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異世界配信サービス  作者: vincent_madder
第6章 越境者 / The Crossing
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第53話 衝動は若者の特権-2-

風呂から上がったばかりの熱が、まだ肌にまとわりついていた。


ユウは乱れた前髪をタオルで拭きながら、クラヴァルを先に部屋へ通した。


蛍光灯の白い光の下、机も棚も、見慣れたはずの空間。


けれどそこにいるのは異世界の少女――濡れた銀髪を背に流し、そして今はユウのスウェットを身にまとっている。


少し大きめのサイズが布地を余らせ、袖が手の甲まで覆っていた。


「……へえ、柔らかい。動きやすいし、あったかい」


クラヴァルは裾を軽く引っ張りながら感想を漏らす。ユウの普段着が、彼女の身体に触れているというだけで、妙に胸がざわついた。


落ち着きをなくしたユウは、思わず声を荒げる。


「さっきのことは忘れろ! ……絶対だぞ!」


クラヴァルは袖口で頬にかかった髪を拭い、ゆるやかに首を振った。


「忘れない。だってユウ、面白い顔してたもの」


「うるさいっ!」


ユウは顔を赤くして視線を逸らす。

胸の奥で、いまだに高鳴る鼓動を抑えられなかった。


クラヴァルは笑いを収めると、ふっと表情を引き締める。瞳に真剣な光を宿し、ユウをまっすぐに見つめていた。


クラヴァルはベッドの端に腰を下ろし、タオルで濡れた髪を押さえながら口を開いた。


「ユウ……少し、私の話をしてもいい?」


いつもの挑発めいた調子ではなかった。

ユウは黙って頷き、机の椅子を引き寄せる。


「小さい頃の私はね、どこにでもいる普通の子どもだったの」


クラヴァルの声は淡々としていた。


「父と母と三人で暮らして、毎日が平凡で……でも、それが幸せだった」


一瞬だけ、遠くを見るように瞳が揺れる。


「けど、国が戦に巻き込まれて……父は母を庇って死んだ」


短い言葉に、鋭い痛みが潜んでいた。

ユウの胸がひりつく。


「母も……疲れ果てて、病に倒れた。残されたのは、まだ幼い私だけ」


言いながら、クラヴァルはユウのスウェットの裾を握りしめる。布地にしわが寄るほど強く。


「それからは、生きるために冒険者になった。選んだんじゃない、生き延びるためにそうするしかなかったの」


ユウは言葉を失い、ただその横顔を見つめていた。


「冒険者になってからは、生き残ることばかり考えていた」


クラヴァルは膝の上で指を組み、淡々と語る。


「仲間はできても、長く続かない。戦場に出れば、次の日にはいなくなる。……背中を預けても、帰ってこないことの方が多かった」


ユウは黙って耳を傾けた。

彼女の声音には、諦めにも似た冷たさが混じっていた。


「そんな暮らしの中で──ずっと感じていたの。誰かに見られてるって」


クラヴァルの視線が宙をさまよう。


「剣を振っても、眠っても、食事をしていても……常に背中にまとわりつくような感覚」


「最初は鬱陶しくてたまらなかった。振り払いたくて、苛立って……」


言葉を切り、薄く笑う。


「でもね、あれがあったから私は折れなかった。誰もいない夜でも、どこかで“誰か”が見ている──そう思えただけで、孤独に沈まずにすんだ」


ユウの胸に強く響く言葉だった。

クラヴァルは自嘲気味に肩をすくめる。


「矛盾してるでしょう。うざったくて、でも救いでもあった。……そこからよ。僕が“私”になったのは」


静かに放たれた一言に、ユウは目を見開いた。

クラヴァルは視線を落とし、かすかに唇を噛む。


「視線に形を与えられて……気づいたら、自分を“私”って呼ぶようになってた。女として演じる方が、あの視線に応えられる気がしたから」


タオルで濡れた銀髪を押さえながら、彼女は小さく息を吐いた。


「演じるつもりだったのに…そのまま“女”になっていった。気づけば、そういう自分でしかいられなくなったの」


クラヴァルは膝の上で指を絡めたまま、少しの間黙っていた。やがて、その瞳をユウに向ける。


「ユウを初めて見つけたとき…ふっと思い出したの。小さい頃に母から聞かされた、古い話」


ユウは息を呑む。


「“別の世界に帰ってしまった人”の伝承。突如現れて、人々と交わり、そして……。まるで夢のような存在として語り継がれていた」


クラヴァルはゆっくりとスウェットの裾を握りしめる。


「母は言ってた。……“異界の人”と呼ぶのだって。そして私は、その血を引いているのだと」


「…この世界の…?」


ユウは思わず声に出す。クラヴァルは小さく頷いた。


「だから、ユウを見つけたとき、理解したの。私がずっと感じていた視線……あれは運命だったんだって」


その声音には迷いがなかった。


「私は選ばれてる。……そして、君を選ぶためにここに来た」


濡れた髪から落ちる雫が、彼女の頬を伝って落ちる。蛍光灯の下、その横顔はひどく真剣だった。


クラヴァルは立ち上がり、ユウの正面に歩み寄った。濡れた銀髪が肩口から滑り落ち、スウェットの胸元を濡らす。


「私は君を引き寄せたい……友達でも仲間でもなく、恋人として」


差し出された手は、ほんのわずかに震えていた。

それが演技ではないと、ユウにはわかった。


「い、いきなりそんな……」


ユウは身を引こうとしたが、視線を逸らせなかった。クラヴァルの瞳は、切実さと焦燥で潤んでいた。


「今だけでもいい。…ユウ、私を選んで」


静かな声だった。けれどその一言は、ユウの胸を強く打ち抜いた。喉が乾き、思考は警鐘を鳴らす。


(ダメだ。これは踏み込んじゃいけない……なのに……)


ユウの手が、ゆっくりとクラヴァルの手に重なる。瞬間、彼女は小さく息を呑み、体を預けるように抱き寄せてきた。



ベッドが軋む。打ちつける音が部屋を満たす。


交わる吐息。


互いの鼓動が触れ合い、熱を帯びて重なっていく。彼は後ろから覆い被さるように彼女の手首を押さえつける。


「痛いよユウ…でも嬉しい…」


お互いの指が絡む。

耳元で囁かれる声に、理性の糸がほどけていく。


「ユウッ!私セツゾクしてるッ!」


その夜、二人は境界を越えた。


誰にも許されないと知りながら、ただ互いを求め合うように。



互いの熱が徐々に鎮まり、部屋に残るのは重なった吐息だけだった。


ユウは天井を仰ぎ、まだ早鐘を打つ鼓動を抑えようとする。クラヴァルはその胸元に身を預け、細く息を吐いた。


「…ありがとう、ユウ」


次の瞬間、彼女の手の甲が淡く光を帯びる。


脈打つように明滅し、部屋の空気がわずかに震えた。クラヴァルは目を閉じ、苦笑を浮かべる。


「……あーあ。時間切れ」


ユウは身を起こし、その光を見つめる。


「……戻るのか」


「うん。これは合図。務めがあるから、行かないと」


クラヴァルは息を整えながらも、真剣な目でユウを見つめた。


「ユウも来る?」


ユウは首を振る。


「……無理やり連れていくんじゃないんだな」


クラヴァルは小さく笑った。


「そんなことしたら、君に嫌われるもの。……それじゃ意味がない」


わざと肩をすくめ、軽口を叩く。


「初めてなんだけど、これが“賢者タイム”? リゼと同じ土俵に立った気がして、ちょっとすっきりした」


「……何を調べたらその言葉を知るんだよ」



装備を着こなした彼女は[女神クラヴァル]に戻っていた。クラヴァルは唇の端を上げ、光に包まれながら囁いた。


「ユウが渡ってきたら感知できる。来ないなら、私が来る。それはリゼにはできないこと」


「……リゼに言ったり、配信でバラすなよ」


「ああ、その件ね。ユウには振られたことにするわ」


「やめろ、余計に炎上する」


「あはは! じゃあね!」


光が一層強まり、クラヴァルの姿を包み込む。

最後に、ほんの一瞬だけ名残惜しそうな瞳がユウを見た。


次の瞬間、残されたのはユウひとり。


まだ互いの熱の残るシーツに横たわりながら、彼は息を詰めて天井を見つめていた。

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