(2)寝かしつけ係は夢で出会う
部屋に戻ると、神子さまはひとり不貞腐れて頬杖をついていた。その髪を彩るのは、私の髪に挿さった簪と同じ蜻蛉玉。神子さまの髪色によく映える。うちの弟は見立ても腕も抜群ね。
それにしてもあの神官さまったら、一体どういう伝手で簪を手に入れたのかしら? 今度弟に確認しておかなくちゃ。
「随分と遅かったな」
「すみません! 変し……いえ、ちょっと風変わりな神官さまの対応をしておりまして……」
おっと危ない危ない。うっかり変質者なんて言葉を使うところだったわ。いつか教える必要もあるだろうけれど、それは絶対に今じゃないわ。大体こんな話を始めたら、神子さまが寝るわけがないもの!
「その神官とやらとは、どういう関係なんだ。結婚するのか」
「初対面にも関わらず求婚してくるような危ないひとと結婚するわけないじゃないですか!」
「じゃあ、他に付き合っている男がいるわけじゃないんだな」
「今は仕事一筋です。神子さまが大きくなってひとりで眠れるようになるまで、ずっとお側におりますよ」
――有名な硝子職人の娘だというから結婚してやろうと思ったのに。本当に使えない――
兄弟子が語っていた友人へのぼやき。偶然耳にしてしまったときの胸の痛みはしっかりと覚えている。周囲はそんな男なんて忘れて次に行けと言ってくれるけれど、そう簡単に気持ちなんて切り換えられない。
……って、あれ。なんで神子さま、私が求婚されたことをご存知なのかしら。聞き返そうとしたけれど、どうにもご機嫌ななめらしく、ぷいっと背を向けられてしまった。
「神子さま、もうすぐお休みの時間ですよ」
「だから、俺は眠くないと言っているだろう」
いやいや、そんなこと言ってますけど結構眠いですよね? 眠すぎて、機嫌急降下中ですよね? 眉間にしわが寄っているし、口も尖らせちゃって。ああもう、せっかくお風呂に入ったんだから、ごろごろと床を転がるのはやめてくださいよ。
「眠くなくても横になっていれば、すぐに眠気が訪れます。次に気がついたときには、きっともう朝ですよ。私なんか、布団の中に入れば毎日、三二一ぐうですもの」
「それはお前だけだ」
つまり、まだ寝るつもりはないと。今日は強い陽射しの下で桑の実を摘んでいたから、結構お疲れのはずなのに。けれど私は、必殺寝かしつけ職人。お子さまのぐずりには屈しない!
「夜更かしをしていると、大きくなれませんよ」
「子ども扱いするんじゃない」
「それでは明日の朝食には、苦蓬のお茶を出しましょうね」
「お前はもう少し俺を敬え」
「めちゃくちゃ敬っているじゃありませんか。うちの末の弟なら、問答無用でお尻ぺんぺんです」
ふてくされる神子さまを持ち上げ、寝台まで運ぶ。昼間夢中になって桑の実を食べたせいで、指先がいまだに染まったままなのが可愛らしい。一度口に運んであげたのだが、その後は自分でできると突き返されてしまったのだ。思い出し笑いをすると怒られてしまうので、すかさずあくびをして誤魔化してみた。
「なんだ、今の嘘くさいあくびは」
「朝が早くて、私も眠いのです。神子さま、今からどちらが先に寝られるか競争を始めましょう」
「男の俺と一緒に寝るつもりか。なんて下品な女なんだ」
「いや床で寝ますよ? まあ神官の皆さま方には、神子さまと一緒に寝てもらってかまわないと言われていますが、神子さまを温石扱いするなんて恐れ多いですもの」
「お前、じじいたちの思惑を何ひとつ理解していないな」
「そんな汚い言葉を使ってはいけません。さあ、もう口を閉じて。良い夢を」
「おいこら離せ。俺を寝かしつけるな」
ふふふ、残念でした。私の手は、魔法の手。背中をとんとんしていれば、どんな子どもたちも眠りに落ちる。自分の才能が怖くて震えるわね。
つらつらと馬鹿なことを考えていると、かくんと自分の頭が揺れるのがわかった。やっぱり来たか。
眠っている子どもって、揮発性の眠り薬を発生させているんじゃないかしら。魔法の手を持っていても、これにはさすがに敵わない。もういいや。夜中に起きていられたら家族に手紙を書こうと思っていたけれど、潔く諦めることにする。今日も床の敷物がお布団か。
意識を飛ばす直前、何やら神子さまがむにゃむにゃと寝言を言っていたような気がしたけれど、眠すぎる私にはそれを言葉として認識することができなかった。
***
「おい、起きろ」
「うーん、神子さま。まだ朝の鐘は鳴っていませんよ」
「それはそうだ、まだ夜だからな」
神子さまとは違う男の声。慌てて飛び起きると目の前にいたのは、先ほど足元にすがりついていた神官さまだった。
「嘘でしょう。まさか神子さまの部屋まで追いかけてきたんですか。この変態!」
「部屋に侵入などしていない」
「じゃあどうして私の前にいるんです」
「もともとここは……。いや、ちょっとした術で互いの夢を繋いでいるだけだ」
「なにそれ怖い。やっぱり変態じゃん」
このひと、本当に頭大丈夫なのかしら。まさか私に付きまとっているとみせかけて、神子さまのお命を狙っている間諜なのでは?
周囲を確認してみたけれど、夢を繋いだという言葉通り、神子さまの姿はない。今のところ、神子さまが危害を受ける心配はしなくていいみたい。
「いくら美少年とはいえ、神子さまに付きまとうのはやめてください。女性への付きまといはいけませんが、私を隠れ蓑にして年下の少年に懸想するのはもっと良くないかと」
「は?」
「人間、諦めが肝心ですよ」
「……お前、また腐った妄想を繰り広げているな。俺の顔を見て何か気がつかないか?」
「はあ、腹が立つくらい整ったお顔ですね」
「それだけか」
「声をかけられてなびかなかったからって、今度は八つ当たりですか。やだやだ」
「俺の顔に見覚えはないのかと聞いている」
呆れたようにため息をつかれ、改めて神官さまを観察してみた。結い上げた艶やかな長い髪に鼻筋の通った顔立ち。瞳や髪の色合いは神子さまによく似ていて……。
「もしかして……」
「そうだ、俺は」
「神子さまは、あなたの弟なんですか!」
「違う!」
なぜか大声で否定された。いや、今まで気づかなかった私が言うのもなんだけど、めちゃくちゃそっくりじゃない。血縁者じゃないとかありえないでしょ。
「弟じゃないなら、まさか息子?」
「そんなわけあるか!」
「なるほど。いわゆる遠い親戚ってやつですね?」
「はあ、もうそういうことにしておいてくれ」
つまり、訳ありってことね。高貴な方の御落胤なのかしら。
「お前と話すと疲れるな」
「奇遇ですね、私もですよ。そういうわけで、さっさと夢の繋がりを切ってください」
「俺は、お前が求婚を断った理由を聞きたいだけだ」
「それだけ? それだけのために、わざわざ貴重な魔力を使って夢を繋いだんですか? はあ、神官さまって本当によくわからないわ」
まあ女日照りをこじらせたあげく、頭が沸いてしまったひとが正常な判断を下せるわけがないか。
「そもそもよく知らない相手に求婚されて、承諾するほうがおかしいでしょう」
「うっ」
「あなたの場合は、よく知らないどころか出会い方が変質者でしたし」
「他に男がいるわけではないのだな」
「ここには基本的にご高齢の神官さまたちしかいらっしゃらないじゃありませんか。若手の神官さまにお会いしたのは、あなたが初めてですよ」
なんかこの会話、さっきもどこかでしたような?
ふと彼の指先を見ると、神子さまと同じように指先が桑の実で染まっていた。こんな美貌の男性でも、指先を汚して桑の実を食べるのかしら。自分で食べたくせに女性に食べさせてもらったつもりになるなんて、怖いを通り越してちょっと可哀想になってきた。
本当なら、平民で嫁き遅れの私にはもったいないほどの優良物件なのだろう。でももう傷つくのは怖いから。
「結婚してあげることはできませんが、今日漬けたばかりの桑の実酒を一瓶差し上げましょう」
「なに、いいのか!」
途端に目を輝かせる神官さま。意外といける口らしい。おっと危ない、言い忘れるところだった。
「実際に飲めるのは半年ほど先ですからね。ちゃんと我慢してくださいね」
「ここでもまた生殺しか!」
「しょっちゅう私が誰かを生殺しにしているような言い方はやめてください」
このひとの発言、本当に誤解しか生まないな。何でもいいから、早く現実の世界に返してちょうだい。お願いします。
翌朝貯蔵庫の中を確認してみたところ、仕込んでおいた桑の実酒が本当に一瓶消えていた。恐るべし、神官さまの術。