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異世界配信サービス  作者: vincent_madder
第6章 越境者 / The Crossing
51/88

第51話 キャパ越えの日

そこはユウの部屋。


蛍光灯の白い光が天井から降り注ぎ、勉強机やベッドをくっきりと浮かび上がらせていた。


机の上には、ノートとシャーペンが無造作に広げられ、教科書は開いたままページが折れている。半分読みかけの参考書、プリントの束。


どれも見慣れた、自分だけの日常の風景。


ベッドには脱ぎっぱなしにしたジャージが投げ出されている。窓際のカーテンは少し開き、夜の外気が入り込んで薄く揺れていた。


本来なら、何の変哲もない日常の一部。

それは、昨日までと何ひとつ変わらないはずの光景だった。


──だが。


そこに立つ存在が、その“いつも”を一瞬で異質に変えていた。


見間違いであってほしいと願った。だが目をこすっても、視界の中央にいる彼女の姿は消えない。


白銀の髪が蛍光灯の光をはね返し、きらめいている。肩から背中へ流れるたび、光の尾を引くように錯覚する。


衣服は異世界特有の硬質な素材感。縁取りに施された装飾が、こちらの世界には存在しない手仕事を物語っていた。


クラヴァル。


名前は、EWSを通して何度も耳にした。

配信越しにしか見たことのなかった、遠い世界の冒険者。その彼女が、いま目の前に立っている。


幻影ではない。


スマホの画面から零れ落ちたように、実体を伴って。


床に響く硬い靴音。空気を押し分ける気配。

わずかに甘い、異国めいた香り。


どれもが“現実”としてユウを圧迫していた。


喉が異様に乾き、呼吸がやけに大きく聞こえる。心臓の鼓動が部屋中に響きわたるのではないかと錯覚するほどだ。


「……うそだろ」


声にならない声が、口から漏れた。

夢か、悪夢か。そんな括りすら無意味な現実が、今ここにある。


クラヴァルは、ゆっくりと唇をほころばせた。


舞台の上で観客を魅了する女優のように、洗練された身のこなし。足音を一歩ずつ響かせながら、真っ直ぐにユウへ歩み寄る。


「はじめまして、ユウ。画面じゃない私、どう?」


柔らかな声音。甘い香りをまとい、耳の奥に直接触れるような響き。


その一方で、確かに“侵入者”の気配を孕んでいた。部屋の空気を勝手に塗り替えていくような、異質さと存在感。


ユウの思考は、瞬く間に渦に呑まれた。


リゼのこと。

魔素のこと。

EWSのこと。

そして、目の前のクラヴァル。


あまりにも多すぎる要素が、一斉に脳内で爆発していく。


クラヴァルの眼差しは、まっすぐユウを捕らえていた。虹彩の奥が淡く光を帯びているように見えて、視線を外そうとしても引き戻される。


「……どう、って……」


ユウは喉の奥が詰まるような声しか出せなかった。頭では状況を整理しようとしているのに、体は震えが止まらない。


クラヴァルは口元に笑みを浮かべたまま、机の上に置かれたノートへと視線を移す。


「これが、ユウの筆記道具? ……不思議。見たことのない文字ばかり」


指先がさらりとページをなぞる。

それだけで、見慣れたノートがまったく違うものに見えてしまう。


ユウは慌てて手を伸ばし、ノートを閉じた。


「勝手に触るなよ!」


声は上ずり、意図せず大きくなる。


クラヴァルは一歩引き、肩をすくめる。


「怖がらないで。私はただ、ユウのことを知りたいだけ」


その声音は甘く、柔らかい。だが侵入者の迫力は消えない。ユウは自分の胸の鼓動を聞きながら、机の端を握りしめた。


「なんで……お前がここにいるんだよ…」


「来たかったから」


答えはあまりにあっけなかった。


「ユウに、会いたかったから」


視線が絡む。あまりにも近すぎる現実。

ユウは混乱を振り払うように頭をかきむしった。


「……ああ、もうっ!」


そして、彼女を指さす。


「クラヴァル! この国じゃ──室内で土足は禁止なんだ!」


突飛すぎる叫び。

クラヴァルは目を丸くし、数秒間、言葉を失っていた。


「……足?」


「そうだ! 靴のまま部屋に上がるのはダメなんだよ!」


クラヴァルは唇をすぼめ、わずかに首を傾げた。


「……面倒な世界ね」


ユウは耐えきれず、彼女の手首をつかむ。

その瞬間、金属の手甲から伝わる冷たい感触が、彼女が“実体”であることを突きつけてきた。


「来い! 説明する!」


ドタドタと階段を駆け降りる。

クラヴァルは抵抗せず、ただ周囲を眺めていた。


「ふぅん……これがユウの家なのね。石でも木でもない壁……変わってる」


一階の玄関にたどり着くと、ユウはクラヴァルを正面に立たせた。


「ここだ。ここで靴を脱ぐんだ」


クラヴァルは目を瞬かせてから、ゆっくりと視線を床に落とす。


「ここで? …外で脱ぐんじゃないの?」


「そうだ。これがルールなんだよ」


ユウはやけくそ気味に言い切った。


クラヴァルは少し肩をすくめ、ブーツの留め具に手をかける。金属の留め具がカチリと外れ、革靴が床に落ちる音が響く。


彼女は裸足を床に下ろした。

冷えたフローリングに触れた瞬間、クラヴァルの肩がわずかに震える。


「…冷たい」


短い言葉。だがその直後、小さく笑みを浮かべる。


「でも…悪くない」


ユウは喉を鳴らし、言葉を返せなかった。


自分の知るどの同級生よりも現実感を持った“異世界の少女”が、裸足で自分の家の玄関に立っている。その事実が、ただただ異常だった。


その時だった。

ガチャリ、と玄関の扉が開く音。


「ただいまー」


母親の声が響いた。


ユウの顔が一瞬で蒼白に変わる。

クラヴァルは振り返り、無防備に立ったまま。


「……あら?」


買い物袋を両手に下げた母が、玄関に立つ二人を見て目を丸くする。


「ユウ、お友達?」


心臓が一瞬止まったように感じた。

状況は最悪だ。クラヴァルは裸足で、異世界の衣装をまとったまま。説明できる言葉など存在しない。


ユウは必死に笑顔を作り、クラヴァルの肩を押さえた。


「そ、そうだよ母さん! えっと……コスプレが趣味な子なんだ! 部屋にいるけど気にしないで!」


母は「あらまぁ」と軽く驚いた表情を見せたが、深く追及することもなく靴を脱ぎ、袋を提げたまま台所へ消えていった。


玄関には気まずい沈黙が落ちる。

ユウは額に汗を浮かべ、背中を伝う冷たい感覚に身震いする。


クラヴァルが唇を緩め、囁いた。


「ふふ……隠すの、大変そうね」


ユウは顔を赤くし、視線を逸らすしかなかった。

二人は廊下を抜け、再びユウの部屋へ戻った。


クラヴァルは裸足のまま床を踏みしめ、きょろきょろと辺りを見回す。


「……ここが、ユウの部屋。壁も天井も石じゃない。匂いも……知らないものばかり」


机の上に積まれた参考書や、棚に並んだ文庫本。

蛍光灯の明かりに照らされるそれらを、クラヴァルは一つひとつ物珍しそうに眺めている。


ユウはベッドの端に腰を下ろし、息を整えるように肩を上下させた。


「……はぁ……はぁ……。とにかく、いきなり来るなよ。心臓止まるかと思った」


クラヴァルは首を傾げ、ベッドの近くまで歩み寄る。


「でも、会いたかった。ユウに」


その一言で、ユウの胸の奥がさらに混乱した。


リゼのこと。EWSのこと。

どうしてクラヴァルがここに来たのか。

答えの出ない疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。


ユウは額を押さえ、思わず声を漏らした。


「……もういい! 考えてもわからない!」


そして、顔を上げる。


「とにかく敵じゃないんだろ? だったら……まずは友達から、でいいか?」


クラヴァルは一瞬、言葉を失ったように目を瞬かせた。そして、ほんの少し頬をふくらませ、視線をそらす。


「……むー。友達、ね」


短い言葉。そこに複雑な感情が隠されているのを、ユウは読み取る余裕もなかった。


「悪い。でも今の俺には、それ以上の言葉は出てこない」


ユウは手を差し出す。

クラヴァルは数秒ためらったのち、渋々とその手を取った。


「……変なの」


握られた掌は、小さく、それでいてしっかりとした熱を持っていた。


蛍光灯の下で交わされた短い握手。

世界をまたいだ初めての接触は、友達とも恋人とも言えないまま、ただ確かな“繋がり”として残った。

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