第16話 特異な技法、だから特技
朝の喧騒も過ぎた頃、リゼはいつものように街の掲示板を見上げていた。
包帯はもうほとんど必要なかった。ただ手首にひと巻きだけ残しているのは自分のため。まだ少しだけ、少しだけ熱が残っている気がするから。
掲示板に貼られた依頼は簡単なものばかりだった。
配達、案内、落とし物の捜索。リゼは“屋根裏に住み着いたネズミの追い出し”を選んで、受付に歩き出した。
仕事は小一時間で終わった。屋根裏は狭くて、ホコリっぽくて、けれど剣を抜くような場面はなかった。
それでも何かを成し遂げるということが、今のリゼには大切だった。
報告を終え、外に出たときギルド前の広場が夕陽に染まっていた。
そしてその中に──見知った三つの影があった。
「よぉ、リゼ」
ナズの声が空気を震わせた。あいかわらず大きくて底抜けに明るい。
「この前ぶりですね」
リゼがそう返すと、ハナラが軽く手を振った。
「元気だったか? まだ包帯巻いてるの、珍しいじゃん」
「気分で残してるだけ。もう大丈夫」
「そっかー。無理はすんなよ!」
ロアは軽く会釈をして、少し下がった位置に立っていた。その様子にリゼは小さく頭を下げる。
♢
何となく会話はそのまま続き、自然な流れで夕飯の時間へと移っていった。
食堂の片隅、木のテーブルには湯気の立つ皿が並んでいた。ちょうどそのとき、カヤが扉を開けて入ってくる。
「うわ、そろってる! ずるい!」
「偶然だよ。たまたま、ね」
カヤが椅子に滑り込んで、ぱちりと目を輝かせた。
「みなさんって、特技使えるんですよね? 聞いてもいいんですか?」
そう訊いた瞬間、ナズが豪快に笑った。
「おう! 聞かれても平気さ!聞いたところで真似できるもんでもねえからな!」
「魔術に独自の理合と修練の結果が加わったもの」
「それが“特技”。つまりは特異の技法ってわけ」
ハナラがフォークを回しながら言う。
「私のは知ってるだろ?横着」
「作った魔術、覚えてられないからナンバリングして使ってるんだー」
「それくらい覚えろよ横着者ー!」
「うるさいナズくん!」
カヤが首を傾げて尋ねる。
「えっとつまり…一般魔術も覚えてないってことですか?生活とか大変そう」
ナズがさらりと返す。
「そのへんは俺とロアがサポートしてる感じだな」
「なんだキサマ!アタシをそんな目で見るなー!」
ハナラがフォークを叩きつけて叫ぶ。
「使えないわけじゃない!」
「特技のせいでナンバー以外の魔術を行使できないだけなんだぁー!」
ロアがワインを口に含みながら補足する。
「ハナラの言う通りにゃ」
「トリプルナンバーでさえ威力は桁違いにゃ。リゼを助けたときは“ダブルナンバー”だったにゃ」
「ロアは呑むのやめろってば」
カヤがナズを見上げる。
「ロアさんって…そういうキャラなんですか?」
「いや、酒とベッドの上限定にゃ♪」
「誰かこいつ止めろ!!」
リゼはその様子を黙って見ていた。
懐かしい、というほどの付き合いでもない。それでも今の自分がここに混ざっていることが、ほんの少しだけ心を軽くした。
少し間を置いてリゼが口を開く。
「…ナズさんの最大化って、どんな特技なんですか?」
ナズが笑って応じた。
「俺が設定した対象を限界まで“最大化”できる。それだけ。だが、それだけが難しい」
「定義があいまいだから自由度が高いんだよ」
ハナラが頷く。
「でも、その分、制限も厳しいのにゃ」
「まあ制限なき力は存在しない、ってわけだ」
カヤがため息を吐いた。
「はぁ〜。これが国内最強パーティの一角かぁ。遠いなぁ」
ナズが肩をすくめる。
「簡単に追いつかれてたまるかよ!まず人類やめるところから始めてもらわんとな!」
笑い声がテーブルに広がった。
♢
夕暮れが深まり、店を出るころには夜風が頬を撫でていた。リゼとカヤは並んで歩く。
街の灯りがちらちらと揺れ、屋台の呼び声がどこか遠くで響いていた。
「ねえ、リゼ」
「なに?」
「さっきの三人、すごかったね。強いね」
「…そうだね。きっとそう」
「そんな三人とケンカしてたリゼは、もっと強いんだねー」
「ちょっと!?どういうこと?」
「え?違うの?じゃあ誰とケンカしてるの?」
「それは…」
「夜とかさ、ふと見ると、“やっちゃったなー言い過ぎたなー“って顔してる時あるからさ」
「…出てる?」
「割と」
「…あぁー…」
「ハハハ!そう思ってるってことは嫌な人じゃないんでしょ?」
リゼは口元を引き結んで、ふっと小さく笑った。
「カヤ、先帰ってて。ちょっと行ってくる」
「はーい。ちゃんと後で教えてねー!」
リゼは振り返らなかった。けれど歩幅は自然と早まっていた。
向かうのはあそこ──風が抜ける、静かな場所。
その足取りは迷いなく夜の街に溶けていった。