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「サトル」(演劇脚本)

作者:

◆まえがき

密室の男と女。

ふたりはなぜ出会ったのか。

なぜさまざまな人物に変異するのか。

ふたりはそもそも何者なのか。

重なるように見えたふたりの会話はやがて……

いじめと家族の物語。

「サトル」


◇登場人物

 男(先生、父、サトル)

 女(母、マリコ)


◆一場

幕が上がる。濃く暗い青の世界。舞台中央の女と男にゆっくりとスポットライトがあたる。


男 その小さな手は、透き通るように白く、どこまでも精巧にできていた。かすかな弾力があり、体温まで感じるほどだった。指はなめらかに曲がり、そして動いた。彼女は、それほど人間そのものだった。僕は、彼女を何時間でも見つめ、そうして彼女の大きさにあわせて僕が作った箱の中にしまい込んだ。その時僕は、とても幸せだった。


男、女の髪を櫛でとかす動作をする。


男 なんてきれいな髪なんだ。この髪はおまえの象徴だ。


スポットライトがゆっくり消え、水滴の音が聞こえてくる。女はエプロンを身につけ、男はネクタイとジャケットを身につける。水滴の音はやがて小さくなり、消える。


◆二場

明転


母  先生。いつもサトルがお世話になっています。わざわざ遠いところまで来て下さって、ありがとうございます。

先生 いえいえ、これが私の仕事ですから。


先生、中央の箱の脇に座る。母、先生にお茶を出す。


先生 それで、サトル君は今どうしていますか?

母  体調はだいぶいいみたいなんですけど、やっぱりなかなか学校へは足が向かないみたいなんです。私も主人も本当に困っていまして。

先生 それで、サトル君は今、どこにいますか?

母  今は、自分の部屋にいます。今日は具合が悪いと言って休んでいますが……呼んできましょうか?

先生 いやいや、具合が悪いんであれば、無理には会わない方がいいでしょう。部屋に押しかけるのもなんですし。

母  そうですね。ご心配ばっかりおかけして。

先生 いえいえ、いいんですよ。ところでお母さん、サトル君が学校に来られなくなった理由なんですけれども。お母さんには何か言っていますか?

母  それが……特には何も言わないんです。私も主人も、どうして行けないのって聞くんですけれど。

先生 私も、サトル君に、この間聞いてみたんです。クラブの先輩との関係は大丈夫か? 友人とのことで悩んでないか? ……でも、彼はいつも笑って否定するんです。「そんなことありません。誰かに暴力をふるわれたり、金を取られたりもないです」って。高校に入学したばかりで、まだ友人関係ができていないということもあるだろうし、学校自体に慣れてないっていうのもあるとは思うんですけれど、でも、こういう、何かが始まったり、何かを始めようっていうときは、そういうのって乗り越えなくちゃならないんですよね。私も注意して見ていたんですが、学校に来ていた時のサトル君は、クラスのみんなとも笑顔で仲良くやっていたようですし……。

母  主人とも、よくそう本人に言って聞かせるんです。せっかく第一志望の学校に入れたのだから、もったいないじゃないかって。もし、登校できないはっきりとした理由がないのなら、それはただのサボりだって。

先生 まあ、そうきめつけなくてもいいでしょう。ただ、高校は、中学とはちがって、欠席があまりに多いと、進級できなくなってしまいますので、そこが困ったところなんです。それでカウンセリングを受けてはどうかと、先日ご紹介したんです。

母  サトルと主人ともよく相談をして、どうするか決めたいと思います。その時には、先生、よろしくお願いします。

先生 お母さん、そんなに恐縮がらなくていいんですよ。サトル君は、今、大人になるために悩んでいる時期なんでしょう。それからお母さん。サトル君の言うことをよく聞いてあげて下さい。こういう時には、受容的態度が必要なんです。

母  ジュヨウテキタイド?

先生 はい。受容的態度です。相手の言うことをそのまま聞いて、そのまま受けとめてあげるのがいちばんいいんです。長い目で、サトル君については見ていきましょう。

母  先生には本当によくしていただいて、主人とも感謝しています。本当にありがとうございます。


先生、お茶をすする。


先生 ところでお母さん、趣味は何ですか?

母  はい? 趣味ですか?

先生 はい、趣味です。

母  ……たまにデパートに行くことかしら。一番上の階までエレベーターで上がって、順番に見て回るんです。疲れると、喫茶室でお茶をいただくんです。

先生 それは……お母さんの趣味ではないですか? 私がお聞きしているのは、お母さんのことではなくて、サトル君の趣味です。

母  ああ、サトルのですか。勘違いしました。

先生 そうです。サトル君のです。今はサトル君についてお話ししているんです。ギターが好きだとか、パソコンをいつもいじってるとか。

母  趣味……? 

先生 無いんですか? 趣味。

母  サトルの趣味? ……特に無いんじゃないでしょうか。

先生 珍しいですね。ゲームが好きだとか、バンドを組んでいるとか、普通はそういう趣味があるんですけれども。

母  普通は、ですか?

先生 はい、普通はそうです。

母  それじゃ、何ですか。サトルは普通じゃないとおっしゃりたいんですか?

先生 いや、そういうことじゃないんです。ただ、趣味は何かなーと思っただけでして。サトル君が普通か普通でないかという問題ではないんです。

母  私が普通ではないとおっしゃりたいんですか?

先生 ですから、そういうことでもなくて……ただ、サトル君の趣味が今問題なんでして。

母  問題をはき違えているということですか?

先生 そうです。サトル君が問題なんです。

母  やっぱり学校ではサトルが問題になってるんですか?

先生 それもまた違うような気がするんですけど……。つまり、サトル君には、趣味がないと。そういうことになりますね。

母  そういうことに……なります。

先生 あの年頃の子で、趣味がないというのは、珍しいですね。

母  それがさっき先生がおっしゃった、「普通じゃない」ということですね。

先生 普通じゃないとは言っていません。「珍しい」と言ったんです……サトル君は小さいとき、何をして遊んでいたんですか?

母  ……すみません。思い出せません。

先生 小さいときですから、おもちゃで遊んだとか、犬と遊んだとか。

母  うちでは犬は飼っていません。おもちゃはそれなりに与えていましたけど……先生は小さい子供がいるうちでは、犬を飼わなければならないと思っていらっしゃるんですか? 我が家は子育てに不適切な環境だとおっしゃりたいんですか?


先生、あきれている。母、我に返り、


母  サトルの趣味、でしたね。でも、そう言われてみると、サトルは小さい頃、何をして遊んでいたんでしょう?……思い出せない。サトルの趣味って何なのかしら? そんなことも知らないで、私はあの子の母親をやって来たのかしら。

先生 お母さん、そんなに自分を責めないでください。誰だって、ど忘れということはあります。私だってあります。私だって、自分のクラスの生徒の名前を忘れることがあります。顔はわかる。名簿の名前は名前としてわかる。でも、その子が、名簿のなかのどの子だったのかがわからなくなる。そんなことはしょっちゅうあります。誰にでもあることです。


母は相変わらず自分を責めている。


先生 お母さん、サトル君の趣味が何か、思いだしたら、私にも教えてください。私もサトル君の力になってあげたい。でも、そのためには、サトル君が学校に来なければならないんです。私は学校の先生です。サトル君とは学校で話さなければならない。そうだ。学校でです。家でばかり話してしまうと……そう、私は家庭教師になってしまう。それではまずいんです。何せ私は、学校の先生なんですから。

母  先生は、学校の先生なんですか? サトルの先生ではないんですか?

先生 もちろん、サトル君の先生です。だからこうして、サトル君のことを心配して来てるんじゃないですか。でも、学校へ行けば学校の先生ですし、家に帰ればお父さんなんです。

母  先生は、お父さんなんですか?

先生 もちろんです。私には二人子供がいます。ちょうど、サトル君と同じ年頃の男の子と、その下に女の子がいます。二人とも小さい時はかわいかった。今でも憶えています。子供達のために、私がプールを作ってあげた。足踏み式の空気入れでふくらませるやつです。私がプールに空気を入れていると、そばに寄ってきて、二人で声を合わせて私を応援するんです。「パパ、どんどんふくらむね。でももっと足に力を入れて。」「イッチニ、イッチニ、イッチニ、イッチニ」って。私も、子供達の声に励まされて、がんばるんです。「イッチニ、イッチニ、イッチニ、イッチニ」って。「三人で声を合わせないと、うまくふくらまないよ。」って言って、みんなでかけ声をするんです。「イッチニ、イッチニ、イッチニ、イッチニ……」

母  ……家族ですね……

先生 はい?

母  先生は、お父さんでもあるんですね。

先生 はい。家に帰れば、いいお父さんです。

母  でも、サトルにとっては「先生」ですよね。


母は、何かを考えている。それを見て、


先生 お母さん、私はサトル君の先生として、これからも彼の力になりたいと思っています。できるだけのことはしたいと思っています。ですから、お母さん。お母さんも気を落とさずにがんばってください。サトル君には、お母さんの励ましが必要なんですから。


母、うなずく。先生、腕時計を気にして、


先生 お母さん、今日のところはこれで失礼いたします。ずいぶん長居してしまいました。これから私は、「お父さん」をしなければなりませんから。おうい、サトル君、また元気になったら学校に出て来いよ。


母、先生にお辞儀。先生、下手に去ろうとするが、立ち止まり、


先生 ところでお母さん。何か、音がしませんか?

母  何ですか? 何か、音がしますか?

先生 ええ、何か……水か何かが滴り落ちる音です。いや、さっきからちょっと気になっていたものですから。

母  そうですか? 水滴の音がしますか? (上手を見るが、異状はない)

   水道の蛇口も、まだ、新しいんですけれど……。

先生 そうですか。私の勘違いですね。どうも失礼しました。

母  いえいえ。いつもお世話になっていますから。


暗く青い世界へ。水滴の音、徐々に大きくなる。女は上手へ移動。男はジャケットを脱ぐ。水滴の音、やがて小さくなり、消える。


◆三場

明転


父  今帰った。

母  お帰りなさい、あなた。

父  どうだ、サトルの具合は。今日も学校に行かなかったのか?

母  今日は具合が悪いって言って、部屋で休んでいます。

父  (上手へ向かって)おうい、サトル、こっちへ来ないか。

母  あなた。サトルは具合が悪いって言ってるじゃないですか。

父  サトル。こっちへ来い。

母  あなた。サトルは今日、本当に具合が悪いって言っていたんですよ。サトルに無理なことを言わないでください。

父  なんだ、あいつは。学校に行かないばかりか、部屋にばっかり閉じこもって。お父さんが帰ってきても自分の部屋から出て来やしない。


父、あきらめて中央の箱の脇に座り、新聞を読み出す。


父  おい、何か忘れていないか?

母  はい?


父、何かを飲む動作をする。母、気づき、ビールを出してグラスに注ぐ。父、それを飲みながら新聞を読む。しばらくして、


父  今日、サトルと、何か話したか?

母  いいえ、何も。だって具合が悪いんですから。

父  お母さんは、それがダメなんだ。親子のふれあいは、何げない会話から始まるんだろう? どこが具合悪いんだ、とか、最近興味あることは何なんだ、とか、そういう何げない会話から、親子の交流が生まれるんじゃないか。こないだおまえとそう話し合っただろう?

母  私も、できるだけサトルと会話しようと思っています。でも、今日は先生がいらっしゃいましたから。

父  ああ、先生が来るのは今日だったのか。それで、先生はなんて言ってた?

母  受容的態度が必要だっておっしゃってたわ。

父  ジュヨウテキタイド?

母  相手の言うことを受けとめるんですって。相手の言うことをそのまま聞いて、そのまま受けとめてあげるのが一番いいんですって。

父  そんなことはわかっている。俺もおまえも、サトルの言うことは何でも正面から受けとめているじゃないか。それなのにどうしてサトルが学校へ行けないのかが問題なんだ。先生は本当にサトルのことを心配してるのか?

母  そうなんですけれど、先生もわざわざ家庭訪問までしてくださるんですから。

父  俺はサトルのために、家族のために、一生懸命働いている。サトルの言うことも真っ正面から受けとめている。サトルが学校に行くようになるんだったら、何でもするつもりだ。でも、その原因がわからないから困ってるんじゃないか。苦しんでいるんじゃないか。

母  お父さんは、がんばってる。家族のために一生懸命やってくれている。他の誰が認めなくても、私とサトルはちゃんと認めているわ。お父さんに感謝しているわ。

父  これ以上、俺に、何をどうしろって言うんだ。俺が何をしたって言うんだ。サトルは何で学校に行けないんだ!


間。母、気を取りなおしたように、ビールを父につぐ。父も、気を取りなおしてそれを飲む。


母  先生は、長い目で見ましょうっておっしゃってたわ。時間がかかることかもしれないって。不登校の理由は、はっきりしない場合が多いんですって。

父  おまえは何だと思う? サトルが学校に行けない理由は。

母  何なのでしょう……。私にもわからないんです。

父  うちのことはおまえに任せているんだ。おまえがわからなくてどうする。

母  そんなことを言っても、サトルは私にも何も話してくれないんです。何度聞いても、学校へ行けない理由を話さないんです。ただ、朝になるとおなかが痛くなるとか、風邪気味だとか……。そう言って、私に、学校に電話してくれって言うんです。「学校を休みます」って。

父  無理にでも行かせた方がいいんじゃないか? 甘やかせるのはいかんぞ……おい、サトル。こっちへ来なさい。話がある。おい、サトル。サトル。(上手へ行こうとする)

母  やめてください、お父さん。サトルは本当に具合が悪いんです。話は、明日でもできるでしょう。先生もおっしゃってました。長い目で見てくださいって。

父  おまえがそんなに言うなら……うちのことはおまえに任せているから。


父は席に戻り、ビールを飲む。


母  先生が、カウンセリングを勧めてくださいました。身内の者には言えないことも、第三者になら話せるかもしれないですよって。

父  カウンセリングって効くのかな?

母  効くか効かないかはわかりません。薬じゃないんですから。でも、それも一つの方法かもしれませんね。


母、味噌が無くなっていることに気づく。


母  あなた、お味噌がなくなってしまったみたい。買ってきてくださらない?

父  味噌なんかいいじゃないか。今は、サトルのことを話しているんだ。

母  でも、お味噌がないと、お味噌汁が作れませんわ。そこのコンビニで売っているのでかまいませんから。

父  そういうことは、おまえがちゃんと気をつけないといけないじゃないか。うちのことは、全部おまえに任せているんだ。おまえが買って来なさい。

母  お父さんはいつもそういうけど、私だってがんばっているんです。朝早く起きて、サトルのお弁当を作って、食事のかたづけが済めば洗濯をして、それを干して、部屋の掃除をして、洗濯物を取り込んで、畳んで、ほんとにあっという間に一日が終わってしまうんです。お父さんだけが、がんばっているわけではないわ。

父  それは俺もわかっている。おまえもがんばっている。でも、まだ足りないところがあるんじゃないのかって言ってるんだ。

母  お父さんは、あれでしょう。私がサトルの趣味を知らなかったことを責めているんでしょう? 確かに私は知らなかった。それはお母さんとして、家族として、本当に申し訳ないことだと思う。でも、私は本当に知らないの。サトルが何を考えていて、好きな人は誰で、趣味は何かってことが。お父さんは知ってるの? サトルが好きなもの。

父  あたりまえじゃないか。あいつは、釣りが好きなんだ。休みの日は早起きをして、いつも俺と一緒に行ってたじゃないか。

母  ……でも、それはお父さんが好きなものでしょう。サトルも本当に好きなの?

父  あたりまえだ。俺がサトルに教えたんだもの。サトルだって好きに違いない。共通の趣味を通じて、親子の信頼関係が築かれるんだ。俺はがんばっている。サトルも喜んでいる。

母  お父さん、自分の趣味を押しつけているだけじゃない。日曜日だってゴルフだとか言って、家にいないし。親子の交流なんてしてないじゃない。

父  何を言うんだ。俺はがんばっているさ。サトルだってそれはわかってくれているはずだ。そういうおまえはどうだって言うんだ。

母  お父さんはいつもそう言って私を責めるのね。私は母親失格なの?

父  そんなことは言っていない。ただ、足りないところがあるんじゃないのかって言っただけだ!



父  ……ところで、おまえ。水道の蛇口は直しておいた方がいいぞ。

母  何ですか?

父  だから、蛇口だよ。

母  蛇口がどうかしたんですか?

父  水が滴り落ちているだろう。

母  でも、どこからも漏れてませんよ。

父 そんなはずはない。この間から、ずっと音がしてるぞ。

母 でも、漏れてないんです。

父 水漏れは、家をダメにしてしまう。修理しておきなさい。

母 どこから漏れているのかしら?


母、不思議顔。父も不思議顔。

暗く青い世界へ。水滴の音、徐々に大きくなり、やがて小さくなり、消える。


◆四場

女、じっと立っている。男はネクタイを取り、下手に立っている。二人をゆっくりとスポットライトが照らす。


男 その年の冬はとても寒かった。並んで窓の外を眺めながら、彼女は、「空気が澄んでいる。星もたくさん見える。」と言って、僕に体をくっつけた。冷たい彼女の体を感じ、僕は、彼女を抱き寄せた。僕たちは空に映るたくさんの星に、ふたりで白い息を吹きかけた。

   彼女にとって僕は唯一の存在だったし、僕にとっても同じだった。互いが互いの存在を認めあい、そして心のすき間を埋めあっていた。


暗く青い世界へ。水滴の音、徐々に大きくなり、やがて小さくなり、消える。


◆五場

明転

サトル、母に背を向け膝を抱えて座っている。


母  サトル。今日は調子はどうなの? どこか具合の悪いところはない?

サトル ……

母  先生もおっしゃってたわよ。具合の悪いときにはしょうがない。体が大事だからって。体の調子が良くなったら、ちょっと勇気を出して学校へ来てくれるといいんだがなあって。

サトル ……。

母  先生だけじゃないわ。クラスのみんなもあなたのことを心配して、電話をくれるの。あの、なんて言ったかしら……そうそう、アイバ君とか、シゲル君とか。「お母さん、サトル君は大丈夫ですか?」「早くサトル君の元気な顔が見たいなあ」って。みんな、いい子たちばかりじゃない。あなたのクラスメートはみんなあなたのことを心配してくれているわ。なのにあなたは、どうして学校に行けないの? 行ってくれないの?


サトル、ふるえている。


母  あなたが学校へ行かなくなってから、お母さん、色々考えたわ。お母さんの作るお弁当が友達に冷やかされてるんじゃないか。小さい頃、あなたを放ってお母さんが仕事に行ってしまったのがさびしかったんじゃないか。お母さんは、全然あなたのお母さんらしくなかったんじゃないかって。


サトル、ふるえている。


母  お母さんは、お母さんなりにがんばっているの。あなたのためにがんばってる。家族のためにがんばっているの……。でも、サトル。サトルは、お母さんが、サトルの趣味を知らなかったことを責めているんでしょう? サトルは何が好きで、何を考えていて、趣味は何なのか。そんなことも知らないお母さんを責めるために、学校に行かないんでしょう? 確かにお母さんは知らなかった。それはお母さんとして、本当にすまないことだと思う。でも、お母さんは本当に知らないの。サトルが何を考えていて、好きな人は誰で、趣味は何かってことが。


サトル、ふるえている。


母  サトル。サトル。怖がらなくていいのよ。もう我慢しなくていいの。学校へ行きたくなければ行かなくていいの。そうだ、お母さんといっしょにいましょう。そうよ、ずうっといっしょにいましょう。お母さんがおまえを守るわ。ずうっとずうっといっしょにいるわ。


サトル、やがてぽつぽつと語り始める。


サトル 母さん……母さん……

母  なに? なんなの?

サトル 母さん。俺、学校でいじめられてた。いじめられてたんだ。同じクラスのアイバやシゲルたちにいじめられてた。……最初はあいつら、ふざけてやってと思った。俺がトイレに行こうとすると、あいつら、中に入れないようにするんだ。俺は何でそんなことされるんだろうって思った。俺が通ろうとすると、あいつらは俺の足を引っかけやがった。俺は転んで、頭を打った。気が遠くなった。おしっこをもらしてしまった……。俺はジャージに着替えて、授業を受けた。俺一人だけが紺色のジャージだ。担任はそんな俺に全然気づかなかった。ジャージ姿の俺を無視した……。

    俺はそれから、学校へ行けなくなった。……朝、学校へ行って、校門の前まで来ると、足が止まるんだ。自分でもおかしいと思った。体は前に動いても、足が動かないんだ。校門で、俺はバカみたいに倒れた。足が地面にくっついてるみたいだった。ここを通ればいつかはトイレに行きたくなる。あいつらがいる。みんなにバカにされる……。もうあんな学校には行きたくない。

母  サトル。どうして今まで言わなかったの? はじめからお母さんにそう言えば良かったじゃない。先生にも相談すれば良かったじゃない。

サトル そんなことしてもダメなんだ。無駄なんだ。あいつらは、別のやり方で、また俺をいじめてくる。いじめは、永遠に続くんだ。

母  お母さんがやめさせる。お母さんがその子たちに言ってやめさせるわ。お母さんがやめさせる!


水滴の音、徐々に大きくなる。あたりはまた暗い青の世界へ。男はネクタイをつける。女はエプロンを脱ぐ。水滴の音、やがて小さくなり、消える。


◆六場

明転


父  マリコ。今何時だと思っているんだ。

マリコ ……。

父  お父さんは、おまえが心配でずっと待っていたんだぞ。

マリコ ……。

父  何か言ったらどうなんだ。こんな遅くまで、どこに行っていたんだ。言いなさい!

マリコ ……。

父  今日、お父さんの会社に電話があったぞ。おまえの学校の先生からだ。おまえ、学校に行ってないそうじゃないか。

マリコ ……。

父  先生は言ってた。お宅のマリコさんが、もう二週間も学校に来てないんですって。お父さんは、知らなかったんですかって。いったいどういうことなんだ?  黙ってないで答えなさい。

マリコ ……。

父  お父さんは、自分の子供に責任がある。間違っていることは間違っていると、はっきり教えなければならないんだ。それが親の愛情なんだ。だから本気になっておまえとこうして話してるんじゃないか。それなのにおまえは。

マリコ やめて! お父さんはどうしていつもそうなの?

父  お父さんは、おまえを立派に育てるために頑張ってる。家族のために頑張ってる。それなのにおまえは何だ。

マリコ ……お父さん。お父さんだけががんばってるわけじゃないのよ。

父   ……。

マリコ わたしも……がんばってる。

父  なんだ。どういうことだ。

マリコ ……わたし、学校でみんなに無視されてる。無視されてるの。私が「おはよう」って言っても、誰も返事してくれない。みんな、私なんかそこに存在しないみたいにふるまうの。お昼のお弁当も、一人で食べてる。お昼になると、みんなは机をくっつけて、仲良く食べてるの。私はひとりぼっち、窓ぎわで食べる。外の景色がいいなあって雰囲気をかもし出すの。「一人で食べてるんじゃなくって、外の景色が好きだから、窓から入る風が気持ちいいから、窓ぎわで食べてる人」を演じるの。机には、「マリブーは汚い。消えろ。」って書かれた。

父  やめろ

マリコ 体育の授業が終わって教室に戻ると、制服がなくなってる。調理実習の時は、床に落ちた卵焼きを、私の皿に盛るの。下足がなくなっていて、上履きで帰ったことも何回もある……。

父  もういい。やめなさい。

マリコ わたしは悲しかった。つらかった。心がセメントで固められたように思った。みんなに「ブー」ってバカにされないようにダイエットした。なにも食べなかった。でも、夜気がつくと、冷蔵庫の前に座ってた。手と口が食べ物で汚れてた。自分が知らないうちに食べてた。私はトイレで吐いた。のどの奥に指をつっこんで、全部吐いた。

父  やめないかといってるんだ!


間。水滴の音。徐々に大きくなる。男はジャケットを着る。水滴の音はやがて小さくなり、消える。


男 ……ところで……サトル君はその後どうしていますか? 体調とか大丈夫ですか?

女 お父さん、何を言っているの? 自分の息子を「サトル君」だなんて。おかしいわ。

男 おかしいのはお母さんの方じゃないですか。マリコさんのまねをして。お母さんはお母さんらしくしてください。

女 わたしは……お母さんなんですか?

男 そうです、お母さん。お母さんですよ。

女 そうですね。お母さんでした。

男 良かった。一時はどうなることかと思いました。

女 わたしもです。取り乱しまして、申し訳ありませんでした。

男 いや、いいんですよ。よくあることです。ど忘れというのは。

女 サトルの体調はだいぶいいみたいなんですけど、やっぱりなかなか学校へは足が向かないみたいなんです。

男 先日ご紹介したカウンセリングの話はどうなりましたか?

女 はい。主人とも相談しまして、どうしてもという時には、お世話になろうかと考えています。

男 まだご主人に話してらっしゃらないんですか?

女 ああ、そうでした。話するのを忘れてました。

男 いや、いいんです。ど忘れというのはよくあることで。……ところでお母さん、サトル君が学校に来られなくなった理由なんですけれども。その後、お母さんには何か言いましたか?

女 それが、やっぱり何も言わないんです。私も父親も、どうして行けないのって聞くんですけれども。

男 お母さん、そんなに恐縮がらなくてもいいんですよ。サトル君と話する時にはどうすればいいか、おぼえてらっしゃいますか?

女 ……思い出せません。すみません。

男 (少し怒って)「受容的態度」です。相手の言うことをそのまま聞いて、そのまま受けとめてあげるのがいちばんいいんです。

女 「ジュヨウテキタイド」(初めて聞く言葉のよう。気を取りなおして)先生には本当によくしていただいて、主人とも感謝しています。本当にありがとうございます。

男 いえいえ、これが仕事ですから。


水滴の音。徐々に大きくなる。男一、ジャケットを脱ぐ。水滴の音、やがて小さくなり、消える。


女 今後とも、よろしくお願いいたします。先生は、お父さんでもあるんですものね。

男 おうい、サトル、こっちへ来ないか。

女 先生。サトルは具合が悪いって言ってるじゃないですか。

男 おまえ、何を言ってるんだ。おまえが甘やかすから、サトルはひ弱になっちまったんじゃないか。サトル。こっちへ来い。「お父さん」が呼んでるんだぞ。

女 「先生」は「先生」じゃないですか。先生は「先生の家」のお父さんでしょう。変なことおっしゃらないでください。

男 おまえこそ変なことを言うな。俺はこの家の「お父さん」じゃないか。サトルやおまえ達のお父さんじゃないか。家族で話しあっただろう? それぞれがそれぞれの役割をしっかり果たさないと、大変なことになっちまうって。

女 ……「家族」ですか? ……そうですね。「家族」は一番大切ですものね。わたしもしっかり「お母さん」をやらないとね。

男 そうだ。おまえがしっかり「お母さん」をやらないと、「家族」はバラバラになってしまうんだよ。俺だってがんばってる。

女 わたしもがんばります。

男 ところで、今日サトルと、何か話したか?

女 いいえ、なにも。だって具合が悪いんですから。

男 お母さんは、それがダメなんだ。サトルとの親子のふれあいは、何げない会話から始まるんだろう?

女 私も、できるだけサトルと会話しようと思っています。

男 俺はサトルのために、家族のために、一生懸命働いている。サトルの言うことも真っ正面から受けとめている。サトルが学校に行けるようになるんだったら、何でもするつもりだ。でも、その原因がわからないから困ってるんじゃないか。苦しんでいるんじゃないか。

女 お父さんは、がんばってる。家族のために一生懸命やってくれている。他の誰が認めなくても、私とサトルはちゃんと認めているわ。お父さんに感謝しているわ。


水滴の音。徐々に大きくなり、やがて小さくなり、消える。男一、ネクタイを取る。


男 マリコ、今日、お父さんの会社に電話があったぞ。おまえの学校の先生からだ。おまえ、学校に行ってないそうじゃないか。

女 (ポツリと) 知らない。

男 先生は言ってた。マリコさんがもう二週間も登校してないんですって。いったいどういうことなんだ? マリコ!

女 わたしはマリコじゃない!

男 何を言い出すんだおまえは。バカなことを言うな。おまえはマリコじゃないか。お父さんは、自分の子供に責任がある。間違っていることは間違っていると、教えなければならないんだ。それが親の愛情なんだ。だから本気になっておまえとこうして話してるんじゃないか。それなのにおまえは。

女 やめて! あなたはどうしていつもそうなの?

男 なんだ。お父さんに、はむかうのか? お父さんに向かって「あなた」とはなんだ。

女 もうやめて。こんなこと。私、もうわからない。わからなくってしまった。だってあなたはお父さんじゃないもの。あなたは誰? どうして私をここに閉じこめるの?

男 何を言うんだ、マリコ。どこか具合でも悪いのか? お父さんのことがそんなに嫌いになったのか?


女、男の手から逃れようとする。男、放さない。


女 私、知ってる。知ってるのよ。あなたはわたしに目をつけていた。ずうっと前からわたしを見ていた。

男 何を言うんだ。

女 わたしを見ていた。わたしをさらおうと、様子をうかがっていた。

男 バカなことを言うな。俺は家族のために毎日一生懸命働いているんだ。

女 もうわたしを帰して……お願い……あなたの話し相手をしてきたでしょう。もういいでしょう。わたしはわたしが誰なのか、わからなくなってしまう。わたしは誰?

男 お父さんは、「お父さん」をしなくちゃいけないんだ。お父さんはお父さんらしく。お母さんはお母さんらしく。サトルはサトルらしく。マリコはマリコらしく。しなければならないんだ。そうしないと、大変なことになってしまうんだ。それなのにおまえは何だ。

女 もう、何がなんだかわからない。お願い。わたしを帰して。

男 おまえsnsで言ってたよな。「すてきな出会いを求めています」って。「いろんなタイプの人とつきあいたいな」。「お父さんみたいに優しくしてね」って。

女 もう、いや。いやだ。もうどれくらい経ったんだろう。今日は何日なんだろう。何曜日なんだろう。……わたし、学校でみんなに無視されてる。無視されてるの。私が「おはよう」って言っても、誰も返事してくれない。みんな、私なんかそこに存在しないみたいにふるまうの。

   わたしは悲しかった。つらかった。心がセメントで固められたみたいだった。そして、いつからか、心に隙間ができた。……snsで何十人もの人と会った。

男 やめろ。

女 男の人はみんな、お金をくれた。私からほしいって言わなくても、やっぱりみんなくれた。わたしは自分が確かに誰かに求められることに、うれしさというよりも少しの喜びを感じていたのかもしれない。自分は誰かに求められている。それがうれしかった。

男 もういい。やめなさい。

女 自分の心と体が、まったく別のもののように感じていた時には、そんなことしてても、何とも思わなかった。その時さえよければ、あとはどうでもよかった。自分を大切にするだとか、家族のことだとか……先の事なんて考えられなかったし、みんなどうでもよかった。

男 やめないかといってるんだ!

女 私は思った。毎朝同じ電車にもぐり込む。電車が揺れるたびに他人の体の重さを支える。人に押されて電車を降り、硬い靴で学校へ向かう。一日の長さを体で感じ、夜遅い電車で、寝るだけの家に帰る。そんな生活を、私はもう何年続けてきたんだろうって。自分はいったいここで何をしているんだろう。何のために、今ここでこうしているんだろう。いったい、何のためにがんばっているんだろう? なんのため? 自分のため? 家族のため? ……私は疲れていた。しんから疲れていた。もう、限界だった。限界だったんだ。もう、がんばるのはやめようって思った。がんばらなくてもいいんだって。私はもう十分、がんばった。がんばったの。もうこの舞台からおろしてもらってもいいでしょう。ねえ、お願い。私を放して。私を帰らせて。私は自分が誰なのか、ほんとうにわからなくなってしまう……。


水滴の音。徐々に大きくなる。

暗転

水滴の音、やがて小さくなり、消える。


◆七場

舞台中央の女と男にスポットライトがあたる。


男 なんてきれいな髪なんだ。この髪はおまえの象徴だ。


男、女を導き、箱の中に入れる。男、やがて語り始める。


男 彼女と初めて出会ったのは、いつだったろう。おもちゃ箱の中に、彼女はいた。僕は彼女から目をそらすことができなかった。僕は、彼女を盗み出した。

   僕の部屋で彼女は、まるで生きている人間のように話しはじめた。そうして、「早く帰りたい」と言っては涙をこぼした。僕は、彼女の動かない唇からどうして声が聞こえてくるのか不思議だった。

   ある日彼女は、突然目を閉じてしまった。僕は彼女の髪をとかし、手を優しく握った。僕は、そのしっかりと閉じられた長いまつげの上に、指でやさしく触れた。でも、だめだった。彼女は、人形本来の姿に戻ってしまった。


水滴の音が聞こえてくる。


男 僕は今でも時々、僕の掌、指先をじっと見つめる。彼女の髪に、指に、頬に触れた指先。この薄汚れた壁。窓のない、寂しい部屋。今、僕は幸せだ。なぜなら、彼女との思い出のなかに生きることができるのだから。彼女との夢のような日々を思い、僕は今日もまた、彼女の髪をとかしてあげる。


男、自分の前にいるはずの女の髪をとかすしぐさをする。水滴の音大きくなる。




◆あとがき

「サトル」いかがでしたでしょうか。

サトルとマリコはともに学校でひどいいじめを受け、心に深い傷を負います。家族からも理解されず、居場所を失ったふたりが出会うことは、必然だったかのもしれません。

サトルはマリコによって、マリコはサトルによって、心の隙間を埋め合う作業が続きますが、真に理解し合うことはできず、悲劇的な結末を迎えます。


◆上演について

この脚本を上演する場合の規定は、以下のとおりです。

・脚本の著作権はすべて作者に帰属します。

・「上演」とは、演劇等の舞台公演、映画等の劇場公開などの一般公開を指します。

・詳細については、ご相談下さい。


〇上演許可依頼の手順

1、作者へ上演許可依頼を連絡

必要事項を御連絡下さい。

【連絡内容】

・代表者(連絡担当者)名

・上演日時

・会場名

・有料、無料の別(有料の場合は料金も)

・プロ、アマチュア、学生の別

・潤色等の改変の有無

・連絡先(メールアドレス、電話番号等)

2、作者から上演許可と脚本使用料の連絡

3、上演


〇脚本使用料

・学生の無料公演は、無料で使用できます。

 なお、この場合も必ず上演許可を受けてください。

・その他の公演の場合は、ご相談ください。

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