表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界配信サービス  作者: vincent_madder
第2章 境界線上のカタチ / Madonna Borderline
13/33

第13話 キミの羨望 ボクの切望

朝の光が木枠の隙間から不確かな線を引いていた。包帯の端がわずかに揺れ、床に落ちたその影もまた、小さく波打っている。


リゼは目を開けたまま、しばらく天井を見つめていた。


呼吸の感覚を確かめるように、ひとつ息を吸い、そして吐く。腕の内側に巻かれた布が微かに擦れ、その感触が目覚めを現実へと引き戻していく。


起き上がろうとしたとき、脇腹に重みが残っているのを感じ、ほんの少し動きを止めた。

それでも今日を動き出させる理由は十分にあった。


洗面器の水を手で掬い顔を洗う。


冷たい感触がまぶたの奥に染みていく。装備を整えながら、リゼは窓際のガラスにちらりと目をやる。そこに映った自分の姿をすぐに視線から外した。


「起きた?」


扉の外から、柔らかい声がかかった。カヤだった。


「うん、いま支度してる」


「ゆっくりでいいよ。女将さんが、あんたの好きな甘いパン取っといてくれたって」


「……そう。ありがと」


壁越しの声のやりとり。姿は見えないけれど、温度だけが部屋に届いてくる。


「リゼ」


「なに?」


「ちゃんと歩くんだよ。あんまり無理しない」


「……わかってる」


扉の向こうでしばらく沈黙があった。

それから足音が遠ざかっていく。


宿の扉を開けると、ひやりとした朝の空気が頬をなでていった。


屋台を開く音、焼き菓子の香り、木の床を掃く音が混ざり合って、街の朝はすでに始まっている。


道を歩くと近所の少年が「あ、お姉ちゃんだ」と声をかけてきた。


「もう大丈夫なの?」


問いかけにリゼは一瞬だけ驚き、そして小さく頷いた。


「……うん。大丈夫」


そう返すと、少年は満足げに笑って走っていった。


ギルドの建物が見えてきたときリゼは一度だけ足を止めた。深呼吸ひとつ。


「大丈夫。たぶん」


そうつぶやいて扉に手をかける。



中に入ると冒険者たちの声と、武具の音と、椅子が引きずられる音が一気に押し寄せてくる。

石床の感触、酒と油の匂い、日常がそこにあった。


ふと視線を向けると、左手の壁際。見知ったふたつの背中。ソファに浅く腰掛けているのはハナラとロアだった。


「よっす、復活の人」


ハナラが振り返り手をひらひらと振る。

リゼは少し戸惑いながらも、頷いて近づいた。


「歩けてんじゃん。えらいえらい」


そう言いながら、ハナラはリゼの腰のあたりをぽんぽんと叩く。


「こっちは補給済み。ナズくん干からびたけど、アタシは元気」


「……え、補給って」


「エネルギーよエネルギー。生命力ってやつ」


指先で下腹部を撫でまわし、にやりと笑う。


「生きてる限り、出せるものは出すってさ」


ロアが静かに視線を上げる。


「存在維持のための補充。効果は3日。おかげで毎回ナズは動けない」


「でもさー、うちらだけでも動けないと依頼回らないし?」


「この問いに解はない。それだけが答え」


二人はさらりと続ける。


「……ありがと、ふたりとも」


リゼが静かに頭を下げると、ハナラは手をひらひらと振って笑った。


「拾っただけだってば。キミだって同じことするでしょ?ま、助けたのはロアだけど」


「搬送手順、今回は最適だった」


「それ、ちょっとくらい感情込めて言えない?」


「事実に感情は必要ない」


「うわー冷たい」


ふたりのやりとりにリゼの口元が少しだけ緩んだ。


「で、今日は?」


「軽めの調査。北の遺構周辺。あんたは?」


「……まだ、決めてない」


「のんびりしときなよ。パンでも食べて」


ロアが立ち上がりハナラも続く。


「じゃ、行ってくるー。無理すんなよマジで」


リゼは静かに頷く。


「……いってらっしゃい」


去っていく背中を見送りながら、リゼは胸の内側にほんのり灯った熱を感じていた。


掲示板の前で少しだけ立ち止まったあと、リゼは依頼を取らずにギルドを出た。


今日は、無理をする日じゃない。



街はすっかり朝の顔をしていた。

粉をまぶした焼き菓子の匂い、桶に落ちる水の音、誰かの笑い声。


すれ違う人々の中で、リゼの足取りだけがどこか異なる速さを刻んでいるように感じた。裏通りの細い道に入り、よく行く雑貨屋の前で立ち止まる。


軒先に吊るされた薬草が風に揺れていた。


視線で追っているうちに、ふと自分の足元が少しだけふらついた気がした。


痛みはもうない。けれど抜け落ちたものがまだどこかに残っている気がする。あの時、焼けた空気の中で、手放してしまった“何か”。


──静かだ。


ポケットに入れていた小さな木片を取り出す。


以前カヤが「お守り代わりに」くれたものだ。焦げた匂いがわずかに残る。だけどそれが今は少しだけ安心する。


路地を抜けた先、街の鐘が静かに午前を告げた。

街を見ながら考えをまとめよう。


それに、少し呼ばれている気がするから。


リゼは、向きを変えて進み始めた。



教室の窓から午前の光が差し込んでいる。

その光の中、ユウはぼんやりとスマホの画面を見つめていた。


「最近さ、見てないよね。EWS(異世界配信)


隣の席から、春川が声をかけてくる。


「……まあ、ちょっと忙しくて」


ユウは画面を伏せ、適当な笑顔で返す。


本当は違う。

リゼのチャンネルはずっと「配信休止中」のまま。声も、映像も、なにも届いてこない。


昼休み。

昇降口を出たユウは、空を見上げる。


青空を横切る鳥の群れ。その中にひとつだけ逆方向に飛んでいく小さな影があった。それがなぜか気になって、しばらく目で追ってしまっていた。


夕方。

家に戻っても当然のように画面は変わらない。

通知も、アーカイブも、静まり返ったまま。

沈黙の時間だけが、ただ過ぎてゆく。


あの出来事は自分が望んだ幻覚だったかもしれない。そんな気さえしてくる。


夜。

ユウは机に突っ伏すようにして、スマホを片手に持っていた。画面には相変わらず「配信休止中」の文字。


そのとき。

不意に画面にノイズが走ったように見えた。


ユウは目を細めて画面を覗き込む。

けれどそこには何もない。


「……気のせい、か」


指を伸ばそうとしたところで画面がパッと輝きを増した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ