第三十六話 結婚式を挙げましょう!
「そもそも、宝冠に魅了の力を与えて王妃に持たせるなど、その存在自体が災いの種だろう」
殿下が言うことは尤もだ。嫁入り道具というには、やり過ぎだ。側で耳を傾けていたトレーゼ侯爵も渋い表情で頷いている。
だがフェルゼンさんの考えは少し違ったようで。
「親心と言うところでしょう。例え王家に迎え入れられたとしても、元は敵対していた王の娘……王の側近も貴族とあらば、排他的というのはどこの国でも似たようなもの。輿入れした姫に害があれば、王の資質も問われかねません。恐らく、迎えた王も承知の上の、いわば保険だったのではないかと」
それを聞いて、トレーゼ侯爵が少しだけ眉を下げて言う。
「娘を持つ父親としては、気持ちは痛いほど分かります。だが三百年も前のことです、そう考えた証拠が見つかったのですか」
リーナ様には公では厳しく接するトレーゼ侯爵だが、実のところ娘が手を離れることが嫌で、ヴィンセント様を邪険に扱ったりすることがあるらしい。「殿方は、子供みたいなところがあるものよ、なんてお母様が笑っていたわ……」とリーナ様から聞かされている。
「はい。唯一、残されたい古い記録には、当時の贈り物とされた核結晶を使った首飾りの絵と、王の印とともにこう記されておりました。『新たなる国の新たなる王の婚約者が、無事に妃となるまで、命守る盾とならんことを』と。恐らく、これが核結晶に刻まれた契約の内容そのものだと思われます」
命を守るための、贈り物。
短い文章の中に、切ないまでの娘を想う愛情を感じて、しんみりしてしまう。
でもまさか、三百年後に、こんな使われ方をするようになるなんて、きっと思ってもみなかっただろう。
「結局は使われることはなく、王都から離れた地に封印されたのか。そして封印されたことで存在が忘れられ、今や危険な代物。既にアルシュ領の者たちは、宝冠の支配下にある。どうにか解放する手立てはないだろうか」
殿下の言葉を受けて、フェルゼンさんは着ていたコートの内側、腰に留めていた鞄の中から金糸が織り込まれた布で作られた袋を一つ取り出した。さらにその中には手のひらに収まるほどの小さな箱が入っていた。
「ベルゼ王、リュドヴィック陛下から王子殿下へお渡しするよう、預かってまいりました」
「それは?」
「これもまた、核結晶でございます。こちらも大変危険な力を持つ石ですので、どうか御手に取らぬようお願い申し上げます」
そう言いながら箱を開けると、大事に布に守られるように、虹色の美しい石が飾られた指輪が収められている。指輪自体は銀製のようだが、飾られた石は、王城で見た宝冠と同じような、美しい虹色。
「こちらはベルゼ王家の秘宝、人の記憶を消し去る力を持つ指輪でございます」
「記憶を消す、だと?」
「はい。台座は輪のようになっていて、指輪を嵌めた者は核結晶に触れることになる仕様です。指輪を嵌めた者の、人格の根幹をなすような最も強い記憶を吸い取ってしまいます」
私と殿下は、互いを見合わせ、言葉を失ってしまう。
人格形成に影響を及ぼすような強い記憶、良いものとか悪いものも関係なく、だろうか。
私たちにとって、十年前の出来事はどれほど強いものだろうか。あの日のことが無かったことになったら……殿下はどうするのだろう。
そう考えると、目の前の石がいかに恐ろしいものなのかが分かる。
「シュベレノアから、王子妃への執念……いや、権力を欲する執念を消し去ることができたなら、魅了の効果を消せるのか?」
殿下の言葉に、ハッとする。
そうだ、まずは周囲に効果を発揮しつづける魅了の力を削ぎたい。だがフェルゼンさんは難しい顔で首を横に振った。
「残念ながら、それは不可能です。核結晶は触れる者に共鳴して他者へ特殊な作用を及ぼしますが、共鳴者にその力そのものは制御できません。例えば、コレット様は宝冠の共鳴者ですが、そこから鳴り響く鐘の音を止められないのと同じ。これを陛下がお預けになったのは、共鳴者……シュベレノア侯爵令嬢が共鳴者となった切欠の強い記憶を消すことで、核結晶との共鳴を一時的に切断できるかもしれないと考えてのことです」
「お待ちください、石を取り上げるのではなく、侯爵令嬢が命を失えば、共鳴を絶てるのでは?」
トレーゼ侯爵の言いたいことは分かる。王城にある宝冠は、私が死ねば徴が消えると聞いた。実際に、徴が失われたことで、陛下は母の死を悟ったというのだから。
「殿下にご連絡をいただき、アルシュ侯爵領には数々の不正がみつかり、調査が入ることが決まっております。それに加えて、令嬢が領主の権限を勝手に行使している証拠もあるとか」
「あ、はい。アルシュ侯爵様のサインを偽造した証拠が、ここに」
私が胸を指差すと、トレーゼ侯爵は何のことかと首を傾げる。その横で殿下は「またそこに隠し持っているのか」と呆れ顔だった。
「報告にある不正を全て令嬢が一人で主導したのならば、いずれ死罪となる可能性が高いのです。あえてそちらの秘宝を使うまでもなく、正統な手続きで捕らえてから、差し押さえればよいのです」
トレーゼ侯爵は、法務局長だ。特に貴族籍を持つ家の不正は、彼のような立場の者にしか、捜査権が与えられていない。それもあって、急遽アルシュ領へ派遣されたのだ。
しかしフェルゼンさんが、全てをひっくり返す。
「先ほどの刻まれた契約の言葉を、よく思い出してください。王の宝冠とは違い、契約に共鳴者の交替は、一切想定されておりません。侯爵令嬢が処刑されたとしても、あの石で魅了された者たちは解放される可能性は低いでしょう」
私たちの間に、重たい空気がのしかかる。
この際、シュベレノア様のことはどうでもいい。彼女が行ったことに対して罪を償うことに代わりは無いのだから。でもアルシュの人々は何の罪もないのに……
「とにかく、このままシュベレノアの手にある限り、魅了の影響が拡大することはあれども、収まることはない。早急にアルシュ領都ギレンを制圧し、シュベレノアを捕縛する」
「ま、待ってください、殿下。それじゃ、犠牲者が出かねませんよ」
「コレット、そんなことは分かっているが、他に方法がない」
殿下も苦渋の選択なのだと、私だって理解している。でも、魅了された人々の様子を思い出すと、王子である殿下の命令にすら、素直に従うとは思えない。
「あれを見てください」
殿下とトレーゼ侯爵の目を、近衛たちに囲まれて、ようやく仕方なく投降を始めている領兵たちへ向けさせる。
「工夫たちが噂に踊らされるのはまだ、そういう事もあるだろうと思います。でも訓練を受けている領兵までもが、いくら令嬢の命令だからって、殿下の部下である私たちを勝手に捕らえようとするなんて、常軌を逸している気がしています。魅了をそのままに、こちらがシュベレノア様の捕縛を強行したら、彼らは間違いなく殿下へ不満を高めます。アルシュ領に、謀反の芽をみすみす芽吹かせることになるかもしれないんですよ?」
「だが解放する手立てがない。約束の石とは訳が違うと、説明されただろう」
殿下の言う通りだ。これが約束の石なら簡単なのに。定められた契約を履行すればいいだけ…… いや、まって。
「フェルゼンさんはさっき、宝冠は……核結晶は約束の石と同質、約束事に縛られると言っていましたよね。ならばやはり、定められた目的を達すれば、その効果は消えると考えられませんか?」
あの核結晶、ネックレスに込められた目的……命を守る盾。
つまり敵国の姫の命を狙う、敵対者、暗殺者をも魅了してしまうほどの、魅了。
その魅了は、どうして発動したの?
──新たなる国の、新たなる王……
「そうか、そういう事だったんだ!」
「コレット……?」
「殿下、契約の言葉を思い出してください!」
「……新たなる国の、新たなる王の婚約者が無事に王妃となるまで、だったか」
「はい、新たなる国って、フェアリス王国ですよね、その新たなる王は今現在であれば殿下のことでしょう。次の王になる者だから。その婚約者が……本人の望むところはここですよね、つまり王妃になることで契約の成就。つまりシュベレノア様が王子妃になったら、魅了は解かれる?」
私の推理に、殿下はものすごーく嫌そうな顔だ。
けれどもフェルゼンさんは逆に、とても嬉しそうな顔で頷いている。
「殿下、私にいい考えがあるんですが」
「却下だ」
殿下はムッとした表情で即答だ。
「まだ何も言ってないです!」
「こういう時のお前からの提案は、嫌な予感しかしない」
殿下は両腕を組み、拒絶の姿勢だ。ならばと、フェルゼンさんの方に向き直る。
「殿下がその記憶を吸う指輪を持ったとしても、石に触れなければ大丈夫ですよね?」
「はい、手袋をしていただければ、万が一触れたとしても短時間であれば影響は受けないはずです」
うん、と私は頷く。
「殿下、シュベレノア様と結婚式を挙げましょう!」
どうやら私の思いつきは、殿下はすぐに察していたらしい。右手で眉間を押さえながら、深いため息をついている。その横でトレーゼ侯爵が、あんぐりと大口を開けている。
「結婚式なら、指輪をはめる理由になるし、その事実を知らしめたら『新しい王の妃となる』が達成できて、魅了が解けますよ、一石二鳥です。あ……もちろん、形だけですよ! 偽物の司祭の前で、いわばお芝居をするんです。シュベレノア様だけでなく、アルシュ領まるごと騙すんです」
「却下と言ったろう!」
「どうしてですか、殿下はアルシュの民を見捨てるつもりなんですか?」
そんな事はないと信じている。事実、私に問い詰められて、殿下は苦悩の表情を浮かべているのだから、何が最善か理解しているのだ。
じゃあ躊躇する理由は……
「ちょっとお待ちください、殿下。コレットも……ベルゼ王国と正式な友好を結ばんとする矢先に、花嫁を交換するなどありえません……しかも罪を犯した者を!」
トレーゼ侯爵は、頭を抱えている様子で続ける。
「殿下、ここはフェルゼン殿の示してくださった通り、その指輪を使って石を取り上げるべきです。領民のことは、後ほど対処方法を見つけるしかありません」
「捕えられたって事実が、彼らにとって殿下への不信に繋がると言っているんです。騙すなら、今! ここでやってしまうのが最良です、そうですよね殿下?!」
私とトレーゼ侯爵の、真逆の言い分に、殿下が苦悩の表情を浮かべている。
シュベレノア様に指輪を渡すのはどうにかなっても、領民たちは置き去りになる。彼らは罪人となって王都に連れて行かれるシュベレノア様のことを知ったら、どうなるだろうか。王家を恨むのだろうか。この貧しい辺境が、逆賊の里となって、更に放置されるようになるのかな……
私は石の砦のようなリヴァルタ渓谷橋を見上げて、何だか哀しくなってしまう。
かつては栄えた鉱山、その頃にはどれほど多くの人がこの橋を渡ったのだろう。クラウスの町の人々も、リヴァルタのことを見捨ててはいなかった。領都ギレンは、古い町だと聞いているけれど、たくさんの人が住んでいる。彼らは何も悪いことをしていないのに、魅了されて従って……
やっぱり見捨てたら駄目だよ。
「このままアルシュの人々を放置していたら、彼らの本心ではないはずなのに、殿下に謀反を抱くかもしれないんですよ?」
「そんなことは分かっている、だがお前は何とも思わないのか、例え芝居とはいえ……」
ついに殿下が声を荒げたところで「ちょっとよろしいですか」と、フェルゼンさんが割って入る。
にこにこ顔のフェルゼンさんは、私たちの前で鞄からもう一つ包みを取り出す。今度は薄いそれは、どうやら手紙のようで……
「リンジー=ブライス様より、お手紙を預かっております。宝冠への対処方法で揉めた場合には、ラディス殿下へお渡しするようにと」
お母様から……殿下に?




