょ」


その言葉に、ユウは思わず笑ってしまう。厳しい調子なのに、仲間として受け入れてくれているのが伝わったからだ。


食堂のざわめきに混じって、ジャスクの笑い声が響く。長い旅路を経て、ようやく「戻ってきた」と胸の奥で実感できるひとときだった。


食堂での談笑が一段落すると、リゼは席を立った。


「…少し見てくるわ」


視線の先には、冒険者たちが群がる依頼掲示板。木の板にはびっしりと紙が貼られ、討伐や護衛、採集の依頼が乱雑に並んでいる。


人の合間を縫って歩くその背を、ユウは無意識に目で追った。


 

背筋を伸ばし、真っ直ぐに紙へと向かう姿。

ついこの前まで危なっかしさが目についたのに、今は堂々と冒険者らしい空気を纏っている。


(……リゼも、ここで生きていくんだ)


胸の奥でそう思うと、不思議と誇らしいような、それでいて少し遠くに行ってしまうような感覚が重なった。


「焦って無理はするなよ」


遠目に見ていたロアが、ぽつりと漏らす。

ナズもうんうん頷きながら告げる。


「でも、あいつはもう止まらんだろうな」


ハナラは肩をすくめる。


「女ってのはそういうものよ」


依頼票を一枚手に取り、じっと目を通すリゼ。

その横顔には揺るぎのない意志が宿っていた。


ユウは椅子に腰かけたまま、その背中を目に焼きつける。頼もしさと同時に、手を伸ばしても届かない距離を覚えてしまう自分がいた。


ユウは湯気の立つカップを空にし、深く息をつく。


「…今日はここまでにするよ」


ぽつりと呟くと、リゼが振り返った。


「もう戻るの?」


「うん。明日も学校あるからね」


リゼは短く「そう」と答えるだけだったが、その声色はどこか寂しげに響いた。


ユウは立ち上がり、彼女の前に歩み寄る。


「また来るから」


その言葉に、リゼはわずかに目を細めて頷いた。

冒険者のざわめきに混じって、ほんの少しの沈黙が二人の間を満たす。


バインドを発動する直前、ユウは自分の胸に問いかける。



(俺は、どちらの世界で生きるべきなんだ……?)


答えは出ないまま、一歩踏み出し、感覚が反転する。


――光の先には、見慣れた自分の部屋。窓の外には街の灯りが瞬いている。


明日、自分を待つのは現実の学校と、真宮先生との二者面談だ。


ユウは机の上の進路希望調査票を見やり、未記入の白紙を指先でなぞった。

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