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異世界配信サービス  作者: vincent_madder
第5章 箱庭の花園 / Secret Garden
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第47話 帰還者との対面

暖簾をくぐった瞬間に感じたインスパイア系の匂いが、まだ鼻腔に残っていた。


ラーメン屋の奥、湯気の立つ厨房。鍋をかき回していた男が、ゆっくりと顔を上げる。その視線は鋭く、真正面からユウを射抜いた。


「…座ってくれ」


掠れた声に押されるように、ユウはカウンターの席へ腰を下ろす。

背筋が固くなり、思わず真宮の方を振り向いた。


「先生、この人は…?」


真宮は小さく頷き、低い声で説明を始める。


「“帰還者”。異世界から戻ってきた、唯一の人間です」


ユウは目を見開いた。喉がひどく乾く。そんな存在が、本当にいるのか。


「はじめまして。訳あって名乗れない。…店主とでも呼んでくれ」


男の声は低く、重かった。ただの自己紹介でさえ、空気を震わせるような圧を帯びている。ユウの胸は高鳴り、同時に疑問が渦を巻いた。


――自分と同じように、あの世界に行った人間がいる?


「…全部、話してくれないか」


店主の低い声に押され、ユウは息を詰めた。胸の奥に絡みついた記憶を、順番にほどくように言葉にしていく。


「最初は…ただの視聴者でした」


「でも声を上げた時、リゼが反応したんです。偶然じゃないってわかりました」


やがて互いの名を呼び合い、確かに繋がったと感じた。画面越しに交わしたやり取りは、ただの映像には思えなかった。


「…そして、あのクラヴァルの件で」


ユウは苦く口を結ぶ。紅い干渉が走り、狂気じみたクラヴァルが二人の世界を支配した。ユウとリゼは口論になり、感情のままに言葉をぶつけ合った。


「そのとき…俺、意識を失って。気づいたら、彼女に連れて行かれていたんです」


恐怖と混乱の渦の中、リゼが必死に伸ばした手。その温もりに包まれ、次に目を開いた時には彼女の宿、つまり異世界にいた。


「偶然なんです。彼女だって、どうしようもなかったはずです」


「…ほっとけなかったんでしょう。俺を異世界に…連れ帰ってくれた」


言葉を絞り出すユウの声は震えていた。

あの瞬間、リゼの瞳には確かに自分を守ろうとする光があった。


「…そして、彼女と気持ちを伝え合って。やっと、互いに“隣にいる”って思えたんです」


だがその後、白い光がすべてを飲み込み、現実に引き戻された。その理不尽さと喪失感が、まだ胸を締めつけている。


店主は黙ったまま腕を組み、ユウの言葉を受け止めていた。


「でも……突然、白い光に包まれて。気づいたら、こっちに戻ってきていました」


胸の奥を抉るような喪失感。リゼの涙と、残された温もりが今も手に残っている。


沈黙が落ちる。店主は腕を組み、目を細めて口を開いた。


「……ふむ。相場は決まっている」


指を三本立て、ひとつずつ折る。


「ひとつ、時間制限。ふたつ、システムのバグ。みっつ――第三者の介入だ」


淡々とした口調だが、その響きは鋭い。


「魔術や特技に“時間制限”なんて聞いたことがない。時間の概念そのものが向こうは存在しにくい。未成熟だ」


横で真宮が静かに補足した。


「EWSのシステムにも、配信ではなく、接続を自動的に遮断するようなプログラムは存在しません」


ユウの胸に冷たいものが落ちた。残された可能性はただひとつ。


「であれば、第三者の介入が濃厚だな」


店主の言葉が、心臓を針で刺すように響いた。

――誰かが、自分を無理やり引き戻した?

リゼと交わした誓いを、外部の手が断ち切ったのか。


ユウは拳を握り、吐き出せない言葉を奥歯の裏で噛み殺した。

店主は顎に手をやり、わずかに目を細めた。


「城野君。君は本当は、こっちに戻りたかったんじゃないのか?」


挑発的な声音だった。静かな厨房の中で、その言葉だけが重たく響く。


「――ッ!」


ユウは椅子の縁を握りしめた。胸の奥に熱がこみあげ、視界が滲む。


「違います!」


声が自然に大きくなる。


「俺は……リゼと一緒に生きていこうと、誓いました!」


言葉を吐き出すと同時に、リゼの姿が脳裏に浮かぶ。木造の小屋で並んで腰を下ろした日々。暖かな手のぬくもり。ためらいがちに触れた唇。


(……俺は彼女に伝えた。そして彼女も応えてくれた。もう、あれが偶然や気まぐれじゃないのはわかっている)


「……俺は戻りたいなんて、一度も思ってない」


「リゼと二人で……異世界で生きるって決めたんです!」


声は震えていた。だが、その震えは弱さではなく、揺るぎない意志の証だった。


店主はしばらく黙ってユウを見つめていた。やがて口角をわずかに上げ、低く笑った。


「ほう……」


その笑いには嘲りも軽蔑もなく、ただ興味の色だけが混じっていた。

真宮はそっとユウの肩に視線を置き、何も言わなかった。


店主は肘をつき、しばし沈黙を保った。

その沈黙に、ユウの鼓動だけがやけに大きく響く。


「……君」


不意に、鋭い視線が突き刺さった。ユウは反射的に息を呑む。


異世界(むこう)の女と――結ばれただろ?」


「――っ!」


椅子がわずかに軋むほど、ユウの背筋が跳ね上がった。頬に熱が走り、胸の奥を掻きむしられるような感覚。


「な、なにを……」


「お、おじさまっ!」


真宮が慌てて声を上げ、店主を咎める。

その響きは普段の教師のそれではなく、年下の少女が年長者をたしなめる声音だった。


「……ははは」


店主は喉の奥で笑った。


「向こうの女はな、“本命と結ばれる”ときに決まって口にする言葉があるんだよ」


ユウの胸に、あのときのリゼの声が鮮明に蘇る。


「魔術があるの……避けるためのものと、赤ちゃんができやすくなるもの……どっちがいい?」


唇を震わせたあの瞬間。彼女が確かに口にした言葉。


「もっとも、実際にはそんな魔術は存在しない。ただの慣用句だ」


店主は肩を竦めるように言った。


「俺だって知ったのは……結婚してからだ」


空気が一瞬、妙に軽くなる。しかしユウの顔はますます赤く、俯いた視界が揺れていた。心臓の鼓動は耳鳴りのようにうるさい。


真宮は視線を逸らし、唇を引き結んでいる。

店主の冗談めいた口ぶりが、かえって場をかき乱していた。


「……ッ」


ユウは言葉を返せなかった。ただ胸の奥で、あの温もりを繰り返し確かめていた。


「……おじさま、そういう言い方はやめてください」


真宮が低い声でたしなめる。さっきまで冷静だった彼女の顔に、珍しく幼さが滲んでいた。ユウは目を瞬かせる。――“おじさま”?


店主は鼻で笑った。


「懐かしい呼び名だな。学生の頃以来か……ずいぶん立派になったもんだ」


「昔の話は今は必要ありません」


真宮は眼鏡の奥で瞳を細め、話を切り替えようとした。


「今は城野君のことです。どうすれば、彼がこれから進む道を見つけられるのか――そのアドバイスをお願いします」


ユウは背筋を伸ばした。ここで語られることは、自分のこれからを決める。

そんな予感が胸を締め付ける。


店主はしばし無言でユウを見つめ、やがて深く息を吐いた。


「簡単な話だよ。こちらの世界には“魔素”が存在しない」


彼の言葉は鋭く、それでいて重い。


「だが、君は何の因果か魔術を扱った。扱えた、というべきか。――ただし、それは理解してのことじゃない」


ユウは思わず拳を握る。あの瞬間の感覚を思い出す。リゼを救いたいと願った時、確かにありえないことが起きた。


でもそれがどう動いて、なぜ発動したのか――説明できない。


「自転車に、君はもう乗れるようになった。だが、交通ルールを知らない。信号も標識もわからないまま、ただ必死にペダルを踏んでいる」


比喩は痛烈だった。けれどその比喩が、妙に胸の奥に染み込んだ。確かに自分は、ただ感情に任せて走り出しただけだ。


「理解しないまま力を使えば、いずれ転ぶ。転ぶだけならまだいい。誰かを巻き込んで、取り返しのつかない事故になることだってある」


ユウの喉が鳴る。その言葉の裏には、リゼの顔が浮かんでいた。自分の無知が、彼女を傷つける。――そんな未来だけは絶対に許せない。


「……俺は……」


唇から漏れた声はかすれていた。

だが視線は逸らさなかった。

店主は短く笑う。


「その目だ。その目があれば、まだ救いはある」


真宮は隣で静かに頷き、何も言わなかった。

ただその眼差しが、ユウの背を押しているのを感じた。


ユウは胸の奥に、重く鋭い言葉を刻み込んだ。

理解しなければならない。走るだけの子どもではなく、世界を知って力を選び取れる存在にならなければならない。


リゼと共に生きるために――。

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