第21話 治癒とは怒りだッ!
──空が、裂けた。
黒雲を割って鉄塔のような大剣が突き立った。
脅威の背に。大地を穿つ質量。空気すら震える衝撃。
それは“降ってきた”のではない。叩き落とされたのだ。警告もなく。まるで天からの制裁のように──垂直に。
瞬間、地鳴りと衝撃が街を揺るがす。
刃は脅威の背に突き立ち、その巨体を前のめりに沈めさせる。舗道が裂け、石畳が噴き上がるように砕けた。声とともに、爆風が走る。
男の名は、ナズ・ガレヴァルド。
「遅くなったぜ、クソヤロウ!」
フードをはためかせながら歩いてくる少女、ハナラ・ミィク=トア。瓦礫の上で淡々とつぶやく。
「ナズの最大化に、No.66を付与」
「自重と因子崩壊の重ね合わせだ。貫けないわけがない」
その言葉どおり脅威の外殻は砕けた。
金属のように硬い外殻がまるで紙のようにひしゃげる。ナズは崩れた瓦礫の上、剣を見上げもせずに前を向いた。
周囲で見ていた冒険者たちがどよめき、歓声を上げた。
「ジャスクが来た!」
「間に合った、助かったぞ!」
戦場が希望の色を取り戻していく。
脅威の背には刃が深く突き刺さり、巨体を沈黙させていた。
ただ、それでも完全には倒れていない。
♢
脅威の動きは鈍ったまま──だが確実に息はある。巨大な腕が、まだ“何か”を握りしめていた。
「いた…!」
ナズが走る。
瓦礫を飛び越え、抉れた地面を蹴って、脅威の前腕に向かう。その拳の中にぐったりとした小柄な影──リゼが捕らわれていた。
ナズは腰からもう一振りの剣を引き抜く。一気に接近。巨腕の関節を見極め、一閃。
──肉を裂く音。
血ではない黒い霧のような体液が噴き出す。
リゼの身体が空中に解き放たれる。
だがそのまま落下する──
「間に合えよ…ッ!」
ナズが右腕で抱きとめる。
力を入れすぎないようそっと、だが確実に。
少女の体は熱を持ち、呼吸も浅い。
「ロアァ!!」
ナズの叫びが戦場に響いた。リゼを後方に運びながら、戦局を見据える。
呼ばれたロア・セフィ=ノルトは、僅かに表情を引き締めた。
「四の五の言ってられない。ホーリーグローリー、効果範囲は街全域で使用」
「あとは任せる」
そう言い放つと、ロアの手から複数の魔術陣が展開され、宙に幾重もの光輪が浮かび始める。ナズがそれを見て、剣を捨て拳を握り直す。
「治癒の効果を最大化する!」
「ハナラ、足止めを!」
「りょーかい、ナズくん」
ハナラが軽く指を鳴らした。飄々とした声に反して、瞳は鋭く輝いている。彼女が指を掲げながら氷のような声を発する。
「──そこのオマエ」
「なにしてくれてんのかわかってる?喰らえNo.30!」
詠唱とともに走る青い閃光。脅威の脚部に絡みつくような束縛が生じ、動きを止める。
ジャスクの連携が、ここに成立した。
♢
スマホの画面に、眩い光が広がった。
治癒。
その名をユウは知らない。ただ映像越しに見えるリゼの肌が、髪が、血の気を取り戻していくのがはっきりと分かった。
リゼの目が、微かに開く。まだ意識は戻らない。それでも生きていると──そう画面越しに告げてくるようだった。
ユウの指が知らずスマホの縁を強く握っていた。
「…助けてくれてる…」
ナズ。ハナラ。ロア。
彼らの名も、顔も、性格もユウは知らない。リゼのそばにいる者たちが、今まさに命を懸けてあの子を、街を守ってくれている。
ただの視聴者だった自分の胸に、熱い感情が溢れる。
「…ありがとう。ジャスク」
♢
眩い光が街全域に降り注ぎ、負傷した人たちが次々と起き上がる中──
ロアは治癒の光に包まれながら、ただひとり祈りを捧げていた。
「リゼも、皆もあとは大丈夫。さて──」
ロアが振り返る。
その瞳に、真っ赤な殺意が宿っていた。
怒りの感情が、全身から吹き出す。治癒の女神が、その姿を忘れた瞬間。
「てめええええええッ!!」
叫びと同時にロアが脅威に向かって突進する。
一撃。
拳が唸りを上げ、異形の巨体が宙に浮いた。
ナズが動揺し、叫ぶ。
「やっぱりだ!特技使い切ったな!?」
「ハナラ、防護結界!街が壊れちまう!」
「了解〜。No.73展開」
結界が張られるのとほぼ同時。
ロアは叫びながら、異形を殴る、蹴る、踏みつける。これは魔術ではない。ただ剥き出しの暴力で叩き潰す。
「治癒とは浄化!治癒とは滅!治癒とは救世!治癒とは粛清!──治癒とはッ……怒りだあああああああああッ!!」
叫びとともに、最後の一撃。
脅威は断末魔もなく、粉砕され、煙の中に消えた。
耳をつんざく咆哮も、鉄と血が交じる音も、すべてが途絶えた。
♢
静寂が街を覆う。
まだ燃え残る空気の中、倒れていた人たちがひとり、またひとりと立ち上がる。
傷は癒えていた。ロアの魔術が、確かに街全体を包んでいたのだ。
「…助かった…のか?」
「ジャスクが…来てくれたんだ…!」
歓喜の声がゆっくりと広がっていく。
泣き崩れる者、拳を握る者──それぞれが、生きていることを確かめ合うように。
その一部始終を、ひとりの少年が“こちら側”から見つめていた。
ユウの瞳に映るのは、フレーム越しの異世界。だが今、その映像は──まるで心臓の鼓動のように、生きていた。
スマホ越しではない。
そこに“誰か”が、確かに存在していた。
「…生きてて、よかった」
呟きはかすれ、喉の奥で震えながら、ようやく言葉になった。
ユウはただ画面に手を伸ばす。
リゼの姿が小さく、でもはっきりと映っていた。




