無機質な手
今なんかすごいこと言われた気がするんだけど。
今日は泊まって行きなよ……?今私泊まって行きなよって言われた!?
「ななな、なんで!?」
「なんでって……さっきまで高熱で倒れてたのに、目が覚めたら『はい帰って』なんて言えないでしょ。」
いやまぁそうかもしれないけどさ!
「もう故里さんに連絡して、親御さんには話通してもらってるから。あとで着替えとか届けてくれるってさ。」
「え、あ、うん。わかりました……。」
どうやら私に拒否権はないらしい。
正直、まだ頭痛いから助かるっちゃ助かるんだけど。
「それじゃ、僕は夕飯作ってくるから。何か食べたいものとかある?」
「えっと……特には。」
「ん。わかった。じゃあちょっと待ってて。」
櫂人くんはそう言うと、静かに扉を閉めながら部屋を出て行った。
私はまだ重い体をなんとか起き上がらせ、部屋を見渡す。
白を基調とした机や箪笥に、棚には参考書とか小説とかがびっしり収納されている。
ノーヒントなら男子高校生の部屋だとはわからないくらいに質素だ。
「お父さんの部屋にちょっと似てるかも。」
私が今寝てるベッドも、かなりシンプルな作りをしてるし……。あれ?
ここって櫂人くんの部屋だよね?私が寝てるベッドって、櫂人くんの部屋のベッドだよね?
「はわわわわわわわぁ!」
マズイです!これはヒジョーにマズイです!
なんで色々すっ飛ばして好きな人のベッドで寝かされてるのわたしぃ!?
いや自業自得なんだけどさ、なんかこうもっとさ……順序ってものがあるでしょ!?
……でも──。
「櫂人くんのベッド……ダメダメダメダメ!私別にそういう変態じゃなし!」
「なんかバタバタしてるね。」
「ホワーッ!?」
びっくりした!今人生で一番びっくりした!
いつの間にか櫂人くんが部屋に戻ってきてたらしい。
「だ、大丈夫?」
「う、うん!ちょっとびっくりしただけ……。」
私は櫂人くんがそれ以上何も追求してこなかったのを感謝しつつ、鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いに気づいた。
「良い匂い!何これ!」
「卵とじうどんだよ。見た感じ、お粥レベルじゃないでしょ?」
櫂人くんのいう通り、お粥しか食べられない程までは弱ってない。
かといって揚げ物を出されても食べられる自信がなかったので、そのチョイスは非常に助かった。
「わーい!ありがとう!いただきます!」
とろとろした卵に、生姜と出汁の良い香りのするスープ。柔らかく煮込まれた白菜とネギ。これで美味しくなかったら詐欺だよね。
私は、目の前に出された卵とじうどんをあっという間に平らげてしまった。
「ご馳走様でした!」
「お粗末さまでした。気に入ってもらえたみたいでよかったよ。」
「そりゃもう大満足だよ!こんな美味しいうどん初めてかも。」
流石にちょっとはしたなかったかなと思いつつも、美味しかったしあんまり気にしないことにする。
「そう言われると照れるなぁ。」
少し気恥ずかしそうに頬を掻く櫂人くんの手を見て、私は初めて櫂人くんがまだ手袋を外していないことに気づいた。
櫂人くんは入学してから一度も手袋を外したことがない。
今までなんとなく聞けなかったけど、今なら聞けるかも……。
「……櫂人くん。」
「どうしたの?」
「その──。」
どうしよう、言葉が出てこない。
これを聞いてしまったら、なぜかもう取り返しがつかなくなってしまう気がする。
そんな漠然とした恐怖に襲われた。
やっぱり、聞くのはやめておこう。
そう結論付けた時、私が話すよりも早く、櫂人くんが口を開いた。
「手袋、気になる?」
その瞬間、心臓が跳ねるのがはっきりとわかった。
気になっていたことを聞くだけなのに、全身の震えが止まらない。
ふと、あの時クラスメイトが教室で話していた内容が頭をよぎった。『もう両手ないんじゃないの説』。
もし本当に櫂人くんの手がなかったら?それを聞いたことで、櫂人くんを傷つけることになってしまったら?
そんなことが頭をよぎったが、無情にも櫂人くんは話を進めていく。
「……いつか二人には話さないといけないと思ってたから、ちょうど良いかもね。」
櫂人くんはそういうと、右手の手袋をスルスルと脱いだ。
綺麗な手だった。爪もきちんと整えられており、透き通るような白い綺麗な手。
想像とは違うギャップに思わず見惚れていると、櫂人くんはそのまま左手の手袋も脱いでいく。
「……え?」
絶句した。
私は、そのまま右手みたいな綺麗な手が現れるんだと想像していた。
だけど現実は、黒くて硬い金属。明らかに人体のパーツとしては異常なものが、櫂人くんの左手として機能していた。
ある程度の予想はしていた。覚悟も……していたつもりだった。だけどそれは、私が想像していたものよりもずっと無機質で冷たい現実だった。