第69話 なんとかなあれ
庁舎を出た真宮カオリの前に、黒塗りの車が停まった。後部座席の窓が下がり、制服姿の若い自衛官が顔を覗かせる。
「真宮先生。よろしければお送りしましょうか?」
唐突な申し出に眉を上げたが、真宮は軽く笑みを浮かべた。
「あら? ではお言葉に甘えて」
革張りの座席に身を沈めると、車は静かに発進した。短い沈黙ののち、隊員が分厚いファイルを差し出す。
「御礼と言ってはなんですが、こちらをご覧ください」
首を傾げつつ開いた瞬間、真宮の表情がみるみる硬くなる。
「……城野ユウ君に関する資料です」
「帰還者、そして先生ご自身も調べさせていただきました。我々は真実に近いところまで辿りついていると自負しております」
喉が乾く。真宮は唇を湿らせた。
「彼を…どうするおつもりですか」
若い隊員は言いよどみ、視線を泳がせる。
「極秘です。ただ、街中で特技を使用した際には――排除するプランも」
次の瞬間、彼は堪えきれず叫んだ。
「あーもう! せんぱぁい! やっぱムリっすよ!」
助手席の先輩が振り返り、怒鳴る。
「バカやろう!最後までやり通せ!」
だが声はすぐに落ち着きを取り戻した。
「……真宮先生。このファイルは公表されません。確かに彼は衛星を盗んだ。だがあまりにも荒唐無稽で、誰も裁けはしない」
後部座席の若者が食い下がるように続ける。
「それに、彼は“護った”んです! 自分のリスクを顧みずに!」
「我々は存在することで護る。彼は行動し、護った」
先輩隊員の声は静かで力強かった。
「彼もまた一国民。我々が護ります。政治のオモチャにはさせません」
涙が一筋、真宮の頬を伝った。
車が駅前に停まる。
「…ありがとう、ございます」
「お気になさらず。仕事ですから」
軽やかに敬礼を返すと、車は走り去った。
角を曲がり見えなくなるまで、その背を真宮は黙って見送っていた。
♢
その日は休日だった。
ユウは窓から差し込む朝の光を仰いだ。
胸の奥がざわついている。昨日から何度も繰り返し考えていたこと。
「……今日なら」
小さく呟き、指先に集中する。
部屋に取り込んだ魔素が空気の層に漂い、青白い光の粒となって渦を巻く。
ユウは深呼吸し、魔素自体と会話する。
掌を重ねると、粒子はひとつの枠を描き、ゆっくりと拡大していく。壁に四角い光の門が浮かび上がり、そこから淡い風が流れ込んだ。
まるでEWSのフレームのように、矩形の輪郭だけがくっきりと輝いていた。
「……保ってくれよ?」
呟いた声は震えていたが、その瞳には決意の光があった。ユウは一歩を踏み出し、光の中へ身体を投じる。
♢
朝の澄んだ空気が肺に広がった。ユウは石造りの宿の前に向かっていた。ちょうど、扉が軋む音とともにリゼが現れる。
淡い朝日を浴び、髪が揺れる。
「ユウ!? 来てくれたのね!?」
驚きと喜びが入り混じった声で駆け寄ってきた。
ユウは思わず胸が熱くなるのを感じながら、少し照れた笑みを返した。
「おはよう、リゼ。今日もギルドに行くの?」
「もちろんそうだけど……?」
首を傾げるリゼの瞳に、ユウはまっすぐ向き合った。
「もし…よかったら。今日一日、付き合ってくれないかな」
「ユウ?」
「連れて行きたい場所があるんだ」
真剣な眼差し。リゼは息を飲む。
その一瞬の沈黙が、二人の間に張り詰める。
やがてリゼは頬を赤らめ、ゆっくりと頷いた。
「……連れて行って」
その答えに、ユウはそっと手を差し出した。
♢
雑踏の響きと人工の光があふれる駅構内。
行き交う人の波に、リゼは目を白黒させた。
「ユウ!? この板をどうすればいいの!?」
改札口の前で立ちすくみ、ICカードを握りしめて震えている。ユウは苦笑しながら手を添えた。
「ここの光ってるところに当てるんだ」
恐る恐る真似すると、ピッと音が鳴り、扉が開いた。
「…通れた!?」
子どものような笑顔で振り返るリゼに、ユウの胸が温かくなる。
ホームに降りた瞬間、轟音と風。長大な車体が滑り込んできた。リゼの目が大きく見開かれる。
「ユウ!? 変な形の長い魔獣がこっちに突っ込んでくる!」
慌てて腕を引くリゼに、ユウは笑いを堪えつつ囁いた。
「大丈夫。あれは電車っていうんだ。人を運ぶ乗り物だよ」
人々が次々と乗り込む。リゼは半歩下がったが、ユウが背を押す。渋々足を踏み入れると、扉が閉まり、世界が動き出した。
窓の外の景色が流れる。家々が後ろに飛び去り、緑の木々も山並みも次々と置き去りにされていく。
リゼは窓に張り付き、目を輝かせて呟いた。
「…世界が、動いてる…」
その純粋な声に、ユウは思わず笑みを零した。
その横顔を見つめながら、この選択に間違いはなかったと強く思った。
♢
電車を降りた二人は、賑やかな街に出た。
昼下がりの繁華街。人の波と看板の光、絶え間ない音楽。リゼは思わずユウの腕を掴む。
「ユウ……ここ、本当に街なの? 戦場にしか見えないんだけど!」
「はは……大丈夫だよ。ただの遊び場さ」
ユウが苦笑して指差す先、ネオンが瞬き、ガラス越しに光と音が溢れる建物があった。
「まずは…ここに行ってみようか」
自動ドアが開いた瞬間、轟音と電子音が押し寄せた。リゼは身構え、剣の柄に手を伸ばしかけて慌てて引っ込める。
「…魔獣の巣窟!? ユウ、本当に大丈夫なの!?」
「うん、ここは“ゲーセン”って言って、みんなが遊ぶ場所なんだ」
眩しいスクリーンの光に、リゼの瞳が揺れる。
足を踏み入れたその瞬間から、彼女は圧倒されっぱなしだった。
ユウは試しにクレーンゲームの前に立った。
中にはぬいぐるみがぎっしりと並んでいる。
「これを操作して、景品を取るんだ」
「ふ、ふん…見てなさい!」
リゼは操作レバーをぎこちなく動かす。アームが空を切り、ぬいぐるみは微動だにしなかった。
「な、なんで!? 当たったはずなのに!」
「力加減も大事なんだ」
ユウが代わって挑戦する。アームがするりと狙いを掴み、ゆっくりと運ぶ。景品口に落ちた瞬間、リゼが歓声を上げた。
「やった! これが戦利品ね!」
無邪気な笑顔に、ユウは心臓を撃ち抜かれた気分だった。
♢
その後も太鼓を叩くゲームに挑み、リゼはリズム感のなさを露呈して赤面する。
「む、難しい! こんなの魔術でタイミングを合わせても……!」
「はは、次はもう少し簡単なのにしよう」
二人は笑い合い、時が過ぎるのを忘れていた。
「…ユウ、これ、何をするの?」
リゼが指差したのは、見慣れない大きな筐体。
中に入ってカーテンを閉めると、画面が光り、写真が撮れる――プリクラだった。
「記念写真を撮るんだ。ほら、一緒に」
半信半疑で入ったリゼは、光が走るたびにぎこちないポーズを取った。やがて機械から吐き出されたシールを手に、目を輝かせる。
「すごい……これ、私とユウ?」
「そう。二人の写真」
小さな紙片を宝物のように胸に抱きしめるリゼの姿に、ユウは言葉を失った。
◇
ゲーセンを出たあと、リゼがふと足を止める。
「ねえユウ……あれ、なんのお店?」
指差した先は服屋だった。ユウは一瞬迷ったが、リゼの瞳の輝きに抗えず頷いた。
「ちょっと、入ってみる?」
色とりどりの服に囲まれて、リゼはすっかり子どものようにはしゃいでいた。
「見て! この布、こんなに薄いのに綺麗!」
「こっちは動きやすそう!」
試着室に入っては出てきて、ユウに見せる。
そのたびにユウは心臓が跳ね上がり、言葉を選ぶのに必死だった。
最後に、リゼは今着ている服を撫でて微笑んだ。
「ユウって、ほんと用意がいいのね。私、こういう服を着るなんて思ってもみなかった」
ユウの喉が詰まる。
――その服を用意したのは、クラヴァル。
言えるはずがなかった。
「……似合ってるよ」
絞り出すように答えたユウの胸に、言いようのないざわつきが広がっていた。
♢
楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
夜の街を抜け、ユウとリゼは並んで帰途についた。
手にはゲーセンで手に入れた景品と、新しく買った服が入った小さな袋。リゼは頬を紅潮させ、子どものように楽しげな足取りで歩いている。
「ユウの世界って……こんなに眩しいんだね」
「そうかな。俺にとっては当たり前だけど」
短いやりとりすら気恥ずかしく、それでいて心が温かい。二人だけの甘い空気を抱えたまま、ユウは家の玄関に手をかけた。
そのときだった。
中からガチャリと音がして、扉が先に開いた。
「こんばんは、ユウ♪」
現れたのはクラヴァルだった。
楽しげに微笑みながら、あたかもここが自分の家であるかのように玄関から出てくる。
「……あら? リゼも一緒なのね」
リゼの表情が強張る。
「クラヴァル! どうしてここに!」
咄嗟に声を荒げた彼女の肩を、ユウが抑える。
「リゼ! 落ち着いて!」
その一言に、リゼは一瞬で表情を変えた。
ユウの声色に含まれたものを察したのだ。
「……ふぅん」
「リゼ?」
戸惑うユウをよそに、リゼはじっとクラヴァルを見据える。
「クラヴァル? ちょっとお話ししない? 三人で」
クラヴァルは唇に笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
「いいわよー。確か大通りにファミレスがあったわよね、ユウ?」
緊張が一気に押し寄せる。
リゼはわずかに口元を吊り上げ、クラヴァルは余裕を装ったまま。
ユウの背に冷たい汗が流れ落ちた。
――幸福な一日は終わった。
次に待つのは、地獄のお茶会だった。




