第2話 声は届くのか?
ユウは翌朝も、昨日の出来事を引きずっていた。
配信で自分の声が、あの少女に届いたように思えた——いや、確かに反応していた。それは錯覚だったのか、それとも。
登校中の電車内。
イヤフォン越しにいつものようにEWSアプリを開くが、リゼのチャンネルは次の配信予定時間まで非公開になっていた。
昨夜のあの瞬間以降、ユウはアーカイブを繰り返し確認した。
「……止まってたよな?動きが一瞬だけ」
声に出しても仕方ないと分かっていながら、小さく呟いていた。確かに“止まった”のだ。あの一歩を、踏み出さず、に。
教室に入っても、ユウの足取りは重かった。
カバンを机に置く音さえ、自分には遠く聞こえる。いつもなら朝の雑談やスマホの画面を囲んで盛り上がるクラスメイトたちの声も、今日はどこかくぐもって感じられた。
ノートを広げるでもなく、ただ机に突っ伏すように座っていたユウを、斜め前の席から春川がちらりと見た。
「おい、寝不足か?」
からかうような調子ではなく、妙に真面目な声色だった。
ユウが曖昧に肩をすくめると、春川は椅子の背にもたれながら、ぽつりと続けた。
「お前、またEWSか?」
「……まぁ」
「うちの妹がさ、最近『セレナの配信、テンポよくて好き』って毎日観てるんだよ。コメントも送ってんだけど、全然反応なくてさ」
「……そりゃ、向こうに届かない仕様だからな」
「でもさ、昨日言ってたんだよ。『なんか動きとコメントのタイミングが微妙に合わない気がする』って」
ユウが眉をひそめると、春川は肩をすくめて続けた。
「で、調べたら配信にディレイあるらしいじゃん」
「ディレイ?」
「うん。リアルタイムじゃなくて、数十秒とか場合によっては数分遅れてるんだってさ」
「倫理的にやばい映像とか、プライベートすぎる瞬間とかをカットできるように、システム側で一回フィルター通してるらしい」
ユウは一瞬、息を止めた。
ディレイ。
あの瞬間、彼が叫んだその“後”にリゼが反応したのだと思っていた。
だが——もし、その反応が“リアルタイム”ならば。
——声は、届いていない。
頭が、ぐらりと揺れるような錯覚に囚われた。
それは確かに、彼の“声”が、建前を越えて“干渉”した証ではなかったのか。
♢
夜。再びリゼの配信が始まる。
ユウは布団の上、身じろぎもせず画面を見つめていた。
リゼは森を歩いていた。苔むした木の根を慎重に避けながら、足元に注意を払い、一歩一歩を丁寧に進めていた。
彼女の呼吸は落ち着いていて、どこか緊張感に欠ける。しかし、それは初心者ゆえの鈍感さではなく、この静けさに慣れているかのような余裕に見えた。
腰に下げた短剣に時折手を添え、獣の気配を探るように周囲に視線を走らせる。
画面越しでもわかるほど、その表情は引き締まり、しかし怯えてはいなかった。
視界の隅にちらちらと動く小動物の影。何かを察知しているのか、彼女は立ち止まり、耳を澄ませる。
「……風の音、変わった?」
つぶやきがマイクに拾われるほどには大きく、しかし誰かに向けたものではない。
その瞬間、彼女は小さな実のなる木を見つけ、ポーチに収めた。探索中に得た素材だろう。
そんな風に、地味だが丁寧な行動が続いていく中、ユウの視線は、少女の仕草一つ一つを追っていた。
「……聞こえてるなら、右手を振ってほしい——」
もちろん、何の反応もない。
だがその直後、彼女は小さく頭を振って、右手をそっと耳元に上げて、髪を払った。
その瞬間、ユウの心臓が跳ねる。
意識より早く、胸が強く波打つ。
一瞬、すべての音が遠のいた気がした。
その仕草に意味などない——そう理解しようとする思考が、逆に形を持ち始める。
偶然だ。それはわかっている。意味のない仕草だと理解している。
でも、ユウの中で、何かが少しずつ形を取り始めていた。
“偶然だ”と自分に言い聞かせながらも、ユウの中にひとつの疑問が芽生えていた。
——もし、本当に届いていたとしたら?
映像の向こう側に投げた言葉が、誰かに届く可能性なんてあるのか?
そんなはずはない。それでも——その仕草が偶然で済まされない気がして、胸の奥がざわめく。
答えはまだ遠く、曖昧なまま。
だが確実に、彼の“声”は、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。




