第三十九話 帰還と再会
リヴァルタ渓谷に帳が降りて、ひときわ深い闇空のなか、唯一明かりが灯る宿泊所の戸を叩く音がした。
逸る気持ちを堪えきれずに扉に向かい、レスターに咎められる。そうして警戒しながら迎え入れたのは、待っていたダンちゃんたちだった。
ダンちゃんの背にはすっかり寝入っているパリス。その隣に背を支えるように手を添えるリュシアンと、後方には同じく幼いレーニィを背負うヴァンさん。
「お帰りなさい、さあ入って」
レスターの横から身を乗り出すようにして彼らを迎え入れ、パリスとレーニィを寝台へ連れて行く。そして大人組三人には、温かいスープを振る舞った。
子供たちが怪我もなく戻って来られたことに安堵しつつ、人数が足りないことに気づく。
「……そういえば、迎えに行ったはずのハルさんは?」
「ハルムートは、合流して直ぐに別ルートで、領兵たちをロゼに連れて行った」
ダンちゃんによると、私たちが飛び立った後、子供たちを護りながらダンちゃんは領兵たちをけっこう全力で倒してしまった。子供に戦闘を見せたくなかったとはいえ、少々やりすぎたと反省するダンちゃん。それでハルさんたちが合流した時にはまだ領兵たちは昏倒していたらしい。
そんな領兵たちをハルさんが介抱してから拘束し、彼が全員をロゼに連行することになったという。
「よく、あの人たちが素直にハルさんに従ったわね。私が居た時には、とてもこちらの言い分なんて聞き入れてくれそうもなかったのに」
「ああ、不思議と目が覚めたら憑きものが落ちたかのようだったから、ハルムート一人でも大丈夫だと判断した」
「もしかして、私がまだ居たら……?」
何度起きても襲いかかってくる可能性があったってこと?
その状況を想像するだけで、鳥肌がたつ。
「やっぱり、飛び降りて正解だったのね。こちらだけでなく、彼らの安全のためにも」
状況を把握しているダンちゃんやリュシアンだけでなく、待っている間にこれでもかと小言を繰り返していたレスターも、閉口する。
「それで、こちらはどういう状況だ? 殿下は? トレーゼ閣下もいらしているとハルムートから聞いたのだが」
ダンちゃんがキョロキョロと周囲を見回す。今、居間には私とレスターのみ。バルナ卿と二人の部下、それからフェルゼンさんは別室で何やら坑道について話し合っているみたい。食事の時まで専門的な言葉が交わされていて、私にはさっぱり分からなかった。
「殿下は今晩、ロゼに泊まって朝にはまたギレンに戻る予定よ。だからハルさんと今頃は合流できているんじゃないかと思う」
「ロゼに? ギレンに戻るって、どうしてだ?」
「実は、急遽決まって……トレーゼ侯爵もそこに」
驚いているダンちゃんに、詳細を話して聞かせる。
シュベレノア様の持つ核結晶、つまり二つ目の宝冠と呼ばれていたものを取り上げる必要があること、そしてアルシュの人々の魅了を解くには、願いの成就、つまり殿下との婚礼を挙げることだと結論づけたこと。それらを実行するために、動き出したことを。
「はあ? なんだよそれは」
横から素っ頓狂な声を出したのは、それまで大人しく経緯に耳を傾けていたリュシアンだった。
「お前……いいのかよ、それで?」
「いいもなにも、一芝居打つだけのことでしょう。それで皆の魅了が解けるかもしれないのならば、やらない理由はないわ。そもそも、殿下にこの案を発案したのは私よ」
そこまで言ったところで、急にヴァンさんが立ち上がり、私の前まで来て両膝をつき頭を下げた。
「え? ちょっと、ヴァンさん?!」
慌てている間に、彼はそのままめり込むかのような勢いで床に額を押しつける。
「罪もなき領民のため、それほどまでに心を砕いていただき、主に代わり御礼申し上げます」
「ヴァンさん、ちょっと待って?」
「いいえ! アルシュの騎士をいただきながら、シュベレノア様の企みを阻止することも出来ず、民がおかしくなっていくのを見ていることしか出来なかった私が、礼などと厚かましいことは重々承知しております……ですがどうしても感謝の念をお伝えしたく」
土下座をしたままのヴァンさんに、リュシアンが寄り添うものの、彼とてどう言葉をかければいいのか分からない様子だ。
ダンちゃんとレスターは、何か言いたげではあるけれども、あえて無言でヴァンさんを見ている。どうも、彼に助け船を出す気はないようだ。
ってことは、私がどうにかしないといけないわけで。
「あの……ヴァンさん? あなたが私に謝る必要はないです、どうか頭を上げてください。私のことを誤解していると思いますよ」
その言葉に、ヴァンさんが少しだけ額を床から離した。
「私は、アルシュの人たちというより、殿下のためにそうしたんです。そんな褒められるような動機ではありません。アルシュの人たちの魅了が解けないままでいたら、彼らの心に殿下への不信が生まれ、それを放置してしまったら殿下に対する不和の種になるかもしれないと……とても打算的な意味からです」
確かに、罪のないアルシュの人々にとって今の状況は不憫に思う。もしも宝冠に定められた約束が王族との婚姻でなかったら、「可哀想」で終わっていたかもしれない。
「だから、謝る必要はないです。どうか顔を上げてください、そして謝るくらいならば、ぜひ解放軍も含めて、全力で今回の偽の挙式のために協力をお願いします」
おずおずと顔を上げたヴァンさんに、私はにかっと笑って見せた。
この提案だって、決して彼のために言ったわけではない。たくさんの人々を欺すのだから、協力者は、多ければ多いほどいい。それだけだ。
私はヴァンさんに手を差し伸べ、彼を立たせるのだった。
そうして慌ただしい一日をようやく終えて、迎えた翌朝。
朝日が昇りきらない時間、空が白みかけた頃にレスターは馬でロゼに向かった。急げばギレンに到着する前には、殿下たちに合流できるだろう。
リヴァルタ渓谷は、人々が工具を手に集まる騒動など嘘だったかのように、いつもと同じ静かな朝を迎えている。起き出してきたパリスとレーニィに朝ご飯をご馳走してから、二人とゆっくり洗濯をすることに。服だけじゃなくて全身が細かい砂や埃だらけなので、もう身体も洗っちゃおうということで、服を着たまま川の水を誘導して作られた、小さな堰に入ることにした。
「冷たっ」
「二人とも、流されたら大変だから、川の方には行かないでね」
「はーい」
少しだけ腫れが残る足首が、水に冷やされて気持ちが良い。
殿下が言った通り、緊張状態で痛みを自覚できていなかったようで、それなりに捻挫していたみたい。とはいえ、さほど酷いわけではないので、このまま静かに過ごしていたらすぐに直りそうだった。
そうして三人で水浴びをしていると、ダンちゃんが血相を変えてやってくる。
「コレット、それを洗濯とは言わない、風邪をひくぞ」
そう言いながら、濡れ鼠になった私たちを、大きな布でまとめて拭き上げるダンちゃん。
パリスもレーニィも、きゃっきゃと声を上げて喜んでいる。すっかり二人ともダンちゃんに懐いてしまった。
そうして自分と洗濯物をようやく干し終わった頃、渓谷橋下の広場には、三台の大きな荷馬車がやって来ていた。
先駆けで来た知らせによると、荷は橋脚の補強に使われる石材らしい。
広場に停車した荷馬車はとても大きく、見上げるほどの高さに荷が積まれている。相当な重量なのだろう、荷を引く馬は四頭立てだ。
それだけじゃない。荷車には新たに製鉄されて作られた車輪と車軸が使われていて、最新型だ。これならば今までと比べられないほどの物を、容易に運べる時代が来るのだ。最初は、この荷馬車が通れるような整備された街道が通る町から、めざましい発展を遂げるのではないだろうか。
時代が変わる予感に胸を高鳴らせながら眺めていると、後方の馬車から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「コレット!」
「レリアナ!」
私たちは再会を喜んで、がっしりと抱き合った。
まさか王都からこんなに離れた場所で、レリアナに会うことになるとは思わなかった。
「プラント商会に発注した資材の運搬は、来週到着だったはずよ。しかも商会主のあなたが同行するだなんて、いったいどういう事?」
レリアナに続いて、彼女の夫であるセシウスさんと、それからもう一人、見知った顔の人物がこちらに向かってきた。
「ラッセルさん?」
「ご無沙汰しております、コレットさん」
ダディスの頭領である、ラッセルさんがレリアナたちの馬車に同乗してきたようだ。
「こんにちは、ラッセルさん。もしかして、殿下が言っていた『特別な荷』って、あなたのことだったのかしら」
「ははは……それは確かに。殿下からの依頼の結果をお持ちしましたから、『特別な荷』と言っても良いのではないかと」
にこやかに立つラッセルさんは、大きなフードつきマントを羽織り、常には見たことがないようなロングブーツと、革袋を背負っていた。
どこから見ても、旅装だ。
「プラント商会の方々と偶然お会いしまして、目的地が同じでしたので同乗させていただきました」
「ダディスの頭目を直接使いに出せる大物に、恩を売っておくのは悪くない」
そう付け加えたのは、レリアナの夫であるセシウスさん。彼と直接会うのは、これで三度目くらい。商人というより、どこかの貴族子息のように、美丈夫で立ち姿も洗練された紳士だ。レリアナが玉の輿を諦めてまで彼と結婚したのも頷ける。まあ、実際には彼自身の商才があれば、実家のブラッド=マーティン商会の没落なんて関係なかったのだけれども。
「セシウスさんも、いらっしゃい。あの急な坂道を降りてくるのだけでも大変だったでしょう?」
「いえ、実は新しいブレーキ技術の実験も兼ねての旅程でしたが、ここに到達するまでに充分な結果を出していますので心配には及びません。ただ少々道幅が狭く……壁面を傷つけてしまいました」
さすが、転んでもタダでは起きない、生まれながらの商人。どうやら儲けの少ないこの仕事を請け負うにあたり、新しい馬車の試運転を引き受けて、その成果を出すことで資金調達をしていたらしい。それに加えて、途中からはフェルゼンさんとトレーゼ侯爵たちの一行と同伴することになり、顔を売ることができたとほくほく顔だった。
私はそんな彼らを、宿泊所に案内することにした。
少々手狭なので、子供たちには外で遊んでいてもらう。ちょうど避難しているはずの解放軍の人たちの元へ、ヴァンさんとリュシアンが赴いているところだ。皆が無事なことを確認できたなら、パリスたちはそちらに戻った方が良いだろう。そうしたら、万が一の連絡係として残ったイオニアスさんも、こちらに戻って来られるだろう。
レリアナとセシウス、それからラッセルさんにお茶を出して、私とダンちゃんが彼らの話を聞くことにした。
「実は、殿下の依頼で調査のために、リヴァルタで落ち合う予定を変更して、王都まで行ってきました」
そういえば、クラウスの町で会った時以来だ。その後に殿下と落ち合う予定だったはず。色々ありすぎて忘れていたけれど……
「室長に関しての調査報告は私も読ませてもらっていたんですけど、別件ですか?」
「ええ、アルシュ騎士、ヴァン=ダイク様について調べてきました」
「え? ヴァンさんなら……今は私たちとともに」
私とダンちゃんは顔を見合わせる。
「では、彼が解放軍を首謀したことは、もうご存知なのですね」
「はい、無駄足でしたね……」
私はかいつまんでここ数日の出来事を説明する。
彼がシュベレノア様の魅了を逃れ、アルシュ侯爵の援助を密かに受けて、解放軍を組織したこと。それからシュベレノア様の持つ石を奪い、魅了を解くために殿下がトレーゼ侯爵とともにギレンに向かったことなどを。
けれどもその話を聞きながら、レリアナの表情がすーっと消えていく。
そして終わったと同時に、私に向かって叫ぶ。
「またあんたは、変な事に巻き込まれて!」
前回も今回も、巻き込まれたんじゃなくて、むしろ私の存在自体が原因のような……
けれども、それはレリアナに言わないでおこう。




