第二十九話 研究成果と大人の役目
バルナ子爵の合流は、天の救いでもあった。
彼の頭の中には、リヴァルタ渓谷橋の細部までの設計図が入っている。私を囮にして人々を一カ所に集めるといっても、入り組んだ迷路のような細い通路や階段がいたるところにある橋の中では、思うようにいかなかったろう。
私たちの計画を一通り聞いたバルナ子爵は、しばらく両腕を組んで考え込んでいる。
ある程度通路を封鎖できる場所、抜け道の把握、それから人々を収容しておけるだけの広さの確保。何より、囮となった私がどこに向かって逃げているのか、分からなくちゃ誘導にもならない。
そんな都合良くいく場所があるのか。なければ橋を降りてリヴァルタ村の広場を使うしかない。その場合は、近衛たちが周囲を囲んで、それこそ縄で拘束しなければならなくなるけれど。
ひとしきり考えた末に、バルナ子爵は腕を解き、広げてあった地図の上に指を置く。
「ここと、ここ、それからこの通路、三カ所を塞げば、下層階全てが隔離されるよう出来ている」
かつて囚人を入れていたという監獄のあるフロアだ。
その時代に出入り口を狭くするよう造り替えられているのだという。橋の内部の構造は、三層になっている。街道がある最上部分が屋上としたら、私たち会計士がいた資料室はそのすぐ下の二階部分にあたる。そのさらに下層階は、資材や工具置き場、作業にあたる工夫たちの休憩所としても使っている。その下はもう橋脚部分なので、窓から伝って逃げるような足場もない。
「ここは? 上階に繋がる階段があるようだが」
ヴァンさんが指摘したのは、バルナ子爵が指し示した最下層へ降りるための階段から、すこし中に入ったところにある通路だった。私たちの前にあるのは、建築設計局が持っているような詳細な地図ではないため、その通路がどこに通じているのか地図上でもよく分からない。人が一人通れるくらいの細さのようだった。
「ここは上階の小さな部屋に繋がっているはずですが、そこは完全な閉鎖空間なので問題ありません」
「閉鎖空間?」
「ええ、特別な独房だったと記憶しております。確かそこは手つかずなので過去の拷問器具や……色々と痕跡がそのまま」
ひいい。
色々って何、血痕とかじゃないよね?!
「分かりました、そういうことならば問題はないでしょう。では誘導だが……」
「はい、私がダンちゃんとともに駆け抜けたらいいですか?」
「そんな単純なものではない。まずは工夫たちに混ざっている者たちから、コレットさんが最下層に逃げ込んでいくのを見たと証言させましょう。最下層の入り口にはわざと近衛を数人立たせておいて、ある程度人が集まってくるまでせき止めてから、入らせるのが理想かと」
私はてっきり囮というからには、リヴァルタ村あたりから派手に追いかけっこをしながら、橋まで昇らないといけないかと思っていたので、走らなくてよくなってほっとする。
どうやら最下層にも坑道への出入り口が隠されているらしく、工夫たちを引き寄せて集めたところで私とダンちゃんは脱出すればいいということらしい。
「でもそうなると、潜入している仲間の人たちも、一緒に閉じ込められちゃいますよね。危険はないんでしょうか」
「ああ、そうなる。だが工夫たちもそう長いことは閉じ込めておくことは不可能だ。これは一時しのぎでしかない」
それでも、近衛相手に武器を持ちだして衝突するよりはいい。
これが成功したとしても、問題は解決しない。彼らにかけられた魅了が解かれないかぎり、シュベレノア様に敵対する者を彼らは赦さないだろう。
ヴァンさんたちが傷つけたくない者たちに守られている、その先にいるシュベレノア様を何とかしないと。
だから私もしっかりと役目を果たさなくちゃ。
「じゃあ私は、どこに立てば、より大勢の人たちに姿を見せることができますか?」
バルナ子爵が指差したのは、リュシアンが作った昇降機のある場所だった。そこは殿下の伝書鳩を放ったところで、確かに大きな開口部があって下の川を見通せる。
「ここから、階下に降りる姿を見せるのがいい」
眺めのいい景色を思い出して、武者震い。
「ちょっと待て、あれは人を乗せるようには出来てないんだ……もし」
「では資材を落としても仕方ないという生半可な気持ちで作ったものなのか?」
リュシアンの横やりに、バルナ子爵がぴしゃりと口を挟む。
「そんなことはない! 今まで石材にヒビひとつ入れたことすらない!」
そう反論してから、リュシアンはハッとして口を閉ざす。
彼は私が怪我することを心配してくれたのだろう。だがバルナ子爵の言うとおり、リュシアンが自信をもって作り上げた昇降機ならば、私は身を任せるに値すると信じている。
するとダンちゃんが私の肩に手を置き、「大丈夫」と言ってくれた。
「僕がコレットを抱えて降りる。だが恐らく、最下層に残っている工夫もいるだろう。手早く制圧するつもりでいるが、一人ではコレットを護りながらでは不安がある。もう一人付けて欲しい」
「ああもちろんだ、私の副官を……」
「俺がついていく」
ヴァンさんが側にいた領兵の一人に声をかけようとしたところで、リュシアンが名乗り出た。しかし、ヴァンさんは簡単に「駄目だ」と返す。
「リュシアン、お前にしかできない仕事があるだろう。昇降機の操作は、お前がするべきだ。設計者なのだから。それとも他に適任者はいるか?」
「……いや」
そうか、資材を運ぶ昇降機は、水車の力を使っている。基本的な操作は橋脚の根元にあるのだ。
「でもそれじゃ、リュシアンが標的になってしまうわ」
「それは私たちで護りながら行く。その代わり、うんと派手に姿を見せて、惹きつけてもらいたい」
私とダンちゃんは顔を見合わせ、しっかりと頷く。
それから役割を細かく決めて、手順と経路をしっかりと確認することになった。特にダンちゃんの負担は大きい。私を護りながら、周囲との連携をはかって動かなければならない。
そうして一通り打ち合わせを済ませた後、居ても戦力にならない私とイオニアスさんは、近衛を率いるレスターと連絡がつくまでは、休憩を取ることになった。
ちょうどお昼時でもあるし、腹が減っては戦ができない。
リュシアンに案内されて向かったのは、居住区にしている部屋だった。そこで私を待っていてくれたのは、パリスとその友人らしき少年だった。
「コレット!」
パリスが駆け寄ってきて、私の足に抱きつくと、その後ろでパリスより二つくらい年上の少年が困ったような顔で私たちを見ていた。
「レーニィ、カティおばさんに言って、二人分追加でお願いって言ってきてくれる?」
「ああ、分かった」
聡い子のようで、すぐにパリスに「行こう」と声をかけて、手を引きながら踵を返す。
「ここに残っている子供は、あの二人だけだよ。パリスの父親には、世話になってたんだが、工事で亡くなってしまって……俺がここに残るって言ったら、一緒にいるって泣くから仕方なく」
「……そうだったんだ」
「二人とも、こっちへ」
リュシアンに促されて、私たちは部屋の奥へ進む。部屋といっても、少し広い坑道でしかない。荒削りの壁に囲まれた、細長い通路。そこに生活感が滲む鍋や道具、服、水桶や木箱が並ぶ。また坑道が二股に分かれており、一方からは何やら美味しそうな匂いがしてくる。だがリュシアンが導いたのは、違う方の道。
彼の後に続いていくと、小さな木戸がはまった部屋が三つほどあり、そのうちの一つを開けて中に入る。するとそこには机が置かれてあり、いくつもの紙が散乱し、細い竹ひごのようなもので作られた模型、秤やナイフ、棚には瓶が並んでいて薬品のようなものが並び、その横の壁には様々な道具が吊されていた。
「ここが今の俺の研究室。最初は侯爵家にあったが、引っ越してきた」
「……汚い」
足の踏み場もない床を、物を避けるために大股で歩き、素直な所感を告げると不服そうだった。
「まるでかつてのお前の部屋を見ているようだ」
イオニアスさんも同じ感想のようだ。そういえばリュシアンは、学校に居た頃も実習室をこんな風にして、工具と資材と薬品と模型が転がる部屋は男のロマンだろうと訴えていた記憶がある。だが仕分け整理が仕事の会計士の私たちに、そんなロマンへの共感を求める方が間違っている。
「とにかく、これを見てくれ」
私たちへ期待するのは辞めたらしく、リュシアンは最も物が積み上がった机の上から、両手で大事そうに抱えて差し出したのは、先日見た落下傘の模型だった。
黒い布がドーム型に広がり。その布を支えている細い骨組みは、内側から見るとやはり傘のように見えた。その骨組みから紐が中央に集約されて、吊された人間の手によって操作できる仕組みらしい。
「本当に飛んでいる所を見ていなかったら、こんな細い骨組みで人間を支えられるのか心配になるな……」
イオニアスさんの感想は尤もだった。するとリュシアンはその模型の傘の部分を折り曲げる。
節ごとに折りたたむことが出来るらしく、交互に布部分ごと折り曲げて、細長い長方形にまでたたんでしまった。
「まさか、実物もこういう構造なの?」
「ああ、持ち運びやすいようにしてある。落下時の風を下から受けて、こう……開く」
実際にリュシアンが模型の傘を、一瞬で開いて見せてくれた。
「こうして開ききってしまえば、実は骨組みは必要ないんだ。新しく試した実験では、紐でも加重に耐えられる。ただし、傘を開くのに失敗する場合もあるから、今はまだ骨が入っていた方が安全だと考えている」
「骨……?」
「ああ、シーバス鳥の骨を使っている。あの鳥の骨はとても硬くて軽い、しかも中が空洞になっているって知っていたか? そこに紐を通している」
「そのためにシーバス鳥を狩って食べていたのね?」
まあね、と言いながらリュシアンは次に、円筒形になった大きな鞄を出してきた。
黒い布に覆われて、背負子になっている。
「これが実物。持ってみろよ」
手渡されると、ぎっしりと何かが詰まっているようで硬く、ずっしりと重い。
「リュシアン、これってもしかして……」
「ああ、これがシーバスの翼、俺たちの落下傘だ。展開の仕方を教えるから、見てて」
リュシアンが鞄の蓋のような留め金を外す。するとぐるりと巻いてあった布が中の圧に押されるように外れる。すると大きな布がばらけて足元まで垂れ下がる。
「この状態のまま、助走をつけて谷に飛び込むんだ。勢いがつかないとこの長い布がひっかかる。そうなると傘は開かずにそのまま落下する」
私とイオニアスさんは、顔を見合わせる。
リュシアンは淡々と説明するけれど、それはとても危険な飛行ではないだろうか。特に運動は苦手そうなイオニアスさんは、青ざめている。
「続けて説明するから、よく聞けよ。今度は模型で見てくれ……ここ、両側から傘を支える紐が集まっているだろう、これを両手で掴むんだ。右手で下に引くと傘が下がって右旋回する。左を引けば、左旋回だ。両方を後ろに寄せると真っ直ぐ下降速度が上がるから注意だ。とにかく向かい風を掴んで、速度を上げないようにゆっくり降りるのが一番安全に降りる方法だ」
なるほど、膨らんだ傘の部分で風を受けて、落下速度を落とすことで飛ぶわけね……というか理屈は分かるけれど、これを実用できるまで実験を繰り返してきたってことよね?
傘に使われている手触りのいい布は、密度がとても細かくて上級品だろう。傘を支える紐も、しっかりと撚りこまれた強いものだ。
「……この開発資金を、シュベレノア様が出していたのね」
私の問いに、リュシアンは口を引き結ぶ。
「シュベレノア様が調達した武器が、バルナ子爵の報告したものだけとしたら少ないと思っていた。でもあなたの落下傘も武器として考えていたとしたら、使途不明金の流れがおよそ片付く。だから責任を感じて、ここに残った?」
リュシアンはだらりと垂れたままだった落下傘を拾い、丁寧に折りたたんでまとめる。横から見ていると、適当に丸めているというわけでもなく、どうやら折り方があるらしい。
「……自分のことを天才だなんて思ったことはないけれど、俺の研究は必ず役に立つし、完成したら認められるって考えていた。だからパトロンになりたがる奴らは大勢いるし、変な奴から金を貰ったら利用されるって警戒して、あの人ならいいと思った。本当に……情けないよな、人を見る目がまるでなかったんだから」
膝で押さえながら、力を込めて圧をかけて、外側の布を巻き付ける。そして元あった通りに留め金をつけて鞄のような方にすると、再び私の方を向く。
「持って行けよ、コレット。万が一の時は、遠慮なく使え」
「え? 私が?」
「熊に持たせろよ、改良型だから、熊とお前の二人くらいは余裕で飛べる計算だ」
そう言いながら押しつけられてしまい、彼の研究成果でもある落下傘を受け取る。私が持っていても役に立てられるとは思えないけれど、確かにダンちゃんが持っていたら上手く使ってくれるかもしれない。 そうしていると、パリスが食事を持って来てくれた。わずかなパンとスープだけれど、これからの一仕事を思うと、とても助かる。
汚い部屋の物をどかして、リュシアンと私、イオニアスさんとパリスとレーニィ、五人で食事をとった。
短い時間だったけれど、パリスの話を聞く。私が持たせたパンが美味しかったからまた食べたいこと、レーニィと一緒にリュシアンから勉強を教わっていること、解放軍の元領兵たちが暇をみつけては遊んでくれることとか。何とかしてこの坑道内の生活を、彼女たちが楽しく過ごせるよう皆が気を遣っている様子が覗えた。
そして私はパリスに、何もかも落ち着いたら、みんなで王都に遊びに行こうと、誘ってみる。 パリスは幼いながらも、色々と察しているのだろう。少しだけ躊躇してから、微笑みながら頷いてくれた。
きっと、いつか。
彼女が安心して暮らせる日が来るように。
これは私たち大人の勤めだと、私は決意を新たにしたのだった。




