(1)寝かしつけ係は求婚される
「アンバー、愛している。どうか俺と結婚してほしい」
「えっ、嫌です」
そもそもあなたは一体誰なんですか。私は頬を引きつらせながら、足元にすがりつく謎の若手神官さまを引き離そうと必死になっていた。
美形ってすごいな。涙をぽろぽろ流していても、めちゃくちゃ綺麗なんだもん。私が泣いたら鼻水がだらだら出てくる上にしゃくりあげるから不細工極まりないっていうのに、まったく神さまってやつは不公平だわ。
「そんな。俺を抱きしめて過ごした夜の温もりをお前は忘れてしまったのか。お前にとって俺と過ごした時間は、将来を誓うには値しないと? だから約束もなかったことにしてしまうのか?」
「ちょっと、誤解を招くような発言はやめていただけます? ご高齢の神官さまたちばかりだというのに、驚きのあまり心臓発作を起こして倒れてしまったらどうしてくれるんですか」
感心している場合じゃなかったわ。完全に周囲の神官さまたちに不審がられている。職場で色目を使っているとか邪推されて、割りのいい仕事を失くしちゃたまらないわ。ちゃんと誤解は解いておかなきゃ。
「申し訳ありませんが、どなたかと勘違いなさっているのではないでしょうか」
「勘違い? 一緒に桑の実を摘み、食べさせあったことも幻だと? 口に含んだお前の指は、何よりも甘かったというのに」
「何それ怖い。確かに今日桑の実摘みには行きましたけれど、勝手に私たちの後をつけてきたあげくに妄想炸裂ですか?」
「うわあああああああ、一生一緒にいてくれるって言ったじゃないか! 揃いの簪だってほらここに!」
神官さまの結い上げた長い髪の上でしゃらりと揺れるのは鮮やかな蜻蛉玉。硝子職人である弟の手製のものだ。受注生産をしているので、市場には出回っていないはずなのに。
「やだ、私が神子さまに差し上げた簪と同じものをどうやって手に入れたんですか。気持ち悪い」
「き、気持ち悪いだと?」
唐突に床に崩れ落ち、絶望したように拳を震わせている。このひと、禁欲の果てに煩悩が噴き上がって、頭が沸いちゃったのかな。お気の毒に。
足元の美形が泣き叫ぶと、神殿の灯りが一斉に消えてしまった。色情魔の次はお化け? この忙しい時間帯に怪談話なんてお呼びじゃないんだけれど。
***
私の勤め先は、火龍さまを祀っている神殿だ。とんでもない標高にあるため、ここに建築を決めたやつは馬鹿かと正直問い詰めたくなる毎日だったりする。
まずめちゃくちゃ寒い。手足は夏でも氷のように冷たくなるし、買い出しだって行きにくい。神殿から見える山の頂きには万年雪があるくらいだ。
もちろん流行とは無縁の場所のため、若い女性は基本的にいない。王都の神殿だと、花嫁修業代わりに下働きとして勤めることもあるらしいんだけれどね。
そんな環境にも関わらず、私がここで働いている理由はただひとつ、お金である。この神殿は、お給金が抜群にいいのだ。
最初、お勤めの話を耳にしたときには、「まさか若い娘を無料で奉公させる気か。やりがい搾取か、ああん?」なんて思ったものだけれど、全然これっぽっちもあくどくなかった。疑ってすみません。
しかも職務内容は極めて健全なもの。なんと神官さまたちは不眠の神子さまを心配して寝かしつけ係を求めていたのだ。
『眠れぬ神子さまのお世話ですが、具体的にどのようなことを希望されているのでしょうか』
『それを今この場で語れと? はあ、夜に寝物語などを語って相手をしてもらえれば……。これ以上は不粋だ、我々がいちいち指図することではなかろう。その場その場で必要と思われることをしてくれればそれでよい』
その回答を聞いた瞬間、私は思わず鼻息を荒くしてお世話係に立候補してしまった。嫁き遅れな上、とりたてて手に職のない娘には夢のような職場だったから。
名のある硝子職人の家に生まれたというのに、硝子作りの才能は私にはまったくなかった。それでも結婚予定だった兄弟子と二人三脚でそれなりにやっていたけれど、彼は王都に行ったまま帰ってくることはなく、結婚の話も手紙一枚で白紙に戻された。
家族はこのまま実家にいてくれてもいいと言ってくれているけれど、嫁いでくる女性たちやこれから生まれる子どもたちには鬱陶しがられるのは必至。だからこちらも必死だったのだ。
『むずがる赤子から生意気盛りの子どもまであっという間に眠らせる、凄腕の寝かしつけ職人とは私のこと。ぜひ幼い神子さまのお世話係に任命ください』
『は?』
『抱っこをしていなくては全く寝てくれない赤子も、夜泣きが酷くて周囲に絶望をまき散らしていた幼子も、ぜんまいの壊れたおもちゃのように一日中動き続けるやんちゃ坊主も、がっつり寝かしつけてまいりました。どうぞご安心を。遊び方や寝かしつけの仕方に難しい要望があるとなかなか一筋縄ではいきませんが、先ほどのお答えですとそのあたりは柔軟に行動してもよいようですし』
貧乏子沢山の家では子どもと言えど貴重な働き手。我が家でも、弟妹のお世話は私の仕事だった。唯一の特技が活かせる職場を逃してなるものか。
『まあそなたがそこまで言うのであれば……。だが、辞めたいと言われたところで早々辞められぬ仕事だというのはわかっておろう』
『当然です。根性だけは自信がありますから!』
『はあ、やはりそなたは何もわかってはおらぬ。母親から教わってはおらんのか』
『母は早くに亡くなりまして。家業である硝子職人としての才もありませんでしたが、そのぶん体を動かしてしっかり働きますので!』
『わかったから落ち着きなさい』
なぜか心配されるような形で働き始めたが、神殿での生活は楽しいものだった。
『どうせお前もすぐにいなくなるんだろ』
『大丈夫ですよ。神子さまが大きくなって、ひとりで安心して眠れるようになるまでずっと一緒です』
『ふうん』
『なんとお呼びすれば良いでしょうか』
『信用できるようになったら、俺の名を教えてやる』
疑わしそうにこちらを見る神子さまの目。その目の色が少しずつ、温かく柔らかなものに変わっていくことが嬉しかった。
『おい、毎日外に引っ張り出すな』
『神殿の奥に引きこもっていたらカビが生えちゃいますよ』
『俺の仕事はそのカビくさいところで祈りを捧げることだ』
『別にお日さまの下で祈ってもいいじゃないですか。それかちゃちゃっと済ませるか。よく食べ、よく遊び、よく寝る。それが子どもの仕事です』
『俺は子どもじゃない』
『大丈夫、みんなそう言って大きくなるんですよ』
いささか口が悪い神子さまだけれど、今までお世話をしてきた子どもたちに比べるとはるかに聞き分けのよい育てやすい方だ。ぶつくさ言いながらも、なんだかんだ私の提案に付き合ってくれる可愛い神子さま。
働きはじめてから数ヵ月。神子さまとの距離もすっかり縮んだと思っていたのに、こんな面倒なことに巻き込まれるなんて。
***
神殿の鐘が鳴り始める。その音に反応したのか、周囲に光が戻った。ああ、よかった。真っ暗なままじゃ、移動もままならないところだったわ。いまだにうずくまったままの美形神官さまから、急いで距離をとる。
「そろそろ寝かしつけの時間なので失礼させていただきますね」
「アンバー、俺は!」
「ああ忙しい、忙しい」
子犬のような目で私を見上げてくる謎の神官さま。彼の視線の圧に耐えつつ、いつもの老神官さまに必要事項を伝える。生活必需品を受け取りにきただけなのに、どうしてこんなわけのわからない事態になっているのやら。やだやだ、早く部屋に戻らなくちゃ。
「さあ、急がないと。可愛い神子さまがお待ちだわ」
「あああああ、目の前にいる俺を無視しないでくれ!」
知らない。聞こえない。こちとら日々の職務をこなすだけで精一杯。甘酸っぱい恋の話は、よそでお願いいたします。
廊下に水たまりができる勢いで悲嘆に暮れる美形神官さまと、いぶかしげにこちらを見つめてくる老神官さまを放置し、私はその場をあとにした。





