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異世界配信サービス  作者: vincent_madder
第6章 越境者 / The Crossing
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第60話 交差-3-

声はかすれて、乾いた風にかき消された。


剣を振り上げても、砂に沈んだ足は動かない。迫る牙が目前に迫ったその瞬間――


轟音が大地を揺さぶった。


閃光が視界を満たし、目前の脅威は爆ぜ飛んだ。砂が爆風に巻き上げられ、世界そのものが白い光と茶色の砂塵に飲み込まれる。


何が起きたのか分からない。


耳鳴りだけが残り、周囲の音がすべて遠ざかっていく。


その中で、かすかに届いた声があった。

聞き慣れた、絶対に忘れない響き。


「リゼ! 大丈夫か!」


リゼは目を見開いた。喉が震え、絞り出すように答える。


「ユウ……!」


砂塵の中で涙がにじみ、頬を伝った。

それが幻聴ではないと、胸の奥が確かに告げていた。



スマホが震えた。画面には春川からのメッセージ。


『やってるぞ。軌道衛星が武装してるってさ』


ユウは思わず眉をひそめ、机の上に投げ出されたスマホを掴んだ。


ニュース番組では、宇宙空間を回る衛星の映像が流れている。無機質な解説が「迎撃能力」だの「極秘開発」だのを繰り返していた。


「……またやってるのかよ」


ぼそりと呟き、スマホを机に置こうとした瞬間、ふと動きが止まった。


脳裏に浮かんだのは、少しずつ掴んだ“バインド”の感覚。そして──リゼの姿。


「……あれ、もしかして」


喉の奥から乾いた声が漏れる。思考の断片が繋がり、形になっていく。ユウは深く息を吐き、両手を前に差し出した。


自室の空気は澄んでいる。だが彼の目には“何もない”わけではなかった。


「……やるしかない」


指先に集中する。イメージはわずかな小さな穴。異世界へと通じる“扉”。かすかに空間が歪み、そこからぬるりとした流れが染み込んでくる。


魔素だ。目には見えない。しかし部屋の空気が、ほんのわずかに重くなった気配があった。


「……入ってきてる……」


ユウは呼吸を整え、再び同じことを繰り返した。

小さな扉を開き、魔素を引き込む。

一度きりでは足りない。何度も、何度も。


部屋の中の空気が、じわじわと変質していく。


机の上のノートの端がひらりと揺れ、蛍光灯の光がわずかに歪んで見える。だが同時に、異常がユウ自身を蝕み始めていた。


「っ……!」


こめかみに鋭い痛みが走る。額を押さえると、冷や汗がにじんでいた。吐き気が込み上げ、膝がわずかに震える。


「…っはぁ…やっぱ、くるな…」


魔素を扱えば扱うほど、身体は強い拒絶を示す。

現実世界(こちら)の人間の器には、そもそも耐えられない。だがユウは唇を噛み、さらに集中した。


指先の感覚が広がり、やがて掌全体を覆っていく。魔素の流れが手のひらの中でざわめき、意思でかろうじて形を保っている。


頭は焼けるように熱い。視界は滲み、足元が揺れる。それでもユウは手を止めなかった。


「…リゼ…」


胸の奥にその名を浮かべる。

声に出した瞬間、揺れる視界が少しだけ安定した気がした。


「守るんだ…この力で…」


鼻の奥が熱く、赤い雫が滴るのを感じた。それでも構わない。倒れても、潰れても。


ただ一つの目的のために。



ユウは、自室を魔素で満たし続けた。


部屋の空気はもう元の透明さを失っていた。

見えないはずの魔素が、照明の光をわずかに歪ませ、ノートやペンの輪郭を揺らしている。


ユウは掌を握り込み、そこに収束する流れを意識した。手のひらに集まる魔素が、小さな水の塊のように震えている。


「……もう一歩、いける」


視線をスマホに移す。衛星の映像が頭に焼き付いていた。現実の空では遠すぎて見えないそれを、自分の感覚で“触れる”イメージを作る。


――自分の部屋から、宇宙へ。

掌を前に差し出し、集中する。


小さな穴が再び開く。

今回は、異世界からではなく、現実世界の宇宙へ向けて魔素を送り込む。


「…ッ!」


視界が一瞬、ぐらりと揺れた。


鼻から血が一筋垂れ落ち、床に赤い染みを作る。

吐き気と寒気が一気に込み上げ、歯を食いしばって耐えた。


その代償の先に、“繋がり”があった。


漆黒の宇宙。

漂う衛星の存在が、かすかな圧として伝わってくる。


「……見えた」


ユウは掌をひねり、穴を広げた。

異世界の空間がそこに口を開ける。


扉の縁が揺らぎ、黒い宇宙と、異世界の虚空とが繋がっていく。


次の瞬間――人工物の質量が、音もなく“通過”した。


現実世界の軌道上を巡っていた衛星が、ひとつ、異世界の宇宙へと吸い込まれる。


重力も空気もない静寂の中で、その鋼鉄の影は新しい軌道を描き始めていた。


「……やった……」


呟いた声は掠れていた。


頭痛は増し、視界の端が暗く欠けていく。

それでもユウは、指先を震わせながら扉を閉じた。背中を椅子に預け、荒い息を吐く。


「…転送、できた…」


全身にのしかかる倦怠感と吐き気。

だがその奥に、確かな高揚があった。


これで――守れる。


胸に浮かぶのはただひとり。

リゼの姿だった。



異世界の軌道上に衛星を移した直後――。


ユウはその存在を見失わないように、手をじっと見つめた。魔素の流れを細く束ね、意識を伸ばす。


EWSの観測理論を“逆さ”に使う。

いつもは見せられる側だった仕組みを、今度は掴む側へ。


「……バインド」


小さく呟いた瞬間、頭の奥に冷たい電流が走った。視界の端に、図面のような情報が浮かび上がる。


それは衛星の内部構造(インサイド)

誰も教えたことのないはずの、暗号鍵や権限系統までもが“わかってしまう”。


「な、なんだ……これ……!」


胸がざわめき、背筋に寒気が走る。

頭の中に流れ込むデータは、ただの鉄の塊を兵器と定義し直す。


高出力レーザー。電子戦装置。

そして――弾道ミサイル。


「……俺、兵器を……手にしたのか」


声が震えた。

自分の手の中にあるのは、街ひとつを簡単に消し飛ばす力。


ゲームや映画でしか聞かなかった兵装の名前が、今は現実として脳に刻まれていく。


「なんてことを……俺……!」


思わず手を離しかける。

だが、その瞬間――頭に浮かんだのは、以前、脅威に掴まれたリゼの姿だった。


(守りたい……!)


心臓が暴れ、胸の奥が焼けるように熱くなる。

罪悪感も恐怖も、一瞬で塗りつぶされる。


「……俺は……守るために……!」


理性の警鐘を振り切り、ユウは制御を保持した。

震える指先で、衛星の兵装権限に“アクセス”してしまう。


表示のひとつが静かに切り替わる。

アンロック――準備完了。


ユウは息を荒げ、背を丸めて机に突っ伏した。

鼻血が一滴、ノートに落ちて赤い染みを広げる。


「……これで……リゼを…奪わせない…」


その呟きは、自分を納得させるための言葉にしか聞こえなかった。



スマホに映るEWSの画面には、クラヴァルのチャンネルが展開されていた。


彼女は王国の命を受けて砂漠に現れた強大な魔獣の討伐依頼と説明していた。


銀髪を風に揺らし、砂を踏み込んで戦う姿。その戦闘の様子を、配信は克明に映し出している。


ユウは画面を睨みつけながら呟いた。


「…あの魔獣、似てるな…」


だが次の瞬間、映像の端に映り込んだ影が彼の胸を抉った。


「……リゼ…なんで…!」


荒れ狂う砂漠に取り残され、必死に剣を構える姿。その足元に走る砂の揺らぎ、地中から迫る巨大な影。


ユウの視界が一気に狭まった。


呼吸が荒くなり、指先が震える。異世界軌道上に転送した衛星は、自分の《バインド》で繋がっている。


「…今撃てば、間に合う」


頭を締め付ける痛み、鼻から落ちる温かい液体。反動で身体は限界を超えかけていた。


それでもユウは魔素を通して衛星を握り潰すように制御し、砂漠の座標へ照準を合わせる。


クラヴァルの配信に映るリゼが、必死に戦っている。ユウは歯を食いしばり、最後の力で命じた。


「…いけぇッ!」


弾道ミサイルが解き放たれ、砂漠へ向かう。

着弾までのシークエンスを見守る中、EWSを通じて届く声。


「ユウ……助けて……助けてよ!」


祈りのような声が、彼の胸を突き刺した。

だがユウはただ呟いた。


「間に合え……!」


視界は揺らぎ、鮮烈な光がテレメトリとして溢れ始める。



轟音と閃光の残滓がようやく収まったころ、砂漠は静寂に包まれていた。


焼け焦げた砂がまだ煙を上げ、熱気が地面から立ちのぼる。リゼは膝をつき、剣を支えに必死で体を起こした。


視界はまだ砂塵に霞んでいる。だが、その中で確かに感じた。──脅威の気配が消えている。


「……やった、の……?」


声が震えた。信じられない。ほんの数秒前まで、自分は死を覚悟していたのだ。


頬を伝うのは汗だけではなかった。熱気に乾いた涙が、今ようやく零れていく。


「ユウ……ありがとう……」


かすれた声で名を呼ぶと、胸の奥がほどけるように安堵が広がった。彼が応えてくれた。必ず戻ると誓った声は、幻じゃなかった。


そのすぐ傍らで別の声が響いた。


「ふふ…さすがユウね」


振り返ったリゼの目に、クラヴァルの姿が映った。


銀髪をなびかせ、爆炎の名残を見つめながら、口元に笑みを浮かべている。


その笑みは祝福のようでいて──どこか底知れぬ不穏さを帯びていた。


彼女は剣を強く握り直した。


砂塵の向こうに残されたのは、安堵と、不穏な気配の対照。


その狭間に立つ二人を包み込むように、砂漠の風が音を立てて吹き抜けていった。

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