9 郷土史家
豪邸をあとにしたばかりだったからか、その家は小さく見えた。林のそばにあり、竹藪の枝葉が覆い被さるようになっていてなんだか薄暗い。門扉のないブロック塀に囲われ、門の右手が平屋のやや古びた、もとい、歴史ある日本家屋で、左手はテニスコート半面ほどの庭だった。庭は草茫々だったが、なんだかわからない植物の向こうには池が透けて見える。めっちゃ蚊が出そう。
おじいさんは断りもなく庭に入ると玄関へ行き、格子の入ったガラス扉を勝手に開けようとするがガタピシとなかなか開かない。ついていったあたしたちはちょっと離れたところでそれを見守ったが、さっそく蚊がぷーんと寄ってきて慌てて追い払う。
「おーい、いるかー!」
扉を開けながらおじいさんが怒鳴ると奥からごとりとなにかの音がした。目的の人物はご在宅のようだ。
やっと扉が開いてあたしたちは玄関へ飛び込んだ。ちょうど廊下の奥からシルエットになった人物が出てきた。
「なんだ、連絡もなしに」
不機嫌そうな声が聞こえる。
「いつものことじゃないか」
「連絡してから来いと言っとるんだ」
そんな言葉を聞きながらあたしはガラス扉を閉めようとするが、建て付けが悪くて閉まらない! 蚊が! 蚊が!
小夜ちゃんが追い払ってくれるが、なんとか扉を閉めた時にはふくらはぎを一カ所刺されてしまっていた。モスキート、許すまじ!
「なんだ、その子らは? お前の孫か?」
振り返ると目をまん丸にしたおじいさんが、着物の帯を締めながら立っていた。
痩せていて、眉毛がキリリと上がっている。高い鼻の上にレンズの小さな眼鏡を乗せていた。口角が下がっているのは不機嫌だからだろうか。ほぼ真っ白な頭はきちんとカットされている。
「いや、友達だ。お前の知恵を拝借したいとよ」
おじいさんがなんだか可笑しそうに言った。いつの間に友達になったのだろう。でもそう言ってもらえてなんだかうれしい。
「ふん、なにが友達だ」
そう言うと着物のおじいさんは踵を返して奥へすたすたと歩いていった。あれれ、門前払い?
ちょっとがっかりしたところへ、
「よし、上がりな」
とおじいさんが靴を脱ぐ。
「え、でも」
「やつはいつもあんな感じだ。帰れと言わなかったらウエルカム」
おじいさんはどかどかと奥へ行く。
「……おじゃましまーす」
あたしたちも靴を脱いだ。
「栗山陶元だ」
あたしたちの向かいのソファに腰掛けた着物のおじいさんが、着物の袖に腕を突っ込んで腕組みして言った。
通された部屋は散らかっていた。古い本が所狭しと置かれているのだ。和綴じの本も多い。柱も壁も黒っぽく塗られていて、庭に面したレースのカーテンが引かれた掃き出し窓は大きく、電灯も点けているのだがなんだか薄暗く感じる。ただ、嫌な感じはしなかった。蚊取り線香のほのかな香りが漂っているからだろうか?
あたしたちの斜めのソファに座った立花のおじいさんがにやりと笑ったのが気になったが、そのままあたしと小夜ちゃんは自己紹介した。
「それでなんの用かね」
陶元さんはなんだか機嫌が悪そうだ。
「えーと」
どう切り出せばいいのだろう。相手がなに者なのかわからないのだ。あたしは助けを求めて立花のおじいさんに目を向けた。おじいさんにあたしの念波が届いたようで、
「こいつはな、こう見えて、えーと、なんだっけな?」
「こう見えてとはなんだ。まあ世間一般には郷土史家などといわれておるが、老後の暇つぶしだよ」
郷土史家! ってなんだっけ?
「そうそう、郷土史家。この辺りの昔のことならなんでも知っとるぞ」
「おい!」
ははあ、ただの昔話好きのおじいさんではないわけだ。
「だからなんでも聞いてみな」
ふたりは黙ってあたしたちの言葉を待った。
「えーとですね、新しくできたショッピングモールの辺りで、そのー、昔なにか不思議な出来事がなかったかなーなんて」
陶元さんの眉間にわずかにしわが寄り、首がほんの少しだけ傾いだ。ちょっとわかりにくかっただろうか?
「この子たちは一体なんなんだ?」
「わしにもよくわからん」
「ふむ、昔というのはいつ頃の話だね?」
それでもまだ話を聞いてくれる陶元さんは、態度はぶっきらぼうだが実は優しい人なのかもしれない。
「たぶん――戦国時代、ひょっとしたら、もっと前のことかもしれません」
小夜ちゃんがおずおずと言った。
「戦国時代かあ。で、その頃の不思議な話?」
「はい……」
「うーん」
陶元さんは腕組みをして天井を眺めた。質問が漠然とし過ぎているだろうか。
「嬢ちゃんたち」
立花のおじいさんがあたしたちにずいと身を乗り出した。
「なんか隠してるだろ?」
ぎくっ。
「社会の宿題ってのもウソだな」
ぎくぎくっ。ってそんなことは言ってない。
「話してみな。ちゃーんと話せば力になれるかもしれん」
そうか、隠し事があるからこんなややこしいことになってるんだな。あたしたちをまっすぐに見つめてくる立花のおじいさんと陶元さん。このふたりなら頼りになるかもしれない。
あたしと小夜ちゃんは視線を交わし、強くうなずいた。