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異世界配信サービス -その一声で始まった。恋と戦い、そして世界を壊す物語-  作者: vincent_madder
第3章 光と影の女たち / Goddess in the Doorway

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第27話 さがしもの-2-

夜の街を歩く真宮カオリの足は、迷うことなく一軒の店に向かっていた。


古びた暖簾が、湿った風に揺れている。看板の墨文字は薄れ、灯りもどこか煤けて見えたが、彼女にとっては慣れ親しんだ目印だった。


暖簾をくぐると、耳をつんざくジャーマンメタルが響き渡る。


客は他にいない。カウンターの隅に腰を下ろした瞬間、厨房に立つ男がちらりとこちらを見やり、無言でアンプのボリュームを絞った。


爆音は低く唸るバスドラに変わり、代わりに寸胴の湯が煮立つ音が際立つ。


「……また“出前”か?」


店主が、ぶっきらぼうに言った。

真宮は唇をかすかに吊り上げ、食券を差し出す。


「ええ、今度はもっと大きい器で」


一拍の沈黙。

男はそれ以上何も言わず、手際よく鍋を扱いながら、寸胴の蓋を開けて湯気を逃がした。


その背を見つめる真宮の胸の内は、穏やかとは程遠い。ラーメンの湯気に混ざって漂うのは、これから語られる話の重さを予感させる空気だった。


湯気をまとった丼がカウンターに置かれる。

チャーシューの上に野菜が山盛り、煮玉子が沈み、スープの脂が照明を反射している。


けれど真宮は箸を取らず、ただ視線を上げた。


「…私が知らない情報にヒントがあると思うの。教えてくれる?」


その問いに、店主はレンゲを添える手を止める。

重たい沈黙が落ち、やがて男はゆっくりと腰を下ろした。


厨房の奥からはまだジャーマンメタルが流れていたが、不思議と今は音が遠い。


「俺はな…時空の歪みに呑まれて、“向こう”に飛ばされた」


低く抑えた声が、静かに響く。

真宮は瞬きをひとつし、言葉を飲み込んだ。


「帰りたいと思わない日はなかった。向こうの世界に馴染んでも、仲間ができても、家庭を築いても…そこで“特技”を発現させた」


「魔素を操る…まあ、簡単に言うと異世界を適応させる力だ」


「年月をかけ、やっと現代に戻ってきた」


レンゲをどんぶりに沈め、彼は続ける。


「戻った俺を拾ったのが研究機関だ」


「やつらは異世界の存在を信じていてな。俺が体験したことを証明できるならと、協力を求めてきた。俺も悪い気はしなかった」


「…“忘れ形見”を探すことが、俺の目的だったからな」


「忘れ形見……?」


「俺の娘が向こうで暮らし、夫を持った」


「だが紛争で二人は死んだ」


「残された子…つまり、俺の孫がどこかで生きているはずだ」


短い吐息が混じる。

真宮はその言葉を、しばし咀嚼するように反芻した。


「…孫、ですって?」


「ああ。男の子だと聞いている」


一瞬、真宮の胸がざわついた。

息を整えるために視線をラーメンに落とすが、湯気が目にしみるだけだった。


店主は続けた。


「俺は一度、異世界に戻った。だが“脅威”が現れて撤退を余儀なくされた」


「娘夫婦はすでに死んでいて、孫の行方はつかめなかった。…それでも探すしかない」


「俺に残された理由はそれしかないからだ」


「そのために、EWSを?」


「ああ」


「観測の術式を組み、こちら側から異世界を覗き見るシステムを作った。俺の血筋を探し出すためにな」


スープの表面が、静かに揺れる。

真宮は唇を噛みしめた。


「研究機関は俺の話を信じた。いや、信じるしかなかったんだろう」


「証拠も痕跡も持ち帰ってきたからな。彼らの狙いは“技術”。俺の狙いは“孫”」


「利害は一致した」


店主の声は低く、けれど火を落としたスープの底から立ちのぼる湯気のように、どこか熱を含んでいた。


「そうして作られたのが──EWSだ」


「世界を跨いで観測する装置。だが観測は“中立”じゃなきゃならない。干渉は本来、御法度だ。…俺は諦めきれていない」


真宮は、胸の奥で小さなざわめきを覚えていた。

この男が語る目的──それは、あまりに“個人的”だ。だが同時に、あまりに“切実”でもあった。


「孫は…男の子、なんですね」


確認するような真宮の声に、店主は短くうなずく。


「そうだ。人づてだが、そう聞いた。…だが行方は知れないままだ」


一瞬、真宮の目が揺れる。

まるでそこに、答えを置かれたように。


ラーメンの丼を前にしながら、真宮は思考を止められなかった。頭の奥で、ある仮説が疼く。


──城野ユウ。

彼が“接続者”である可能性。

彼が、帰還者の“忘れ形見”に繋がっている可能性。


「…もしや…」


思わず零れた言葉を、彼女自身が慌てて呑み込む。


店主が顔を上げる。


「何か言ったか?」


「いえ……ただの仮説です」


真宮は視線を逸らす。

その胸の奥では、脅威についての自らの仮説がせめぎ合っていた。


──“脅威”とは、二つの世界を繋げないための修正力。もしそうならば、彼はもしかして──。


心臓が強く脈打つ。

答えを出せないまま、彼女は箸を取った。

冷めかけたスープを一口すする。


味は絶品なのに、喉を通るときは苦くて重かった。



沈黙のまま器を空にした真宮は、レンゲをそっと置いた。残ったのはわずかなスープの膜と、絡みつくような思考だけ。


店主はカウンターを拭きながら、ぽつりと口を開いた。


「…忘れ形見を見つけても、もう“昔のまま”じゃないだろうな」


真宮は眉をひそめる。


「それでも、探すんですか?」


「当たり前だ」


短い返答に、言葉以上の重みがあった。

それは執念であり、願いであり、罪の告白にも似ていた。


真宮はゆっくりと立ち上がり、会計を済ませる。

扉に手をかけたその背を、店主の低い声が追った。


「…もし見つけたら、知らせてくれ」


足が止まる。

振り返った真宮の表情は、灯りに半分だけ照らされ、残りは影に沈んでいた。


「…分かりました」


暖簾を押し分けて外に出ると、夜風が頬を撫でる。けれど彼女の胸中は冷えきったままだった。


──城野君。


「あなたなの?」


沈黙の問いを抱えたまま、真宮は闇に溶けていった。

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