(7)寝かしつけ係は災難にあう。
「やあ、久しぶりだな。まったく、お前ときたら全然変わらない」
開口一番、「垢抜けない」と嫌味を言ってくる兄弟子に目眩がした。こんな失礼なひとだったかしら。
「久しぶりね。まさか帰ってきているとは思わなかったわ」
「王都では働き詰めだったから少し疲れてね。のんびりしようと思って、しばらく前にこちらに戻ってきたのさ」
あの向上心むき出しだった兄弟子が、せっかく王都で得た縁を捨てて、故郷に戻ってくるとはとても思えなかった。どこまで本当のことを言っているのか。ただの休暇か、それとも何かあって王都での仕事を失ったのか。
「どこに泊まっているの?」
「それが実家の家族ときたら、僕が帰ったっていうのに部屋がないから泊められないの一点張りなんだ。まったく、薄情だろう?」
「連絡もなしに帰ってきて、受け入れてもらえると思うあなたがすごいわ」
そもそも、ここはよくも悪くも田舎なのだ。私を手酷く捨てたことで、彼の家族はかなり迷惑を被っている。彼の兄弟たちもまた硝子職人だったから、いろんな場所で当てこすられていた。今さら彼が帰ってきたからと言って、そう簡単に受け入れてくれるはずがない。どうしてこのひとは、それがわからないのか。
「ところでアンバー。指輪をしていないということは、君はまだ未婚なんだろう。どうだい。もう一回、僕とやり直さないか?」
「一体どういう風の吹きまわしなのかしら。自分に関わるなと言ったのはあなたでしょう。大体、王都で見つけたお嫁さんはどうしたの?」
「聞いてくれ、アンバー。僕はあの女に騙されたんだ。あの女ときたら、貴族からの支援がなくなった途端に逃げ出したんだ。しかも僕が作っためぼしい作品を持ち出した上でね。あいつらはきっとグルだったんだ。僕の作品だけが目当てだったんだよ!」
私の身体だけが目当てだったのね、みたいなことを現実に言うひとがいることに驚いて声も出せなかった。
なんとこの男は、支援者もいなくなり妻にも逃げられたらしい。不良物件としか思えないのに、どうしてこうも自信満々でいられるのかしら。今でも自分のことを好きに違いないと根拠なしに信じ込めるのは才能なの?
「ねえ、あなたの作品ってもう残っていないの?」
「いくつかはあるよ。ほら、今手元にあるものもそうだ。綺麗だろう。それなのに、みんなが田舎者の僕のことを馬鹿にして見下すんだ」
私は兄弟子の作品に触れ、小さくため息をついた。このひとは、作品までも変わってしまった。
かつてここに住んでいた頃、私とともに作った作品は確かにこの土地の匂いがした。彼ひとりで作り上げたときでも、しっかりと火龍さまの加護の色を感じることができた。
けれど、今の彼の作品は空っぽだ。外側はとても立派なのに、手に触れるとなんだかとても寂しい気持ちになる。彼は一体どんな気持ちでこれを作ったのだろう。
「ちょっと、離して」
「いいや。君は本当に馬鹿だな。よりを戻してやると言っているんだから、泣いて喜ぶべきだろう」
彼が何かを語るたびに、かつての思い出までも汚されるようで吐き気がした。もうこれ以上、幻滅させないで。
掴まれていた腕が自由になった。はっと見上げると、神官さまが兄弟子の腕をひねり上げていた。すらりとしているのに、神官さまは随分力が強いらしい。そんなことにも気がつかない兄弟子は、ひたすらわめき続けていた。
「おい、離せ! 何を割り込んでくる。通りすがりのあんたには関係ない話だろう!」
「無関係ではない。俺はアンバーに求婚をしている」
あ、その話ってまだ生きてたんだ。それとも、そういう体でかばってくれているの? 神官さまの表情は見えなくて、意図がわからない。けれど私を守ろうとしてくれるその態度があまりにも心地よくて、私はつい神官さまの袖を掴んだ。
「はっ、神官さまがわざわざこんな女に? そんな価値がこの女にあるのかな?」
「だが、お前はその女にご執心のようだ。まったく、何が『よりを戻してやる』だ。気持ち悪いんだよ」
神官さまに正面から切り捨てられ、兄弟子の顔が怒りで赤く染まった。
「大体、お前が王都で何をやったのか知られていないとでも思っているのか」
「それは」
「お前が本当のことを言わないのなら、俺が答えてやろう。こいつは王都でまったく芽が出なかったあげく支援者を失い、贋作作りに手を出したのさ」
この土地から持ち出された材料や道具たちが泣いていたぞと、神官さまがため息をつく。
「でも、彼の作品はとても評判が良くて」
「それはそうだ、こいつの作品はアンバーが手伝っていただろう。鉱物の声や火龍の記憶の色をもとに物作りをするんだ、魔力が暴発しなければ傑作しか生まれない」
「私が聞いた声と色」
兄弟子は神官さまの指摘を認めなかった。飛びかかってこないのが不思議なほどの強さで、こちらを睨みつけている。
「どうしてそんなことがわかる。全部あんたの妄想だ。こんなの言いがかり以外の何物でもない。こっちは出るとこ出たっていいんだ。訴えてやる!」
「それくらいわかるさ。だって、俺は火龍本人なんだから」
神官さまに腕を掴まれていた兄弟子が、突然叫び声を上げた。
「あああああああああああ」
のたうち回る兄弟子。まるで何かに焼かれるように苦しんでいるけれど、私の目からは何も見えない。ただひとりで、地面を這いつくばっているだけ。すぐ近くにいても熱さなど感じない。これは一体どういうことなの?
「熱い、熱い、助けてくれ!」
「ならば望み通り、水をくれてやろう」
兄弟子の身体が宙に浮き、夏至祭の会場から離れた場所に落とされる。そこはかつて湖だった場所だ。みるみるうちに水が満ちていく。
「これが、火龍さまの海……」
呆然とする私たちの目の前で、だだっ広い原っぱだったはずのそこは在りし日の姿を取り戻していた。