第62話 彼の行い
ベッドに沈んだまま、三日が過ぎていた。
体は鉛のように重く、頭の奥で火花が散るような痛みが絶え間なく続く。
喉は焼けつくように乾き、声を出そうとするとかすれてひどく頼りない。
意識はあるのに、体が思うように動かない。目蓋を開けても視界は霞み、天井の木目が波のように揺れて見える。
寝返りすらままならず、ただ汗に濡れたシーツが肌に貼りつくのを感じていた。
あの日――衛星を掴み、異世界へ引きずり込んだ瞬間。掌に走った「ぬるい水」の感覚と同時に、何かが自分の中で壊れた。
結果は分かっている。自分の体が、この負荷に耐え切れていない。
どれほど時間が経ったのかも分からない。窓の外の光は朝か夕か、いくつも変わった気がする。
そんなとき、不意にドアを叩く音がした。
「ユウ!」
母の声だ。喉を鳴らすだけの返事になったが、それでも気配を伝えることはできた。
「真宮先生がお見舞いに来てるわよ」
その名前が落ちた瞬間、胸の奥に冷たいものが走った。布団の端を握りしめる。体はまだ鉛のようだが、心だけは騒ぎ立てる。
♢
扉が開く音がして、足音が近づいてくる。
母の気配のすぐ後ろから、低く落ち着いた声が続いた。
「……失礼するよ」
目を向けると、真宮先生が立っていた。いつもの教室での姿と変わらぬスーツ姿。だが瞳の奥には、授業中には見せない硬い光が宿っている。
椅子を引き寄せてベッドのそばに腰を下ろすと、彼女はため息をひとつ漏らした。
「まったく、なんてことをしてくれるんだ君は」
叱責の響き。それでいて声の端には、心底からの驚きと焦燥が滲んでいた。
ユウは言葉を探したが、声は掠れて震え、出てこない。布団を握りしめて、ただうつむくしかなかった。
真宮は視線を逸らさず、静かに続ける。
「今回の件は、ただのいたずらや事故では済まされない。…国際レベルの外交問題に発展している」
重苦しい言葉が部屋の空気を押し潰す。
「君が動かしたものは、ただの衛星ではない。兵器を備えた機体だったんだ。公ではないが各国騒然としている」
ユウの耳鳴りが強まった。
心臓が高鳴り、冷や汗が背を伝う。
自分がしたことが、どれほど大きな事態を招いたのか。頭では分かっていたはずなのに、先生の口から改めて突きつけられると、現実が牙を剥く。
「先生……俺は、どうしたら……」
やっとの思いで絞り出した声は、情けなく掠れていた。真宮は一瞬目を細め、そして低く告げた。
「衛星を現実世界に戻せ。そして――墜とすんだ」
「……っ!」
「そうすれば表面上は“収拾”がつく。だが正しく言えば、それは解決ではない。……ただの延命策にすぎない」
言葉が喉に刺さるようだった。
ユウは布団を掴んだまま、唇を震わせる。
「……延命、策」
「そうだ。君が背負ったのは、もはや一個人の罪や後悔じゃない。世界の秩序そのものを揺るがしかねない行為だ。……理解しているか?」
ユウは答えられなかった。ただ胸の奥が冷たく縮んでいく感覚だけが残った。
♢
「……で、教えてくれ城野。予想はついているが、君は一体なにをしたんだ?」
真宮の問いに、ユウは唇を噛んだ。脳裏にはあの日の光景が焼き付いている。
「……最初は、小さな扉を開いただけでした。部屋の空気が、少しずつ変わって」
「……魔素が入ってきて。ぬるい水に触れるみたいに、それを掴んだんです」
真宮の瞳が鋭く光る。ユウはかすれ声のまま続けた。
「繰り返すうちに、手のひらの中で流れが集まって……その感覚を“移す”と、宇宙の黒に触れられた。俺は、その衛星に……扉を開いたんです」
「……衛星を通したのか」
「はい。異世界の宇宙へ……。ただ、そこにあるだけじゃなくて……」
ユウは額に手を当てた。鼻血の熱がまだ生々しく甦る。
「バインドで繋いだ瞬間、衛星の中身が“わかってしまった”んです。回路も、鍵も、武器も」
「気づけば、制御権限まで」
真宮は、腕を組みながらユウに問いただす。
「……それを、使ったのか」
「……リゼを守るために」
その一言で、すべてが足りていた。ユウの手は震え、布団を強く握りしめる。
「俺は……ICBMを……撃ったんです」
部屋の空気が凍りついた。
真宮は長い沈黙の後、静かに言った。
「EWSの仕組みを……逆応用した、というわけか」
ユウは何も答えられず、ただ視線を落とした。
「やはり特技とは、個人には過ぎた力だ。特に現代ではな」
真宮の声は重く、冷ややかだった。
「城野。君の力は世界を繋ぎもする。だが同時に、壊す力でもある」
その言葉に、ユウの胸は締めつけられ、目に熱いものが浮かんだ。