第二十八話 合流
アルシュ領騎士ヴァン=ダイクは私が狙われているその根拠を話して聞かせてくれた。
「工夫のなかに、紛れ込ませている者が確認した。近衛が工事を邪魔している、その近衛を率いているブライス卿を操っているのが、コレット=レイビィだと。悪女であるコレットを排除せねば、工事は進まず、アルシュは衰退すると」
「は? なんですか、その突っ込みどころ満載な主張は!? 会計士ごとき私にそんな権力あるわけないですし、レスター……ブライス卿もそんな馬鹿じゃないです!」
「常識など通用しない、心を操られるとはそういうことなのだ」
思わず声を荒げてしまった私にヴァン=ダイクさんは気を悪くする様子もなく、ため息交じりに私に問う。
「シュベレノア様と貴女の間に、何かあったのだろう?」
う……まあ、そう思うでしょうね、当然。
たじろいで返答できずにいると、そんな私を再び守るようにダンちゃんが間に入る。
「だったらどうするつもりだ。殿下と同じくコレットを囮にして差し出すつもりか?」
ダンちゃんが私の側に来て、守るように立ちはだかった。
「話が違う。コレットに危害を加えるつもりなら容赦しない」
「違う、俺はそんなつもりは……どういうことだよ聞いてないぞ、ヴァンさん!」
リュシアンが困惑しているということは、本当に詳しくは聞かされていなかったのだろう。こんな混乱の中だけど、私の中でヴァン=ダイクさんへの好感度が上がる。リュシアンを協力者だと思っていても、弑逆の大罪に彼を巻き込むつもりはないのだ。
でもダンちゃんはリュシアンを睨んだまま。せっかく協力関係を築けるかと思っていたのに、このまあでは振り出しに戻ってしまう。私のせいで?
それに闇雲に逃げたって、現状を変えられない。
「ダンちゃん、ヴァンさん、落ち着いてください。私が狙われているとしても、今は彼らと協力しないと。逃げるにしたって、どこに行けばいいのかさえ分からないので……協力関係を結ぶのは悪くないはずですよね?」
今このタイミングでシュベレノア様が私を捕らえるよう仕向けたのならば、決意したのは昨日。あの時のことが原因なのだろう。
ならば殿下に何かあったからではない、はず。
私はきっと、彼女の最も触れられたくない部分を刺激したのだろう。
そう思って真っ先に浮かぶのは、侮蔑の表情を浮かべて私を見るシュベレノア様の顔。
「見かけによらず、肝が据わっているようだ。その調子で、シュベレノア様と何か話したのではないのか?」
図太さを感心されてしまった。
「さほど何かを言ったつもりはないです、身分が卑しい者は殿下の側を退けと言われたので、そこはきっぱりとお断りしましたが……」
「濁したのではなく?」
「はい、私も仕事でお側にいる身ですから、はいそうですかと退けません。それに会計士のお仕事を舐めてもらっては困ります。殿下といえども、帳簿管理をしてないと大変なことに……」
コレット、とダンちゃんに止められて、口を閉ざす。
するとヴァン=ダイクさんが苦笑いを浮かべている。
そんなに困らせるような事を言った覚えはないのですが!
「……シュベレノア様は、王子妃にふさわしくあるよう幼い頃から学び、優秀であることを己に課して生きてこられました。かつて第二の王都と呼ばれたアルシュではありますが、今は辺境と言っても過言ではないここで、蝶よ花よと愛されてきたあの方に、今は意見する者すら居ない……」
そんな折に手にした宝冠が、彼女を怪物に変えてしまったのだろうか。
いいや、怪物であることを選んだのは彼女自身だ。支えてくれた人々を操り思うがままに動かすなんて、裏切りではないだろうか。
「どうやったら、シュベレノア様をおびき寄せられますか? それとも捕まった方が早いですか?」
ダンちゃんが、大きく息をつき肩を落とすのが分かった。それでも今すぐに反対されないことに、ありがとうと囁く。
「だからどうしてお前が囮になる話しをするんだよ、せっかく逃がすために連れて来たのに」
一方で状況が飲み込めてないのは、リュシアンだ。
ヴァン=ダイクさんに詰め寄り、相変わらず細い腕を広げて、説得を試みる。
「なあヴァンさん、子供たちを一緒に逃がすためにコレットを連れて来たんだよな? こいつはただの平民だぞ、戦闘訓練を積んだ護衛じゃない。たまたま王子の会計士をしていただけで……アルシュ領のことには関係ないのに巻き込んだら駄目だ」
ヴァンさんは彼が気が済むようにさせるつもりなのか、言われるがままだ。
少なくとも子供たちの事と同様に、私の心配をしてくれるリュシアンに、黙っていることはできない。どうせいつか分かることで。
「それは違うよ、リュシアン。私は、シュベレノア様が許せないの。だから、関係なくはないよ」
するとリュシアンは、顔をしかめて私を振り返る。
「はあ? お前はそんな正義感ぶる奴じゃないだろう? こんな事に協力したって金にもならないし、下手したら怪我じゃ済まないんだぞ?」
いやまあ確かに、私はお金にならないことはしない主義だけども、今ここでそれを出されると格好がつかないじゃないの。
「あの人は……シュベレノア様は、王都で毒を盛り私を殺すつもりだった。でもそのついでに殿下が傷つこうがおかまいなしだったの。あの人は王子妃であることを誰よりも望んでいたはずなのに、殿下のことなんてこれっぽっちも想ってなんかいなかった。私はそれがどうしても、許せない」
「なあ……コレット、それは、あー、至極個人的な……気持ちが理由に聞こえるが?」
途中で言葉を噛み、照れたような顔で問うリュシアン。いや、純情ですか。つられて照れるから止めてほしい。
「その通りよ、悪い?」
「は? ちょ、お前、何言ってるんだ? いや、嘘だろう?」
狼狽するリュシアンに、私は肯定の意味を込めて笑って見せた。
殿下は、一見冷たそうだし、自分にも他人にも厳しいけれど、それはいつだって立場を忘れない人だから。王子であること、施政者であることを受け止めて、寝る間も惜しんで務めている姿は、嫌と言うほど見て知っている。デルサルト卿のように、取り巻きにおだてられて不正を見逃すようなこともせず、馬鹿がつくほど真面目で。それでいて愚痴のひとつも言うどころか、国の未来を考えて、王位を諦めることすら考えていた人で。
そんな殿下が、唯一譲らなかったものが私という存在ならば、私は何があっても彼の側にいたい。同じ大きさで返せるかは分からないけれど、想いに応えたい。
だから私は私の立場上で、私怨と言われても仕方ない。だって私はいつか妻になるのですもの。
「いや、やめとけって、そんなん無理だって! お前どうしたんだよ、相手は王子様だろう?!」
大慌てでリュシアンが私の元に戻ってきて、真剣な面持ちで心配する。
ああそうだった、彼は昔から悪ぶっているけれども、案外常識人なのだ。そんな事を思い出したら、思わず吹き出してしまう。
「笑っている場合か、俺は真剣に忠告をして……」
「うん、ありがとう、でも大丈夫」
「大丈夫なわけがないだろう、下手したら不敬罪だ」
「殿下はそんなことする人じゃない」
処刑されるかもしれないと散々怯えていた私が言うのもなんだけれど。
「……報われるわけねえだろうに」
何だか悲壮な顔して私に詰め寄るリュシアンの腕を、ダンちゃんが少し離してから小さくため息をつく。そして私の方に向けて「いいか?」と確認をするので、笑いながら頷くと。
「彼女は……コレットは、既に殿下の婚約者だ。公表こそしていないが、既に両陛下が認めた、正真正銘フェアリス王国の王太子妃になる方」
それに目を丸くするリュシアン。そのリュシアンの後ろで「やはりそうか」と呟くのは、ヴァン=ダイクさん。
「は……? なに言って……だってこいつは、俺と同じ城下の平民向けの学校を出て……」
混乱するリュシアンを宥めたのは、ヴァンさんだった。
「リュシアン、君には言ってなかったが、殿下には最近、思い人ができたという噂があってな、あれだけ女性を寄せ付けなかった殿下が女性を囲っているとは、私もにわかに信じられなかったが……」
その言葉に驚いたリュシアンが、私というよりもダンちゃんの方をまじまじと見る。
「彼が殿下以外の者を守っている、それ以上の確かな証はない」
「じゃあ本当に、王子殿下もお前を? でも王子様は確か、同性を好むって噂もあったよな、つまり倒錯した趣味の変た……」
私の平らな胸を見て言っているのが分かり、反射的にリュシアンの脛に蹴りを入れる。
「その噂がそもそも間違いだってば! 口の悪さと失礼なところは相変わらずね、そっちこそ不敬罪になるわよ!」
悶絶しているリュシアンは放っておき、私は改めて騎士ヴァン=ダイクさんに向き直る。
「馬鹿リュシアンは放っておきましょう、ヴァンさん……とお呼びしてもいいですか?」
「ああ、もちろんです、お好きにお呼びください」
微笑むと、柔和な印象になるヴァンさんに促されて、話を続ける。
「ギレンにいる侯爵様はきっと殿下が何とかしてくれるはずです。こっちは私たちで何とかするしかないです。ダシにでも囮にでもなりますから、近衛隊と乱闘になる前にリヴァルタ橋の工夫たちを誘導することはできませんか?」
「ああ……だが近衛が私たちに協力してくれるだろうか」
殿下が近衛とは距離を置いていたことは周知の事実だ。でも今は違う。
ダンちゃんが私の代わりに答えてくれた。
「そこは大丈夫だ、近衛は今、殿下の護衛頭だったジェストが近衛隊長に就任している。殿下の指示に従うよう訓練を受けていて、何よりここの近衛を指揮しているのはコレットの弟だ」
「……なんと」
ヴァンさんが今度こそ驚いたような顔で私を見る。
「私は会計士なので、お金の流れでしか物を見られません。けれどもアルシュ領の収支報告は、王都に保管されてあったものを見ています。そして工事に届く資材の量と金額、使途不明金の行方で少し嫌な予感がするんですが」
ギレンの様子が分からないだけに、予測でしかないけれど。
「シュベレノア様はずっと以前から、今回のような事態に備えていませんでしたか? 例えば……密かに武器を準備するとか」
ヴァンさんとその周囲にいる元領兵たちに動揺が走る。だがヴァンさんはすぐに平静を取り戻す。
「最悪、その可能性はないわけではありません……だがどうしてそうお考えに?」
「ええと、アルシュ領で先代侯爵様が亡くなられた前後から、お金の使い方が荒くなっています。最初の補修工事が始まった頃と同時期なので、三年前ですか。確か膨大な葬儀費用がかけられていることになっているのですが、実際とかけ離れていたそうですね。それ以降もシュベレノア様のドレス代や社交費用、それからお城の修繕とか家具、そういったものばかりに予算が計上されています。領地としてのものとは違って、侯爵家の支出は細かく記載する必要がないから、本当にそれに使ったか分かりません。けれども同時に、たぶん工事で資材運搬費に細工がされている。それはあなたたちへの支援としてガレー課長がやった不正よりも、ずっと前から……」
ここに出てくる前、イオニアスさんのお父さんであるバルナ子爵が持ってきていた資材資料を見ていて、ちょっと疑問に思ったのだ。最初の補修工事の時から、金額が不正されていたのではないかと。
「運搬料が資材に見合わない多めの金額を払っているの。てっきり上乗せ分を懐に入れているかと思ったけれど、そうじゃない。記録では馬の数は減らすどころか多かった。ってことは、何か別のものも一緒に運んでいたんじゃないかしらって思って……運んでいたのは侯爵家の私的な予算から支払った何か」
ヴァンさんが難しい表情をして考え込んでいる。彼は侯爵家でも高い地位に居たのだから、主家の中で何が起きていたのか知らないはずはない。
「もしかしたら、先代侯爵様が亡くなられた頃、何かあったんじゃありませんか?」
いきなりの問いだったが、ヴァンさんは諦めのような長いため息をつく。
「先代様の願いが、今のシュベレノア様を形作っていると言っても過言ではないでしょう。アルシュ家の期待を一身に背負わせ、家の繁栄と復活はお前にかかっているのだと……期待していただけに、唯一厳しさをもってシュベレノア様に接した人物でもありました」
「唯一、ってことは先ほど、今は厳しく意見する者がいないって言っていたのは……先代様が居なくなったことを?」
ヴァンさんは頷く。
当事者ではないから想像でしかないけれど、厳しく教育してくれた祖父を疎ましく思うか、それとも尊敬して感謝するか、どちらか極端にふれそうだ。
だが彼女の今している行動から考えると、前者のような気がしてならない。……いや、両方で葛藤することもあるのかな。
「先代様は、事故で亡くなられました」
「事故……? ご病気ではなく?」
「ご高齢のため、少し記憶が混乱することがあり、足腰も弱ってらっしゃいましたので、病気と言えばそれも間違いではありません。ですがきっかけは、階段から足を踏み外して転落したことです」
「そうだったんですか……それじゃあ、突然のことで大変だったでしょうね」
「はい、シュベレノア様はすぐそばに居られましたので、酷くその後も落ち込んでいました……ですがそうですね、その頃からお変わりになられた気がします」
「どう、変わったのでしょう?」
「使用人をえり好みするようになり、現侯爵様とは言い争いになっている所をよく見るようになりました……ですが周囲の様子がおかしくなったのはそれよりずっと最近です」
きっと以前から考えていたのかもしれない。ただ宝冠を手に入れたのが、つい最近なだけで。
「まさかシュベレノア様が、この渓谷に武器まで準備しているなんて……しかもそんな前から」
最悪の予測。考えたくはないけれど、想定しておいた方がいい。
そう言おうとしたところで、洞窟の礼拝所に足音が響いた。
「誰だ?!」
私たちがきたのとはまた違う扉が開き、礼拝堂に三つの人影が現れた。
あなぐらの中の明かりでは顔が判別できない。そのせいか、周囲の緊張が増す。ダンちゃんが私を庇い、座り込んだままだったリュシアンが顔を上げ、ヴァンさんの後ろにいた人たちが一斉に、柄に手をかけた。
だがその人影がずんずんとこちらに近づいたところで、それが誰かがすぐに分かった。
「バルナ子爵、ご無事で良かった、心配していたんですよ」
現れたのは橋脚の調査に向かったはずのバルナ子爵とイオニアスさん、そして建築設計助手二人だ。
「げ、父さん……兄さんまで揃って、どうしてここが……」
リュシアンの嫌そうな声が聞こえたが、バルナ子爵は彼に一瞥するだけで、気にした様子がない。
そして彼は私たちに言った。
「橋脚の地下に武器庫を見つけた……出入り口の鍵を急ぎ潰してきたが、開けられるのは時間の問題だろう」
胃の奥が、ぎゅっと冷える。
当たって欲しくない予想こそ、当たるのは何故だろう。




