第20話 交差-2-
学校から出て家に戻る最中も胸の動悸は収まらない。むしろよく帰ろうと思ったものだ。
ユウは焦っている自分と冷静な自分が目まぐるしく変わる脳内に振り回されていた。
EWSアプリを開き、リゼのチャンネルを確認する──が、そこに表示されるのは冷たい一文だった。
──現在配信はありません──
それだけ。再読み込みしても何度タップしても変わらない。ユウは無言で画面を閉じ、今度は他のチャンネルを次々と巡りはじめる。
──喧騒。煙。逃げ惑う人々。
ある配信では、街の広場が騒然としていた。別の配信では門のほうから立ち昇る煙と、警鐘の音。胸がざわついた。
その音が耳に入ったからではない。
まるで“フレーム越し”に、魂の奥に刻まれたように──あの日と、まったく同じ咆哮だった。
リゼと初めて“接続”したあの日と。
“何か”が現れた、あのときと同じ感覚が身体の奥で警告のように鳴っている。
──また、だ。
自宅に戻りユウはゆっくりとスマホを机に置いた。目を閉じると視界の裏に浮かぶのは、あの屋上でのリゼの姿。風に揺れる髪と、言葉の余韻。
「……俺は、何もできないのか」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど乾いていた。
時間が止まったようだった。周囲の物音は何ひとつ変わらないのに、自分だけが別の場所に取り残されたような感覚。
指先が、再びスマホを握りしめる。
もう一度──
もう一度、声を届けられないかと願うように。
♢
街に、鐘の音が響き渡った。
それはいつもと違う──祭りでも、時報でもない。重く焦燥を煽るような警報だった。
屋上にいたリゼはその音に反応するより早く動いていた。鞘ごと腰に回していた剣を握りしめ、外階段を駆け下りる。
まだ踏みしめるたびに痛む脚を意識でねじ伏せる。
「──また、来たの?」
呟いた言葉は風にかき消え、街の喧騒に紛れた。
リゼが広場に出るとそこはすでに異様な空気に包まれていた。
子どもを抱えた母親が走り去り、荷車が急いで道を曲がる。雑貨屋の扉が乱暴に閉められ鍛冶屋の炉を消そうと躍起になっている。金属音だけが耳に残る。
以前の戦いの記憶が、脳裏をかすめる。
張り詰めた空気ひび割れるような咆哮──あの感覚がまた戻ってきたのだ。
けれど今回は逃げない。痛みはまだ残っている。
けれど、剣は握れる。立てる。動ける。
♢
街の西側から黒煙が上がっていた。
視線を向けるとそこに集まりつつある自警団や、数人の冒険者の姿があった。誰もが武器を抜き、表情を固めている。
リゼは息を整え、そっと剣を引き抜いた。
鋼の音が空気を裂く。集まる視線を彼女は一身に受け止めた。
「……あれを、街に入れるわけには……いかない!」
そう言って踏み出すリゼの背には躊躇がなかった。迷いを捨てた瞳が、煙の向こうを見据えていた。
門の向こうから、地鳴りのような振動が這い寄ってくる。リゼは西門前に着くなり、黒煙に包まれた門を見上げた。
その周囲には自警団の兵や街の冒険者たちが散開していた。彼らの視線もまた煙の奥へと注がれている。
「くるぞ……」
誰かがつぶやくと直後、門が軋む音が響いた。
骨を砕くような轟音とともに門が弾け飛ぶ。
黒煙の中から、何かが姿を現す。
リゼは息をのんだ。
♢
それは──かつて彼女を追い詰めた“それ”よりも、遥かに大きな影だった。
腕が建物の柱のように太い。鈍く光る双眸が、濃霧の中から街を睨んでいる。
「…この前よりも…!」
鼓動がひときわ強くなる。だが脚は動いていた。
「魔物だ!避難を──!」
誰かの叫びが響き周囲の人々が一斉に動き出す。
市民を後退させようとする兵士の怒号、剣を構える冒険者の気合。
混ざりあう音が戦場をつくっていく。
リゼは一歩前に出た。
剣を構えたその手には震えはない。
あのときの敗北を乗り越えにきたのだ。
「応援は、きっと来る……」
小さく呟くように、そして自分に言い聞かせるように言った。
「──だから今は──」
風が彼女の髪を揺らし煙が通りを這う。
その奥で影が動く。
「時間を稼ぐ。私が……やる。今度こそ!」
叫ぶと同時にリゼは踏み出した。
剣先はぶれず、焦点はただひとつ、“それ”の心臓めがけて。
戦いの幕がふたたび上がろうとしていた。
♢
ユウは自室に戻るなりベッドの縁に腰を下ろし、スマホ見つめる。画面には薄暗いホームUI。アプリの通知はない。
それでも彼は画面越しに名を呼んだ。
「…リゼ」
返事はなかった。だが次の瞬間。
突如EWSアプリが自動的に起動した。
ノイズのような砂嵐の後に映ったのは、瓦礫の散乱した通りだった。
「…これって…」
無意識のうちに呟き、ユウは身を乗り出す。
映像は、火の手があがる建物、崩れた石壁、粉塵が舞う街路。あちこちに人が倒れ、すすで汚れた服や剣が散乱していた。
廃墟だった。けれどそれは“今”まさに壊されつつある都市の断面だった。
「リゼ!?…聞こえてるか!?リゼ!」
呼びかけは反響もなく画面に吸い込まれる。
遠くから子どもの泣き声が聞こえた。
誰かが名を叫ぶ。だが映像は荒れ、音も途切れ途切れにしか届かない。
映像は、誰かの視点で街を走っているように切り替わっていく。瓦礫を避け、炎を横目に、狭い路地を抜け、開けた広場へと進んでいく。
カメラを操作している“誰か”の焦燥が、画角越しに伝わってくる。
ユウは喉が乾いていた。
何かが、何かが壊れていく。頭の奥がズキリと痛む。それでもスマホから目が離せなかった。
「リゼ…どこだ!どこにいるんだ…!」
小さな声は祈りを絞り出していた。
画面が揺れていた。震えているのはスマホではない。自分の手だと彼は気付かなかった。
◇
映像の中、視点が空を仰ぐ。
灰と煤に包まれた空が今にも降り落ちてきそうなほど重くのしかかっている。
炎に染まる空気の中、視界の端に黒い影が差した。
それは、あまりにも巨大だった。
人間ではない。
獣でもない。
禍々しい何かが、ゆっくりと姿をあらわす。皮膚のような、岩のような、腐肉のような質感。動くたびに関節が逆向きにねじれ、煙の尾を引く。
異形の右手が、胸元で“何か”を握っていた。
――リゼ。
ユウは息を呑むことすら忘れた。
髪は血と土にまみれ、装束は破れ、腕は垂れ下がったまま動かない。その体はまるで、ただの人形のように無抵抗に握られていた。
「…っが…あぁっ!…」
声──にならない声が、喉の奥で引っかかる。
息が詰まる。視界がボヤける。
肺の奥から喉元へ焼けるような熱が突き上げてきた。
「…や…めろ…返せよ!…返せよ…リゼを…っ…!」
握るスマホの角が、手のひらに食い込んでいた。
それでも離せなかった。目を逸らすこともできなかった。
リゼが高く掲げられる。
体がぶら下がり、カクンと首が傾いたその姿に、ユウの心臓が強く跳ね、次の瞬間にはどくんと音を立てて何かが崩れた。
「うあああああああああああ!!」
叫び声が、部屋を貫いた。
嗚咽が喉を突き上げ、胸を引き裂いた。
涙と唾液が一緒になってこぼれ落ち、体中が痙攣のように震え始める。
スマホが滑り落ち、床に転がった。だが映像は止まらない。画面の中で燃える街。煙と灰。崩れた建物と、動かない人々。
「だめだ…助けられない…俺、なにも…!」
膝を抱えてうずくまり、ユウは肩を震わせながら泣いた。止められなかった。声も、想いも、何も届かなかった。
この手の中には、何もなかった。
それでも映像は続いていた。
世界の終わりを、静かに見せつけるように。
♢
ユウの嗚咽が室内を満たす。
もはや声にもならない呻きのなかで、ただ震える指が転がったスマホの画面に触れた。
その瞬間、画面が──揺れた。
轟音。
地鳴りのようなそれが、映像の奥から押し寄せる。空が割れたような爆裂音。
カメラの視界が一瞬、白く焼かれた。
次の瞬間、“それ”は落ちてきた。
天を裂くような巨大な剣が、上空から──いや、“遥か上の層”から、雷光をまとって一直線に降下してきた。
鉄塔を遥かに超えるその剣身は、まるでこの世界そのものを貫く意志の塊だった。
脅威の背に、その影が突き刺さる。
爆ぜる閃光。吹き飛ぶ煙と肉片。
空気が震え、画面のマイクが悲鳴のようなノイズを吐き出す。
ユウは目を見開いた。
涙の滲む視界の中に、崩れた建物の上に立つ“誰か”の影が浮かび上がる。
それは──男だった。
全身を覆う漆黒の装甲。
背後には、まだかすかに魔術の残光が縦に伸びていた。
「……な……に……?」
ユウが言葉を失うなかノイズ混じりの映像が、その男の顔をとらえる。風に髪をなびかせ煙の中からゆっくりとこちらに視線を向けた。
その口が、確かに動いた。
「──遅くなったぜ、クソヤロウ!」
この人は、リゼの言っていた、ナズ、なのか。
ユウの喉がまた詰まる。だがそれはさっきまでの絶望とは違う。張り詰めた涙腺の奥が別の熱で震えている。
息を呑む。
胸の奥が震えた。
スマホの画面の中、まだ戦いは終わっていない。




