第二十七話 標的
古い坑道の中を歩いていくと、所々壁が崩れている箇所が目に付く。かつてリヴァルタ渓谷は黄金の谷とも呼ばれたことがあるらしいが、掘り尽くされて今は穴だらけの危険な場所でしかない。フェアリス王国が建国した頃を境に、産出量は突如減りはじめ、衰退の一途だったらしい。それでもリヴァルタを領地に含むアルシュ侯爵領は、始祖王の産まれた地として、都を置くことを許されたこともあり、しばらくは他の領地よりも繁栄していた。
だがそんな名残も坑道にはまるでなくて。
「そこ滑るから足元に気をつけて、岩を触れずに通ってくれ」
リュシアンが慣れない私たちを気遣って、ランプで足元を照らしてくれる中、いつからそこにあるのか分からない大岩と抉れたような壁の間に身を滑り込ませて進む。私は背が低いからなんてことないけれど、忠告したリュシアンの方がむしろ、その鳥の巣のような髪を岩にひっかけている。
だが足元には私も注意だ。老朽化して壁の中から落ちてきたものだろう小石が、あちこちに散乱しており、気をつけないと転んでしまいそうだった。
「けっこう歩いた気がするけれど、まだかかりそうなのかな」
私が前を歩くリュシアンに問いかけると、彼はちらりとこちらを見てから、手にしていたランプを高く掲げた。
これまでいくつかの分岐をリュシアンの案内で進み、最初に比べたら道は広くなり壁は補強されている。
「渓谷橋の西側にあたる、ロゼ山が最も産出量が多かったらしい。大きな坑道の中に、坑夫たちが憩いのために作った礼拝堂のようなものがある」
どうやらそこが彼ら、解放軍とやらのアジトらしい。
「リヴァルタ村にも通じているの?」
「ああ、リヴァルタ村はかつて坑夫たちが家族を呼び寄せて移り住み、開拓したような村だから」
網の目のようにある坑道を、リヴァルタ村の人々はよく記憶していたという。鉱山が閉鎖された後も、坑道は村の貯蔵庫代わりにされていたらしい。
そんな話をしているうちに、どうやら目的地に到着したらしい。
坑道にぽつりぽつりと灯りが見えるようになると、その先に大きな扉が現れた。その扉の前には見張りらしき男性が一人、立っていた。リュシアンの顔を見ると、連れている私たちのことは問うこともなく、扉を開けて中へと通してくれた。
中は部屋ではなく、いくつかの通路がぽっかりと穴を開けたように道が続いている。そのうちの一つの前でリュシアンが言った。
「パリス、お前は部屋に戻っていてくれ。話が終わったらまた迎えに行く」
リュシアンがそう言うと、パリスは私たちを心配そうに見て立ち止まったままだ。私はそんな彼女の前に行き、膝を折って目線を合わせる。
「さっきは助けてくれてありがとう、パリス。後でまたお話ししようね」
「……うん、またねコレット」
手を振って細い道へと駆けだしていくパリス。彼女の向かった先は、居住区なのだとリュシアンが説明する。きっと、友だちもそこに居るのだろう。
「あんたたちはこっちに来てくれ、会わせたい人がいる」
リュシアンが指差したのは、一番大きな坑道だった。先ほど言っていた礼拝堂があるのだろうか。その先にある扉をくぐると、目の前に現れた光景に驚いてしまった。
「す……凄い、なにこれ!」
目の前に広がるのはただの大きな空洞ではなく、天井が岩の裂け目のように鋭く突き抜けている。まるで渓谷のような断崖が、そのままロゼ山の中にもう一つ存在しているかのよう。こんな光景、誰が想像できたろうか。
その高く聳える壁には、いくつもの階段が彫られ、その先々に小さな空洞があるようだ。その空洞全てではないが、小さな明かりが灯り、まるで星が瞬いているかのように見えて、とても幻想的だ。
「ほら、時間がないんだから」
天井を見ながら、ただ口を開けたままだった私に、リュシアンが先を促す。
「そうだった、見とれている場合じゃなかった!」
礼拝堂の中は綺麗に整えられていて、小石など少しも見当たらない。平らに整えられた床はまっすぐ奥に続き、ひときわ明るい祭壇と思われる位置に人だかりを認める。
私たちを待ち構えているのだろう、ざっと並ぶ屈強な男性たちの前に歩み寄る。明らかに坑夫や農民、補修工事に携わる工夫でもなさそうな人たち。その中央に立つ男性が、数歩前に出ると。
「彼が、俺たち『シーバスの翼』のリーダー、ヴァン=ダイクだ」
リュシアンの紹介には私が答えるつもりだったのに、大きな身体を彼らの前に出したのはダンちゃんだった。
「ラディス=ロイド王子殿下の護衛官を務める、ダンジェン=ブランシュだ。やはり貴卿が、解放軍とやらを指揮していたのだな」
「久しぶりだな……殺戮熊、殿下は息災だろうか?」
ヴァン=ダイクと紹介された男性は、とても鍛えられた屈強な体つきの、風格ある男性だった。年は三十代後半だろうか、短い黒髪が印象的な人だ。解放軍と名乗り、領地の侯爵に反旗を翻す者とは思えないような、柔和な表情をしている。
「どうして……直接殿下に助けを請わなかった? そこに並ぶのは、卿の部下だろうに。人を遣わすことくらい出来たはずだ」
ダンちゃんの問いに、後ろに並ぶ者たちが顔を曇らせる。アルシュ侯爵領唯一の騎士は、領兵たちを束ねるのだと聞いた。ならばやはり、屈強な男たちはシュベレノア様の魅了を逃れた領兵たちなのだろう。
「兵とて家族がいる。監視は百を下らぬ領民たちであり、その守るべき家族でもあるのだ。気づいた時には、既に身動きが叶わなかった」
「だからリヴァルタ橋の補強工事をダシに、殿下を呼び寄せたというのか」
「全ての責は私が被る……ダンジェン、協力してくれ。我々はシュベレノア様を止めねばならない……」
「どうやって?」
ぐっと口を引き結んだ彼の瞳には、決意のような強い意志が宿っているように見えた。
きっと彼は、シュベレノア様が幼い頃から見守ってきたに違いない。
「……まさか弑逆を?」
事の重大さに、私は息を呑む。
「……ここに二十人の元領兵がいる。私を含め、家族はいない。我々はアルシュに生まれ、アルシュとともに生きてきた。アルシュの民であることに誇りを持ち、アルシュの名誉のために命を差し出す覚悟だ。どのような誹りを受けようと、残る民とわが主のために……」
シュベレノア様の行いの全ては、そこに魅了の力を発揮する宝冠が存在することで成り立っている。もう一つの宝冠と殿下が言ったからには、効果は違ったとしても約束の石でできていると考えるべきだ。普通の約束石には考えられない作用ではあるけれど、それを言ったら王城の宝冠だって同じだ。けれども約束事に縛られた効果を示すという基本的な部分が同じだとしたら……死も解除になる?
本当にそうなのだろうか。
「それで領民を元に戻せる保証はあるのか」
ダンちゃんも同じ不安を抱いたようだ。シュベレノア様を弑逆した後に、残された領民たちが戻らなかったら? それどころか契約の主の不在で……取り返しのつかないことになりはしないだろうか。
私はかつてティセリウス領のサイラス医師の元にいた、犯罪者たちの末路が頭をよぎる。直接会ったわけではないが、精神が崩壊して手当のしようが無いと聞かされている。大勢の人たちがそんな風になってしまうのは避けたい。
「他に方法があるのならば、手をこまねいていない。仮に何とかして近づいてシュベレノア様を拘束したとして、操られている者たちは人質同然なのだ……その場に辿り着けるのならばひと思いにこの手で……」
一朝一夕で出した結論ではないだろう。絞り出す声は微かに震え、薄暗い礼拝堂の中でも、彼の眉間に落ちた陰は深い。
「間違いなく、首謀者は令嬢なのだな? 当主ではなく……」
「主君は、シュベレノア様の暴走を止めようとなされた。だが逆にシュベレノア様によって、幽閉されてしまったのだ……まだご無事であると信じている」
やはり私たちが予想した通り、アルシュ侯爵に異変があって身動きが取れないのだ。
「連絡はとれるのか? 今、殿下が領都ギレンを訪れていることは承知しているだろう、アルシュ候の無事を確認しに行かれたのだ。幽閉の事実を知れば、殿下が手を尽くして……」
「悪いが、当てにはしていない」
ダンちゃんの言葉を遮るように、ヴァンさんが言い切った。
「殿下であろうとも、ギレンでは周囲全てが敵なのだ。しかもシュベレノア様は王太子妃になられることを望んでいる、つまり目的は殿下自身でもある」
その言葉に、立ち塞がっていたダンちゃんの背中が、強ばる。
「貴様ら……殿下を囮に使うつもりではないだろうな?」
闘気、というものが存在するのならば、きっと今のダンちゃんが全身から醸し出す圧が、そう称するのに相応しい。
殿下の安全を脅かすものは、すべからくダンちゃんの逆鱗に触れる。
「否定はしない……だが、そうは言っていられなくなった。『外』の異変は、想定外のことだ、我々も今日のことには少なからず困惑している」
領兵たちがたじろぐ中、ヴァン=ダイクさんだけが毅然としたまま告げた事は、私たちにとっても最大の疑問でもある。
「どうして工夫たちが突然おかしな行動をしたのか知っているのですか? 外にはまだ、バルナ子爵……リュシアンのお父さんとその部下の方たちが残されているんです。近衛たちだって……怪我をさせないように工夫たちを抑えるのにも限界があります」
近衛たちにはどんな状況になろうとも民を相手に戦闘にならないよう、殿下が指示をしている。けれども工夫たちが武器を手に襲いかかれば、そうも言っていられなくなる。何が何でも最悪の事態を回避するため、彼女の目的が知りたい。
ダンちゃんの横から顔を出して問う私に、アルシュ領騎士ヴァン=ダイクが強い視線を返して言う。
「コレット=レイビィ、彼らは貴女を捕らえるつもりのようだ」
…………え?
言葉の意味を図りかねていると、ダンちゃんが私を振り返る。
私…………私を?
確かめるように横を見ると、リュシアンは薄い唇を噛みしめている。そして視線を前に戻すとヴァン=ダイクさんが、ゆっくりと頷いたのだった。
 




