第三十三話 跳べ
私を抱えたままのダンちゃんが、追いついてきた三人の領兵を相手に剣を抜いた。
さすがのダンちゃんとて、訓練を積んだ兵士が剣を構えていたら、素手で相手をするわけにはいかない。
「下ろして、ダンちゃん。私は大丈夫だから」
けれども相手は待ってくれることなく、私たちに向かって襲いかかってきた。
渾身の力で振り下ろした剣を、ダンちゃんは私を抱えたまま片手でなぎ払う。すぐ側で聞く剣がぶつかりあう音は、それだけで凶器のように痛いほど耳を襲う。
ダンちゃんが動いて揺れるからぎゅっとしがみつく。
鈍い音とともに呻き声が聞こえて、振り返ると最初に剣を振り上げた領兵が地面にうずくまっていた。
血は見たくないと顔を反らすと、ダンちゃんの手元にある剣が鞘に収まったままなのに気づく。
手加減を、してくれているんだ。
片手で、私を抱えたままで。でもダンちゃんが守らなくてはならないのは、私だけじゃない。私たちと崖の間にはリュシアンと子供たちもいる。
「押し戻す、扉を閉めてくれ!」
ダンちゃんもこの不利な状況に、このままではまずいと思っているのだろう。素早く私を地面に下ろすと、両手で剣を握り、残りの二人へ突進する。
ダンちゃんの大きな体躯と剣で、突き飛ばすようにして木戸の向こうまで吹き飛ばす。
そして地面でうずくまっていた最初の領兵を持ち上げて、突き飛ばされて転がる者たちの上へ、まるで人形でも扱うように放り投げたのだった。
「今だ、急げ!」
リュシアンがこちら側に開いた木戸を、元の場所に押し戻す。
だが内側から押されたらまた元の木阿弥だ。木戸を押すリュシアンの足元にあった木箱を、ダンちゃんが扉の前に移動させる。掘り広げた時に出た岩石が入っているようだけれど、それだけでは不十分だ。私は足を引きずりながら、自分の側にあった木片を手にダンちゃんに渡しに行く。するとそれを見てダンちゃんは木戸、それから木戸の周囲を手で触れて何かを確認しているようだった。
そして徐に剣を鞘から抜きだして、私たちに離れるように言った。
何をする気なのかと思えば、剣を大きく持ち上げて、全力を込めて木戸のはまる岩床のわずかな隙間へと突き刺した。
剣が折れるのではないかと思うほどに大きな音を立てて、剣は木戸を遮るように斜めに深く突き刺さった。
「コレット、その木片をこちらに」
慌てて渡すとダンちゃんは、木片を木戸の引き手に差し込み、床に刺さった剣を更に強固に支える閂とした。
次の瞬間だった。
木戸を挟んだ向こうで、ガンガンと叩く音と振動、そして叫び声が。
しっかりと岩に挟まった剣は、そう簡単に抜けることはなさそうだ。リュシアンが木戸から手を離しても、しばらくは持ちそうだ。
念のためまだ残っていた木箱を運び、木戸の前に並べてから、私たちはようやくほっと息をつく。
「念のため、扉からは少し離れよう。コレット、手を」
ダンちゃんに支えられながら、私は崖の方まで移動する。
聞いていた通り、断崖の上部にぽっかりと口を開けただけの出口。崖とは遮るものはなにもなく、大きな岩二枚に挟まれて出来た部屋のような空間があるだけだった。
坑道に繋がる木戸から、岩の端まで私の足で三十歩くらいだろうか。リュシアンたちがここから落下傘で跳ぶために、簡素な手摺りがつけられているだけで、本当に他には何もない。
「どうやらあちらも対策を立てているようだな、少し静かになった」
リュシアンはそう言いながら、座り込んだまま怯えた子供たちの元に戻ると、二人を両腕で抱きしめてから「大丈夫だ」と何度か声をかけている。
私の方も、ダンちゃんが怪我の様子を見て、捻挫した部分をハンカチできつく縛り固定してくれた。
「ありがとう、少し楽になったみたい」
私は立ち上がり、痛めた足に重心を乗せて確認してみる。不安定さが軽減して痛みが遠のいたようだ。さすが護衛官、こういう怪我の手当にも慣れているのだろう。
だが足踏みして見せても、ダンちゃんの顔は晴れない。こうしていても状況が好転したわけではないので、当然といえばそうなのだが。
膝をついたまま、私をじっと見上げるダンちゃん。
「コレット、この先どうするかだが……」
私は言葉を選ぶようなダンちゃんを遮り、自分の考えを告げることにした。
「諦めない、彼らに投降はしない。なるべく時間稼ぎをして、駄目そうならそこから飛ぼうと思う……せっかくリュシアンが最新型を持たせてくれたことだしね」
ぽっかりと空が見える断崖の開口部を指さしながら、ダンちゃんの背にある布袋を見て、笑う。
だが私のこの決断に驚いたのは、ダンちゃんではなく、リュシアンの方だった。
「待てよ、コレット、交渉した方がいいって……そりゃあ、こっちの道を勧めたのは俺だけど、後悔していたんだ。あの木戸の向こうの奴らを倒して、リヴァルタ橋へ戻ろう! それか、脱出の機会を覗いながら投降した方がいい。奴らは正気じゃないとはいえ、お前を捕まえられればしばらく危害は加えないかもしれない、ここから飛ぶよりは危険じゃないかもしれないだろう?」
「危険って……リュシアン、自分の研究に自信がなかったの?」
「そんなこと言ってないだろう! 俺が作ったんだ、傘が開きさえすれば安全に地上へ降りられる! そうでないものを人に使わせるか!」
相変わらずの自信がおかしくって、酷く安心して、ついには声に出して笑う。
「良かった、じゃあもう一度落下傘の使い方をダンちゃんに説明してあげてくれる?」
「コレット、なんでそうなる?」
「だって自信があるんでしょう?」
「あるさ! あるけど絶対じゃない、天候次第で九割成功……つまり一割はまだ突風があると操作が難しく怪我人も出ている。死者は出ていないが……」
「今日はどう?」
リュシアンが振り返るのは、壁に取り付けられている風車のついた風速計と筒状のふき流しだ。車はカラカラと音を立ててよく周り、ふき流しはよく風を受けて真横に泳いでいる。
「上々だな……いや、そうじゃなくて! お前が無事じゃないと、それこそ王子殿下が困るだろうが。おまえ、王子妃になるんじゃなかったのかよ」
「うん……でもよく聞いて、リュシアン」
いよいよ怒りだしたリュシアンだったが、私が真剣な面持ちで話し始めると、釈然としないような顔をしつつも耳を傾けてくれた。
「私が捕まってしまうと、殿下が正しいと思うことが出来なくなる。私はそれが一番、嫌なの」
「……死と引き換えにしても?」
「ううん、さすがに死ぬのは嫌だから、死なない方を優先かな」
「じゃあやっぱり」
「だから、リュシアンがここに居るから、選べる選択なんだってば。これでも、私はリュシアンのことを信じているんだからね」
「は? ……いや……おま、はああ?」
「なんでそこで動揺するのよ。リュシアンはかつて、私がどんなに頑張っても唯一勝てなかった人間なんだから、もっとドンと構えていてよね……内心、怖くないわけじゃないんだからさ」
リュシアンは驚いたような顔をして、それから眉を歪めて、口元をぱくぱくさせて、それからひとつ咳払いをする。
「あのね、私だって怖いわよ、こんな断崖絶壁から飛ぶなんて、実際にこの目で見たとしてもね。でも私は信じているのリュシアンの技術も、殿下のことも」
ダンちゃんを振り返ると、彼は頷いてから説明してくれる。
「コレットの言う通り、殿下は必ず戻って来ると僕たちは考えている。侯爵令嬢が領兵を差し向けたのに拘わらず、それを側にいたエルが察知しないで殿下の耳に入らないことなどありえない。そしてその事実を知った殿下が、このリヴァルタで血を流すのを良しとする道理もない」
私も、ダンちゃんも、殿下を信じている。そして仲間であるエルさんやハルさんのことも。それは感情論ではなく、やるべきことを達成できるだけの行動力、判断力も込みで。
ダンちゃんの言葉を私が引き継ぐ。
「朝には私たちの元に戻る予定だったエルさんが来なかった。ということは、エルさんは殿下の元に居るか、殿下の指示に従って来なかったかのどちらかよ。そして連絡がないということは、予定変更はない。つまり、エルさんは必ず戻ってくる、たぶん殿下と共に」
「王子殿下が……シュベレノア様の方についたとは思わないのか?」
「思わないわ」
即答すると、リュシアンは呆れたような顔をする。聞いておきながらそれはないんじゃない?
「あのねえリュシアン、そんなに上手くいったら、シュベレノア様がわざわざ解放軍を急いで討伐する必要ないじゃない。殿下に命令させればいいのだから。そうなったらあなたたち、国賊だからね、領兵どころか王都から王国軍がやってくるわよ?」
「分かっている……だが、今落下傘を使って降りたとしても、領兵に囲まれるだけかもしれないぞ」
「領兵もいるけど、近衛隊もいるわ。今ここで彼らに捕まるよりもずっと状況はいい」
騎士の称号を得ているレスターが、人数で圧倒されようと領兵に負かされるわけがない。
私の決意が固いことを理解したのか、リュシアンは黙り込んでしまった。
「リュシアン、あなたが責任を感じる必要はないわよ。リヴァルタ橋に戻らなかったのは、私たちの選択だから。本当は、こんな状況でなくとも、一回私も飛んでみたかったのよね」
にんまりとしながら言うと、リュシアンは大きく息をつく。
両脇に張り付いていたパリスとレーニィが、彼の様子を覗っている。彼に懐いている様子から、きっとよく二人の相手をしてあげていたのだろう。
口は悪いけれども、彼の本質は優しいのだ。
「あまり時間はない、手短に操作方法を教えてくれ」
リュシアンがようやく納得したのだと判断し、ダンちゃんが申し出る。けれどもリュシアンは子供たちの肩を抱きながら、私ではなくダンちゃんへ顔を向ける。
「コレットをここから飛ばすには、二つ、条件がある。一つは俺がコレットを連れて飛ぶ。その代わりあんたには、ここで二人を守って欲しい」
リュシアンの言葉に、子供たちも驚いた顔をして彼を見上げる。
「子供たちは当然、一度も飛んだことがない。経験がある俺でも、二人を抱えたまま飛ぶのは無理だ。気流が乱れたらどうしても操作は必要になる、両手が空かないのは危険すぎる」
「リュシー? 私たちを置いていくの?」
「嫌だ、絶対に暴れずにしがみついているから、連れていって!」
リュシアンは不安がる二人の前に膝をつく。
「必ず、迎えに来るから」
二人はリュシアンに抱きつき、顔を埋めたまま首を横に振る。
「聞いてもいいか?」
子供たちに抵抗されて困った顔のリュシアンに、ダンちゃんが問う。
「コレットを託すからには、飛行に自信はあるのだな?」
「ああ、この谷を一番多く飛んでいるのは、開発段階を含めなくても俺が最多……二十は下回らない」
それって、開発時代は相当無茶をしていたって事よね? よく生きていたものだと、逆に感心してしまう。
ダンちゃんも思うところがあるようで、ほんのり苦い表情だ。
「もう一つの条件は?」
続けてダンちゃんが問う。
「跳躍力が足りない。この岩盤を蹴り、ある程度離れた場所で安全に傘を開きたい、それもなるべく早めにだ。谷を吹き上げる気流に上手く乗るには、それだけの距離が必要なんだ。だがコレットを背負った俺では、情けないが力不足だろう。できる限りこの岩から跳躍できるよう、あんたの力を貸してくれ」
「承知した」
そうして私とリュシアンが谷を飛ぶことが決まった。
話し合いをしている間にしばらく静かだった木戸も、ガンガンと音を立てるようになるのはすぐだった。
声や物音から、どうやら例の三人だけでなく、後から応援が来たのだろう。そうして増員しても木戸が開かないのが分かったのか、破壊することにしたようだ。
剣で木を破るのは時間の問題だ。
「いいか、傘が開くまで手足は動かさずしがみついていろよ」
ダンちゃんが背負っていた落下傘を開き、その布を切っておくるみの赤子のように私を包み、リュシアンの身体に縛り付けられている。両手は彼の肩上からしがみつくような形で、一応動けるようにしてもらっている。
最初は背負うようにリュシアンの背に乗ったのだけれども、それだと万が一着地に失敗した時に私が怪我をするとリュシアンが譲らなかったのだ。
「ダンちゃん、後のことはお願いね。パリス、レーニィ、必ず迎えに来るから!」
頷くダンちゃんの左手には、岩壁に埋め込まれていた金具から伸びる紐で繋がっていた。
彼はそれに身を預けながら、私を抱えたリュシアンが走り出すのを待っている。
リュシアンの背にある木戸が音を立てているのに、カラカラと風速計が立てる音が妙に大きく聞こえた。
顔のすぐ横で、リュシアンが息を詰めたのが分かった。
「いくぞ、コレット」
「うん」
私を右手で支えながら、リュシアンが走り出した。
リュシアンが全力で走りながら伸ばした左手を、待ち構えていたダンちゃんが掴んで引き寄せる。
揺られながら、身体で加速を感じた次の瞬間、リュシアンが岩を蹴った。
そうして私たちは、リヴァルタ渓谷の風に、身を任せたのだった。
 




