第三十二話 出口を求めて
パリスとレーニィに先導されて狭い坑道を歩きつづけると、しばらくして一回り大きな道に出た。当初の予定通り来たから、ここがダンちゃんとの待ち合わせ場所になる。
今朝にも通った道、資料室の倉庫部屋から続く、抜け穴に戻った形だ。
そこで私たちは小さなランプを囲むようにして、腰を下ろした。
「コレットは、この後どうするの?」
「この後……?」
当初の作戦では、上手く工夫たちを隔離できたら、彼らの坑内教会に戻る予定だった。けれども、リヴァルタ橋の窓から新たにアルシュ領兵が来た以上、私が解放軍に居るのは良くない気がする。
返答に言葉を選んでいると……
「せっかく仲良くなれたのに、王都に帰っちゃう?」
「え……あ、ううん、まだ居るつもりだよ。お仕事が終わるまでは」
どうやら私が考えているのとは違う意味だったようだ。
そうだよね、パリスはまだ幼い。大人たちの緊迫した雰囲気を読むことはできても、今何が起きてどういう立場に置かれているかは、彼女には分からないのも仕方が無い。
「お仕事って、何をしているの?」
「私はね、会計士をしているわ。お金の計算が間違っていないか確かめて、管理する仕事よ」
「お金? 会計士ってことは、ガレーのおじちゃんと同じね」
「パリス、ガレー室長を知っているの?」
そう聞き返すと、パリスは笑顔で頷くものの、レーニィは首を横に振る。
「一度だけ、教会に来たことがあるよ。すごく前だけど、泣いていたから慰めてあげたの」
「泣いていた? ガレー室長が?」
「うん、なんか、神様に文句を言っていたら泣けてきちゃったんだって。王都のすっごく偉い会計士だったのに、悪い人に騙されてリヴァルタまで仕事に来るはめになったって」
「そ……そうなんだ」
「その原因になった悪い人を恨んで、バチを与えて欲しいってお祈りしながら泣いていたの。だから可哀想にって、撫でてあげたよ」
「へえぇ……バチを、ね」
「うん、それで慰めたお礼にってお菓子をくれたの。すっごく甘くて美味しかった! また来てくれたらいいのに」
「……たぶん、きっとまた会えるよ、近いうちに……そうしたらまた慰めてあげてよ」
「また?」
「そう、また泣くかもしれない。美味しいお菓子なら落ち着いたら私が贈ってあげるから」
「コレットが? じゃあ……任せて!」
訳が分からないなりにも慰め係を引き受けたパリスに、私は苦笑いを堪えきれない。たぶん……いや間違いなくその『悪い人』というのは私のことだろう。逆恨みも甚だしいが、泣いていたと言われたら少し同情をしなくもない。あくまでも少しだけね。
そんな事を話してしばらくすると、真っ暗な坑道の向こうから足音が聞こえてきた。
岩壁に反響してはっきりしなかったのだが、次第に近づいてくる音が、思っていた方向ではない。ダンちゃんが追いついてくるのならば、反対側だ。
私は側に座っていたパリスとレーニィを引き寄せて、身構える。
すると暗い坑道の先に、揺れるランプの明かりが見えた。
「パリス、レーニィ、そこに居るのか?」
聞き覚えのある声に、パリスが顔を上げる。
「リュシー!」
「パリス?」
揺れるランプの金具が擦れる音とともに現れたのは、リュシアン一人だった。肩で息を切らし、急いでやってきたのが分かる。背には、私に渡してきたのと同じ大きな荷袋……つまり折りたたまれた落下傘を背負っている。
「良かった、コレットも無事か」
「リュシアン、私は無事だけど、まだダンちゃんと合流できていないわ。そっちの様子を詳しく教えて。監獄部屋の窓から領兵たちが見えたけれど、どうなったの?」
「ああ、今はまだ近衛たちが領兵たちを制止してくれている。近衛隊を仕切るブライス卿の指示で、領兵たちを村に下りる細い坂道へ誘導する形で、乱闘にならないで時間稼ぎをしてくれたんだ。その隙に俺はアジトに戻って残っていた村人たちを逃がしたところだ。そこで二人が……パリスたちをコレットの方に向かわせたと聞いて追いかけてきた。闇雲に逃げていたら、完全に迷子になってしまう」
どうやらレスターの機転で、すぐさま乱闘騒ぎにならずに済んだようだが、それも時間の問題だろう。
ダンちゃんと合流しても、彼らのアジト……坑内教会に戻るのは避けた方がいいというのはリュシアンも考えているようで。
「元々、領兵や工夫たちもあの坑道教会の存在は知っている。本気で解放軍を掴まえるつもりならば、あそこには真っ先に捜索の手が伸びるだろう。このまま、坑道を伝って別の出口から外に出た方がいい」
「それは仕方ないけれど、出口はどこに繋がっているの?」
「崖の上部だ。いつもそこから飛んでいる、開口部があるんだ」
「ちょ、ちょっと待ってリュシアン、さっきから出口を聞いているつもりなのだけれど、そこは外に繋がっているのよね?」
「……いや、断崖絶壁だ」
「それは出口って言わない!」
「いやまあ、そうだが……」
「他の出口は? 例えば、どこか離れた山の中に出るとかないの?」
「現在把握している出入り口は、元々鉱山として使っていた時代の正規門……リヴァルタ村の山際に一つと、領兵が常駐しているロゼ寺院のすぐそばに一つ。それから……」
言いかけてリュシアンの視線が私たちの後ろに向かう。
のっしりと大きな影が私たちに迫る。
「彼が今来た道とコレットが使った道、つまりリヴァルタ橋の隠し通路二本しかない」
その言葉に、私たちが袋小路に追い詰められていることを悟る。
無言のまま私の元に来たダンちゃんが膝を折り、私たちを一通り見回して言った。
「あまり状況が良くないみたいだな」
ダンちゃんは居るはずのない子供二人がここに居ることで、計画が狂ったことを察したらしい。リュシアンが伝えてくれた外の状況を伝えると、私が脱出した後のことも手短に報告してくれた。
監獄部屋からダンちゃんは工夫たちを軽くいなして脱出、元来た道を遡ってクラウス市側の通路に出ることができた。そこで工夫たちが脱出しないように見張りをしていてくれた近衛兵が外からしか外せない鍵をかけたが、その近衛もギレンから来た領兵たちへの対応に向かうとのことで、すぐに別れたらしい。
「親父が橋脚の方に再び向かった。王都から派遣されて来た親父には、無体なことは働かないだろうから、武器庫の解放だけは阻止すると言って……まああの頑固親父のことだから、何とかするだろう」
「そうか、危険を顧みず感謝する」
「いや、俺に礼を言われても……」
ばつが悪そうなリュシアン。
「真っ先に彼らが武器庫へ向かう可能性は低いと思うが、武器を与えるのは絶対に避けたい。領兵たちは近衛へ、解放軍の討伐に来たと告げているらしい。侯爵令嬢は、殿下の目が届かないところで邪魔者を一掃するつもりだろうな」
「殿下は無事かな……」
シュベレノア様は、魅了されない殿下をどうするつもりだろうか。
こうなってくると、彼女の真意がよく分からなくなってくる。言うことを聞かせられないのなら、いっそ……なんてことないよね?
「殿下に限って、万が一はないと思う。ましてや側にハルムートが居るのだから。だが領兵の状況を把握しているのなら、殿下は真っ先に……」
言葉を切ったダンちゃんが、口元に人差し指を立てて見せる。
彼が耳を澄ます様子に、リュシアンも顔色を変えて後ろの暗闇を凝視する。微かに、何かの音がする。でもまだ遠いのだろうか、反響していてそれが人の足音なのか石が転がる音なのかは、とても判別がつかない。
「追っ手かもしれない」
小さな声で短く言うのは、リュシアンだ。
ダンちゃんは少しだけ考える仕草をしてから、音を立てないようそっと立ち上がった。
「行こう。ここに長く居ても状況は悪化するばかりだ。殿下が何らかの手を打ってくれているはず。それまでコレットが無傷でいることが重要だ……」
「私だけが無事でも……仕方ないよ」
つい声を上げそうになり、途中から声を潜める。
そうしている間にも、私たちに近づく何者かとの距離は縮んでしまう。ダンちゃんに促されて、私たちは慎重に移動を始める。
先頭にリュシアン、子供たちを挟んで私とダンちゃんが続く。子供たちも自分たちが置かれた立場はよく理解しているのだろう、文句一つ言わずに黙って歩いてくれている。
リュシアンが案内する道は次第に上り坂になる。時に段差を乗り越え、階段が続く。本来掘削した坑道はこの道の隣にあるというが、そこはもう岩盤が崩れ落ちていて通ることはできないのだという。今残されているのは、金脈を探すために試し掘りされた坑道を、後から繋げたものらしい。
金脈は掘り尽くされ、残っていたとしても命の危険がある山。そんな場所で隠れ住んでいたというのだ。よく今まで無事だったと言いたくなる。
そうして山道を登るかのように息を切らして歩いて、どれくらい経っただろうか。さすがに疲労困憊だったのだろう、私の前を歩くパリスが岩に足を取られた。体勢を崩し、後ろに倒れそうになるのだが、彼女の側には鋭く突き出た岩があった。
「危ない」
手を伸ばし、パリスが岩に打ち付けられないよう支えるのだが。
どこからか染み出ていた地下水に今度は私が足を滑らせて、パリスを抱えたまま尻餅をついてしまう。
「コレット、大丈夫か?」
咄嗟にダンちゃんが私とパリスに手を添えてくれたのだけれども、少しだけ遅かった。
どうやら滑って転んだ拍子に足首を捻ってしまったらしく、痛みに声も出せない。そうしてうずくまって堪えていると……
すぐ近くで小石が転がる音が響いた。
まずい、まずい……こんなに距離を縮められていたなんて。先に行っていたリュシアンが戻ってきて、私の腕からパリスを引き取って抱き上げる。そして身軽になった私を、ダンちゃんがひょいと抱え上げた。
「レーニィ、ランプを頼む」
「分かった、任せて」
パリスを背負ったリュシアンの足元を、レーニィが照らして歩き始める。そして私を抱えたダンちゃんも、それに続く。
私はというと、ズキズキと鼓動を刻む痛みに耐えながら、小さな声で「ごめん」とダンちゃんに謝るのだが。
「心配しなくていい。僕が必ずコレットを殿下の元に届ける」
そう言いながら、ダンちゃんは空いた片手で革マスクを外した。それを見て、追ってくるのが、もしかしたら領兵じゃない可能性だってあるかも……なんて都合のいい考えが甘いものだと悟る。
彼が人間離れした嗅覚で、いったいどこまで感じ取っているのかは私には分からない。けれども私を抱えたままで暗闇を進むその足取りが、遙かに軽やかになった。
「谷を抜ける風の匂いがする、近いな」
まるで暗闇を見通す猫の目でも得たかのように、ダンちゃんがリュシアンを先んじて岩を駆け抜けると、そこにあったのは一枚の木戸だった。
切り抜かれた円と会わせてはめられた木戸はぴったり通路を塞ぎ、鉄製の閂が下ろされていた。
それにダンちゃんが手を添えて持ち上げようとしたところに、後ろから足音が迫る。
「いたぞ、こっちだ」
ダンちゃんに抱えられたまま、彼の肩越しに近づく明かりが見えた。足音と人の息づかい、その中に混ざる金属音は、武具の擦れる音。
ぎゅっとダンちゃんにしがみつく手に力が入る。
同時に、ダンちゃんの腕が太く硬くなった。
大きく重い木戸が開かれ、しばらくぶりに浴びる日の光の眩しさに、目が眩む。それは追ってきた者たちも同様で、霞む視界の向こうで差し込む光を遮ろうと手をかざす人影が三つ。追っ手は、それだけで終わるどころか、時間を稼げばさらに増えるだろう。
吹きすさぶ谷からの風に煽られながら、私たちはついに追い詰められたのだと悟る。
扉の向こうに待っていたのは、ほんの少しの平らな岩場と、一歩でも踏み外せば真っ逆さまの断崖絶壁。
私たちの退路を塞ぐように立つ領兵たちは、帯びていた剣を抜く。
じりじりと後ずさる私たちに、もう逃げ場はなかった。




