(6)寝かしつけ係は案内をする。
夏至祭当日、私たちは予定通り祭りの会場を訪れていた。
「随分と賑やかな祭りになったものだな」
「また年寄りくさい発言をして」
「こんな広い場所なのに、せせこましく集まらなくてもいいだろうに」
「もともと向こう側は、湖だったらしいですからね。今でもあの辺りで遊ぶな、家を建てるなど以ての外だと言われています。ときどき言うことを聞かないひとも出てくるんですけれど、まあ何かあった場合でも自業自得ですから」
私たちの村からは海など見えない。だから代わりにずっとここを「火龍さまの海」と呼んできた。湖が影も形もなくなってからもずっと。
ここは硝子作りで使う石を集める場所でもある。感謝の祈りを捧げていると時折、翡翠色の欠片がまぶたの裏を通りすぎていく。どこまでも透き通った翡翠色は、火龍さまの故郷の海の色なのかもしれない。
「このままでも別に問題はないんですけれど、もしもここが湖に戻ったら魚釣りをやってみたいなあと思っています」
「その時は、舟から落ちないように注意しろよ」
呆れたような顔をする神子さまは本当に可愛らしい。ここへお連れすることができて本当によかった。けれど、神子さまはどうにも言いたいことがあるみたい。
「お前の能天気さがうらやましいよ。未婚の男女が連れ立って祭りに参加する意味を知らないのか」
「まったく、神子さまったらおませさんなんですから」
夏至祭は、若い男女の出会いの場だ。祭りに誘うということは相手への好意を示しているし、その誘いに乗るということは告白を受け入れたと解釈してもいい。
――アンバー、僕と一緒に祭りに行ってくれないかい――
兄弟子もそう言って、私を夏至祭に誘ったんだっけ。ここしばらく夏至祭から足が遠退いていたのも、兄弟子のことを思い出したくなかったからだった。
そんなことも忘れて、自分から神子さまを夏至祭に引っ張り出したくなるくらい私の人生は充実しているらしい。
「私、お勤めに出て本当に良かったです」
「どうした、藪から棒に」
なんだか兄弟子のことで悩んでいたのがすっかりどうでもよくなって、思わず神子さまの小さな手を握りしめた。
「神子さま、かき氷を食べましょうよ!」
「だから、いきなりなんなんだ」
「天然氷を削り出したかき氷ですよ。甘い蜜がかけられていて、とっても美味しそうです」
「そんな甘いもの、俺はいらん!」
「じゃあ、ひと口ならどうですか。あーん」
「誰が食べるか!」
「もしかして、神子さま気にされてます?」
「お、俺は別に間せ……」
「同じ食べ物に口をつけたりすると、虫歯が心配ですよね。大丈夫ですよ。最初に神子さまに差し上げますので。あ、そうすると今度は毒味の問題があるのかしら?」
「……俺に毒は効かん」
なんで神子さまががっくりされているのかしら。それともやっぱり蜜の味は、黒蜜がよかったのかな。男の子が甘いものが好きでも馬鹿になんてしないのに。もっと希望を聞いてあげたらよかった。
***
かき氷をあらかた食べ終わった頃、珍しいひとが祭りの会場をうろついているのを見つけてしまった。嘘、大丈夫なの? だれか付き添いは? 大慌てで呼びかける。
「ひいおじいちゃーん!」
「はあ? どなたじゃったかの」
不思議そうな顔でこちらを眺めてくる様子から察するに、今日の曾祖父もあやふやな夢の世界を過ごしているみたい。屋台のお金をちゃんと払ったのか、後からちゃんと確かめなくちゃ。
「もう、また曾孫の顔も忘れちゃって。アンバーよ」
「なんじゃ。アンバーか。もう飯の時間か?」
「今お勤めに出ているから、ご飯係は私じゃないのよ。ひいおじいちゃんったら、弟か妹をまいちゃったのね。どうにか連絡をとって、迎えに来てもらわなくちゃ。神子さま、すみません。ちょっとお時間をいただきたいのですが」
すると曽祖父は、隣にいた神子さまに向かって、嬉しそうな顔でしゃべり始めた。
「おやおや、今宵も神子さまとしてお忍びですかな。それにしても、しばらくお会いしないうちに、えらくちんまりなさいましたのう」
「っ!」
「ちょっと、ひいおじいちゃん! 駄目でしょ、神子さまに変なことを言っちゃ」
ひえええ、不敬罪だよ。慌てて曽祖父の口を塞ごうとするけれど、するりと逃げられてしまう。おまけにこういう時に限って普段の様子が嘘みたいに饒舌なんだよ。誰か、助けてくれ。
「凛々しいお姿はおなごたちに人気がありましたが、このお姿はそれはそれでまた女子どもが喜びそうではございますなあ」
「神子さま、本当にすみません。ひいおじいちゃんったら、誰かと勘違いしているみたいで」
「いや、構わない」
「これならば、万年雪も凍てつく氷もいずれ溶けましょうぞ。いやはや、楽しみですなあ。またこの湖で競漕をやりたいものですなあ」
「もう、ひいおじいちゃんったら。ときどき妙なことを口走るんです」
「別に怒っているわけではないのだ、ただ少し驚いただけで」
ぎゃあぎゃあ騒いでいるのを聞きつけたのか、下の弟が曾祖父を引き取りにきた。祭りには家族も出店していたそうで、お客さまとやりとりをしている間にいなくなってしまったらしい。
「本当にお騒がせしました」
「それにしても、年の割りに元気だったな」
「曾祖父は、『初めの子どもたち』なので。強い加護のお陰で、ずいぶん長生きをさせてもらっていますよ」
私の言葉に、少しだけ神子さまの顔が翳る。
「まったく迷惑な加護を与えたものだな」
「そんなことありませんよ。ただ火龍さまは、仲良くなったひとたちときっとずっと一緒にいたかったんでしょうね」
「ああ、それだけだったんだ」
神子さまはずっと、弟に連れられて帰っていく曾祖父の後ろ姿を眺めていたけれど、とうとう追いかけ始めてしまった。私ももちろん追いかけたのだけれど、目の前にいたはずのふたりはまるで煙のように消え失せていた。
***
「おい、どうしてこんなところにいる。祭りの会場は正反対だぞ」
「み、み、み、神子さまが!」
「……ああ、そういうことか。悪かったな。大丈夫だから落ち着け」
神子さまを見失いひとり慌てふためいていた私に声をかけてきたのは、例の美形神官さまだった。何でもあの後曾祖父と話をしたあと、神子さまは先に神殿に戻ることにしたらしい。
こんな場所で迷子、ひいては遭難という最悪の事態を想像していただけに、一気に気が抜けてしまった。
「心配をかけたな。お前に怪我がなくて本当によかった。迷惑をかけた詫びに、何か奢ろう。まあ今すぐに準備できるものは、屋台のものしかないがな」
「神子さまを案内していたはずが、神官さまに案内されることになるなんて、なんだか不思議です」
「俺だって祭りの案内くらいできる」
「神官さま、女性に不自由してなさそうですもんね」
「おい、それが自分に求婚してきた男に向かって言う台詞か」
「ああ、そういうこともありましたっけね」
神官さまとの距離感は心地いい。最初にへたれな神官さまを見たせいか、なんだか肩肘張らずに会話することができる。あの麗し過ぎる顔面にときめけないのは残念な気もするけれど、いちいちときめいていたら心臓が持たないので、これくらいの関係性がちょうどいいのかもしれない。
「あ、神官さま。神子さまはどちらかね?」
「みこさま、どこー?」
祭りの会場に戻ると、神子さまと同じくらいの子どもから、年の離れた大人に至るまで、さまざまな年代のひとに囲まれてしまった。その上、予想外のことが起きる。
「神官さま、これ、神子さまと火龍さまにどうぞ」
「なかなかあの山を登るのが難しくてね。どうぞ火龍さまたちに持って帰っておくれ」
「神官さま、いつもありがとう!」
各店の自慢の逸品から綺麗な押し花や木の実、よく磨いた泥団子まで。麗しの神官さまは、勢いに負けていろんなものを押しつけられている。
「こ、これは」
「おてがみー」
「たいしたもんじゃないが、お礼さ。もらってやっておくれよ」
「手紙、なのか?」
困惑しきりといった神官さまの様子に、つい吹き出してしまった。
「この辺りでは、まだ文字を書くことができないひとがたくさんいますので。感謝の気持ちを、自分たちが用意できるものに込めたんですよ」
文字を書けない子どもたちからの「大好き」を抱えて、神官さまは周囲をまぶしそうに見つめていた。
「こうやって気持ちを伝えてもらえるのは、嬉しいものだな」
「そうですね。みんな、日々火龍さまに祈りを捧げてはいますけれど、それは火龍さま本人にしか伝わりませんものね。一生懸命働いている神子さまや神官さまにだって、みんな感謝しているんです。本当は、このことを神子さまにもお伝えしたかったんですけれどね」
「伝わっていると思うぞ。かき氷屋の店主も、かき氷を渡せるのをえらく喜んでいたしな」
「いつから私たちのこと見ていたんですか! やだなあ。こっそり見るくらいなら、一緒に屋台を回りましょうよ」
「悪かったな。……目をつぶり、耳をふさいでいたら、自分の思い込みしか見えないし聞こえないことを、俺は忘れていたよ」
神官さまが急に詩人になった。こうやって真面目な顔をしていると、神官さまはやっぱり美形で神々しいんだよなあ。しみじみと感心していると、よく知った声が耳に入る。
「誰かと思ったら、アンバーじゃないか」
それは王都で結婚したはずの兄弟子だった。