第15話 モグラの棲家
壁際に並んだモニターは、昼夜を問わずひとつの世界を監視し続けている。
窓のない一室。時計も掲げられていない。時間の流れすら、ここでは“ログ”の一部だ。
端末がひとつかすかに明滅した。
男がその点滅に気づき無言で指先を動かす。呼び出されたのは、EWS内部識別のうち──コーションコード。
彼は短く息を吐くと、横に座る女に画面を示した。
「……また出たな。401だ」
女は椅子を回転させ、手元のタブレットを一瞥する。何かを確かめるように、眉間を指先で押さえた。
「接続ログなし。にもかかわらずシステム干渉が起きてる」
「どういうことだ?」
「不明。もう一度走査させますが…」
男は背筋を伸ばし、やや大げさに肩を鳴らすと、画面を指でなぞった。
「干渉はレベル3以上の権限がないと不可能だ。…ハッカーか?」
「侵入されたようなログは確認できません。内部コードも改ざんの痕跡なし。…不気味なほど、何もない」
女の声には感情がなかった。事実だけを並べる、観測者としてのそれ。
数秒の沈黙。ふたりの間に流れるのは、画面から発される静かな冷光だけだった。
男がぼそりと呟いた。
「真宮センセイにどやされないといいがな…」
女は一瞬だけ目を細めたが、応える代わりに端末にコードを打ち込んだ。
「次に動いたら報告を上げる。ランクAだ。401は、監視対象に分類ね」
画面に新たなウィンドウが開く。
そこに浮かんだのは、他のどの記録とも違う、たったひとつの文字列だった。
相互通信:成立
静寂の中、男は指を止めたまま、その一行をしばらく見つめていた。
[記録]ではない。[観測]でもない。
あまりにも想定外の文言に思考が停止しかける。
「誰と誰が“相互通信”した?」
そう口に出してみて、男はすぐに苦笑を浮かべた。答えなど、ここにはない。
あるのは、あくまで“事実としてのログ”だけ。女は別のウィンドウを呼び出しながら言った。
「現在のステータスは一般視聴者。よくあるただのユーザーです。有料ユーザーでないため、情報を追えません」
「アーカイブには?」
「一部を除いて削除されてる。削除権限は運営本部…しかしこれは…」
男は、やや興奮を抑えて言った。
「これは…正式な表記じゃない」
「EWSには“相互通信”なんて実装していない」
「表示…バグでしょうか?」
「でも、こうもはっきり…」
男の声がわずかに揺れる。だが、推測を裏付ける証拠はどこにもない。女はふっと溜め息を吐きながらログを保存し呟いた。
「観測が続いてるのか、干渉それとも……記録できない何かが起きてるのか」
「どっちにしても、“見えてない”のは、こっちのほうかもね」
◇
五時間目、情報倫理。
空調の効いた教室に、眠気混じりの空気が漂っていた。真宮カオリは、板書もせずに教壇の前で腕を組んでいた。
「今日は少し、君たち自身の話をしてもらおうと思う」
「テーマは、“声をかけるべきか、黙って見ているべきか”──」
教室にざわめきが広がる。
「え、なに?」
「助ける系?」
「道に倒れてる人とか?」
真宮先生は続ける。
「赤の他人の場合は義と善悪の話になるけど」
「たとえば──誰か知り合いが、間違った方向に進もうとしている」
「でもそれを伝える手段があるかどうかわからない。それでも声をかけるべきか?」
「届かないかもしれないなら、黙ってた方がダメージないっすよね」
春川は冗談めかして言ったが、真宮は笑わずに首を振った。
「でも“誰かが見てた”って事実が、後でその人を救うこともある」
「もし声が届かなかったとしても、“誰かが見てくれてた”って思えるかどうかは大きいわ」
ユウは机の上に伏せた視線をゆっくりと持ち上げた。昨日リゼは言った。
──見てるだけだから、そんなこと言えるんでしょ──
あのときユウは何も言い返せなかった。
「……届くかどうか、じゃなくて」
ぽつりとユウが言った。
静かな声だったが、周囲のざわめきが止まるのに十分だった。
「…届いてほしいって思ってるか、じゃないですか」
「それがなかったら、声をかける意味もない」
春川が隣でちらりとユウを見る。真宮はその言葉に表情を変えず、ただ短くうなずいた。
「いい意見ね。これは双方の主体性と客観性の関係」
「より主体的であれば、そう思えるうちは、きっと君はまだ“傍観者”じゃない」
チャイムが鳴り、終わりを告げた。




