第23話 見えない世界
通学中の電車内。
向かいの座席に座った学生が、スマホの画面を友達に向けて見せていた。
そこに映っていたのは──巨大な剣が脅威を貫いた瞬間。爆風、揺れる視界。歓声のようなコメント欄。
「うわナズやっば!」
「ロア、マジ鬼すぎ…!これ神回すぎるっしょ!」
興奮を抑えきれない声が耳に入ってくる。
教室でも同じような盛り上がりが続いていた。
「こっちの切り抜き見た!?あの巻き込まれてた子って誰?」
「そんなのいたっけ?映ってなくね?ロア様しか記憶にないわー」
ユウは黙って席に座りながら隣の席のスマホ画面にだけ視線を落とした。再生されているのは、まさに“あのとき”の映像だった。
でも、見えていたものが違う気がする。
──熱いのは分かる。でも、違う。
盛り上がる周囲とは裏腹にユウの鼓動は妙に落ち着いていた。あの夜、自分が見た戦いには、もっと“別のもの”があった気がするのに。
「……見てないわけじゃない。でも、それは俺が見た戦いじゃなかった」
誰に向けたわけでもない心の中でのつぶやきだった。
♢
放課後。
人通りの多い駅前のカフェ。その隅のカウンター席でユウはスマホの画面を見つめていた。
イヤホン越しに流れてくるのは騒々しい戦場の音──それでも目当ては、そこに映っているかもしれない“誰か”だった。
──いた。
粉塵の向こう、数秒だけ映った。
瓦礫の上に倒れている少女。肩を貸されながら運ばれていく。映像はすぐに切り替わり、視点はナズやロアにフォーカスされていく。
コメント欄がざわついた。
「後ろで倒れてんの誰だよw」
「背景モブやば(笑)」
「このあとロアぶちギレだろ、草」
ユウは無言で眉をひそめ画面を一時停止させた。
確かにそこに映っていた。あの、包帯を巻いた腕──彼女は、そこにいた。
画面を見つめながら、拳がゆっくりと握られていく。
「……モブって言ったな」
呟いた声は、小さいが確かだった。
喉の奥に残っていた怒りがようやく輪郭を持ちはじめる。
「……あの子が、最初に戦ったのに」
画面の中では誰もその姿に触れない。
彼女がいたことは、ただ背景の一部として流れていっただけだった。
「……あれを見て、何も思わないのかよ」
手の中のスマホから戦場の映像がまた動き出す。
ユウは画面をスクロールし続けていた。
切り抜き動画、まとめ動画、考察配信──どれも同じ構成だった。
“あの日、街を襲った正体不明の巨大生物”。
“絶体絶命の危機”。
“そこに現れた最強の冒険者、ナズ・ガレヴァルド”。
“それに続くロアとハナラの奮戦”。
そして──“撃退、勝利”。
ユウは小さく舌打ちする。
──そこにリゼはいなかった。
いや、正確には“映って”はいた。後方で誰かを支えながら移動している姿、地面に伏せたまま血を流している映像、ロアに抱えられるカット。
でも“彼女が戦っていたこと”は、どの動画にも、どの記事にも書かれていなかった。
“最初に刃を抜いたのは誰だったか”。
“あの門を守ろうと最初に走ったのは誰だったか”。
検索欄に名前を打ち込んでも、ヒットしない。
チャンネル名も見当たらない。配信履歴にも出てこない。まるで、「最初から存在しなかった」ような空白。
「……そういうことかよ」
誰に言うでもなくぽつりと声が漏れる。
その声が思っていたより少しだけ震えていた。
♢
夜。
ユウはスマホを伏せたまま、机に頬をつけていた。
画面はすでに暗く通知の音も途絶えて久しい。動画も、記事も、まとめも──どれだけ探してもリゼが“戦っていた”証拠は出てこなかった。
映っていても、誰も名前を言わない。ただの背景、ただのモブ。けれどユウの中には、あの日、あの瞬間の彼女が確かにいた。
「……会いたいな」
ひとりごとのように呟く。
思っていたより、あっけなく口からこぼれた。
部屋は静かだった。時計の針がまわる音もカーテンが揺れる気配もない。
でも空気の密度がほんの少し変わった気がした。
ふと視線の先──何もない空間の一点がぼやけていた。そこだけ空気の層がずれたように輪郭がゆらいでいる。
目を凝らす間もなく、“それ”は浮かび上がった。
──フレーム。
光はない。音もない。
けれど確かにそこに“画面のようなもの”が存在していた。そこに映っていたのは──
石造りの壁、ランプの明かり。
そして宿のベッドで眠るリゼだった。
包帯の巻かれた腕。胸の上下。
静かな寝息。
「…ッ…リゼ」
ユウは思わず名前を呼んだ。
届くはずがないのにそうせずにはいられなかった。
その瞬間、ベッドに横たわるリゼの指が、かすかに動いた……気がした。
ユウがもう一度名前を呼ぼうとしたとき──フレームは、ふっと消えた。
まるで最初からそこに存在しなかったかのように。部屋は元の静けさに戻っていた。
ただユウの胸の中だけが何かを見つけた熱でざわついていた。ユウはしばらく、その場から動けなかった。
あのフレームはもうどこにもない。
スマホの画面も、履歴も、通知も、何ひとつ変わっていなかった。“なにかが起きた”証拠は、どこにも残っていなかった。でも──
「……夢じゃない」
小さくけれどしっかりと口にする。
あの瞬間、たしかに自分の目は見ていた。
リゼが眠っていた。あの指が、動いた。
「……だったら、また必ず起きる」
根拠なんてない。証明もできない。
それでもユウは信じていた。自分の中にあの光景が焼きついている限りもう一度、あの“接続”が訪れると。
信じることしかできない自分をこの夜だけは──少しだけ肯定してもいいと思えた。




